第45話 噛み合う歯車
最初の遭遇は、広間に出てから七分後だった。
「前方、広間の奥。ハイゴブリン一体、ゴブリン二体。ハイゴブリンが先頭、ゴブリンが左右に散開。こっちにはまだ気づいてない」
紅葉の報告が低く響いた。声に揺れはない。
蒼真は即座にフォーメーションを組み立てた。広間の幅、敵との距離、真帆の《光球》が届く範囲、前衛二枚が展開できる余白。第1層とは違い、ここで躓けば一気に崩れる。だが、焦る必要はない。作戦会議で想定した状況に近い。
「悠斗、航。前衛二枚並び。ゴブリンは二人で処理。ハイゴブリンは俺の先制射で仕留めきれなかったら、そっちに行く。里奈は悠斗の左後方で待機、《氷矢》は俺の合図で。真帆は後方で《光球》維持と回復待機。紅葉は索敵継続」
「了解!」
悠斗の返事が一番早い。槍を握る手に力が入っているが、足は浮いていない。航も無言で頷き、右足を半歩引いて剣を抜く準備に入った。
蒼真は通路と広間の境目、壁の角を利用して半身を隠し、弓を構えた。矢を番え、弦を引く。第2層の広めの通路が、弓術士には有利に働く。射線が通る。
紅葉の報告では、ハイゴブリンまで約三十メートル。額に角が二本。体高は約百二十センチ。右手に棍棒。通常種だ。
五月に戦った個体とは違う。こちらが本来のハイゴブリン。教科書通りの敵。
――教科書通りだからといって、甘く見るなよ。
蒼真は静かに息を吐いた。右手の中指と薬指で弦を引き絞る。魔力が矢に流れ、鏃が蒼白い光を帯びた。
胸を狙う。的としては広い。初撃で止めるなら頭か喉を狙いたいが、暗がりと距離、敵の揺れを考えれば、まずは確実に当てる方がいい。初撃の目的は討伐ではなく、敵の足を止め、こちらの戦闘開始を有利にすることだ。
「撃つ」
放たれた矢が蒼い軌跡を引いて広間を横切った。
ハイゴブリンの胸元に直撃。だが、皮膚を裂いただけだった。魔力を纏った矢の衝撃に仰け反るものの、その場で踏みとどまり、太い首を持ち上げて侵入者を睨みつけた。
手応えはあった。
だが――足りない。
第1層のゴブリンなら粒子化していた一射だ。ハイゴブリンは違う。胸を裂かれてなお、前に出てくる。
「通ったけど、浅い! 前衛!」
蒼真が声を上げた瞬間、悠斗が飛び出した。《脚力強化》の踏み込みで一息に距離を詰め、突進してきたゴブリンに槍を突き刺す。もう一体のゴブリンは航が引き受けた。斬撃一閃。《斬撃強化》の乗った刃がゴブリンの胴を薙ぎ、粒子化させる。
二体のゴブリンは十秒で片づいた。
問題はハイゴブリンだ。
胸元の傷から血を滴らせながら、棍棒を振り上げて悠斗に突進してくる。速い。第1層のゴブリンとは段違いの脚力と体重。棍棒が風を切る音だけで、その一撃の重さが分かる。
悠斗が槍を構え直した。その肩が一瞬だけ固まる。
――受けるな。
「悠斗、受けるな! 下がれ!」
悠斗が横に跳び、棍棒が床を叩いた。岩が砕ける衝撃。破片が足元に跳ね、低い振動が広間に広がった。
「うっわ、重っ!」
「航、牽制!」
航が右から斬りかかり、ハイゴブリンの注意を引いた。棍棒がそちらに振られる隙に、蒼真は二射目を番えた。
急所だ。急所を狙え。
ハイゴブリンの正面に立つ悠斗と、右側から斬り込む航。二人の動きの隙間を縫うように、射線を探す。広間は広いが、味方も動く。射線が開いたと思った瞬間には、次の一歩で塞がる。
ハイゴブリンが航に向かって振り返った瞬間、側頭部が一瞬だけ蒼真の射線に入った。
「里奈、足!」
「《氷矢》!」
里奈の氷矢がハイゴブリンの右足に命中し、地面ごと凍りつかせた。動きが一拍止まる。
――その一拍でいい。
蒼真は弦を放した。
蒼い軌跡が暗い広間を裂き、ハイゴブリンの右こめかみに突き刺さった。
絶叫。棍棒を取り落とし、膝が折れる。
「悠斗!」
呼ぶまでもなかった。悠斗の槍が上から突き下ろされ、ハイゴブリンの胸を貫いた。
粒子化が始まる。緑がかった光の粒子が六人の身体に吸い込まれていく。
蒼真は弓を下ろし、額の汗を拭った。右手の指先に、ほんの少しだけ震えがある。疲労ではない。初めて通常種のハイゴブリンを正面から倒した緊張の名残だった。
――噛み合ったな。
呟きは声になりきらなかった。
紅葉の索敵、蒼真の先制射、前衛の受け、里奈の足止め、蒼真の急所射、前衛の追撃。
第5班の作戦会議で想定した連携が、実戦で初めて完全に回った。
それでも、楽勝ではない。初撃では落ちなかった。棍棒の一撃は床を砕いた。里奈の足止めが一拍遅れていれば、悠斗か航が負傷していたかもしれない。
勝った。
だが、第2層の相手はこういう敵なのだ。
「里奈、ナイスだ」
声をかけると、里奈は杖を両手で握りしめたまま、黙って頷いた。顔は青白いが、口元はわずかに上がっている。
「当たり……ました」
「当たった。完璧だ」
真帆が里奈の背中を叩いた。先日の訓練でも見た、里奈を励ますときの動作だった。ふたりの距離感は、もう安定している。
「悠斗、航、怪我は?」
「なし! でもアイツの棍棒マジでヤバい。床割れたぞ」
「右腕に少し衝撃が残ってる。大したことないけど」
航の報告に、蒼真は真帆を見た。
「真帆」
「はい。宮瀬くん、右腕見せて」
真帆が航の右腕に手をかざし、《小回復》を発動した。淡い光が航の前腕を包む。
発動が早い。迷いがない。負傷の程度を聞き、必要最小限の回復を選んでいる。第1層では出番がなかった真帆の回復が、第2層で初めて班の流れに組み込まれた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。痛みが残ったらすぐ言ってください」
「分かった」
蒼真はメンテナンスノートに素早く書き込んだ。
矢残十四本。
ハイゴブリンは一撃では仕留められない。
胸元への直撃で表皮を裂いたのみ。
二射目で側頭部、こめかみに命中してようやく行動不能。
前衛と里奈の連携で動きを止めてからの急所射が有効。
弓で一撃必殺はまだ遠い。
でも、考えて撃てば仕留められる。
蒼真は弓を握り直した。指先にはまだ震えが残っているのに、次の敵を探す目だけは勝手に前を向いていた。
橋本教官が少し離れた位置で、バインダーにペンを走らせている。今の連携をどう評価したのかは分からない。だが少なくとも、蒼真たちは第2層の敵に通用した。
今日得た手応えは、ハイゴブリン通常種を六人の連携で倒せたこと。
まだ届かない課題は、蒼真の一射だけでは仕留めきれないこと。そして、同じ連携を次も崩さず再現できるかどうか。
「よし。次、行こう」
蒼真の声に、五人が頷いた。
歯車は噛み合った。
あとは――回し続けるだけだ。




