第62話 装備点検
十月第一週、日曜日。実習前日の夜。
錦町のマンション、蒼真の一室。
六畳一間のワンルームに、秋の夜気が窓の隙間から入り込んでいる。机の電気スタンドだけを点けた部屋で、蒼真は装備を一つずつ、机の上に並べていた。
和弓。自前。弦の張りを確認し、握りの革をなぞり、下弦の絡みがないか指で追う。問題なし。夏休みの間に何千本も引いた弓は、もはや蒼真の手の延長のような感覚がある。
矢筒と矢。実習用に新品を二十四本。鏃の先端を一本ずつ指の腹で触り、刃こぼれがないことを確認。矢羽根の貼り付けも安定している。矢二十四本。全て新品。魔力集中射は矢ではなく込める魔力量で切り替える。
スローイングナイフ。六本。五本+予備一本。
蒼真は椅子を引き、電気スタンドの光を近づけた。
一本目を手に取り、柄を回して溝を光にかざす。溝の中に、細い糸のような何かが巻きつけられている。自分の髪と爪を細く撚って紐状にしたもの。触媒。
指の腹で撫でると、括り付けの結び目がしっかり固定されているのが分かる。引っ張ってもほどけない。走っても跳んでも転んでも外れない。入学前に自分で試して確認した手法で仕込んである。
一本、二本、三本。四本目、五本目、予備の六本目。
六本すべて、触媒仕込みに異常なし。
これで《小転移》が六回使える。
蒼真はナイフをポーチに戻し、ファスナーを閉めた。
――秋の実習で、使う場面はたぶんない。
偵察が目的の実習で、切り札を切る状況は想定されていない。だが、持っていくことに迷いはなかった。持っているのと持っていないのとでは、咄嗟の選択肢が違う。
煙幕粉末。小袋二つ。ポーチの内側の小ポケットに収まっている。重さを確認。問題なし。
メンテナンスノート。今日の朝、教室で後藤の話を聞いた直後から、追加の走り書きが増えていた。フォーメーションBの配置図に、いくつかの注記。
魔導通信機。実習当日に学院から班単位で貸与されるので、今手元にはない。
「……よし」
蒼真は机の上の装備を見渡して、一度、深く息を吐いた。
◇
ぴこん、とスマホが鳴った。
グループメッセージ。名前は「第5班」。六人だけの日常用チャットだ。
悠斗:『蒼真ー、装備確認終わった??』
蒼真は片手でフリック入力した。
蒼真:『今ちょうど終わった。スローイングナイフも確認済み』
悠斗:『俺のとこ今航が来てて、俺の装備まで点検してきやがる……』
航:『悠斗の装備は俺が確認しないと絶対どっかに穴がある』
悠斗:『失礼だろうが!!!!』
航:『前の実習で石突きにヒビ入ってたの忘れたと思うなよ。あれ、俺が気づかなかったらダンジョンの中で折れてた可能性がある』
悠斗:『アレは!!! 工房で交換済み!!!』
航:『だから今回は俺が確認してるんだろ。黙って槍を出せ』
蒼真は声を出して笑った。寮で同室、正確には隣室の二人のやりとりが目に浮かぶ。悠斗が槍を持ったまま「やめろよ触るな」と逃げ回り、航が「出せ」と追いかけている光景。
紅葉:『二人とも仲良しね笑笑笑』
真帆:『仲良しですね』
里奈:『私も、装備、確認しました。杖の魔力通し、問題なかったです』
蒼真はにやけた顔を引き締めて、最後にメッセージを打った。
蒼真:『明日、朝七時半に入口ゲート前集合。全員、万全の状態で来てくれ。実習だ』
悠斗:『了解!!!!!!!!!』
航:『了解。……橘、エクスクラメーション多すぎだ』
紅葉:『了解ー!』
真帆:『了解です!』
里奈:『了解、しました』
六人分の「了解」が揃ったのを確認して、蒼真はスマホを机に置いた。
◇
ふと、蒼真はタブレットを取り出した。
学院のイントラネットにログインし、図書検索に「第3層」と打ち込む。検索結果は三件。
一つ目。教本「立川ダンジョン階層概要」。第3層の記述は数行のみ。「気温の低下が観測される」「通路構造の複雑化」「第2層種よりやや強い個体が出現」。情報がスカスカだった。
二つ目。探索者協会発行の非売品階層ガイド。こちらも内容は薄い。「偵察報告に基づく概要」として、気温・通路幅・天井高程度の数値が載っているだけ。
三つ目。上級生の実習レポート匿名抄録。班単位でまとめられた実習記録の一部を、個人名を伏せた形で公開しているもの。蒼真はここを重点的に読んだ。
第3層偵察を行ったある三年生の班の記述。
「通路が入り組み、第一・2層のような直線的構造ではない。分岐が多く、方向感覚を失いやすい」
