第21話 殿
通路の奥から足音が近づいてくる。
蒼真は弓を握ったまま、背後を振り返った。紅葉が里奈の腕を引き、真帆がその後ろに続いている。三人の背中は薄闇の中で《光球》の残光に淡く照らされていた。
「紅葉、先に行け。真帆と里奈を連れて第1層まで戻れ」
「分かった! 任せて!」
紅葉が一度だけ振り返り、拳を握って見せた。それから三人は通路の先に消えていった。
班を分けるなという後藤の声が頭をよぎった。だが、あのまま六人で下がれば、負傷した真帆と震えている里奈が真っ先に追いつかれただろう。
足音が増えている。壁を伝う振動が三つ。紅葉の報告通り、大きいのが一つと通常サイズが二つ。距離は七十メートルを切った。
「蒼真」
悠斗が槍を構え直す。穂先に蒼白い光が灯り、第2層の暗がりに鈍く反射した。
「来るぞ」
航が長剣を抜いた。刀身に魔力が走り、薄い残光が滲む。
蒼真は矢筒に手を伸ばした。残りの矢を指先で数える。第1層での戦闘で何本か傷んでいる。使えるのは、四本。
右太腿のナイフケースに触れた。ナイフは五本。触媒仕込み済み。
――やれる。
「悠斗、航。通路の幅は三メートルくらいだ。二人で前衛を張って、通常サイズを先に潰してくれ。大型は俺が弓で削る」
「おう」
「了解」
通路の曲がり角から、ゴブリンが姿を現した。
先頭は通常サイズ。体高一メートル、粗雑な棍棒、殺意に歪んだ顔。第1層で何度も見た姿だ。その後ろにもう一体。二体が通路幅いっぱいに広がり、こちらに向かって駆けてくる。
そしてその奥に。
大きい。
蒼真の目が見開かれた。第1層のゴブリンとは明らかに別物だ。体高百五十センチ。膨れ上がった筋肉が薄闇の中でうねり、手にした棍棒は通常種の倍ほどもある。そして、額に角があった。
第1層のゴブリンに角なんてなかったぞ。
蒼真は矢を番え、弦を引いた。魔力を纏わせる。蒼い光が灯った。
先頭の通常ゴブリンの額を射抜いた。蒼い軌跡が闇を裂く。ゴブリンが崩れ落ち、粒子化が始まる。
「もらった!」
悠斗が《脚力強化》で踏み込み、二体目のゴブリンを槍で貫いた。蒼白い光が散る。航が横から斬撃を加え、とどめ。二体が粒子化し、光の粒が三人の体に吸い込まれていく。
だが、大型が来る。
通路の奥から、地面を踏みしめる振動が伝わってきた。一歩ごとに壁が軋む。
「でけえ」
悠斗が息を呑んだ。
大型が通路の曲がり角を回って全身を現した。天井に迫る体高。筋肉の隆起が壁に触れそうなほどだ。額の角が薄闇の中で鈍く光っている。
――こいつが第2層の魔物か。
蒼真は二本目の矢を番え、弦を引き絞った。魔力を全力で纏わせる。蒼い光が弦の周りで揺れた。
放った。
矢が大型の胸に突き立つ。だが、表層で止まった。筋肉の壁を貫けない。
「浅い!」
蒼真の声が漏れた。第1層のゴブリンなら一撃で貫通する矢が、こいつには効かない。
「行くぞ!」
悠斗が槍を構えて突進した。《脚力強化》の踏み込みから全力の突き。穂先が大型の腿に刺さるが、これも浅い。
大型が棍棒を横薙ぎに振った。悠斗が跳び退る。棍棒が壁を抉り、岩の破片が飛び散った。
航が逆側から斬り込んだ。《斬撃強化》を乗せた横薙ぎが脇腹に入る。大型が一歩よろめいた。しかし振り返りざまの裏拳が航を弾き飛ばし、壁に叩きつけた。
「航!」
「大丈夫だ。折れてない」
航が壁から剥がれるように立ち上がった。腕が痺れている。剣は手放していない。
蒼真は魔導通信機を握った。
「後藤先生、第5班の神代です。第2層で大型の魔物と遭遇。通路で交戦中です」
ノイズ。数秒の沈黙。
『何分持つ』
「分かりません」
