第41話 別物
二戦目は、紅葉が広間の入口で止まったところから始まった。
「前方、広間。幅約十メートル、天井高い。ゴブリン三体。奥の壁際に固まってる」
紅葉の声は短く、必要な情報だけが揃っていた。蒼真は壁に手をついて身を乗り出し、広間の入口から中を窺った。真帆の《光球》の白い光が届くぎりぎりの範囲に、三つの影がうずくまっている。
岩肌に染みた水の匂いと、獣じみた臭いが混ざっていた。第1層のゴブリン相手でも、気を抜けば簡単に足元を掬われる。ここは試験中のダンジョンであって、訓練場ではない。
「三体か」
頭の中で作戦を組み立てる。通路から広間に出れば、射線が一気に開ける。広間では前衛二枚の運用が可能。事前の作戦会議で決めたとおりだ。
蒼真は一度だけ矢筒に触れた。残り二十三本。初戦で一本使った。矢数はまだ十分だが、無駄にしていい一本はない。
「悠斗、航。広間だから二枚並び。俺が先制で一体落とす。残り二体を前衛で受けて、里奈が足止め。行けるか?」
「おう」
「了解」
蒼真は里奈に目を向けた。
「里奈。《氷矢》、撃てるか」
里奈は杖を握り直した。唇がわずかに引き結ばれる。でも、目は逸れなかった。
「撃てます」
声に硬さがあった。だが答えは明確だった。五月の里奈なら、このタイミングで目が泳いでいた。今は違う。怖さを抱えたまま、前を見ている。
「よし。行くぞ」
蒼真が広間の入口から半身を出し、右壁沿いに位置を取る。弓を引き絞り、魔力を込める。鏃が蒼く脈動する。三体のゴブリンのうち、最も手前にいる一体の首筋に照準を合わせた。
光球の明かりは完全ではない。影が揺れる。ゴブリンの肩が動く。息を吐き、視界の中心から余計なものを消す。
「――射つ」
蒼い軌跡が闇を裂いた。矢はゴブリンの首を貫通し、背後の岩壁に突き刺さった。ゴブリンは声も出さず粒子化する。
残りの二体が同時に叫んだ。棍棒を振りかざして突進してくる。
「前方二、来る!」
紅葉の声掛けと同時に悠斗と航が広間に踏み出した。二枚並び。通路では横幅が足りなかったが、広間の十メートルなら二人が並んでも余裕がある。
悠斗が《脚力強化》で踏み込み、右のゴブリンに槍を突き出す。穂先の蒼白い光がゴブリンの胴を抉った。
左のゴブリンが航に向かって棍棒を振り下ろす。航が長剣で受け流し、返す刀で《斬撃強化》の横薙ぎ。刃が通ったあとに蒼白い残光が尾を引き、ゴブリンが崩れ落ちて粒子化した。
悠斗の方も一呼吸遅れて粒子化。光の粒が六人に吸い込まれる。
「よし」
「三体、四十秒ってところか」
航が刀身を確認しながら言った。
「五月なら倍はかかってた」
「それな」
悠斗が槍を肩に担ぎ直す。額の汗を拭う仕草は五月と同じだったが、息は切れていない。真帆が光球の位置を少し上げ、広間の奥を照らし直す。里奈は杖を構えたまま、周囲を見ていた。撃つ場面は来なかったが、構えを解くのが早すぎない。
「声掛け、ちゃんと機能してるな」
蒼真はフォーメーションの動きを頭の中で振り返っていた。紅葉の「前方二、来る」に悠斗と航が即座に反応した。方向と数を短く伝達するだけで、前衛は自分がどちらを取るか判断できている。ミーティングで統一したルールが実戦で回った。
この感じだ。
紅葉の報告から悠斗の踏み込みまで、迷いがなかった。里奈の詠唱も遅れない。蒼真は次の矢を番えながら、声を上げそうになるのを奥歯で噛み殺した。
橋本教官は少し離れた位置で、何も言わずにバインダーへペンを走らせている。その音が、浮きかけた気持ちを現実へ戻した。
――まだ第1層だ。
蒼真はそう自分に言い聞かせた。
◇
三戦目は、通路の横道から飛び出してきた二体だった。
紅葉が「左、二!」と叫んだ瞬間、航が後方警戒のフリーポジションから即座に反応した。長剣を抜いて横道を塞ぎ、飛び出してきた一体目を《斬撃強化》で叩き落とす。
二体目は蒼真が仕留めた。通路を挟んで航の反対側の壁際に退避し、航の背後から射線を通して側面射撃。矢がゴブリンの脇腹を射抜き、粒子化した。
後方警戒が機能した。
五月の初実習の帰路、後方から奇襲を受けて真帆が殴られ、里奈がパニックを起こし逃げた。あの失敗が、今ここで活きている。航がフリーポジションで後方と横道を見ているからこそ、紅葉は前方の索敵に集中できる。
