第31話 六月の予感
五月も下旬に入ると、訓練場の空気が変わった。
初ダンジョン実習から一週間あまり。第5班の六人は放課後の屋内訓練場で連携訓練を重ねていた。紅葉が前方と後方を交互に索敵し、蒼真が射線を確保しながら的を射抜く。悠斗と航が前衛ローテーションを繰り返し、里奈が後方から《氷矢》のタイミングを合わせる。真帆は《光球》の位置取りと回復の優先順位を身体に叩き込んでいた。
蒼真はメンテナンスノートに書いた訓練メニューを一つずつ消化していく充実感の中にいた。連携の精度は日に日に上がっている。紅葉との索敵→射線の連携は実習以降さらに練度が増し、合図なしで動けるようになりつつある。
「蒼真、十五メートル右寄り二体!」
紅葉の声に弦を引き絞る。二秒で的を捉え、放つ。蒼い軌跡が訓練場の白い照明の下を裂いた。
「当たり」
「ナイス。次、左奥」
矢を番えながら身体の向きを変える。射線の切り替えが実習前より格段に速くなっている。左奥。二十メートル先に設置された的を、紅葉の声が消えないうちに射抜いた。蒼い光が直線を描いて闇に溶ける。
「連続! いい感じだね蒼真!」
「紅葉の索敵が速いからだ。合図が来る前にもう次が見えてる」
「へへ。あたしらの相性って実習の時から噛み合ってたもんね」
その横で悠斗と航が前衛交代のタイミングを詰めていた。航が右に抜けた瞬間に悠斗が左から突く。その逆も。ハイゴブリン戦で「十秒しか作れなかった」と航が自省した持久力の課題を、二人で交代することで補う形だ。
「航ッ、もう半歩早く抜けろ! 俺の槍が入る隙間が狭い!」
「お前が槍を寝かせすぎだ。上から突け」
「あー確かに。もう一回!」
息が上がっている。二人とも額に汗が光っていた。
後方では里奈が真帆の隣で杖を構えていた。前衛が左右に展開した隙間を狙い、《氷矢》を的に放つ。氷の矢が空気を裂いて的に着弾し、着弾点から白い霜が広がった。
「当たった」
里奈の声には、まだ自分自身に驚いているような色がある。でも指先の震えはない。杖を握り直す動作がスムーズだ。
「いいタイミングだったよ里奈ちゃん! 前衛が開けた瞬間に撃ってた」
真帆が横から親指を立てる。真帆自身は《光球》を蒼真の射線を邪魔しない位置まで移動させる練習を繰り返していた。光源の位置一つで射線が死ぬことを実習で学んだ蒼真が提案した課題だ。
「真帆、もう二メートル右。そこなら俺の視界に光が入らない」
「了解です! ……ここ?」
「いい。そこだ」
八十射を超えても集中は途切れない。弓道場で何千本と積み上げた基礎が、実戦のフィードバックを受けて加速していた。
蒼真はふと手を止めて、六人を見渡した。
悠斗と航が前衛の位置取りで言い合い、紅葉が索敵範囲の切り替えを口で確認し、里奈が杖を構え直し、真帆が光源を動かす。全員が動いている。全員が課題を持っている。
――いいチームだ。
思わず口元がゆるんだ。声には出さない。出したら、悠斗に一日中いじられる。
「蒼真が笑ってる。気持ち悪い」
「紅葉に言われたくない」
「なに!?」
出さなくてもバレた。
笑い声が訓練場に響いた。
◇
訓練を終え、汗を拭きながら六人で訓練場の出口に向かう。悠斗がスポーツドリンクを一気飲みし、航が眉をひそめて「もう少し上品に飲めないのか」とこぼした。紅葉が「ねー」と同意し、里奈と真帆が顔を見合わせて笑う。
1-1の教室前を通りかかったとき、掲示板に新しい貼り紙が増えていた。
「おっ、なんだなんだ」
悠斗が真っ先に駆け寄り、蒼真も隣に並んで覗き込んだ。
六月の行事予定表。その中段に、太い赤枠で囲われた一項目があった。
水泳授業の日程表だ。
「水泳授業、Sクラスと一組の合同」
航が淡々と読み上げた。
悠斗の目が見開かれ、次の瞬間、蒼真の肩を掴んだ。
「おい蒼真聞いたか今のッ! Sクラスと合同だぞ合同!!」
「聞こえてるよ声がでかい!」
「水泳だぞ水泳! 水着だぞ水着!!」
「分かってるから離せ!」
悠斗の興奮が伝染したのか、蒼真の声もつられて大きくなる。水泳授業そのものはダンジョンの水場対策として必修だと聞いていたし、蒼真自身も水は得意でも苦手でもない。問題はそこではなかった。
Sクラスと合同。
Sクラスには、天城凛がいる。
耳の後ろが、不意に火照った。
「あれ、蒼真お前なんで黙った」
「黙ってない」
「黙ってた。あと耳赤い」
「赤くない」
航が横目で蒼真を見て、何も言わずにペットボトルの水を飲んだ。その無言が何よりも雄弁で、蒼真は視線を逸らした。
