第47話 考えて撃て
三体目のハイゴブリンは、広間で見つかった。
「前方、広間中央。ハイゴブリン一体にゴブリン三体。ハイゴブリンが奥に陣取って、ゴブリンが手前に散らばってる」
紅葉の報告に、蒼真はわずかに眉を上げた。
真帆の《光球》が届くぎりぎりの先に、緑色の影が揺れている。手前のゴブリン三体は落ち着きなく動き回り、奥のハイゴブリンは棍棒を肩に担いだまま、広間の中央より少し奥に立っていた。
今までと配置が違う。
ハイゴブリンが前に出てくるのではなく、奥に構えている。ゴブリンを前に置いて、こちらを近づけさせる形にも見えた。第1層のゴブリンとは違う。第2層の魔物は、ただ硬いだけではない。
「紅葉、ハイゴブリンの角の位置、見えるか?」
「角は二本、額の左右。右角がちょっと短い……かな。待って。目の位置は……うん、こっちを向いてる。正面」
蒼真はメンテナンスノートを見下ろした。さっきの戦闘で書き込んだ走り書きがある。
側頭部、こめかみが最も有効。
正面は避ける。
目を直接狙うのは至難。動くため。
側面からの一射を狙え。
そしてもう一つ、先程の戦闘で気づいたことがある。
正面から撃てば、前衛の身体が射線に入る。胸や肩に当たれば浅い。だが、側面からこめかみへ通せれば、一射で行動不能にできる可能性がある。
問題は、その側面をどう取るかだ。
「紅葉、ハイゴブリンの右側が見える位置に移動できるか? 広間の右壁沿いに」
「……いけると思う。壁際に岩の突起があるから、隠れながら回れる」
「よし。紅葉は右壁沿いに回り込んで、ハイゴブリンの右側面を索敵。位置が取れたら合図をくれ。俺は紅葉の報告を聞いてから撃つ」
悠斗が首を傾げた。
「正面から撃たないのか?」
「正面は避ける。さっきの戦いで分かった。正面からの射撃はハイゴブリンに避けられるか、胸に当たっても浅い。急所は側頭部だ。横から撃てば、射線がこめかみに通る」
航が静かに頷いた。
「だから紅葉を回り込ませるのか。側面からの射線を確保するために」
「ああ。ゴブリン三体は悠斗と航で処理してくれ。ハイゴブリンの注意がゴブリンに向いている隙に、俺が側面から仕留める。里奈は温存。ハイゴブリンが前衛に突っ込んできたら足を止めてくれ」
「了解」
里奈の声は硬いが、揺れていなかった。
真帆が《光球》の位置を少し上げる。広間の右壁沿いに影が伸び、紅葉が動くための凹凸が見えやすくなった。
「紅葉ちゃん、足元、右側の岩が濡れてます」
「見えてる。ありがと」
短いやり取りだけで、紅葉の進路が決まる。
紅葉が先行した。斥候らしい身のこなしで、広間の右壁沿いに音もなく滑っていく。岩の突起に身を隠し、足音を殺し、影から影へ移る。第1層の頃より、ずっと動きが静かだった。
蒼真は壁の角から半身を出し、弓を構えて待った。
矢残は六本。
さっきまでの戦闘で、予定以上に消費した。ここからは一射一射の価値が重い。外せばそのまま、帰還判断に直結する。
一分。
紅葉の合図が見えた。右手を小さく挙げる。声は抑えられていたが、必要な情報だけが届いた。
「位置取った。ハイゴブリンの右こめかみ、射線通る。距離、約二十八メートル」
蒼真は弓を引き絞った。矢に魔力を込める。鏃の蒼い光が通路の闇を切り取った。
ただ撃つだけでは駄目だ。
――考えて撃て。
敵の向き。紅葉の位置。前衛が引きつけるタイミング。ゴブリンの動線。真帆の光。里奈の保険。全部を合わせて、一本を通す。
今の一射は、蒼真一人の技術だけでは成立しない。
「悠斗、航。ゴブリンを引きつけろ。開始合図は俺の射音」
「了解!」
二人が走り出した。広間に踏み込んだ瞬間、ゴブリン三体が反応し、金切り声を上げて前衛に向かう。ハイゴブリンも吼えたが、ゴブリンたちの突進に気を取られ、蒼真の位置に意識が向かない。
航が左のゴブリンを受け、悠斗が中央に踏み込む。右のゴブリンが斜めに回り込もうとした瞬間、里奈が杖を構えた。まだ撃たない。ただ、撃てる姿勢で待つ。
その待機が、蒼真の背中を支えた。
――今だ。
蒼真は壁際から広間に一歩踏み出し、ハイゴブリンの右側面に射線を通した。こめかみが見える。紅葉の報告通り、右角がやや短い分、こめかみの露出が大きい。
息を止めた。
