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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
入学編

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第24話 叱責

 職員室の扉をノックすると、「入れ」と素っ気ない声が返ってきた。


 放課後の職員室には他の教官の姿はなく、奥の窓際の席に後藤が一人で座っていた。いつもの紙コップコーヒーが机の上にあるが、今日はまだ手をつけていないようだった。


「失礼します。第5班班長、神代蒼真です。報告に――」

「座れ」


 後藤が顎で正面の椅子を示す。蒼真は背筋を伸ばしたまま椅子に座り、和弓は壁に立てかけた。


 後藤は蒼真を見た。くたびれたスーツ、曲がったネクタイ。いつもの昼行灯の外見だが、目だけが違った。


「まず、六名全員が帰還したことを報告します。小林真帆の左肩打撲は医務室で処置済みで問題ないとのことです」

「ああ。医務室からは報告を受けてる」

「はい」


 後藤がコーヒーに手を伸ばし、一口飲んだ。それからカップを置き、蒼真を真っ直ぐに見た。


「――報告の前に、一つ聞く」

「はい」

「俺がお前に言ったことを覚えているか」


 蒼真の背中に冷たいものが走った。


「『独断専行は絶対にするな』」

「それだけか」

「『お前の判断で班員を死なせるな。全員連れて帰れ』」


 後藤は頷いた。


「報告しろ。最初から全部」


       ◇


 蒼真はプレート回収後の帰路から語り始めた。


 帰路の通路で紅葉が前方にゴブリン二体を発見したこと。前衛が対処に出た間に後方からゴブリン二体に奇襲されたこと。後方警戒を誰も担当していなかったこと。


「鬼塚は前方の索敵に集中していました。後方を見るのは、俺を含めた後衛の仕事でした。それを怠っていました」


 後藤は何も言わない。蒼真は続けた。


 真帆が棍棒で左肩を打たれたこと。里奈がパニックに陥り逃走したこと。残る五人で帰路のゴブリンを撃破し、里奈を追ったこと。


「中村を追う判断は、後藤先生に魔導通信機で連絡して、許可を得てから行動しました」

「ああ。その通信は覚えている」

「中村は第2層降り口から階段を降りていました。再度通信して、許可を――」

「得たな。覚えている」


 後藤の声は平坦だった。


 第2層で里奈を発見したこと。撤退しようとしたところでハイゴブリン一体と通常ゴブリン二体に遭遇したこと。紅葉・真帆・里奈を先行させ、悠斗・航と殿を務めたこと。


「通常のゴブリン二体は処理できました。ハイゴブリンは、第1層のゴブリンとは硬さが全然違って、矢が体表で止まりました。通信で交戦を報告しました」

「『何分持つ』と聞いた」

「はい。『分かりません』と答えました」

「正直な答えだったな」


 蒼真は一瞬言葉に詰まった。後藤の声に非難は感じられなかった。


 里奈が戻って《氷矢(アイスボルト)》でハイゴブリンの脚を鈍らせたこと。至近距離から右目を射抜いたこと。悠斗と航の追撃で撃破したこと。


「以上です」


 後藤はコーヒーを啜った。

 長い沈黙が落ちた。


       ◇


「後方警戒」


 後藤が口を開いた。


「お前の班の構成は前方寄りだった。斥候が一人で先行索敵。前衛が二人。後衛が三人。最後尾のお前が事実上の後方警戒だったはずだが」

「はい。それを、自覚していませんでした」

「自覚していなかった」


 後藤が繰り返す。その声に初めて鋭さが混じった。


「プレート回収というミッションを済ませて帰路についた。達成感があった。全員の意識が『終わった』に傾いていた。そうだろう?」


 蒼真は否定できなかった。


「はい」

「お前は弓術士だ。最後尾から全体を見渡す位置にいた。前衛が前に出た時、お前の周囲には中村と小林しかいなかった。後ろを振り向いていれば奇襲は防げた。少なくとも矢を番えて構える時間はあった」

「はい」


 蒼真の手が膝の上で握り締められた。分かっている。分かっていたから、医務室で里奈に「俺の判断ミスだ」と言った。


「帰路で気を抜くな。ダンジョンの中に安全な場所はない。これは俺が一番最初の講習で言ったはずだ」

「はい。言われました」


 後藤が蒼真を見据える。


「お前は班長だ。班の目と耳はお前の指示で動く。鬼塚の索敵範囲を前方に固定したまま帰路についたのは、お前の判断だ。結果として後方が空いた。小林が殴られた。中村が逃げた」


