第56話 いつか俺たちも
夕食は立川駅南口の焼肉店に入った。
探索者向けの街として発展した立川だが、駅の南側には一般的な繁華街も広がっている。飲食店の看板が並び、駅へ向かう会社員や、夏休みの学生たちが行き交っている。昼間に歩いたサンサンロードの探索者向け商業施設とは違い、こちらはもう少し雑多で、生活に近い匂いがした。
悠斗が「肉が食いたい」と騒ぎ、航が「お前の胃袋は底なしか」と呆れ、蒼真が「まあたまにはいいだろ」と折れた結果だった。
「すいませーん、カルビ二人前とハラミ一人前と、あとライス大盛り三つ!」
「俺のライスは普通でいい」
「航、探索者を目指す男がそんな小食でどうする」
「食う量と強さは比例しない」
「じゃあ、強さとは比例しないけど幸せとは比例する。はい論破」
「論破って言えば勝てると思うな」
蒼真は苦笑しながらメニューを閉じた。悠斗は本当に、よく食べる。前に座る航は呆れた顔をしているが、肉が網に乗ると誰よりも焼き加減を見ていた。
「航、そういうところ細かいよな」
「焦げた肉を食う趣味はない」
「俺は多少焦げてても食うぞ」
「悠斗は皿まで食いそうだから基準にならない」
「食わねえよ!」
肉が焼ける音と煙の中、三人の会話は自然と学院の話に戻った。
「悠斗、《脚力強化》の持続時間、伸びたか?」
「おう。前期試験の時は連続で二十秒がギリギリだったけど、今は三十秒いける。まだ足りねえけどな」
「十秒伸びたのは大きいだろ。ランスチャージの形に持っていくなら、助走の距離が稼げる」
「チャージ型はまだ先だろ。今は小刻みな移動での回避が優先だ」
航が冷静に言う。蒼真も頷いた。
「航は? 《斬撃強化》の出力調整どうだ」
「八割出力で安定させる訓練をしてる。百パーセントを常時維持すると二十分で消耗が来るから、戦闘の序盤は八割に抑えて、仕留めにかかる瞬間に百に上げる。お前の魔力集中射と同じ発想だな」
「ああ。緩急をつけるっていう考え方は、たぶん全職種で共通だと思う」
悠斗がトングを持ったまま笑った。
「お前らさ、焼肉屋で普通に戦術会議するよな」
「言い出したのは蒼真だろ」
「いや、肉を頼んだのは悠斗だ」
「責任の所在をカルビに押し付けるな」
半年前、入学したばかりの頃は、こんな会話はできなかった。座学の知識はあっても実感がなかった。前期実力考査を経て、全員がダンジョンの中で実際に戦い、壁にぶつかり、それを言語化できるようになっている。
網の上で脂が跳ねる。煙が立ち上り、換気口に吸い込まれていく。
蒼真はその匂いを吸い込みながら、妙に不思議な気分になっていた。焼肉屋で肉を焼きながら、次の実習の話をしている。普通の高校生らしいようで、普通ではない。けれど、その曖昧さこそが探索者学院の夏なのかもしれなかった。
「で、蒼真の方はどうなんだよ。魔力を込めるやつ」
「魔力集中射か」
「それそれ。撃てるようになったのか?」
「『弐』なら少し安定してきた。二十本中、十五本は散らさず撃てる。ただ、連射は無理だ。消耗が重い」
「ここぞの一発って感じか」
「そう。乱発するものじゃない。ハイゴブリンのこめかみを狙う時とか、前衛が一瞬作ってくれた隙に合わせる」
悠斗がカルビをひっくり返しながら、にやりと笑う。
「じゃあ俺らが隙を作って、お前がズドンだな」
「ズドンっていうより、一本通す感じだ」
「細けえな」
「細かくないと外す」
「そういうとこ、弓術士って感じするわ」
航が焼けた肉を自分の皿に取り、淡々と言った。
「なら、秋の実習ではその一瞬を作る練習が必要だな。左右展開のパターンも含めて、訓練場で合わせるべきだ」
「分かってる。夏明けに全員で集まったら、最初にやりたい」
「その前に、今日くらいは肉を食え」
「お前が言うのかよ」
悠斗が笑い、蒼真も箸を伸ばした。
◇
食後、三人は店を出て南口の通りを歩いた。
焼肉の熱がまだ体に残っていて、夜風が少しだけ気持ちよかった。駅前の明かりがアスファルトに反射し、遠くで電車の発車ベルが鳴っている。昼間の強い陽射しが消えた街は、同じ立川でも少し違う顔をしていた。
「なあ、蒼真」
悠斗がカルビの余韻に浸りながら言う。
「花火、やらねえ?」
「花火?」
「コンビニで売ってる手持ち花火。なんか、夏っぽいことしたくね?」
「肉を食って戦術の話して終わりだと、夏休みの日記が探索者学院生すぎるしな」
航が無言で蒼真の方を見た。「お前に任せる」という目だ。
「――いいな。やるか」
「よっしゃ。蒼真、そういうとこ話分かる」
「俺も夏っぽいことはしたいからな」
「じゃあ線香花火の最後、落としたやつがジュース奢りな」
「お前、何でも勝負にするな」
コンビニで手持ち花火のセットとライターを買い、三人は多摩川の河川敷まで歩いた。日が完全に沈み、街灯もまばらな河川敷に、蝉の声と川のせせらぎが混じっていた。遠くの橋を車が渡る音が、低く響いている。
火をつけると、赤い火花が暗闇に散った。
「おー、きれい」
「悠斗、女子みたいなこと言うな」
「きれいなもんはきれいだろ! 男だって花火くらい楽しむわ!」
「そこは正しい」
「蒼真が味方した。今日は勝った」
「何に勝ったんだよ」
