第63話 二度目の第2層
十月第一週、月曜日の朝七時三十分。
立川ダンジョン入口ゲート前の管理棟広場に、第5班の六人が集合していた。
秋の朝は薄く冷たい。ゲート周りの街灯がまだ残り、管理棟の白い壁にオレンジ色の光を落としている。他の一年生の班もちらほらと集まり始めていたが、第5班の集合はその中でも早い方だった。
「全員、揃ったな」
後藤喜一郎がバインダーを片手にゆっくり歩いてきた。いつも通りの眠そうな顔。だが腰には小剣が吊ってある。教員が随行時に携帯する戦闘用のそれを見るのは、蒼真にとって初めてだった。前期の実力考査では後藤は外待機で、第5班の随行は橋本教官だった。
「装備確認。神代、弓」
「はい」
蒼真は弓ケースを肩から下ろし、和弓を取り出した。弦を一度だけ弾き、音の響きで張力を確かめる。澄んだ弦音が管理棟の壁に反響した。
「矢筒、二十四本。ナイフ、六本。煙幕粉末、二袋」
「確認した。橘、槍」
「っす」
悠斗が両手槍を軽く回して見せる。穂先の光沢が朝日を弾いた。石突きも新品。
「宮瀬、剣」
「問題なし」
航が鞘ごと長剣を持ち上げ、柄の巻き革を指で確認した。
「鬼塚、斥候装備」
「ショートソードと予備の短刀、装備完了。新しい鞘、見てよ先生。夏休みに」
「見たくねえ。次。中村、杖」
「……確認、しました」
里奈が杖を右手にしっかりと立てた。
「小林、杖と医療キット」
「確認しました。キットの中身も昨日チェック済みです」
真帆がバックパックのサイドポケットを開けて見せた。包帯、消毒液、鎮痛剤。学院支給の応急処置用キット。
「よし」
後藤がバインダーのチェック欄にペンを走らせた。
「七時四十分、突入開始。行くぞ」
◇
ゲートをくぐった。
ゲートを抜けた瞬間、鼻の奥に魔素の重さが沈んだ。肌に細い電気が走るような刺激が混じり、外の秋の冷たさが一歩で遠のく。
光源のない空間に説明しがたい薄明かりが満ちていて、視界はそこそこ利くが奥までは見通せない。岩の天井が高く広がり、足元の地面はゴツゴツとした褐色の岩肌。
蒼真は呼吸を一つ整えた。弓を握る右手に、自然と魔力が集まってくる。
――第1層。
五月の初ダンジョン実習で、生まれて初めて足を踏み入れた場所。あのときは空気の変化だけで足が竦みそうになった。前衛の二人も緊張で肩が上がっていたし、里奈に至っては顔色が白かった。
今は違う。六人とも足取りが安定している。魔素密度に対する身体の適応が、夏休みの訓練を経て一段進んでいた。
「紅葉、索敵」
「了解。前方三十メートル、通路。魔物反応、ゴブリン二体。右壁沿い」
紅葉の報告が短く正確に飛んだ。
「やる」
蒼真は弓に矢をつがえた。通常射の構え。
前方の薄暗がりに二つの影が見えた。体高一メートル程度、緑色の肌、角なし。粗雑な棍棒を手にしたゴブリンが二体、岩壁の前でうろついている。
蒼真は呼吸の底で弦を引き、放った。
蒼い軌跡が薄暗い通路を裂いた。一体目の額に命中。即、粒子化。
二体目が振り向く前に、悠斗が《脚力強化》の初速で踏み込んだ。槍の穂先が胴を突き上げる。粒子化。
五秒。
「……流れ作業だな」
航がぽつりと言った。
「五月はゴブリン一体相手でもうるさかったのにな、俺たち」
「うるさかったのはお前だよ、悠斗」
「否定はしない」
悠斗がからからと笑った。蒼真もつられて笑う。
矢は残り二十三本。
◇
第1層を進む。
通路と広間の繰り返しの中で、さらに二度、ゴブリンと遭遇した。三体、四体の群れ。どちらも紅葉の索敵が先に捉え、蒼真の先制射と前衛の連携で一分以内に片付けた。
