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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
入学編

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26/29

第26話 それぞれの夜

TEA Underground Board ――匿名掲示板


【速報】一年の実習でいきなり第2層突入した班がいるらしいwww


1:名無しの探索者学院生

 今日の一年生の初回ダンジョン実習、第2層に降りた班があるって噂流れてるんだが


2:名無しの探索者学院生

 マジ? 初回の実習範囲って第1層だけだろ


3:名無しの探索者学院生

 正確には班員がパニックで逃走→第2層に迷い込んだ→追いかけた、って流れらしい


4:名無しの探索者学院生

 パニック逃走ってヤバくね?


5:名無しの探索者学院生

 つかその班って弓の人がいるとこだろ


6:名無しの探索者学院生

 例の弓術士ね。須藤に勝ったやつ


7:名無しの探索者学院生

 第2層でハイゴブリンと戦ったとか聞いたんだが


8:名無しの探索者学院生

 嘘つけよ 一年の初実習で?


9:名無しの探索者学院生

 しかも倒したらしい


10:名無しの探索者学院生


>>9 ソースは?


11:名無しの探索者学院生

 医務室に行ったやつが全員揃って出てくるの見たって


12:名無しの探索者学院生

 全員無事なの? すごくね?


13:名無しの探索者学院生

 一人軽い怪我してたっぽいけど自分で歩いてた


14:名無しの探索者学院生

 あの弓術士が班長だったんだろ? 須藤戦もそうだけど実戦で結果出してんな


15:名無しの探索者学院生

 いや待て そもそもパニック逃走した班員がいるって時点で班の管理がダメだろ


16:名無しの探索者学院生

>>15 そりゃ初ダンジョンだし多少はね


17:名無しの探索者学院生

 結果論だけど全員帰ってきたのはデカい


18:名無しの探索者学院生

 弓術士、意外とやるのか……?


19:名無しの探索者学院生

「意外と」ってつけるの草

 須藤に勝って第2層のハイゴブリン倒して、どこが「意外と」なんだよ


20:名無しの探索者学院生

 いやでも弓だぞ……


21:名無しの探索者学院生

 でも結果は出てるよな


22:名無しの探索者学院生

 Sクラスの奴らより先に第2層の魔物と戦って勝ったのは事実


23:名無しの探索者学院生

 ↑それな。認めたくないけど事実は事実


24:名無しの探索者学院生

 まあ次の実力試験でハッキリするだろ。今回は結果オーライなだけかもしれんし


25:名無しの探索者学院生

 続報求む


       ◇◆◇


 立川市柴崎町。学院寮の廊下は、夜の九時を過ぎるとひどく静かになる。日中のダンジョン実習を終えた一年生たちが部屋に引き上げ、疲労で泥のように眠る時間帯だ。


 悠斗は自室のベッドに仰向けになり、天井を眺めていた。汗を流したシャワーの後で体はさっぱりしているが、頭の奥がまだ熱い。第2層の空気を吸い込んだ記憶が、肺の底にこびりついている。


 ――あいつ、すげえなやっぱ。


 蒼真のことだ。


 第2層の通路で、ハイゴブリンの右目を射抜いた一矢。岩の上に膝をついて、弦を引き絞って、放った。蒼い軌跡が暗い通路を裂いた瞬間は、須藤戦のときと同じだった。いや、須藤戦のときより、もっと凄みがあった。


