第64話 新しい撃ち方
広間に踏み込んだ。
岩の壁で囲まれた楕円形の空間。天井は見上げるほど高く、真帆の《光球》が白い光を散らしても上端には届かない。床は黒褐色の岩が不規則に重なり、ところどころに大きな段差があった。広間の奥、北東側の壁際に通路の出口が一つ。その手前に三つの影。
ハイゴブリン通常種一体。額に角二本。緑色の肌。体高一・二メートルほど。右手に棍棒。前期の実力考査で散々手を焼いた、第2層の主。
ゴブリン二体。体高一メートル弱。ハイゴブリンの左右後方に従うように立っている。
蒼真は広間の入り口から三メートル入った位置で止まり、弓を構えた。右手の指が弦に触れる。通常射の魔力量。いつもの、慣れた量。
――先制。
紅葉の索敵で位置は把握済み。ハイゴブリンの正面やや左から、距離およそ二十メートル。
広間突入の音で三体がこちらに気づいた。ハイゴブリンの赤い目が蒼真を捉え、棍棒を振り上げようとした。その一拍前に、蒼真の指が弦を離した。
蒼い軌跡。通常射。
狙いはハイゴブリンの胸。わざと。
矢はハイゴブリンの胸板に命中した。蒼い残光が着弾点で散り、皮膚を裂く感触が弦を通じて指先に伝わる。
だが、刺さりが浅い。
表皮を裂いただけだった。
ハイゴブリンは矢の衝撃によろめきもせず、棍棒を振り上げて吠えた。
――知ってる。
蒼真の表情が引き締まった。
前期の実力考査で最初に放った矢と、全く同じ結果。胸に命中しても、ハイゴブリンの分厚い胸筋は貫通させてくれない。弓の「点」の攻撃では、急所を射抜かなければ削りにしかならない。
だが、今日の蒼真は、あの日の蒼真ではない。
「里奈!」
蒼真が叫ぶと同時に、広間の奥に氷の壁が立ち上がった。
「《氷壁》!」
里奈の杖から放たれた冷気が、北東の通路出口を塞いだ。高さ二メートル、幅三メートルの氷の壁。ハイゴブリンの退路が断たれる。
同時に。
「《光矢》!」
真帆の杖先から、白い光の矢が右側のゴブリンの肩口に命中した。光が閃き、ゴブリンが怯んで棍棒を落とす。
悠斗と航が左右に分かれて走り込む。悠斗が左のゴブリンに突きを入れ、《脚力強化》の初速で距離を詰めて仕留める。航は真帆の《光矢》で意識が散った右のゴブリンへ横から剣を振り下ろし、首を一閃。粒子化。
四秒で、ゴブリン二体が消えた。
残り、ハイゴブリン一体。
◇
退路を《氷壁》に塞がれたハイゴブリンが、棍棒を振り上げて悠斗に突進した。体重を乗せた突進は、床の岩を砕きながら迫る。前期の時にも見た、ハイゴブリンの最大の脅威。棍棒の一撃。
「悠斗、受けるな! 左に逸れろ!」
蒼真が声を張った。悠斗は素直に左へ跳び、棍棒の一撃が空を切った。岩の床が砕ける音が広間に響く。
航が右から牽制の一太刀。斬撃強化の八割出力で、ハイゴブリンの左腕に斬撃を入れる。皮膚が裂けるが浅い。ハイゴブリンが航の方を振り向いた。
その一瞬、ハイゴブリンの左側頭部が蒼真の方に向いた。
こめかみ。
――今だ。
蒼真は矢筒の仕切りに手を伸ばした。矢筒から一本抜き、弦にかける。そこへ『弐』の魔力を注ぐ。
通常射の何倍もの魔力が、指先を通じて矢に流れ込んでいく。鏃が蒼白い光を帯び始めた。通常射とは比較にならない光量。弦にかかった矢が、光の棒のように輝いている。
指先が熱い。魔力が身体を流れていく実感が、指先から肩へ、肩から背中へと広がる。夏休みの間に何百回と繰り返した動作だ。だが訓練場の的と、第2層の広間でハイゴブリンの側頭部を狙うのとでは緊張の桁が違う。
呼吸の底で、蒼真は弦を引き切った。
――魔力集中射『弐』。
放つ。
弦が弾ける音が、通常射よりも一段低い。
矢は蒼い軌跡を引いて飛んだ。その軌跡の太さが、通常射の二倍以上あった。光の線ではなく、光の帯。視覚的にも明確に「違う矢」だと分かる。
距離十五メートル。ハイゴブリンの左こめかみ。
命中。
矢が側頭部に突き刺さった瞬間、蒼真の指先に伝わったのは、前期とは全く違う感触だった。
前期の通常射でこめかみに命中したとき、矢は「突き立った」。表皮を破り、骨に到達し、行動不能にした。だが粒子化までは、その矢一本では届かなかった。悠斗の槍の追撃が必要だった。
今回は違う。
『弐』の矢は、突き立つのではなく、貫いた。
ハイゴブリンの左こめかみに矢が命中した直後、頭部全体に蒼白い衝撃が走り、身体が硬直した。
粒子化した。
一射。追撃なし。粒子化。
「――仕留めた」
蒼真は弓を下ろした。声が、自分で思ったよりも震えていた。
◇
広間が静まった。
