第4話 入学式、窓際最後列
四月一日。
多摩モノレールの車窓から見下ろす立川の街は、神代蒼真が想像していたものとは違っていた。
――でかい。
高架を走るモノレールの窓に額をくっつけるようにして、蒼真は眼下に広がる街並みを見つめた。サンサンロードと呼ばれる歩行者専用道路が立川駅から北へ真っ直ぐに伸びている。その両脇のカフェテラスでは、朝からノートPCを広げる人影がちらほら見える。あれが探索者だ。パーティを組むための情報交換をしているのだと、入学案内の冊子に書いてあった。
その先に見えるのはグリーンスプリングス――大きな複合施設だ。さらに奥、緑が広がっているのは昭和記念公園。あの公園がスタンピード時の空間確保のために残されているという話は、合格通知と一緒に届いた資料で読んだ。文字で読んだときはピンと来なかったが、こうして上から見ると、その広さの意味が分かる。あそこに魔物が溢れ出したら――。
「すげえな……」
思わず声が出た。隣の乗客がちらりとこちらを見て、すぐに視線を戻した。
モノレールが高松駅を過ぎ、路線が西に曲がる。立川ダンジョン駅が近づいてくると、窓の外の景色がさらに変わった。自衛隊の駐屯地。探索者協会の大きな建物。そして――その奥に、門構えの立派な施設が見える。
東京探索者学院。
心臓が跳ねた。
――ここだ。ここから始まる。
モノレールが立川ダンジョン駅に滑り込む。蒼真は新品の鞄を握りしめて立ち上がった。
◇
正門をくぐった瞬間、空気が変わった。
肌の上を、見えない粒子が撫でていくような感覚。薄い、だが確かな圧。ダンジョンの近接地に漂う魔素の気配だ。二年前、地元の協会で適性検査を受けたときに感じたものと似ている。あのときより薄いが、範囲が広い。学院全体がダンジョンの影響下にあるのだと、肌で分かった。
――これが迷宮都市か。
鳥肌が立った。怖いんじゃない。興奮だ。
正門から講堂までの道を歩きながら、蒼真はきょろきょろと周囲を見回していた。濃紺にシルバーラインの入ったブレザー。自分も同じものを着ている。見た目はスマートだが、この制服は靴まで全てダンジョン素材製の特別製で、防御力も魔法防御力も優秀だという。ただの学生服じゃない。探索者の卵が着る、戦うための服だ。
かっこいいな、この制服。
素直にそう思った。地元の中学のジャージとは訳が違う。
講堂に入ると、既に多くの新入生が席についていた。蒼真は空いている席を探しながら中ほどまで進み、腰を下ろした。
さて。入学式か。
胸の底が、まだ火照っている。天恵熱、弓術適性、剣士の夢が潰えた夜、ゴミ箱に頭から突っ込んだ間抜けな事故――ここまで、本当に色々あった。
全部、今日のためだ。
「なあなあ」
後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、ツーブロックの髪をした長身の少年がにかっと笑っていた。身長は百八十近くありそうだ。蒼真より頭半分は高い。
「ここ座ってるならお前も一組だよな? 適性なに?」
いきなりだった。自己紹介も挨拶もすっ飛ばして、核心から入ってくるタイプ。蒼真は面食らいつつも、その遠慮のなさが嫌いじゃなかった。
「弓術」
「弓!? まじで!?」
声がでかい。周囲の視線が集まった。蒼真は少しだけ肩をすくめたが、相手は全く気にしていない。
「弓術ってあれだろ、超レアなやつ。かっけえな!」
かっこいい?
蒼真は目を瞬いた。弓術適性を「かっこいい」と言われたのは、これが初めてだった。協会で適性を告げられたとき、係員の顔には同情があった。地元の同級生は「弓? 剣じゃなくて?」と困惑した。こちらの気持ちも聞かぬまま「元気出せよ」と慰められもした。自分自身も、最初は受け入れられなかった。
だが、目の前のこいつは。
「え、何その顔。褒めてんだぞ?」
「いや……ありがとう。初めて言われた」
肩の力が抜けた。自然と笑みがこぼれた。
「俺は橘悠斗。槍だ。よろしくな!」
「神代蒼真。よろしく」
握手。悠斗の手はでかくて、力が強かった。貧乏揺すりをしている足元が目に入る。こいつ、落ち着きがないんだな。
「てかさ、弓術って戦い方どんな感じなの? 遠くからビシバシ撃つ?」
「まあ、基本はそうだけど」
「それ超かっけえじゃん。俺なんか槍だぞ槍。突っ込むしかないんだぞ」
「突っ込むのもかっこいいだろ」
「おっ、分かってんな! ランスチャージ! ドカーンと!」
悠斗が両手を前に突き出して槍の構えを真似た。前の席の生徒が振り返って怪訝な顔をしたが、悠斗はやっぱり気にしていない。
蒼真は声を出して笑った。こいつ、面白い。入学初日でこんなやつに会えるとは思わなかった。
◇
入学式は粛々と進んだ。学院長の挨拶、来賓の祝辞、在校生代表の言葉。蒼真は隣の悠斗と小声で話しながら、というか悠斗が小声で話しかけてくるのを止められないまま、式を過ごした。
