第50話 班別順位表
七月の最後の週が始まった。
試験から四日が経っていた。蒼真は普段通りに朝の訓練を済ませ、始業前の教室に入った。窓からの日差しが白く、廊下を歩くだけで汗がにじむ。夏が本格的に牙を剥き始めている。
弓を引く右手には、まだ第2層での感覚が残っていた。ハイゴブリンのこめかみに通した一射。通路で射線が塞がり、六本も矢を使った戦闘。暗い肌の個体を見送った五分間の沈黙。四日経っても、メンテナンスノートを開けば全部がすぐに戻ってくる。
席に座ると、悠斗が後ろから椅子の背をつかんで身を乗り出してきた。
「おい蒼真、今日出るってよ」
「何が」
「順位表。前期試験の班別順位」
航が隣から補足する。
「掲示板に張り出されるらしい。昼休みに本館一階のロビー」
蒼真の鼓動が一つ跳ねた。試験から四日。帰還報告を終え、矢の整備をし、メンテナンスノートに反省を書き連ねた。結果が出るまでの猶予は、思ったより短かった。
「Sクラスと合同の順位表だよな」
「ああ。班別だから個人成績は別途通知だと」
悠斗が唇を舐める。
「Sクラスの連中と並ぶのか。胃が痛えな」
「お前に胃はあるのか」と航。
「あるわ! 人一倍でかいわ!」
蒼真は笑いながら窓の外に目を向けた。Sクラスの校舎棟が夏の陽光に白く光っている。あの中に、天城凛がいる。須藤大河がいる。彼らと同じ物差しで測られる。
――楽しみだな。
思わず、にやけてしまった。
「楽しみだな」
悠斗が呆れた顔をする。
「お前、こういう時に笑うよな」
「笑うだろ。初めてSクラスと比べられるんだぞ」
航が水のペットボトルのキャップを回しながら言った。
「比べられるのと、比べものになるのは別だぞ」
「分かってるよ。でも、怖がっても結果は変わらない」
蒼真はメンテナンスノートを鞄から出して開いた。試験中に書き込んだ戦闘データが並んでいる。矢の消費数、ハイゴブリンへの有効打の位置、側面射の成功率。暗い肌の個体に関する短いメモも、端に残してある。
――結果がどうであれ、やったことは変わらない。
後藤がくたびれたスーツで教壇に立ち、ホームルームが始まった。
「えー、前期実力考査の班別順位表が本日掲示される。昼休みに本館一階ロビーだ。個人成績は放課後に各自受け取りに来い」
教室がざわつく。後藤は紙コップのコーヒーを一口啜り、欠伸を噛み殺してから付け加えた。
「順位を見て浮かれるのも凹むのも勝手だが、それで午後の授業を聞かなくなるやつは減点する。以上」
笑いが起きた。後藤の昼行灯が、こういう時だけ妙に効く。
◇
昼休み。本館一階ロビーは生徒で埋まっていた。
壁に大きな模造紙が貼られている。「前期実力考査 班別成績順位表(全クラス合同)」の文字が、蒼真の目に飛び込んだ。
人垣の間から順位表を見上げる。Sクラスと一般クラス、全ての班が同じ順位表に並んでいる。ロビーの空気は熱を帯びていた。歓声、ため息、誰かの悔しそうな舌打ち。結果を見た生徒たちの反応が、あちこちで小さく弾けている。
上位五班は全てSクラスだった。
一位から五位まで。S-1班、S-3班、S-5班、S-2班、S-4班。スコアが並んでいるが、一位と五位の差はわずかだ。Sクラスの層の厚さが数字で可視化されている。
蒼真の視線が下に滑った。
六位。1組第5班。
心臓が一つ、大きく打った。
「――六位」
声にしたのは悠斗だった。後ろから蒼真の肩に手を置いている。
「一般クラストップだぞ、蒼真」
「見えてる」
蒼真の声が掠れた。六位。Sクラス五班の直下。一般クラスの中では最上位。
