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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第二章 前期実力考査編

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第37話 第5班の作戦

 訓練場のミーティングスペースは、六人で囲むには少し広かった。


 壁際には予備の椅子が積まれ、白いホワイトボードには前の利用者が消しきれなかった線の跡が薄く残っている。夕方の訓練場からは、剣が打ち合う音や、誰かの掛け声が遠く聞こえていた。冷房は効いているはずなのに、七月の熱気と訓練後の汗の匂いがどこかに残っている。

 長机の上には、立川ダンジョンの概略図が広げてある。蒼真が一年生向けの教材から複写したもので、第1層と第2層の大まかな構造が記されている。細部は実際に潜った記憶で補うしかないが、六人にはその記憶があった。

 蒼真は鞄からメンテナンスノートも取り出し、地図の横に置いた。弓の記録を書くためのノートだが、今日は射の感覚だけではなく、班の動きも書き込むつもりだった。


「まず五月の反省から入る」


 蒼真が立ったまま切り出した。普段なら座って話すところだが、今日は違った。地図の端を押さえる指にも、声にも、いつもより少し力が入っている。

 悠斗が「お、班長モード」と茶化すように笑い、航が「茶化すな。今は聞け」と低く返した。


「一番の失敗は後方警戒だ。プレート回収後の帰路で油断した。奇襲を受けて、真帆が怪我をして、里奈が――」


「逃げた」


 里奈が自分で言った。声は硬かったが、視線は逸らさない。膝の上で握った手が、少しだけ白くなっていた。

 真帆がその横で何か言いかけ、けれど飲み込む。代わりに、机の下で里奈の袖をそっと摘まんだ。

 蒼真は一瞬だけ里奈を見て、頷いた。


「俺たち全員の失敗だ。里奈だけの話じゃない。後方を固める意識が足りなかった。今回は絶対にやらない」


 言い切ると、胸につかえていた重さが、少し軽くなった。責めるためではない。繰り返さないために、言葉にする必要がある。


「そこ、ちゃんと言ってくれるのは助かる」


 紅葉が頬杖をついたまま言った。軽い口調だったが、目は真剣だった。

 蒼真は概略図の第1層を指でなぞる。


「移動時のフォーメーションを決めておきたい。先頭は紅葉。索敵と進路判断。その後ろに悠斗と航で前衛二枚。俺が中衛で射線確保。里奈と真帆が後衛。問題は、後方警戒を誰がやるか」


「俺がやる」


 航がすぐに手を上げた。


「後衛の前に立つ位置なら、前方にも後方にも対応できる。悠斗が前で受けて、俺が中後衛寄りで穴を埋める。通路ならその方が崩れにくい」

「俺、壁役か。分かりやすくていいな」


 悠斗が槍を構える真似をして、にやりと笑った。


「ただ、調子乗って突っ込みすぎたら後ろから蹴るぞ」

「お前、普通にやりそうだから怖いんだよ」

「必要ならやる」

「否定しろよ」


 小さな笑いが起きた。固くなりかけていた空気が、少しだけほぐれる。

 蒼真はノートに「通路・悠斗前、航中後衛」と書いた。


「じゃあ通路では悠斗が前衛一枚、航が中後衛のフリー。広間では二枚並び。後方は航が見る。紅葉、索敵範囲は?」


「《視力強化》を使えば、暗がりでも三十メートル先までは見える。ただ、横道の奥までは角度次第。斥候の適性で魔力感知と気配察知の補正はあるけれど、見えないものを見えたって言う気はないから、横道は止まって確認させて」

「了解。横道は通過時に一旦停止。紅葉が安全確認してから進む」

「あと、私が『止まって』って言ったら絶対止まって。理由の説明は後でいい」

「分かった」


 蒼真が頷くと、全員も続いた。

 紅葉は一見すると軽い。よく喋るし、冗談も飛ばす。けれど索敵の話になると、言葉の輪郭が一段はっきりする。見えるものと見えないものの線を曖昧にしない。その慎重さが、今の第5班には必要だった。


       ◇


 蒼真は第2層降り口あたりに指を置いた。


「次。第2層に入ってからのこと」


 六人の目が地図に集中した。


「第2層はハイゴブリンの領域だ。通常種は角二本、体高約百二十センチ。五月に戦ったイレギュラーとは別物で、数は多い。二体以上で出ることが基本で、ゴブリンを率いてることもある」