「広間の頻度は第2層より低いが、広間自体は広い。天井高は第2層の倍近く」
「気温は体感で第2層より明確に低い。素肌を出していると冷える。手がかじかむほどではないが、長時間の滞在で集中力に影響する可能性あり」
そして、蒼真が最も注目した一文。
「ハイゴブリン系は外見上、第2層の通常種と変わらないが、一撃の重さが格段に違う。そして――単独では出現しない。必ず集団で動く」
蒼真はその一文に、タブレット上でハイライトを入れた。
集団戦前提。
弓術士にとって、集団戦はダンジョン戦闘で最も技量を試される場面だ。一体なら狙い撃てばいい。だが複数の敵が同時に動く中で、「誰を」「いつ」「どの角度から」撃つかの判断が、一射ごとに変わる。
紅葉の索敵情報が、第3層ではこれまで以上に重要になる。
里奈の《氷壁》で敵を分断し、《氷矢》で足を止められれば、集団を一つずつ削れる。
真帆の《光矢》で牽制して、前衛の悠斗と航が一対一の状況を作り出す。
そして、蒼真が側面から射線を通し、ここぞで『弐』。
フォーメーションBが、第3層で機能する姿が、頭の中にくっきりと浮かんだ。
「……いける」
蒼真は呟いた。
不安はある。情報が薄い。集団戦の経験も、蒼真たちにはまだ多くない。
だが、不安の中に、はっきりと「やってやる」の感覚がある。強い相手に対しても、「怖い」よりも先に「挑みたい」が来る。弓術士としての矜持が、蒼真の中で前のめりの闘志として燃えていた。
◇
タブレットを閉じて、蒼真はメンテナンスノートを開いた。
新しいページ。九月の最終週。日付を書き入れる。
『秋の実習前日。目標を記入する』
一行空けて。
一、第2層のハイゴブリン通常種を、連携(フォーメーションB)で確実に制圧する
二、魔力集中射「弐」の初実戦投入。通常射で削り、ここぞで一撃
三、新連携パターン(前衛左右展開+側面射+《氷壁》退路遮断+《光矢》牽制)を実戦で試す
四、第3層の偵察。地形・魔物を確認し、交戦は極力避ける
五、全員で、無事に帰る
五つ目を書いた後、蒼真はペンを止めた。
「五」に、太い下線を引いた。二重線。
これが一番大事だ。
どれだけ良い戦術を組んでも、どれだけいい矢を放っても、全員が帰ってこなければ意味がない。
最後に、ページの下の余白に、一行だけ。
『弓術士は一人では仕留められない。仲間の力で撃つ。』
この一文は、夏休みの間に何度もノートに書いた言葉だ。前期実力考査で蒼真が自分に言い聞かせた結論。仲間の力で撃つ。
里奈と真帆の新魔法。紅葉の索敵速度。悠斗と航の訓練成果。それらを知って、答えは前よりはっきりした。一人では仕留められない。けれど、六人でなら、もっと上に行ける。
◇
ノートを閉じて、椅子の背もたれに体を預けた。
ベッドの横に立てかけた弓のケースを見る。ナイフのポーチは机の隅。矢筒はクローゼットの扉に吊るしてある。
部屋の中に、明日の実習のすべてが揃っている。
蒼真は照明を消し、ベッドに横になった。
目を閉じると、フォーメーションBの配置図が浮かんだ。前衛左右展開。側面射。《氷壁》による退路遮断。《光矢》の牽制。《氷矢》の足止め。通常射で削り、ここぞで『弐』。
その配置図の中に、まだ描き込んでいないピースが一つある。
小転移。
頭の中で、試しに描き込んでみる。
敵の側面に飛ぶ。紅葉が見つけた死角に、ナイフを投げて転移する。正面からでは角度が取れない位置に、一瞬で立つ。弓を構える。射線が通る。仲間が作った「撃てる形」に、小転移が最後の一手として嵌まる。
「連携の最終ピースを届ける道具」。その使い方が、自分の中で輪郭を取り始めていた。
一年の春の須藤戦では、小転移は「自分を前に出す道具」だった。
だが今、六人の連携が仕上がってきた状態では。
小転移は、「仲間が作った射線に自分を届ける道具」に変わりつつあった。
自分が変わったのか、六人で変わったのか。それはまだ分からない。ただ、頭の中の配置図に、小転移は驚くほど自然に収まった。
――明日は、まだ使わないだろう。
偵察目的の実習で切り札を切る場面は、たぶん来ない。
でも。
いつか。
六人の前で、この最後のピースを見せる日が来る。
そのとき、配置図は「B」ではなく、何か別の名前が必要になる。
蒼真は枕に頭を沈めて、目を閉じた。
秋の虫の声が、窓の外から聞こえていた。
――明日。
六人で、一歩。
もう一段、上へ。




