第55話 迷宮都市の夏
八月中旬。
蒼真が錦町のマンションの前で待っていると、見慣れた二人組が立川駅の方角から歩いてきた。
「蒼真ーっ! 待たせたな!」
悠斗が手を振りながら大股で近づいてくる。その後ろを航が無表情でついてきた。二人とも私服。悠斗は派手な柄のTシャツにハーフパンツ、航はシンプルな黒のTシャツにジーンズ。悠斗の手には、すでに空になりかけたスポーツドリンクのペットボトルが握られていた。
「待ってない。時間通りだろ」
「え、俺らのために早めに出てきて、日陰で健気に待ってたんじゃないの?」
「出てない。健気でもない」
「つれねー。夏の友情イベントだぞ、ここ」
「友情イベントで遅刻されても困る」
蒼真がそう返すと、悠斗は大げさに胸を押さえた。航がその横で額の汗を指で拭い、蒼真に目で頷く。
「久しぶり。二週間ぶりくらいか」
「ああ。訓練施設では会わなかったな」
「俺たちは午後に行ってるからな。蒼真は朝型だろ」
「朝の方が人が少ないからな」
「というより、お前は朝から弓引いてないと落ち着かないだけだろ」
「否定はしない」
悠斗が「ほら出た」と笑い、三人は立川駅方面へ歩き出した。
寮住まいの悠斗と航は、夏休みも立川に残っている。実家への帰省は盆の数日だけで、残りは訓練と日常を過ごしているらしい。蒼真も似たようなものだった。帰省というほど遠くへ戻る場所はなく、錦町のマンションと学院の訓練施設を往復する毎日。夏休みという言葉の響きに比べると、ずいぶん探索者学院生らしい生活になっていた。
「で、今日はどうする?」
蒼真が聞くと、悠斗が待っていましたとばかりに拳を突き上げた。
「決まってんだろ! 飯食って、街ブラして、また飯食う!」
「飯しかねえのか」
「航、飯は大事だぞ。特に俺たちの体作りにおいては」
「体作りを言い訳にするな。昨日も寮の食堂で大盛り二杯食ってただろ」
「見てたのかよ」
「同じ食堂にいたら嫌でも目に入る」
「俺の成長を見守ってくれてるんだな」
「食費の心配をしてるだけだ」
サンサンロードを北に向かって歩く。夏休みの迷宮都市・立川は、いつもとは少し違う空気があった。
探索者向けの商業施設が並ぶエリアは、平日でも人が多い。武器や防具を扱う専門店、魔石の加工品を売る露店、ダンジョン素材を使った料理を出す飲食店。プロの探索者たちがカフェのテラス席でノートPCを開いて情報交換をしている光景は、この街では日常だった。
その一方で、家族連れの観光客もいる。探索者協会のビルを背景に写真を撮る子供、魔石アクセサリーの露店を覗き込む高校生、ダンジョン素材カレーの看板を見て足を止める会社員。普通の夏休みと、迷宮都市の特殊さが、同じ通りに混ざっていた。
「見ろよ、あの人たち」
悠斗がカフェの一角を指差す。革の防具に身を包んだ三人組がテーブルを囲み、何やら真剣な表情で話し込んでいた。テーブルには飲み物ではなく地図のようなものが広げてある。
「パーティの打ち合わせか。次のダンジョンのルート確認かな」
航が冷静に分析する。蒼真もその光景に目を引かれた。
防具の擦れ方、武器を椅子の横に置く位置、地図の端を押さえる手つき。どれも自然で、慣れていた。プロ探索者の日常。いつか自分たちが向かう先。
「プロ探索者のパーティか。――俺たちもいつかはああなるんだな」
「まだ気が早くない?」
「早くない。あと二年半だぞ」
「二年半を『あと』で数えるの、蒼真らしいな」
「長いと思ってたら、たぶんすぐ終わる」
悠斗が人差し指を立てた。
「その前に、秋の実習だ。次は第2層をもっと深くまで潜るんだろ?」
「たぶんな。後期の試験対策も含めて、秋の実習は結構重要だと思う」
「後期は対人戦だろ? あれ、班対班の六対六だっけ」
「ああ。――楽しみだろ」
蒼真がそう言うと、悠斗が歯を見せて笑った。
「当たり前だ。俺の槍が唸るぜ」
「お前の槍が唸った試しを俺は知らない」
「航……お前ってやつは……」
「唸る前に、まず真っ直ぐ突け」
「ぐうの音も出ない正論を昼前から浴びせるな」
三人は笑いながらサンサンロードを歩いた。
◇
グリーンスプリングスの手前を右に折れ、探索者向けの大型複合施設に入る。元はシネマシティだった建物が改修され、一階は探索者向けのオークション会場、二階以上はクランの集会所や情報交換スペースになっている。一般人も入れるフロアがあり、三人は一階の展示スペースを見て回った。