 スマートフォンの画面が光る。航からのメッセージ。


『寝たか』


 悠斗は口角を上げた。いつもこれだ。


『まだ。お前は?』

『同じ。今日のこと考えてたら眠れん』


 航がこういうことを自分から言うのは珍しい。


『わかる』


 送信してから、悠斗はもう一文を打った。


『蒼真にメッセージ送ったか?』

『送ってない。明日でいい。今日はあいつも疲れてる』

『だよな』


 スマートフォンを枕元に置き、また天井を見上げる。


 小五のスタンピードのとき、体育館で震えてた母親のことを思い出す。


 あのとき自分は何もできなかった。声も出なかった。探索者が来て「大丈夫だ」と言って、母親の震えが止まった。


 今日、蒼真は里奈に「六人で帰るぞ」と言った。膝をついて、目を合わせて。あの声で里奈が顔を上げた。


 ――俺はまだ、あの一言が言えるかわかんねえけど。


 枕に顔を埋めて、悠斗は目を閉じた。

 明日の朝、蒼真の顔を見たら拳を合わせよう。それだけでいい。


       ◇◆◇


 隣室の航は、ベッドに腰掛けたまま剣の柄を握っていた。

 握って、離す。握って、離す。


 第2層のハイゴブリンとの戦闘を、身体が覚えている。《斬撃強化》を全開にして叩き込んだ袈裟斬り。硬い。あの皮膚は尋常ではなかった。蒼真の矢すら体表で止まった。


 ――あの硬さを正面から斬るには、まだ足りない。


 柄を握る力が強くなる。


 蒼真は後方から射線を通して一矢で仕留めた。班長として殿を判断し、通信で許可を取り、里奈の《氷矢(アイスボルト)》との連携まで組み立てた。初ダンジョンとは思えない判断力だった。


 航は自分がそこに追いついているかを冷静に測っている。前衛として十秒を作ったことは事実だ。だが十秒しか作れなかったとも言える。悠斗と二人がかりで、十秒。


 ――もっと長く持たせなきゃ、蒼真が射るまでの時間が足りなくなる。


 柄を離し、枕元のスマートフォンに目をやった。悠斗とのやりとりが画面に残っている。


 明日でいい。今日はあいつも疲れてる。


 自分で送った言葉を読み返して、航は小さく息を吐いた。


 明日の朝、教室で蒼真と顔を合わせたら「寝たか?」と聞くだろう。蒼真は「全然」と笑うだろう。悠斗が「おれもー」と割り込むだろう。三人揃ってうるさい日常が、また始まる。

 その日常が、今日は少しだけ尊く見えた。


       ◇◆◇


 同じ時刻。


 錦町のマンションではなく、三鷹の実家。

 中村里奈は学院寮ではなく実家のある三鷹に住んでいる。里奈の部屋は六畳一間。ありふれた少女の部屋だ。

 里奈はベッドの縁に座り、膝の上に杖を横たえていた。

 今日、この杖から《氷矢(アイスボルト)》を放った。第2層の通路で、ハイゴブリンの脚に。


 指先が杖に触れている。自分のものなのに、まだ馴染みきっていない道具。適性検査で「魔法使い」と判定されたとき、父も母も喜んだ。「すごいじゃないか」と父は言い、「きっと立派な探索者になれるわ」と母は言った。


 ――立派な探索者。


 里奈は唇を噛んだ。


 立派な探索者は、パニックで逃げたりしない。仲間を置いて走ったりしない。真帆が殴られたのを見て、杖も振れずに後ろを向いたりしない。


 医務室での謝罪を思い出す。全員の前で頭を下げた。声が震えていた。でも最後まで言い切った。


「逃げた。でも戻ってきた。脚を撃ったのは里奈だ」


 神代くんの声が、耳の奥に残っている。


「全員の失敗だ」


 彼はそう言った。でも里奈は知っている。全員の失敗ではない。後方警戒を怠ったのは確かに全員の問題だ。でも、あの瞬間に逃げたのは自分だけだ。紅葉は戻って戦った。真帆は肩を庇いながら立ち上がった。悠斗も航も、すぐに剣と槍を構えた。逃げたのは自分だけ。