三体の魔物が消え、岩の床に三つの魔石が残っている。ハイゴブリンの魔石は、ゴブリンの二倍ほどの大きさだった。
「……蒼真」
悠斗が振り返った。目が丸い。
「今の、『弐』か?」
「ああ」
「すげえ」
悠斗が、率直に言った。飾りのない、本気の声。
「一撃だったぞ、今の。こめかみ、一発。追撃なし。前の試験のときは俺が追撃しないと倒しきれなかったのに」
「同じ部位への命中でも、貫通力が全然違う」
航が冷静に分析した。
「蒼真、消耗は?」
蒼真は自分の右手を見下ろした。指先に鈍い消耗感が残っている。腕の筋肉にも、微かな疲労の重さがあった。夏休みの訓練で何百回と感じてきた、『弐』特有の消耗。
「重い。一戦で連発はできない。通常射ならあと二十発は余裕で撃てるけど、『弐』を続けて撃ったら三発が限界だ」
「つまり通常射で削って、ここぞで『弐』」
「そうだ。今日のこの戦闘で確認できた」
蒼真は矢筒の中を確認した。残二十一本。胸に浅く刺さった通常射の矢も、『弐』でこめかみに撃ち込んだ矢も、ハイゴブリンの粒子化に巻き込まれて消えていた。
矢残、二十一本。
◇
蒼真はメンテナンスノートを開いて、膝の上で走り書きした。
『十月一日・第2層広間一戦目。ハイゴブリン通常種×一、ゴブリン×二。所要時間、一分十五秒(前期の同構成比で三分の一以下)』
『魔力集中射「弐」初実戦投入。こめかみ命中。一射で粒子化。追撃不要』
『消耗:「弐」の負荷は大きく連発不可。一戦に一発が限界』
書きながら、蒼真は何度も同じ行を見返した。にやつくのを、誰にも見られたくなかった。
前期の実力考査で「弓術士の壁」にぶつかった。胸に撃ち込んでも表皮を裂くだけ。六射放って致命打はたった一本。あのときのノートに書いた「弓は点の攻撃。急所を外せば削りにしかならない」という一行が、今日、『弐』によって書き換えられた。
急所に命中させれば、一射で仕留められる。
『弐』がある今、弓は「急所に当たれば致命打を取れるが、それ以外は削り」だった前期の状態から、「急所に確実に命中させれば一撃で粒子化まで持っていける」段階に進んだ。
だが。
蒼真はペンを止めた。
今の戦闘で『弐』が撃てたのは、里奈の《氷壁》が退路を塞いだからだ。真帆の《光矢》がゴブリンの意識を逸らし、悠斗と航が前衛でハイゴブリンを受け止め、紅葉の索敵が事前に配置を把握していたからでもある。
一人で『弐』を撃つだけなら、ただの消耗の重い一撃にすぎない。仲間が作った一瞬の隙に、蒼真が『弐』を撃ち込む。その構造があって初めて、弓術士の火力が「仕留める力」になる。
蒼真はノートの最後に、一行を追加した。
『「弐」の価値は、仲間が作った隙に一射で答えられること。一人では、この一撃は成立しない。だからこそ、考えて使う』
◇
紅葉が蒼真の隣に座った。
「班長、今の矢すっごい光ってたね」
「ああ。通常射と比べると見た目で分かるくらい違う」
「敵からしたらあれ怖いだろうなあ。蒼い光の帯がビュンって飛んできて一発で粒子化って」
「……怖いかどうかは敵に聞いてくれ」
「聞けないじゃん。粒子化してるんだから」
紅葉がけらけらと笑った。蒼真もつられて笑った。こういう軽口が、戦闘の直後の空気をほぐしてくれる。
里奈が杖を抱えたまま、少し離れた位置に立っていた。蒼真は里奈に声をかけた。
「里奈。《氷壁》、完璧だった」
「……ありがとうございます」
「退路を塞いでくれたおかげでハイゴブリンが逃げずに前衛の前に留まった。あれがなかったら通路に逃げ込まれて射線が取れなくなってた可能性がある」
「……そこまで考えてなかったです。ただ班長に言われた通りに……」
「それでいい。言われた通りに動けるのは里奈が訓練してきたからだ。次も頼む」
「はい」
里奈の「はい」は、短くて、芯があった。
真帆が「私の《光矢》も効きましたか?」と控えめに訊いてきた。
「効いた。ゴブリンの意識を逸らすのに使ったけど、あの一発がなかったら、悠斗がゴブリン二体を同時に相手にしてた可能性がある。一発で状況が変わった」
「よかった」
真帆が胸を撫で下ろした。
後藤はやや離れた位置で、バインダーにペンを走らせていた。戦闘の記録なのか、六人の動きの評価なのか。その後藤は、ペンを止めずに言った。
「『弐』――確認した」
それだけで、蒼真には十分だった。
「さて」
蒼真はノートを閉じ、立ち上がった。
「もう一戦やって、フォーメーションBの方を試す。次の広間まで進むぞ」
「了解!」
悠斗の声が一番に飛んだ。
六人が再び隊列を組み、第2層の通路の奥へ歩き出した。