空調の効いた館内に入ると、外の熱が一気に引いた。ガラスケースの中には、ダンジョン素材を使った武器や防具が並んでいる。説明プレートには素材名、採取ダンジョン、加工者名、過去の使用者が細かく記されていた。
「うわ、すげえ」
悠斗がガラスケースの前で足を止めた。中には精緻な装飾が施された槍が展示されている。
「ダンジョン素材製の槍……金等級探索者使用品、参考価格」
悠斗の顔が固まった。
「三千万?」
「ダンジョン素材の武器は現代技術を超える品質だからな」
航が淡々と解説する。
「三千万の槍か……俺、一生その槍を振り回すために探索者になるのかもしれない」
「志が低い」
「志の高さと武器への愛は別物だろ!」
「買ったとして、修理費で泣くぞ」
「夢を現実で殴るな、航」
蒼真は展示ケースの奥に並ぶ弓を見ていた。ダンジョン素材製の洋弓が一張り。流線型のフォルムに魔力伝導を高める加工が施されているらしい。参考価格は、見なかったことにした。
弓そのものの美しさはある。だが、蒼真が使っている和弓とはまるで別物だった。手に馴染む弓把も、長い弓身も、引いた時に背中まで伸びる感覚も、そこにはない。
「和弓はないな」
「そもそも弓使い自体がレアだからな。需要がない」
航の言葉に棘はないが、事実が刺さる。蒼真は苦笑した。
「まあ、俺の和弓は自前だし。ダンジョン素材に頼らなくても、腕と工夫でやるさ」
「出た、蒼真の精神論」
「精神論じゃない。事実だ」
「いや、半分くらい精神論だろ。嫌いじゃないけどな」
悠斗がそう言って、ケース越しの槍にもう一度未練がましい視線を向けた。
「いつか買えるくらい稼げるようになりたいな」
「その前に標準装備を壊さない戦い方を覚えろ」
「航、今日は俺の夢を何回壊す気だよ」
「そんな壊れやすい夢を持つな」
蒼真は二人のやり取りを聞きながら、ガラスケースの弓から視線を離した。
今の自分に必要なのは高価な武器ではない。火力の壁を越えるための理屈と、練習量と、仲間の射線を作る連携だ。
それでも、いつか自分のために作られた弓を持つ日が来るのだろうかと、少しだけ想像した。
◇
昼食は、サンサンロード沿いの定食屋に入った。探索者向けの大盛りメニューが充実している店で、悠斗はカツ丼の特盛りを、航は焼き魚定食を、蒼真は唐揚げ定食を注文した。
店内には探索者学院の生徒らしい姿もちらほら見える。隣のテーブルでは二年生らしき男子たちが、夏休み中の訓練予定について話していた。壁には「探索者向け高タンパク定食」「ダンジョン帰り限定大盛り無料」の札が貼られている。
「ところでさ」
悠斗がカツ丼を頬張りながら言う。
「紅葉たちは何してんだろうな。夏休み」
「紅葉は実家から戻ってきてたし、たぶん訓練施設に来てる。俺は朝だから会わないけど」
「里奈と真帆は?」
「里奈は《氷矢》の精度練習って言ってたな。真帆は回復量の向上を課題にしてた」
「女子はどうしてんだ。暇してんのかな。遊びに誘ったりしていいのか」
悠斗の目が輝いている。航が箸を止めた。
「お前の誘い方だと、たぶん訓練の誘いに聞こえる」
「遊びって言ったろ」
「お前が言う遊びは、だいたい飯か訓練かダンジョン用品店巡りだ」
「……否定できない」
「だから最初に『飯行こう』って言え。まだ誤解が少ない」
「それはそれで俺らしすぎないか?」
「その自覚があるなら改善しろ」
蒼真は唐揚げを口に運びながら笑った。
こうして三人で馬鹿な話をしている時間が、訓練と同じくらい大事だと思った。一人で弓を引くことも必要だが、こうやって誰かと笑って過ごすことも、また違う形で力になる。
「蒼真は誘わないのか?」
「何を」
「女子たちを」
「俺が?」
「お前が」
悠斗が身を乗り出す。航まで少しだけ目を向けてきた。
「連絡するなら、普通に訓練の確認になると思う」
「ほらな」と航。
「お前も同類じゃねえか!」と悠斗。
「いや、蒼真の場合は本当に訓練の話しかしなさそうだから、逆に誤解が少ない」
「それ褒めてるのか?」
「分析だ」
蒼真は味噌汁を啜りながら、ほんの少しだけ考えた。六人で集まるのは悪くない。けれど、今はそれぞれの夏がある。紅葉には紅葉の、里奈には里奈の、真帆には真帆の課題がある。
秋にまた合流した時、その変化を見るのが楽しみだった。