 杖を握る手に力が入る。


 ――でも、戻った。


 あのとき。通路の奥から戦闘の音が聞こえて、紅葉が振り返って、真帆が「里奈ちゃん」と手を握って。


 逃げたい足が、止まった。

 止まって、向きが変わった。

 杖を構えて、《氷矢(アイスボルト)》を唱えて、ハイゴブリンの脚を撃った。


 ――撃てた。


 手のひらに、あのときの魔力の感触がまだ残っている。冷たくて、鋭くて、自分の中から出てきたものだという実感。


 神代くんが笑った。「ああ。撃ったな」と。


「次は正面から第2層に挑もう」と。


 ――次。


 里奈はベッドに仰向けになり、天井を見つめた。


 次がある。神代くんは「次」と言った。逃げた自分を切り捨てず、「次は六人で」と言った。

 真帆が手を握ってくれた。「戻ってきてくれた時すごく嬉しかった」と。

 紅葉が肩に手を回して歩いてくれた。

 悠斗が「おれも後ろ見てなかった」と自分の非を認めた。

 航が水のペットボトルを黙って差し出した。


 ――五人が、待っていてくれた。


 涙が一筋、こめかみを伝って枕に落ちた。

 里奈は手の甲で拭い、もう一度杖を握った。


「……次は、逃げない」


 声に出した。部屋には自分しかいない。でも声に出すことに意味があると思った。


 杖は冷たかった。氷の魔法の素養を持つ自分の手と、同じ温度だった。



       ◇◆◇



 錦町のマンション。


 シャワーを浴びた蒼真は、机に向かってメンテナンスノートを広げていた。

 ペンを持つ右手が、まだ僅かに震えている。真帆の《小回復(ライトヒール)》で治った指の裂傷は痛みこそないが、疲労は消えない。体全体が重い。頭の奥がぼんやりしている。


 それでも、今日のうちに書きたかった。


 後方警戒の改善案。紅葉の索敵を前方と後方で交互に切り替える運用。あるいは帰路では蒼真自身が後方警戒を主担当にする。弓術士は最後尾だ。振り返れば後方が見える。


 書く。


 矢の消費管理。矢は折れやすい。次のダンジョンまでに対策を考える。強度の高い矢の入手。あるいは射角と力加減で矢の破損を抑える技術の研究。持ち込む矢の増量。


 書く。


 第2層の魔物の硬さ。魔力を纏わせた矢でも体表で止まった。急所、目、喉、関節の隙間を狙う精度が必要。祖父の教え「鎧の隙間を射よ」。至近距離からの全力射は有効だったが、あの距離は本来弓術士が立つ距離ではない。遠距離から急所に通す方法を編み出す必要がある。


 書く。


 里奈の《氷矢(アイスボルト)》との連携。脚を鈍らせて動きを止め、その隙に射線を通す。火力としてだけでなく、拘束手段として機能する。真帆の《小回復(ライトヒール)》による前衛の持続力。紅葉の索敵精度。悠斗と航の前衛連携。


 六人の形が、ノートの上に浮かび上がる。


 蒼真はペンを止め、書いた文字を見下ろした。


 ――もっとうまくやれた。後方を見ていれば真帆は怪我をしなかった。里奈がパニックを起こす前に気づけたかもしれない。


 後藤の言葉が蘇る。

『お前の班員が死んでいたかもしれない』


 ――分かってる。だから書いてる。次は同じ失敗をしないために。


 ペンを再び走らせ、最後のページの隅にひとこと書き加えた。


「次は六人で、正面から第2層へ」


 読み返して、つい吹き出しそうになった。


 笑えるな、自分。叱られたばかりなのに。


 ノートを閉じ、椅子の背もたれに体を預ける。天井が目に入る。錦町のマンションの、何の変哲もない白い天井。


 スマートフォンを見ると、悠斗からも航からもメッセージは来ていなかった。それでいい。今日は全員疲れている。言いたいことは明日、顔を見て言えばいい。


 ――明日、教室で悠斗が拳を出してくるだろうな。


 想像して、少し笑った。

 ベッドに倒れ込む。全身が沈むように布団に吸い込まれていく。


 今日のすべてが、まぶたの裏で巻き戻される。第1層の薄暗い通路。蒼い軌跡。紅葉の手信号。悠斗の「っしゃあ!」。航の袈裟斬り。真帆の《光球(ライト)》。里奈の《氷矢(アイスボルト)》。ハイゴブリンの右目を射抜いた、あの一瞬。


 ――もう一回、潜りたい。


 あの時と同じ想いが、今日もう一度、蒼真の中で息を吹き返した。

 恐怖はある。あのハイゴブリンの圧は忘れない。後方から殴られた一撃のこと、里奈の悲鳴のこと、後藤の声のこと。

 でも、恐怖よりも先に来るものがある。


 ――六人で。


 目を閉じると、弦音が聞こえる気がした。遠く離れた実家の弓道場から、祖父が弦を弾く音が、ここまで届いている気がした。


「……おやすみ、爺ちゃん」


 ノートを閉じる音が、静かな部屋にぱたんと響いた。それで一日が畳まれた。

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