第46話 弓術士の壁
二回目のハイゴブリン戦は、最初の戦闘から約二十分後だった。
「前方、通路の曲がり角。ハイゴブリン二体。ゴブリンはいない。二体が並んで通路を塞いでる。距離、約二十五メートル」
紅葉の声がわずかに硬い。
ハイゴブリン二体。第2層の出現パターンとしては想定内だ。作戦会議でも話していた。だが、実際に通路を塞ぐ二つの影を前にすると、紙の上の想定とは重さが違った。
前衛の負荷が跳ね上がる。
ゴブリンなら、悠斗と航が一体ずつ受ければ数秒で落とせる。だがハイゴブリンは違う。胸に矢を受けても踏みとどまり、棍棒一撃で岩床を砕く相手だ。
「悠斗、航。一体ずつ引き受けられるか?」
「やれる」
「時間稼ぎなら」
航の答えに、蒼真は引っかかった。
時間稼ぎ。
前衛が二体のハイゴブリンを同時に相手にするのは、受けるだけで精一杯ということだ。倒すのではなく、止める。止めている間に蒼真が射抜く。そういう戦いになる。
「里奈、氷矢は今の魔力でもう一発撃てるか?」
「……撃てます。でも、二発続けては」
「分かった。温存でいい。航がきつくなったら片方の足を止めてくれ」
「はい」
里奈の返事は短い。顔色はまだ硬いが、目は逃げていない。
蒼真は弓を構え、壁の角から身を乗り出した。第2層の通路は第1層より広いとはいえ、二体のハイゴブリンが並ぶと圧迫感がある。真帆の《光球》の白い光が届くぎりぎりの先で、二つの角が揺れていた。
――二体同時か。
先制射で一体にダメージを入れて、集中砲火で各個撃破。そう組み立てればいい。
問題は、一射目だ。
最初のハイゴブリンは胸を撃って浅かった。なら今度は、最初から急所を狙う。目か、こめかみ。外せば無駄になる。だが胴を撃っても止まりきらないなら、急所に通すしかない。
蒼真は弦を引いた。右手の矢に魔力を込め、蒼白い光が鏃に灯る。狙いは左のハイゴブリン、右目。
呼吸を止める。
敵の頭が揺れる。棍棒の重さで肩が上下する。その揺れの中に、一瞬だけ止まる点を探す。
放つ。
蒼い軌跡。矢は真っ直ぐ飛び、左のハイゴブリンの顔面に向かった。だが、相手が首を振り、矢は耳の後ろを掠めて壁に当たった。
「避けやがった!」
ハイゴブリンが吼えた。二体同時に走り出す。
「前衛、出る!」
悠斗と航が飛び出し、通路で二体のハイゴブリンを受け止めた。
棍棒と槍が激突する音。航の剣がもう一体の棍棒を弾くが、腕に走る衝撃は先ほどの比ではないはずだ。岩壁に反響した打撃音が、胸の奥まで響く。
蒼真は矢を番えた。
二射目。狙いは悠斗が引き受けたハイゴブリンの側頭部。
だが、乱戦の中で悠斗の身体が射線に入り続ける。槍の柄、悠斗の肩、ハイゴブリンの棍棒。動くものが多すぎる。
「悠斗、右に寄れ! 射線空ける!」
「ちょっ……待って、こいつッ!」
悠斗が棍棒を捌きながら右に移動しようとするが、ハイゴブリンが追いすがる。知能が高い。一人に攻撃を集中させようとする。前衛をどかせない。
――撃てない。
射線が開かない。通路での乱戦は、後衛の射撃にとって最悪の環境だった。第1層のゴブリンなら前衛が一瞬で倒して射線が開いたが、ハイゴブリンは耐える。受ける。前衛が拘束される時間が長い。
それだけで、弓術士の仕事は一気に難しくなる。
矢は味方を避けて飛んでくれない。狙いを外せば、敵ではなく仲間を傷つける。
三射目を番える。矢残十三本。右手に微かな疲労が走り始めていた。七十八射で震えの閾値。まだ遠いが、意識の隅に引っかかる。疲れているからではない。撃てない時間が、余計に指先へ力を溜めさせている。
「航、一瞬だけ離れろ! 撃つ!」
航が左に跳んだ。半秒の隙間。蒼真は迷わず弦を放った。
蒼い軌跡。
航の相手だったハイゴブリンの肩に命中。仰け反らせるが、致命傷にはならない。
「浅い!」
肩では駄目だ。こめかみ、目。急所を射抜かなければ仕留められない。だが乱戦の中で急所に狙いを定める猶予がない。
ハイゴブリンはただ硬いだけではなかった。攻撃を受ければ頭を振り、足をずらし、前衛の陰に入る。こちらの射線を理解しているわけではないだろう。だが、結果として蒼真の矢は通らない。
「里奈! 航の方を!」
「《氷矢》!」
里奈の氷矢が航側のハイゴブリンの足を凍りつかせた。動きが止まる。