航が腕を組んで順位表を見つめている。
「Sクラスとのスコア差を見ろ。五位のS-4班との差は」
「結構あるな」
「ああ。Sクラスの中での差よりも、五位と六位の差のほうが大きい」
それが現実だった。一般クラストップであっても、Sクラスとの間にはまだ壁がある。だが、同じ紙の上に自分たちの班名がある。届かない場所ではなく、見える位置にいる。
蒼真は拳を握った。
「でも、同じ順位表に載ってる」
「そうだな」
航が肩を揺らした。
紅葉が人混みをすり抜けて走ってきた。
「班長! 六位! 一般クラストップ!」
「うるさい。分かってる」
「分かってるけど言いたい! あたしたち一般クラスで一番だよ!」
紅葉の声が廊下に響く。周囲の視線が集まったが、蒼真は気にしなかった。紅葉のこういうところが、第5班の空気を明るくしてくれる。
里奈と真帆が少し遅れてやってきた。里奈は順位表を見上げ、唇が小さく動いた。
「六位……」
「ああ」
蒼真は里奈の横顔を見た。試験中、魔素密度の変化に顔を青くしながらも「大丈夫です」と言い切った顔だ。《氷矢》でハイゴブリンの足を凍らせた手だ。
「お前の《氷矢》がなきゃ、この順位はなかった」
里奈の目が僅かに見開かれた。そして、はっきりと頷いた。
「――ありがとうございます」
この「――」は、驚きと照れを飲み込む間だ。蒼真はそう受け取った。
真帆が里奈の背中を軽く叩く。
「里奈ちゃん、笑って。六位だよ?」
「笑ってます――たぶん」
「たぶんじゃなくて、ちょっと笑ってる」
真帆がそう言うと、里奈の口元がもう少しだけ緩んだ。
悠斗が両手を広げた。
「よし、放課後にメシだ! 鷹丸行くぞ!」
「個人成績受け取ってからな」と航。
「そうだった。じゃあ受け取ってからメシ!」
蒼真は六人の顔を見渡した。紅葉の満面の笑み、悠斗の大きな声、航の静かな頷き、真帆の柔らかい笑顔、里奈のまだぎこちないが確かにそこにある笑み。
――六人で戦った結果だ。
そう思うと、順位表の数字がただの点数ではなく、あの重い魔素の中で重ねた足音の形に見えた。
◇
放課後。蒼真は職員室で後藤から封筒を受け取った。
「中を見るのはお前の勝手だが、他人に見せびらかすなよ」
「見せびらかすつもりはないです」
「お前は見せびらかすタイプじゃないな。ただ、嬉しそうな顔は隠せてない」
蒼真は口元を引き締めようとして、失敗した。
後藤が紙コップを傾けた。
「一般クラストップだ。結果は出した。だが、Sクラスとの差も見ただろう」
「はい」
「あの差がお前の壁だ。今の装備、今の火力、今の体力で、あの差が埋まるか?」
蒼真は一瞬黙った。第2層で感じた弓の限界、六射中致命打一本の現実、矢残九本の帰還。数字では六位でも、戦場の感触はごまかせない。
「――正直、今のままじゃ厳しいです」
後藤の目が一瞬だけ鋭くなった。
「分かってるなら、夏をどう使うか考えろ。お前には考える頭がある」
それだけ言って、後藤はコーヒーを啜った。
蒼真は封筒を握りしめる。褒められたのか、突き放されたのか分からない。けれど、やるべきことだけははっきりした。
◇
教室に戻ると、廊下の掲示板の前に人だかりができていた。順位表を見に来た生徒たちの間から、声が断片的に聞こえる。
「一般クラストップって1組の第5班だろ」
「弓術士の班だよな? あの変な適性の」
「変なって、結果出してんだから変じゃないだろ」
「Sクラスの直下ってすげえな」
「でも、弓術士が前期試験でどこまで通用するかって話だったろ? 通用してんじゃん」