 一つ一つの事実が、釘のように刺さる。蒼真は背筋を伸ばしたまま受けた。


「はい」

「お前の班員が死んでいたかもしれない」


 その一言が、蒼真の呼吸を止めた。


 後藤の目は昼行灯のそれではなかった。蒼真がこれまで僅かにしか見たことのない、元探索者としての実戦を知る人間の目だった。


「第2層のハイゴブリンは、本来初回の探索で倒せる相手じゃない。お前たちが勝てたのは中村の《氷矢(アイスボルト)》とお前の一矢が噛み合ったからだ。噛み合わなかったらどうなっていたか。分かるな」

「はい」


 声が掠れた。分かっている。あの一矢が外れていたら。里奈が戻ってこなかったら。悠斗と航が持ちこたえられなかったら。


 いくつもの「もしも」が、蒼真の背中を這い上がる。


 後藤は数秒の沈黙の後、コーヒーを置いた。


       ◇


「――ここまでが叱責だ」


 蒼真が顔を上げた。

 後藤の目が、僅かに柔らかくなっていた。


「ここからは評価をする」

「……評価?」

「お前は中村が逃走した時、真っ先に俺に通信した。独断で追わなかった。第2層に降りる判断も、交戦の報告も、全て通信を入れてからだった」


 後藤が指を立てる。


「独断専行をするな、と言った。お前はそれを守った。パニックの中で通信を入れるのは簡単なことじゃない。それができたのは、お前の判断力がまともだったということだ」


 蒼真は何か言おうとしたが、声が出なかった。


「殿を引き受けた判断も間違っていない。鬼塚・中村・小林を先行させ、前衛二人と最後尾のお前で殿。班構成から考えれば妥当だ」


 後藤がコーヒーに手を伸ばし、一口飲んでからぼそりと言った。


「減点を山ほどつけた上で言うが、お前のやったことは、そう悪くない」


 蒼真の鼻の奥がつんと痛んだ。


「後方警戒を怠ったのは事実だ。それは二度とやるな。次に同じミスをしたら、その時は班員が死ぬかもしれない。いいな」

「はい」

「中村のことは、お前がどうこうできる問題じゃない。あの子は自分で乗り越えるしかない。ただし、班長として見守れ。追い詰めるな。かといって腫れ物にするな」

「はい」

「よし」


 後藤がコーヒーを飲み干し、紙コップを握り潰した。


「報告書は明日でいい。今日はもう帰れ。飯食って寝ろ」


 蒼真は立ち上がり、和弓を握った。一礼して扉に向かう。


「神代」


 振り返ると、後藤はもう机に向かっていた。背中を見せたまま、ぼそりと言った。


「六人で帰ってきた。――それが一番大事だ」


 蒼真の目が熱くなった。唇を噛み、深く頭を下げた。


「ありがとうございました」


       ◇


 職員室を出て、廊下を歩く。

 窓の外は夕暮れ前の光に変わっていた。グラウンドでは別のクラスが基礎訓練をしている声が遠くに聞こえる。

 蒼真は歩きながら、右手を見た。指の傷は《小回復(ライトヒール)》で塞がっているが、赤みが僅かに残っている。この手でハイゴブリンの右目を射抜いた。


 後方警戒を怠った。真帆が殴られた。里奈が逃げた。


 全部、自分の責任だ。後藤先生にそう言われて、否定できなかった。否定する気もなかった。


 ――でも、六人で帰ってきた。


 蒼真はポケットに手を突っ込んで歩いた。

 後藤の最後の一言が胸の中で反響している。六人で帰ってきた。それが一番大事だ。

 嬉しいのか、悔しいのか、よく分からない。多分、両方だ。


 次は後方警戒を怠らない。紅葉の索敵範囲を前後に分ける運用を考える。帰路でも気を抜かない隊列を組む。


 メンテナンスノートに書くべきことが、頭の中で次々と浮かぶ。

 蒼真は足を止め、空を見上げた。五月の空はまだ明るく、雲一つなかった。


「――次だ」


 声に出した。

 叱られた。認めてもらえた。次がある。

 それだけで、足が前に出る。


 蒼真は小さく笑って、正門に向かって歩き出した。今日は帰ったらノートに今日の反省を全部書き出す。後方警戒の問題、矢の消費管理、第2層の魔物の硬さ、里奈の《氷矢(アイスボルト)》との連携の可能性。


 書くことが山ほどある。


 ――悪くない一日だった。


 最悪になりかけた一日が、六人で帰れたという事実一つで、悪くない一日になる。

 探索者を目指すというのは、きっとそういうことなのだ。


 蒼真は正門をくぐり、五月の風を胸いっぱいに吸い込んだ。

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