真帆も、ただ後ろにいるだけではなかった。横道から飛び出した瞬間、半歩だけ里奈の前に出て、医療キットの肩紐を押さえていた。回復に入れる位置。逃げるのではなく、支えるための半歩だった。
「航、ナイスだ」
「お前がいちばん嬉しそうだけどな」
「悪いか」
「悪くない」
航は淡々と返しながらも、次の横道へ視線を向けている。褒められても浮かれない。その冷静さが、今の第5班にはありがたかった。
蒼真は矢筒を確認した。残り二十一本。まだ予定内。第2層に入る時点で十五本以上は残す。その基準を、頭の中で何度もなぞる。
――順調だ。
そう思った瞬間、蒼真は自分でその言葉を戒めた。順調だからこそ危ない。五月も、プレートを回収した直後に崩れたのだ。
◇
四戦目。
紅葉が前方にゴブリン四体のパーティを発見した。これまでの第1層戦では三体が最大だった。四体は初めてだ。
「四体か。ちょっと多いな」
蒼真は弓を握り直した。だが、不安ではなかった。計算が頭の中を走る。
通路の幅。敵との距離。前衛二人の位置。里奈の射線。真帆の光球。紅葉が退避する場所。全部を重ねる。
「先制で一体落とす。悠斗が右、航が左で二体受ける。残り一体は里奈の《氷矢》で足止めしてくれ。止まったら俺が射つ」
「了解!」
「いける」
「はい」
里奈の声は硬い。だが、杖を構える手は震えていなかった。
蒼真が先制射で一体を仕留める。悠斗と航がそれぞれ一体ずつ受ける。残り一体が後衛に向かって走り出した。ハイゴブリンほどの狡猾さはないが、ゴブリンでも手薄な方向に走る本能はある。
「里奈!」
「《氷矢》!」
里奈の掌先に冷気が凝縮し、白い軌跡を引いて氷の矢が射出された。ゴブリンの右脚に命中し、足元が凍りついて動きが鈍る。
蒼真は待っていた。里奈が撃つのを。止まるのを。
――今だ。
弦を引く。蒼い光を纏った矢が、足止めされたゴブリンの胸を貫いた。粒子化。
「ナイスだ、里奈」
里奈が息を吐いた。杖を握る手が微かに震えている。でもそれは恐怖の震えではなかった。撃った後の、緊張の解放だった。
「当たり……ました」
「当たった。完璧だ」
悠斗が親指を立て、真帆が「里奈ちゃんすごい!」と背中を叩いた。紅葉も奥の通路を見たまま、口だけで笑う。
「今の、タイミングかなり良かったよ。動きが止まったの、一瞬だったけど十分」
「……ありがとう、ございます」
里奈の声はまだ小さい。けれど、俯いてはいない。
蒼真は矢の残数を確認した。二十本。四戦で使用四本。ペースとしては悪くない。第1層で消耗しすぎれば第2層に響く。
ここまでは計画通りだ。
六月の探索実習で第1層の奥まで到達し、ゴブリンを三体撃破している。あのときから二ヶ月弱。連携訓練を重ね、里奈の命中率は上がり、真帆の《小回復》の発動も速くなった。紅葉の索敵パターンは通路と広間で切り替えが自在になり、悠斗と航の前衛ローテーションは声掛け一つで回る。
五月のあの六人とは別物だ。
蒼真はそう思った。思って、少しだけ危ないと感じた。
「……気を抜くなよ」
自分に言い聞かせるように、しかし声は全員に届くように。
「まだ第1層だ。本番は第2層から」
「分かってる」
航が静かに応じた。
「俺も分かってるぞ。浮かれてない。ちょっとしか」
「ちょっとは浮かれてるんだな」
「四体いけたら嬉しいだろ」
「そこは否定しない」
悠斗の軽口に、小さな笑いが起きた。緊張を緩めすぎない程度の笑いだ。蒼真はそれを聞いて、肩の力を少しだけ抜いた。
橋本教官が六人の背後で、バインダーにペンを走らせていた。何を書いているのかは分からない。だが、あの目が全部見ている。
蒼真は前を向いた。
紅葉が先行し、暗がりの奥を《視力強化》で見通している。
「前方三十メートル、異常なし。進みます」
六人の足音が、第1層の通路に吸い込まれていった。
今日得た手応えは、声掛けと隊形が実戦で機能したこと。里奈が逃げずに撃ち、真帆が支える位置に立てたこと。まだ届かない課題は、これを第2層の重い空気の中でも崩さずに続けること。
第1層では通じた。
だからこそ、気を抜くな。
蒼真は矢筒の重みを確かめながら、紅葉の背中を追った。