蒼真は聞こえないふりをして教室に入った。自分の評価がどう変わっているかは分からないし、興味もない。ただ、弓術士という適性が結果を出したという事実が、少しずつ周囲の空気を変え始めていることは感じた。
それが嬉しくないわけではない。
けれど、浮かれるにはまだ早い。
Sクラスとの差は、順位表の上に数字として残っている。
◇◆◇
同じ頃、Sクラスの校舎棟。
天城凛は休み時間に廊下の掲示板の前を通りかかった。班別順位表のコピーが、Sクラスの掲示板にも張り出されている。
凛の視線は上位を確認して離れようとした。S-1班が一位。凛の班だ。当然の結果だった。
――ふと、視線が下に滑った。
六位。1組第5班。
一般クラストップ。弓術士の班。
凛の目が僅かに細くなった。前期試験の順位表に弓術士が率いる班が載っている。Sクラスの直下に。
――ふうん。
凛は順位表から視線を外し、教室に戻った。それ以上のことは考えなかった。考える必要がなかった。
ただ、教室に戻る途中で、放課後の訓練場で見た弓の軌跡が一瞬だけ瞼の裏に蘇った。
蒼い線が、夕方の空気を真っ直ぐに貫いていく。
凛は足を止めなかった。
◇◆◇
夕方。めしや鷹丸の座敷。
六人が定食を囲んでいた。悠斗がご飯を大盛りにして箸を構える。
「六位だぞ六位! 一般クラストップ!」
「さっきから何回言ってるんだ」
「何回言ってもいいだろ! 嬉しいんだよ!」
蒼真は味噌汁を啜りながら笑った。封筒の中の個人成績はまだ開けていない。帰ってから一人で見るつもりだった。
紅葉が卵焼きを箸で持ち上げながら言った。
「個人成績、どうだった? あたしはまあまあ」
「開けてない」
「えっ、なんで!?」
「帰ってから見る。今はこっちのほうが大事だ」
蒼真は六人の顔を見渡した。
「班別で六位ってことは、六人の結果ってことだ。個人の数字はそのあとでいい」
航が顎を引いた。真帆が「班長っぽい」と笑い、悠斗が「いいこと言うじゃん」と箸を振った。
里奈が湯気の向こうで、小さく頷いた。
「――はい」
その声は、試験前より少しだけ柔らかかった。
蒼真は味噌汁を飲み干した。温かかった。
◇
帰宅後、マンションの机で封筒を開けた。
個人成績表。到達度、戦闘貢献度、連携、判断力、帰還報告。各項目にスコアがつけられている。
蒼真はスコアを一つ一つ読んだ。戦闘貢献度は悪くない。連携と判断力は高い評価だった。暗い肌の個体を報告した点も、判断力の欄に短く触れられている。
だが、「火力」の欄に、直接的な言葉ではないが、所見が書かれていた。
遠距離職としての単独制圧力に課題あり。
――知ってる。
蒼真はメンテナンスノートを開いた。第2層戦闘後に書いた記録が目に入る。ハイゴブリンは胸への直撃で表皮を裂くのみ。六射中致命打一本。弓は点の攻撃。
Sクラスとの差。
それは連携や判断力の差だけではなく、純粋な火力の差だ。弓の一撃で仕留められない限り、前衛の負担は減らない。側面射で対応できた。紅葉の索敵で急所を射抜けた。でも、それは戦術的な回避であって、根本的な解決ではない。
蒼真はペンを握った。メンテナンスノートの新しいページに書く。
火力が足りない。
弓の一撃を重くする方法を考える。
夏休みに。
窓の外では、七月の夜が静かに暮れていた。蝉の声が遠い。
蒼真はペンを置き、和弓を見た。壁に立てかけた弓が、部屋の灯りを吸って鈍く光っている。
――お前と一緒に、もっと上に行く。
天井に向かって弦を引く仕草をして、目を閉じた。




