第60話 新しい手札
九月第一週、火曜日の放課後。
屋内訓練場には、夕方のオレンジ色の光が窓から差し込んでいた。壁面の衝撃吸収素材まで、淡い橙に染まっている。一般的な部活動の時間帯でもあり、訓練場のあちこちで剣を振る音や魔法の詠唱が聞こえる。
蒼真が弓道レーンで通常射の矯正メニューを終えて汗を拭いていると、悠斗が「来たぞ」と声をかけてきた。
訓練場の中央寄りのスペースに、里奈と真帆が並んで立っている。里奈は杖を右手に持ち、普段より前へ突き出すように構えていた。真帆はその横に立ち、栗色のポニーテールを結び直している。
「準備、できました」
真帆が六人に向かって言った。
「昨日の続き、聞かせてもらうか」
蒼真は弓を立てかけて、悠斗・航・紅葉と一緒に二人の前に集まった。
◇
「じゃあ、里奈ちゃんからいく?」
真帆が促す。里奈は小さく頷いて、一歩前に出た。
「夏休みの終わり頃に……新しい魔法を、覚えました」
声は相変わらず細い。けれど、もう途中で詰まらない。ゆっくりとでも、最後まで自分の言葉で話しきった。
「《氷壁》……です」
六人の注意が集中する。
里奈は杖を前にかざした。魔力が杖先に集まるのが、蒼真の目にも見えた。淡い冷気の粒が渦を巻き、頬の産毛がふっと逆立った。
「展開、します」
杖先から放たれた魔力が、床面に着地した瞬間。
氷の壁が、立ち上がった。
高さ二メートル。幅一・五メートル。厚みはざっと二十センチほど。透明度の高い淡い青色の氷に、霜のような繊細な模様が走っている。表面は天井照明を受け、細かな光を床へ散らしていた。
「おおっ!」
悠斗が素直に声を上げた。一歩後ずさりするほどの存在感。
「すげえ、どこから出てきたんだこれ」
「空気中の水分を……魔力で収束させて、凍結させています」
里奈が答える。普段の「……当たり……ました」型の喋り方は残っているが、技術的な説明を自分の言葉でしようとしている姿勢が伝わってきた。
「防御用だな」
蒼真は壁に近づき、表面を指の背で軽く触れた。冷たい。硬い。ただの氷ではなく、魔力が芯まで通った構造物だった。
「はい。敵の侵攻を止めたり……飛び道具を防いだり」
「厚みは変えられる?」
「イメージで、ある程度。厚みを抑えて幅を広げるか、厚くして幅を狭めるか」
里奈は一度壁を消し、再度展開した。今度は幅が二倍近く、三メートルほどに広がった壁。厚みを抑えた分、向こう側が透けて見える。
「複数枚は?」
「試してません……でも、二枚までなら、たぶん」
「持続時間は」
「壊されなければ、自然に溶けるまで残ると思います」
蒼真は壁を正面からじっと見つめた。
――防御だけじゃない。
頭の中で、第2層の広間が立ち上がる。ハイゴブリンが背後の通路へ逃げようとした瞬間、そこに《氷壁》を置く。退路が塞がれば、敵は正面へ押し出される。そこへ前衛が圧をかけ、蒼真は側面から射線を取る。
「退路遮断だ」
蒼真は声に出した。
「里奈、お前の《氷壁》は防御だけじゃない。敵の退路を塞いで、射線を限定させる。弓術士にとって最高の補助魔法だ」
「退路、遮断……」
里奈が呟いた。自分の魔法が「補助」ではなく「戦術を組み替える手札」として扱われたことに、少し戸惑いながらも、瞳がわずかに光った。
「広間の入口を《氷壁》で封鎖すれば、敵は出口が一つ減る。そこへ前衛が左右から詰めて、俺が側面から射線を通す」
「おい蒼真、まだ里奈の新魔法の話の途中だぞ」
航が冷静に制止した。
「あ……すまん。先走った」
蒼真は頭をかいた。紅葉が「班長、構想入っちゃったね」と笑う。
「いえ、」
里奈が首を小さく横に振った。
「嬉しい、です。……使い方を、すぐに考えてくれて」
蒼真は、もう一度氷の壁を見た。里奈にとって《氷壁》は、自分で掴んだ新しい力だ。それを即座に戦術へ組み込めたことが、少なくとも今の里奈には届いている。
◇
次は、真帆。
「じゃあ、私も」
真帆が一歩前に出た。いつもは回復用の穏やかな光を灯す杖先が、今日は違った。白い光が細く鋭く収束し、矢じりを備えた輪郭を作っていく。
「《光矢》」
真帆が詠唱と同時に杖を突き出した。
白い光の矢が、訓練場の的に向かって飛んだ。速い。《火球》や《氷矢》よりも弾速がある。
命中。的の中心からわずかに右に外れたリングに当たり、光が弾けて消えた。
「白魔法使いが……攻撃魔法!?」
悠斗が目をむいた。
「火力は、里奈ちゃんの《氷矢》や火魔法系の火球に比べると……落ちます」
真帆が正直に言った。
「ゴブリンなら、一発で倒せると思います。ハイゴブリンに対しては、当たっても一撃では無理。有効打ではありますけど、確殺じゃないです」
「牽制か」
航が整理した。
「はい。火力担当としてではなく、牽制として。後衛から《光矢》が飛んでくるだけで、敵の意識が散る。散った隙に、前衛が動ける、神代さんの射線が通る……そういう使い方だと思います」
「十分だ」
蒼真が頷いた。