後藤はずっと六人の後方を歩いていた。バインダーに時折ペンを走らせるが、口は出さない。戦闘にも介入しない。ただ見ている。
蒼真はその「見ている」の質が、橋本教官とは違うことに気づいていた。橋本は試験の随行として評価するために見ていた。後藤は、もっと別のものを探している目をしていた。第2層の奥にあるかもしれないものを。
四十分ほどで、第1層の奥にある降り口に到達した。
下へ続く岩の階段。薄暗い通路が、さらに深い闇へと落ちていく。
蒼真は弓を握り直した。
――第2層。
前期の実力考査以来、三ヶ月ぶり。あのときはハイゴブリン通常種の胸に矢を撃ち込んで、表皮を裂いただけだった。「弓術士の壁」を痛感した場所。
今日は違う。『弐』がある。新連携がある。
「降りる」
蒼真は短く号令をかけた。
紅葉が先行し、悠斗と航が続き、蒼真が中衛、里奈と真帆が後衛。後藤が最後尾。
階段を降りていく足音が岩壁に反響した。
◇
第2層に足がついた瞬間、空気が変わった。
魔素の密度が、第1層の約一・二倍。航が前期の試験前に教本から引いた数値が、身体で実感される。吸い込む空気に粘りがあるような、肺のあたりに重石を一つ載せられたような感覚。
壁は黒褐色の岩肌。天井はさらに高く、真帆の《光球》が照らしても届かないほど上まで続いている。通路の幅は約四メートル。第1層よりも明確に広い。弓の射線を確保しやすい幅だ。
「空気、重いな」
蒼真は呟いた。
だが、前期のときのような「別の場所に来た」という衝撃はなかった。二ヶ月前にも来た場所だ。身体が覚えている。呼吸を三回深くするだけで、魔素密度への適応が自然に始まった。
弓を握る右手に魔力が集まり始める。第1層よりも速い。ダンジョンの魔素が濃いほど、適性武器への魔力付与が自然に起きるのだと授業で習った覚えがある。
「紅葉、前方」
「前方、通路が北東に伸びてる。幅約四メートル。五十メートル先で広間に出る」
紅葉の報告が、前期の試験当日と全く同じフォーマットで入ってくる。同じ場所で同じ報告。だが、声の余裕が違う。紅葉の索敵切替が一秒まで縮まっている今、報告のテンポが速く落ち着いている。
「魔物確認。広間にハイゴブリン一体、ゴブリン二体。ハイゴブリンは通常種。角二本」
蒼真の心臓が一拍、強く打った。
ハイゴブリン。
前期の実力考査で三体と戦い、そのうち一体目は胸に矢を撃ち込んでも表皮を裂いただけだった。「弓は点の攻撃。急所を外せば削りにしかならない」。あのノートの一行が蘇る。
だが、今の蒼真には、あの日にはなかったものがある。
魔力集中射『弐』。
「里奈」
「はい」
「広間に入ったら、ハイゴブリンの後方に《氷壁》で退路遮断。敵が通路側に逃げないようにする」
「了解、しました」
「真帆、ゴブリンの方に《光矢》。一発でいい。意識を逸らすだけ」
「はい」
「悠斗、航、左右展開。いつもの形だ。俺は側面から射線を取る」
「了解!」
「了解」
「紅葉、敵の死角監視を継続。何か違和感があったらすぐに声を出してくれ」
「任せて」
六人の役割が、指示と同時に嵌まる。フォーメーションB。先日の放課後、机の上のノートに描いた配置図が、今、第2層の広間の前で実装されようとしていた。
蒼真は呼吸を整えた。矢筒から矢を一本抜き、弦にかける。通常射。まずは通常射で削る。
そして、ここぞで『弐』。
「行くぞ」
蒼真の声は低く、しかし熱を帯びていた。
六人が広間に向かって歩き出した。