――今しかない。
蒼真は四射目を番えた。こめかみに集中し、魔力を最大限に纏わせた矢を放つ。
直撃。ハイゴブリンの側頭部を貫いた。
絶叫。膝が折れ、航が追撃の斬撃を叩き込む。粒子化。
一体。
残り一体。悠斗が単独で受け続けている。《脚力強化》で棍棒を躱しながら槍を突くが、ハイゴブリンの筋肉に阻まれて深く刺さらない。
悠斗の息が荒い。笑う余裕は消えている。踏み込みのたびに床の破片が跳ね、棍棒が空を切るたびに風圧が通路を押した。
蒼真は五射目を番えた。右手が少し重い。
「悠斗、三十センチ左!」
悠斗が左に跳ぶ。蒼真が弦を放つ。ハイゴブリンの腹に命中。だがまた浅い。仰け反るだけで止まらない。
「くそっ」
声が出た。止められなかった。
当てている。だが倒せない。急所を外した矢は、ハイゴブリンの表皮と筋肉に受け止められる。点の攻撃は、点を外せば力を失う。
六射目。
航が左から斬りかかり、ハイゴブリンの注意を分散させた。悠斗が距離を取る。蒼真は右目を狙い、弦を放つ。
矢は右目の横を掠め、頬に傷をつけただけだった。
「っ」
最終的に、航の斬撃と悠斗の槍の挟撃でハイゴブリンを仕留めた。粒子化の光が通路に散り、六人の身体に吸い込まれていく。
蒼真の矢は六射中、致命打は一本だけ。
粒子化が終わった通路で、蒼真は弓を下ろした。
右手が、微かに震えていた。
呼吸が浅い。走ったわけではない。だが、弦を引き続け、撃てない時間に狙いを保ち続けたせいで、肩から指先までが重い。
「……矢残九本」
メンテナンスノートに書き込みながら、蒼真は唇を噛んだ。
二体目のハイゴブリンには六本も使った。うち致命打は一本。胸、肩、腹への命中は表皮を裂くだけで仕留めきれない。急所に当てなければ、弓の攻撃は削りにしかならない。
前衛が耐えている間に急所を射抜く。それが理想だが、乱戦中に急所に狙いを定めるのは至難だ。前衛の身体が射線に入り、ハイゴブリン自身も動き回る。一射の機会が一瞬で閉じる。
――火力が、足りない。
蒼真は自分の手を見た。弓を引く右手。何千本もの矢を放ってきた指。弽の革越しに、指先の熱が分かる。
魔法使いなら、面で攻撃できる。火球は着弾点で爆発し、範囲にダメージを与える。氷魔法は足止めと攻撃を兼ねる。白魔法さえ光矢で牽制できる。
弓は点だ。
一本の矢が一箇所に当たる。それだけ。
当たらなければ無駄。当たっても急所を外せば削りにしかならない。弓術士は一撃で仕留めきれなければ前衛の負担が増えるという構造的な壁を持っている。
――これが、弓術士の壁か。
悠斗が膝に手をついて荒い息をついていた。さすがに二体連続はきつかったのだろう。航も右腕を庇っている。里奈は杖を握ったまま、肩で息をしていた。真帆の《光球》も、わずかに揺れている。
勝った。
だが、消耗した。
その事実が、さっきの勝利よりも重く胸に残った。
「真帆、悠斗と航を頼む」
「はい」
真帆が《小回復》を二回使い、前衛の消耗を回復させた。淡い光が悠斗の肩と航の右腕を包む。
真帆の顔にも疲れが見えた。回復の発動は速い。だが第2層では、使うたびに魔力が削られていく。無限ではない。
「悠斗、脚は?」
「動く。けど、次も二体同時はちょいキツい」
「航は」
「右腕に衝撃が残った。回復でかなり楽になったが、受け続けるのは避けたい」
「里奈、魔力は」
「……氷矢、あと何発かは撃てます。でも、連続は少し厳しいです」
「分かった」
蒼真は弓を握り直した。
矢残九本。帰還まで約三時間。第2層の探索はまだ始まったばかりだ。
――考えろ。
弓でやるんだ。弓でやると決めたのは俺だ。なら、考えろ。
焦りを、蒼真は表に出さなかった。
ここで自分が焦れば、班全体に伝わる。弓術士の壁は、班長としての壁でもある。足りないと分かったなら、足りないままどう戦うかを決めなければならない。
「五分休憩。水分補給して、次に備える」
班長の声で、蒼真は焦りを飲み込んだ。
今日得た手応えは、ハイゴブリン二体を相手にしても崩壊せず倒しきれたこと。
まだ届かない課題は、蒼真の矢が急所を外した瞬間に、前衛の負担が跳ね上がること。
弓術士の壁は、はっきり見えた。
なら、次はその壁を越える撃ち方を探すしかない。