蒼真は花火の火花を眺めながら、ふと思った。
半年前の自分は、こんなふうに誰かと花火をしている夏を想像していなかった。一人で上京して、一人で弓を引いて、一人でトップを目指す。そんな孤独な道のりを、どこかで覚悟していた。
でも今、隣には悠斗と航がいる。第5班には紅葉と里奈と真帆がいる。訓練施設では須藤とすれ違う。叔父の家には温かい食卓がある。
――一人じゃない。
その実感は、火花よりも静かに胸に残った。
「蒼真、何ニヤニヤしてんだ」
「してない」
「してる。お前それ、試験の帰りにもやってたぞ。ニヤニヤ」
「……ニヤニヤじゃない。笑ってるんだ」
「同じだろ」
「違う。ニヤニヤはなんか悪だくみっぽい」
「お前の悪だくみ、だいたい弓の撃ち方だからな」
航が線香花火に火をつけた。小さな光の玉が、静かに垂れ下がりながら火花を散らす。
悠斗まで黙り、三人はそれを見つめた。
パチ、パチ、と小さく弾ける音。
強い光ではない。大きな音もしない。けれど、最後の小さな玉が落ちるまで、目を離せなかった。
やがて光の玉が地面に落ちて、消えた。
「蒼真」
航が珍しく、自分から口を開いた。
「ん?」
「後期の対人戦――絶対に勝とうな」
蒼真は航の横顔を見た。普段は感情を表に出さない航が、火花の残光を見つめながら、静かに、だが確かな熱を込めて言った。
「ああ。勝つ」
「対人戦かぁー。六対六だろ? 他の班ともやり合うんだよな」
悠斗が新しい花火に火をつけながら言う。
「相手はくじ引きだっけ。もしSクラスと当たったら、」
「Sクラスとは当たらない。一般クラスは一般クラス同士だ」
「そっか。じゃあ一般クラスで一番になるのが目標か」
「当然だろ」
蒼真がそう言い切ると、悠斗と航が同時に笑った。
「お前、いつもそうだよな」
「なにが」
「『当然』って言い切るところ。班長だなって思う」
「それ、褒めてるのか?」
「褒めてる。たぶん」
「たぶんを付けるな」
蒼真は少し照れて、河川敷の向こうを見た。対岸の街の明かりが川面に揺れている。
後期の対人戦。六対六。一般クラス同士の戦い。
勝つ、と口にした瞬間、頭の中でいくつものパターンが浮かび上がった。悠斗と航の前衛、紅葉の索敵、里奈の足止め、真帆の回復と光。そこに、相手の前衛をどう崩すか。弓でどう牽制するか。
花火の夜にまで戦術が浮かぶ自分に、蒼真は少しだけ苦笑した。
◇
花火が一通り終わると、三人はゴミを片付けて河川敷を後にした。
立川駅に戻る途中、駅前のロータリーで蒼真はふと足を止めた。
「どうした?」
航が聞く。蒼真はロータリーの向こう側、北口に続く通路の先を見ていた。
通路の向こうに、探索者の一団が見えた。
五人組。全員が本格的な装備を身につけ、大きなバックパックを背負っている。ダンジョンから帰還したばかりの探索者パーティだろう。防具には傷があり、ブーツには土と岩粉がこびりついている。疲労の色が見えるが、表情は明るい。仲間同士で何か言い合って、一人が大きな声で笑った。
彼らはそのまま北口方面、探索者協会立川支部の方向へ歩いていった。おそらく素材の売却か、帰還報告だろう。
「いつか俺たちも――ああなるんだな」
蒼真が呟いた。
昼間、カフェで打ち合わせをしていた探索者を見た時にも同じことを思った。だが夜の帰還パーティを目の前にすると、その実感はさらに重くなった。
疲れた体。明るい笑顔。仲間との信頼。
――あれが、探索者だ。
「なるさ。当然だろ」
悠斗が蒼真の真似をして言った。蒼真は振り向いて、笑った。
「パクるな」
「いい言葉だから借りたんだよ」
「借りたなら返せ」
「じゃあ三年後に返す。俺たちが本当にああなった時にな」
航が小さく息を吐いた。
「その返し方なら、悪くない」
駅前の雑踏の中で、三人はしばらくその探索者パーティの背中を見送った。
今はまだ学院生だ。ダンジョンに潜るにも教官の随行が要る。自主潜入もできない。武器も装備も、技術も判断も足りない。
けれど、道は続いている。
今日見た背中は、遠すぎる未来ではない。
駅前で三人は別れた。悠斗と航は寮の方向へ、蒼真は錦町のマンションへ。
「じゃあな。次はいつ会う?」
「学校始まったら毎日会うだろ」
「それはそう。――蒼真、訓練がんばれよ」
「お前もな。食いすぎて動けなくなるなよ」
「今日の俺を最後の俺だと思うなよ」
「成長方向を間違えるな」
拳をぶつけ合って、別れる。
悠斗の拳はいつも通り強く、航の拳は軽く短い。たったそれだけの動作なのに、蒼真は妙に安心した。
蒼真は夜の錦町を一人で歩きながら、空を見上げた。星は少ない。迷宮都市の明かりが強すぎて、都会の空は明るい。だが、月だけはくっきりと見えた。
昼の立川、焼肉屋、河川敷の花火、夜の探索者パーティ――どれも、忘れがたい夏の一日になった。
マンションの部屋に戻り、シャワーを浴びてから布団に入る。
目を閉じると、今日一日の光景が瞼の裏に蘇った。悠斗のカルビ、航の線香花火、夜の帰還パーティの姿。
――いい夏だ。
訓練だけではない。戦術だけでもない。
こういう日があるから、また明日も弓を引ける。
蒼真はそう思って、眠りに落ちた。