式が終わり、各クラスへの移動が始まる。蒼真と悠斗は同じ1-一組の教室へ向かった。
「かわいい子いるかなー!」
「声でかい」
「えー普通っしょ?」
1-1の教室に入ると、担任が教壇に立っていた。
後藤喜一郎。四十歳。くたびれたスーツに曲がったネクタイ。紙コップのコーヒーを片手に、あまり威厳のない姿勢で生徒を眺めている。元探索者だとは、この時点では皆まだ知らない。
「席はくじ引きで決める。面倒くさいけど公平だろ」
後藤がぼそりと言って、割り箸の入った瓶を差し出した。番号が書いてある。蒼真が引いたのは「30」――窓際最後列。
「おっ、当たりじゃないか」
後藤がニヤリと笑みを浮かべ言った。確かに、窓際最後列というのは悪くない。外が見える。風が入る。弓を引くとき、風は大事だ。
まあ、教室で弓は引かないけど。
席についた蒼真は、窓の外を見た。学院の敷地の向こうに、ダンジョン区域のフェンスが見える。その奥に何があるのかは、ここからは分からない。だが、あそこに自分が潜る日が来る。
――楽しみだな。
気づけば、口元がほどけていた。
◇
オリエンテーションが始まり、学院の施設や年間スケジュールの説明が続いた。
その最中、蒼真の視線がふと止まった。
廊下を挟んだ向こう側――Sクラスの区画が見える。ガラス越しに、一人の生徒が目に入った。
金髪のツインテール。碧い瞳。窓からの光を受けて髪が輝いている。綺麗系の顔立ちに、どこか近寄りがたい凛とした空気。
――綺麗な髪だな。
それが最初の感想だった。
見惚れていた。自覚はある。数秒――いや、もう少し長かったかもしれない。呼吸を忘れていた、というのは比喩ではなく、実際に一瞬息が止まっていた。
「……おい、蒼真。どこ見てんの」
悠斗がにやにやしながら肘で突いてきた。
「え、いや、別に――」
「嘘つけ。Sクラスの方ガン見してたじゃん。誰? 誰を見てた?」
「見てない。見てないから」
「顔赤いぞ」
「赤くない」
「赤い赤い。航海灯みたいに赤い」
「何だよ航海灯って。例えが変だろ」
蒼真は窓の外に視線を逃がした。耳が熱い。見てたのは事実だし、綺麗だと思ったのも事実だ。だが悠斗に白状するのは、いや、絶対にしない。
◇◆◇
――天城凛は、視線に気づいていた。
Sクラスの区画で説明を聞きながら、隣のほのかと並んで座っていた凛は、ちらりと廊下の向こうを見た。一般クラスの教室。窓際最後列に座っている男子が、こちらを見ていた。
誰だろう。
一瞬だけ視線を合わせた。知らない顔だ。Sクラスの人間ではない。一般クラスの子。見覚えはない。
興味はなかった。
凛は前を向いた。視線をSクラスの教官に戻す。
私にはやることがある。
父と母は二人とも探索者だ。「凛なら大丈夫」と送り出された。Sクラスに選ばれたのは、その期待に応えるためでもある。一般クラスの男子に気を取られている暇はない。
二週間後――あの演武場で、全てが動き出す。
凛はまだ、それを知らない。
◇◆◇
夜。錦町のマンション。
初日の荷解きを終え、蒼真は狭い部屋のベッドに腰を下ろした。窓の外に立川の夜景が広がっている。地元の夜とは光の数が違う。車のテールランプ、ビルの窓明かり、モノレールの高架を走る白い光。
スマートフォンを取り出し、祖父にメッセージを打った。
『入学式終わったよ。すごい学校だった。ダンジョンが近くにあって、街全体が探索者の街みたいになってて。制服もダンジョン素材で出来てるんだって。友達もできたんだ。槍使いのうるさいヤツ』
送信。
少し待つ。
返事が来た。
『そうか』
三文字。
蒼真は噴き出した。
「爺ちゃん、もうちょっとあるだろ……」
だが、それでいい。祖父はいつもこうだ。何を報告しても「そうか」。だがその「そうか」の裏に「よくやった」が入っていることを、蒼真は知っている。
スマートフォンを枕元に置いて、仰向けに寝転がった。天井を見上げる。
入学式が終わった。
明日から授業が始まる。座学も実技もある。ダンジョンに潜る日も来る。Sクラスの生徒たちは――あの金髪の女の子は――たぶん、すぐには手が届かない場所にいる。
だが蒼真は両手を天井に向かって伸ばした。指先を広げて、握る。弦を引く形。
――いつか、あの場所に立つ。
Sクラス。選抜クラス。今の自分には遠い場所だ。弓術適性――学院唯一の。嘲笑されるかもしれない。見下されるかもしれない。でも、だからどうした。
――手にしたカードで、頂を目指す。そう決めたのだ。
蒼真は腕を下ろして、にっと笑った。布団にも入らず制服のまま。天井の蛍光灯が眩しい。
「……やってやるよ」
誰もいない部屋で、声に出して言った。
四月一日。東京探索者学院、一年一組。窓際最後列。
明日は六時に起きよう。誰より早く訓練場の的の前に立つ。それだけ決めて、蒼真は目を閉じた。