「Sクラスと合同ってことは天城さんもいるんだよな!? あのッ、金髪の!」
「お前の声が廊下中に響いてるぞ」
「響いてなにが悪い! これは青春だ! 純粋な青春的関心だ!」
「どこが純粋だ」
航のツッコミに蒼真も声を出して笑った。笑いながら、心臓がいつもより少しだけ速く鳴っていることに気づかないふりをした。
紅葉が腕を組んで二人を見上げる。
「男子ってほんとバカだよね」
「紅葉さんがまともに見える」
「あたしはいつもまともだし!」
里奈が小さく肩を震わせて笑い、真帆が「水着、何にしようかな」と呟いた。
「各自自由選択って書いてあるね。最適装備を選ぶのも学習の一環、だって」
「真帆、一緒に買いに行こうよ! 里奈も!」
紅葉が里奈の腕を取る。里奈が一瞬戸惑い、それから小さく「……行く」と頷いた。真帆が「やったー!」と手を叩く。
六人の声が廊下に反響する。三人揃うとうるさいのは相変わらずだが、六人だとさらにうるさい。蒼真は掲示物をもう一度見上げた。
六月中旬。Sクラスと一組の合同水泳授業。
水場対策の授業だろ。真面目にやればいい。
そう自分に言い聞かせたが、入学式の日に見た金色の髪と碧い目が脳裏をよぎった。渡り廊下で見た後ろ姿。演武場の客席にいた横顔。
胸の奥が、弦を弾いた直後のように震えた。
◇
正門前で寮組と別れる。悠斗が「水着だぞ水着」とまだ言っていて、航が首根っこを掴んで引きずっていった。紅葉が「じゃーね!」と手を振り、里奈が小さく会釈し、真帆が両手を振る。
六人の背中が二手に分かれていく。蒼真は正門から立川駅方面へ向かい、サンサンロードを一人で歩く。
五月の夕暮れは長い。西の空がまだ明るく、街灯に混じってカフェのテラス席の灯りが通りを照らしていた。ダンジョン素材製のジャケットを着た女性探索者がノートPCに何かを打ち込んでいる。装備品のメンテナンスをしている男性探索者がビールを傾けている。サンサンロードの日常だ。
帰路の足取りは軽い。連携訓練の手応えが身体の中に残っている。里奈の《氷矢》が前衛の展開に合わせて飛ぶようになった。紅葉の索敵切り替えが後方にまで及ぶようになった。悠斗と航の前衛ローテーションが形になりつつある。
マンションに戻り、シャワーを浴びてからメンテナンスノートを開いた。今日の訓練記録を書き込む。紅葉との索敵→射線連携のタイムラグが0.5秒縮まったこと。里奈の《氷矢》の発動タイミングが前衛の動きと噛み合うようになってきたこと。真帆の《光球》の位置取りが蒼真の射線を邪魔しなくなったこと。
書きながら、つい鼻歌が出た。
六人で動くと、一人では見えなかったものが見える。射線の選択肢が増える。狙える角度が変わる。仲間の動きが矢の通り道を作ってくれる。
――もっと、速く。もっと、遠くまで。
ペンを置き、天井に向かって右手を伸ばした。弦を引く形。もう癖になっている。
六月が来る。
水泳授業が来る。Sクラスとの合同が来る。
水場対策の授業だ。真面目にやる。それだけだ。
それだけのはずなのに、天城凛の名前が頭から離れない自分に、蒼真は小さく息を吐いて笑った。
◇◆◇
TEA Underground Board ――匿名掲示板
一年の実習まとめ(匿名)
233:名無しの探索者
結局あの弓術士の班、いきなりハイゴブリン倒したってマジなの
234:名無しの探索者
マジ。第5班が第2層のハイゴブリン撃破。教官の報告書にも載ってるらしい
235:名無しの探索者
弓術士、意外とやるらしい
236:名無しの探索者
「意外と」ってまだ言ってんの。事実は事実だろ
237:名無しの探索者
とはいえ弓だけじゃないだろ。班全体の連携の話じゃね
238:名無しの探索者
班長として指揮してたのは弓の奴だぞ。殿も務めたって話
239:名無しの探索者
入学時は「弓とかwww」だったのにな。お前らはほんと掌返しが早い
240:名無しの探索者
返してねえよ。ただ結果が出てるのは認める
241:名無しの探索者
Sクラスの須藤にも勝ってんだよな。弓で
242:名無しの探索者
あれは須藤が油断しただけ定期
243:名無しの探索者
油断で負ける奴がSクラスにいるかよ。認めたくないだけだろ
244:名無しの探索者
前期実力試験が楽しみになってきたな。弓術士がどこまでやれるか
蒼真はこの掲示板の存在を知らない。
知らないまま、六月を迎えようとしていた。