「回復役が攻撃に参加できるってのは、班全体の手数が増えるってことだ。里奈の《氷矢》と真帆の《光矢》が後衛から同時に飛んでくる状況。前衛にとっては、これ以上ない支援だ」
「つまり、後衛が厚くなる」
航が言った。
「今までの第5班は、後衛火力が里奈の《氷矢》だけだった。真帆は回復専門。蒼真は中衛から後衛で弓。《光矢》が加わることで、後衛の攻撃圧力が上がる」
「でも、魔力の使い方は考えないと」
真帆が付け加えた。
「《光矢》にばかり魔力を使うと、回復に回す分が減ります。私は白魔法使いだから、本分は回復。《光矢》は要所要所で使って、乱射はしません」
「それでいい」
蒼真が答えた。
「一戦に二、三発。それだけで、敵の意識を散らせる。連射する必要はない」
◇
二人の実演が終わった後、蒼真は訓練場の隅のベンチに座り、メンテナンスノートを広げた。新しいページに矢印と丸で配置図を走り書きしていく。
左右展開の前衛。蒼真の側面射ポジション。里奈の《氷壁》による退路遮断。真帆の《光矢》による牽制。
その合間に、里奈の《氷矢》で足止め。通常射で削って、ここぞで『弐』。
六人の手札を全部並べた配置図は、前期実力試験の頃に比べて、明らかに別物だった。
「蒼真、何書いてんの」
悠斗が横から覗き込んだ。
「新連携の配置図」
「もう組んでるのかよ」
「頭に浮かぶんだよ、勝手に」
蒼真はペンを走らせながら笑った。配置の名前を仮に振っておく。「フォーメーションB」。Aは以前鷹丸でラフに描いた初期案。今回のBは、《氷壁》と《光矢》を組み込んだ改良版。
「ここで、里奈の《氷壁》が退路を塞ぐ。真帆の《光矢》で、ハイゴブリンの意識を逸らす。その間に悠斗が左、航が右。中央に射線が開いたら、俺がそこを通して側面射」
「それ、前衛が左右に分かれるんだよな」
悠斗が真剣な顔になった。
「真ん中、空くぞ。真ん中から敵が来たら?」
「里奈の《氷壁》を、前にも置けるか?」
蒼真が里奈に振った。
「……一枚は退路遮断で使ったら、もう一枚を正面に……は、魔力消費が倍に……」
「じゃあ、《氷矢》で足止めの方がいいか。前から来た敵の足を凍らせる。その隙に俺が射線を変えて、通常射」
「それ、だと……はい、できると、思います」
里奈が頷いた。
「――よし。これで行こう」
蒼真はペンを置いて、配置図を五人に見せた。
悠斗が「かっこいい配置図だな」と言った。
航が「かっこいいかどうかじゃなくて機能するかどうかだ」と返す。紅葉は「私の位置、ここでいい? 敵の背後に回る形?」と確認した。
真帆が「《光矢》のタイミング、前衛が突っ込む直前ですね」と復唱する。里奈も「《氷壁》、広間の奥に展開します」と頷いた。
全員が自分の役割を把握した配置図。
蒼真はノートの上に、日付と一行を書き加えた。
『フォーメーションB。六人の手札、全て並べた。一段上がった。』
◇
訓練場を出て、蒼真は夕暮れの錦町を一人で歩いていた。
空のオレンジが深くなり、住宅街の窓から夕飯の匂いが漂い始める時間帯。自転車に乗った子どもたちが横を駆け抜けていく。
歩きながらも、蒼真の意識は訓練場に残っていた。里奈が塞ぎ、真帆が散らし、前衛が道を作る。その中で自分がどこへ矢を通すのかだけを、何度も確かめていた。
――六人分のピースが嵌まってきている。
一年の春、初ダンジョン実習で第5班が編成されたとき、蒼真には「パーティとして戦う」ということ自体の実感がなかった。弓術士は一人で戦う。そう思い込んでいた。
それが今は、六人の手札をジグソーパズルのように組み合わせて、戦術を設計できるところまで来ている。
里奈の《氷壁》と《氷矢》。真帆の《小回復》と《光球》と《光矢》。悠斗の《脚力強化》。航の《斬撃強化》。紅葉の《視力強化》。
そして、自分の弓と、魔力集中射と。
あとひとつ。
蒼真は、帰路を歩きながら、ポケットの中で左手を握った。
《小転移》。
第5班は、まだ知らない。
入学から半年近く、ずっと一人で抱えてきた切り札。入学直後の須藤戦で使い、あのとき以来、仲間の前では一度も見せていない。
秋の実習では、たぶん、まだ使わない。通常の探索実習で、小転移を切る場面は想定されない。
だけど。
もし。この先、実習を超えた何かが起きたとき。
その「もし」を、ずっと頭の片隅に置いている自分がいた。
ノートに描かなかった一点だけが、帰り道でも消えなかった。《小転移》。六人の連携にそれを加えた瞬間、今の形は別物になる。
それを嵌めたとき、フォーメーションはBではなく、何か別の名前が必要になるかもしれない。
でも、今はまだ早い。話すべき時は、まだ来ていない。
錦町のマンションが見えてきた。蒼真は弓のケースを持ち直して、エントランスのドアを開けた。
部屋に戻って、靴を脱いで、弓をケースから出して壁に立てかける。メンテナンスノートを机に置いて、ペンを手に取り、フォーメーションBの配置図をもう一度なぞった。
――秋が、楽しみだ。
その「楽しみ」には、さっきの六人分のやり取りがまるごと溶けていた。