弦を放つ。
蒼い軌跡が広間を横切り、ハイゴブリンの右こめかみに突き刺さった。
一射。
ハイゴブリンが声にならない叫びを上げ、棍棒を取り落とし、横に崩れた。こめかみへの直撃は、胸や肩とは比べものにならない。脳に近い急所を魔力を纏った矢が貫いたのだ。
「悠斗!」
悠斗がゴブリンの最後の一体を突き飛ばし、倒れたハイゴブリンに追撃の槍を叩き込んだ。粒子化。
航がゴブリンの残りを処理し終え、広間に静寂が戻った。
真帆の《光球》だけが、岩壁に揺れる白い光を落としている。
蒼真は弓を下ろし、長く息を吐いた。
「――一射で落とした」
呟きが漏れた。
一体目は二射。二体目は六射。そして三体目は、一射。
腕が急に上がったわけじゃない。紅葉が右こめかみの位置を寄越し、前衛がヘイトを買い、里奈が保険に控えていた。その全部が揃った上での、一本だ。
「考えて撃てば、弓でもやれる」
声に出すと、自然と口角が上がっていた。弓を握る指に、まだ熱が残っている。
――でも。
蒼真は手のひらを開いた。右手の震えは、まだ来ていない。消費一射で一体。これが理想の効率だ。
ただ、分かってもいた。この一射は、一人では立たない。紅葉の目がなければ急所は見えず、前衛が引きつけなければ射線は開かず、里奈が控えていなければ保険はなかった。
考えて撃つだけじゃ足りない。
仲間から材料をもらって、仲間が空けた隙に撃つ。
それでいい。
蒼真は弓を握り直した。一人で背負う矢じゃない。
「紅葉、ナイスだ。お前の索敵がなきゃあの一射はなかった」
紅葉が壁際から戻ってきて、少し照れたように頭を掻いた。
「射線の話は班長が考えたんでしょ。私は見ただけ」
「見てくれたから撃てたんだよ」
「じゃあ、次も見ればいいってことね」
紅葉はそう言って、いつもの調子で笑った。だが額にはうっすら汗が浮いている。広間を横切るように右壁沿いへ回り込む動きは、決して楽ではなかったはずだ。
真帆がすぐに水筒を差し出す。
「紅葉ちゃん、水」
「ありがと。ちょっと喉渇いた」
紅葉が水を飲む横で、悠斗が槍を肩に戻しながら割り込んだ。
「いいことなんだけどさ、ちょっと冷静になっていい? まだ奥があるんだろ? 矢の本数足りるのか?」
蒼真はメンテナンスノートを開いた。
「残六本。ここからは無駄撃ちできないな」
「大丈夫かよ?」
「節約する。次からは紅葉の索敵込みで組み立てる。無駄撃ちはしない」
「組み立てるって、そんな毎回うまく右側に回れるわけじゃないだろ」
航の指摘は冷静だった。
その通りだ。今は広間で、壁際に回り込める地形があった。敵の配置も、ハイゴブリンが奥にいて、ゴブリンが手前に散っていたから成立した。狭い通路なら無理だ。乱戦になれば、また射線は塞がる。
「分かってる。通路なら無理に急所を狙わない。前衛に受けさせすぎるくらいなら、引いて広間に誘導する。俺の射線が通る場所で戦う」
「それがいい」
航が頷く。
里奈が杖を握り直し、少しだけ前に出た。
「私も、足止めを合わせます。神代さんが撃てる場所まで引くなら、その間だけ止めます」
「頼む。無理に連発しなくていい。一拍でいい」
「はい」
真帆も続ける。
「その場合、前衛が下がるときに怪我しやすいと思います。私、下がる方向に光球を少し寄せます」
「助かる」
蒼真は五人を見た。
さっきの一射は、突破口だった。だが、答えではない。いつでも再現できるわけではない。だからこそ、次の戦い方を今ここで確認する必要がある。
橋本教官が少し離れたところで、バインダーにペンを走らせている。その音を聞きながら、蒼真はノートに短く書いた。
側面射線、有効。
紅葉の索敵必須。
前衛誘導、広間利用。
矢残六。無駄撃ち禁止。
――弓術士の壁は、まだそこにある。
でも、越え方の入り口は見えた。
蒼真は矢筒の重さを確かめ、広間の奥へ目を向けた。
今日得た手応えは、考えて撃てば一射でハイゴブリンを落とせること。
まだ届かない課題は、その一射をどんな地形でも再現できるわけではないこと。
なら、再現できる場所を作る。
班で、射線を作る。
「進もう。焦らず、射線を作りながら行く」
五人が頷いた。
蒼真は右手の熱を握り込み、広間の奥へ足を向けた。