「教科書情報だと、棍棒の一撃はかなり重いみたいです」


 真帆が資料に目を落としながら言った。机の上には、彼女が持ち込んだ小さな付箋が何枚も並んでいる。回復、光球、医療キット。丁寧な字で項目が分けられていた。


「だから、受ける前提で考えない方がいいと思います。回復はできますけど、試験中に怪我前提で動くのは嫌です」

「真帆が嫌って言うなら、嫌なんだろうな」


 悠斗が肩をすくめた。


「俺も正面から受け止めるのは厳しい。逸らすか避けるかだ」

「同意だ。盾があるなら別だが、俺たちはそういう班じゃない」


 航も頷く。

 蒼真は地図から顔を上げ、五人を見た。


「なら、正面からぶつからない。紅葉が先に見つけて、俺が先制の一射を入れる。怯んだところに前衛が詰める。里奈は足止め、真帆は回復待機」

「足止め、か」


 里奈が呟く。


「《氷矢(アイスボルト)》で脚を狙う。六月の実習でやった連携と同じだ。――里奈、いけるか」

「いけます」


 即答だった。少し間を置いて、里奈は自分の杖を両手で握り直す。


「怖くない、とは言えないです。でも、脚なら狙えます。今度は、止めます」


 蒼真の胸に、熱いものがこみ上げた。

 五月に震えていた声とは違う。震えが消えたわけではない。けれど、逃げるためではなく撃つために、里奈は今ここで考えている。


「頼む」

「はい」


 真帆が里奈の隣で小さく頷いた。


「里奈ちゃんが足を止めるなら、私はその直後の負担を見ます。前衛が踏み込む時に怪我をしやすいなら、回復の準備はそこで切らさないようにします」

「真帆、かなり具体的だな」

「考えてきました。後ろにいるだけだと、何もできない時間が怖くなるので」


 真帆は穏やかに笑った。けれど、その言葉には自分の役割を手放さない強さがあった。

 蒼真はノートに「脚止め後、前衛踏込。真帆は直後警戒」と書き加える。班の動きが、線ではなく形になっていく感覚があった。


 最後に、声掛けのルールを決めることにした。


「五月は、みんなバラバラに叫んでた。誰が何を言ってるか分からない場面があった。簡単でいい。『前』『後ろ』『左』『右』。敵の位置は方向と数。俺が射線を取るときは『射線空けろ』。真帆が回復に入るときは『回復入る』。これだけ統一する」

「シンプルでいいね。覚えやすい」


 真帆がほっとしたように笑った。


「私、焦ると説明しようとしちゃうから、それくらい短い方が助かるかも」

「じゃあ真帆が説明を始めたら、俺が『短く』って言う」

「悠斗さんに言われるのは、ちょっと悔しいです」

「なんでだよ」


 悠斗が大げさに胸を押さえ、紅葉が笑った。


「でも、悠斗が一番声通るしね。短く叫ぶ係には向いてるかも」

「お、褒められた?」

「たぶん半分くらい」

「半分でも嬉しい」


 蒼真も笑いそうになってから、地図に視線を戻す。


「判断に迷ったら、俺に聞いてくれ。即断する。間違えるかもしれないけど、止まるよりマシだ」


 悠斗が口笛を吹いた。


「班長らしくなってきたな」

「最初から班長でしょ」


 紅葉が即座に返す。


「いや、五月の班長は『とりあえず頑張る』って顔だった。今は『俺が決める』って顔してる」


 航が腕を組んで、淡々と言った。


「褒めてるのか、それ」

「褒めてる」

「分かりにくいな」

「お前が照れるからだろ」

「照れてない」


 言い返した声が少しだけ上ずって、悠斗が笑った。蒼真は誤魔化すように頭を掻き、概略図に視線を落とした。


       ◇


「――あとは、時間配分だ」


 概略図に戻る。


「第1層を抜けるのに、六月の実習では約二時間半かかってる。戦闘込みで。第2層に入ってから戦闘・探索・帰還まで含めて、合計六時間半を申告しようと思う」

「余裕、あるのか?」


 悠斗の声から軽さが消えた。


「ギリギリだと思う。でも余裕を持ちすぎると『計画が甘い』って判断される。六時間半なら、第2層で二、三戦してまっすぐ帰る想定だ」

「矢は?」


 紅葉が短く聞いた。

 蒼真はノートの別ページを開く。矢数の欄には、何度も書き直した跡があった。


「最大二十四本。第1層で使いすぎない。ゴブリン相手は通常射で急所狙い。第2層に入る時点で最低十五本は残したい」

「十五本を切ったら?」

「そこで進行停止を検討する。ハイゴブリン戦で外す可能性もあるし、刺さった矢は戻らない。残り十本以下で奥には行かない」

「いいと思う」


 航が頷いた。


「矢数を帰還判断に入れるなら、俺たちも戦闘後に残数確認を待つ。急いで進まない」

「助かる。俺一人で数えてると、周囲を見るのが一瞬遅れる」

「そこは俺が見る」


 航の返事は短い。

 蒼真はその短さに、確かな安心を覚えた。


「……蒼真」


 航が腕組みを解いた。


「ちゃんと班長やってるな」

「だから、なんだよ急に」

「いや、褒めてる。六時間半、いけるだろ。俺たちなら」


 紅葉が指で地図の端をとん、と叩いた。


「じゃあ決まり。二週間で、六時間半を現実にする」

「うん。怪我なしで」


 真帆が言い、里奈が顎を引く。


「帰ってくるまでが試験、ですよね」

「ああ」


 蒼真は頷いた。

 会議スペースの窓から、夕陽が差し込んでいた。七月の陽はまだ高い。試験まで二週間。この六人でやれることを、やれるだけやる。

 蒼真は概略図を丁寧に畳んで鞄にしまった。指先に弦ダコが触れる。二ヶ月分の証。

 今日得た手応えは、ただ作戦が決まったことだけではない。里奈が自分で「止める」と言ったこと。真帆が回復の待機位置を考えてきたこと。紅葉が見えないものを見えたと言わないこと。悠斗と航が、前衛としての役割を自分の言葉で引き受けたこと。

 まだ届かない課題もある。ハイゴブリンの硬さ。矢の有限性。六時間半という時間の中で、どこまで行ってどこで引き返すか。実際の第2層では、地図通りに進む保証などない。

 それでも、止まってはいない。

 蒼真はノートの最後に、短く書き込んだ。


「第5班。六時間半。全員で戻る」


 その字を見たとたん、喉の奥がつまった。


「――よし。やることは決まった。あとは鍛えるだけだ」

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