◇
食後、三人は駅前に戻り、コンビニでアイスを買って多摩モノレールの高架下のベンチに座った。
「暑っつ……」
悠斗がアイスバーをかじりながらぐったりと背もたれに体を預ける。航はカップアイスのフタを丁寧に剥がしている。蒼真はモナカアイスを手に、高架の上を走るモノレールを見上げた。
高架の影に入っていても、地面から熱が上がってくる。モノレールが通過するたび、車輪の音が頭上を滑っていった。
「なあ」
蒼真がぽつりと言った。
「なに」
「秋の実習のことなんだけど――もし第2層でまたハイゴブリンと戦うなら、連携をもう一段階上げたい。悠斗と航の前衛ローテーションに、もうひとつパターンを増やせないか」
悠斗がアイスを咥えたまま目を丸くした。
「休みの日にまで戦術の話するか、お前」
「いいだろ。今思いついたんだ」
「アイス食ってる時に?」
「アイス食ってる時に」
「はいはい。――で、どんなパターン?」
蒼真がモナカをかじりながら説明を始めた。
前衛が左右に開いてハイゴブリンの注意を分散させ、その隙に蒼真が側面から射線を通す。前期実力考査で紅葉の索敵を使って成功した「側面射」の発展形だ。
「前期は紅葉に回り込んでもらって情報を取ったけど、前衛が最初から左右に開く形なら、紅葉を索敵に専念させたまま射線が確保できる」
「なるほど。でもそれ、前衛が開いた分だけ一人あたりの受ける攻撃が増えるぞ」
航が冷静に指摘する。蒼真は頷いた。
「だから里奈の《氷矢》で足止めしてる間に一気に仕留める。開いた瞬間は一瞬でいい。その一瞬に俺が射線を通す」
「一瞬――ね。お前、自分の腕前に結構自信あるだろ」
「ある」
蒼真が即答すると、悠斗と航が顔を見合わせて笑った。
「班長がそう言うなら、やるしかねえな」
「秋の実習までに体に馴染ませておく必要があるが、戻ったら訓練に組み込もう」
「その前に、今日の予定にも組み込むなよ。俺は今、槍じゃなくてアイス持ってるからな」
「分かってる。今日は歩くだけだ」
「今の『今日は』って言い方、信用ならねえ」
アイスを食べ終えて、三人はベンチに並んで座ったまま、しばらくモノレールの行き来を眺めていた。
訓練場でも教室でもない場所で、戦術の話をする。少し前なら変だと思ったかもしれない。今は、自然だった。夏の街を歩いていても、目に入るものがダンジョンでの動きに繋がる。人の流れ、建物の陰、通路の幅、視線の抜け方。
探索者学院に入ってから、世界の見え方が少しずつ変わっている。
「なあ、蒼真」
「ん?」
「お前、楽しそうだな」
悠斗がぽつりと言った。蒼真は首を傾げた。
「楽しいからな」
「いや、そうじゃなくて。こう、全部楽しそうっていうか。訓練も、課題も、壁にぶつかってるのも含めて」
蒼真は少し考えた。
「……たぶん、そうなんだと思う。弓の火力が足りないのは事実で、Sクラスとの差もでかい。でもさ――それが嫌じゃないんだよ。『まだこんなに上がある』って思えるのが、俺には楽しい」
航が笑った。
「お前のそれ、普通の感覚じゃないぞ」
「知ってる」
「でも、班長がそういう顔してると助かる。課題があるって話をされても、終わった感じがしないからな」
「終わってないだろ。まだ一学期が終わっただけだ」
「ほらな」
悠斗がアイスの棒を袋に戻しながら、空を見上げた。
「俺も嫌いじゃないけどな。そういうの」
「そういうのって?」
「強いやつがいて、届かなくて、でも追いかけたら面白そうな感じ」
「悠斗も大概だな」
「俺は普通だろ」
「普通は飯の回数を一日の中心に置かない」と航。
「そこは今関係ないだろ!」
西日が傾き始めた頃、三人は立ち上がった。
「じゃあ、晩飯どうする」
悠斗が期待に満ちた目で聞く。
「さっき飯食ったばっかりだろ」
「育ち盛りだからな!」
「財布は育ってないだろ」
「航、そこは言うな!」
三人は笑いながら、夕暮れの立川の街を歩いた。
オレンジ色の光が、ビルのガラスに反射している。探索者向けの店の看板が少しずつ明かりを灯し、駅前には仕事帰りの人と夏休みの学生が混ざり始めていた。
迷宮都市の夏。
訓練と、飯と、馬鹿な会話と、秋へ向けた小さな作戦。
蒼真はその全部を胸に入れながら、悠斗と航の少し後ろを歩いた。
まだ夏は半分残っている。
秋に向けて、やれることはまだいくらでもある。