『持たせろ。全力で向かってる』
通信が切れた。
蒼真は矢を引き抜いた。残り二本。これで仕留められなければ。
右太腿からナイフを一本引き抜き、左手に握った。
悠斗と航が交互に大型を攻撃している。槍が突き、剣が斬り、棍棒が振り回される。二人の攻撃は浅い。だが大型の注意は前衛二人に向いている。
蒼真は壁沿いに回り込み、大型の側面に出た。距離は五メートル。
ナイフを投じた。
銀の軌跡が暗闇を裂く。大型の顔面、右目を狙った。だが大型は棍棒を振った勢いで首が動いた。ナイフは頬を掠め、壁に跳ねた。
外した。
歯を食いしばった。だが弓はまだある。矢は残っている。
――次で、仕留める。
大型が咆哮した。蒼真を認識した。棍棒を振りかぶり、蒼真に向かって踏み出す。
「こっちだ!」
悠斗が背後から槍を突き、注意を引き戻す。大型が振り返り、悠斗に棍棒を叩きつける。悠斗は跳び退ったが、棍棒の風圧で壁に押し付けられた。
航が膝裏を斬りつけた。大型がよろめく。
今しかない。だが五メートルでは表層で止まる。もっと近く。もっと。
通路の奥から足音が聞こえた。
蒼真が身構える。敵か。
「神代さん!」
真帆の声だった。紅葉と里奈を連れて戻ってきている。
「戻るなって言った」
「里奈が!」
紅葉が叫んだ。
里奈が紅葉の腕を振り解き、通路の中央に立った。杖を両手で握りしめている。顔は青白い。唇が震えている。
だが、目は、前を向いていた。
「今度は――逃げない」
里奈の声が通路に響いた。小さかった。震えていた。だが、止まらなかった。
杖の先端に魔力が収束する。淡い蒼白い光が渦を巻く。
「《氷矢》!」
氷の矢が射出された。蒼白い軌跡を引いて闇を裂き、大型の右脚に突き刺さった。
大型がよろめいた。脚が一瞬硬直する。氷が筋肉の表面を覆い、動きが鈍った。
――今だ。
蒼真は走った。壁沿いを駆け、大型の正面に回り込む。三メートル。二メートル。
祖父の声が蘇る。
――鎧の隙間を射よ。
矢を番え、弦を限界まで引き絞る。腕が震える。魔力を全力で纏わせた。弦の周りで蒼い光が爆ぜる。
大型が脚の氷を砕き、こちらを向いた。額の角が蒼真の頭上に迫る。棍棒が振り上げられる。
目が合った。
――ここだ。
蒼真は弦を放った。
蒼い軌跡が、至近距離で大型の右目を射抜いた。
絶叫が通路を震わせた。大型が両手で顔を押さえ、棍棒を取り落とした。膝をつく。
「今だッ!」
悠斗の《脚力強化》が爆発した。全力の突き。蒼白い光を纏った槍穂が、大型の喉元を貫いた。
航が反対側から走り込む。《斬撃強化》の袈裟斬りが首筋を断った。
大型が崩れ落ちた。
粒子化が始まった。光の粒が大型の巨体から立ち昇り、六人の体に吸い込まれていく。第1層のゴブリンとは比べものにならない密度だった。体の芯まで沈み込むような充足感。
膝から力が抜けた。
蒼真は壁に背をつけ、ずるずると座り込んだ。
「……さすがに第2層の魔物は、きつかった」
悠斗が槍を杖にして膝をつき、肩で息をしていた。
「っしゃあ! ……っしゃあ……」
声が掠れている。
航が壁にもたれ、剣を鞘に戻した。
「第1層のゴブリンとは全然違う。これが層が変わるってことか」
床に、淡い光を放つ結晶が転がっていた。第1層のゴブリンから出たものより大きい。親指の第一関節ほどの、深い藍色。
蒼真は立ち上がり、里奈の方を見た。
里奈は杖を握りしめたまま立っていた。膝が震えている。目が潤んでいる。だが、立っている。逃げていない。
「……ごめんなさい。でも、今度は、撃てた」
蒼真は笑った。
「ああ。撃ったな」
里奈の唇が震えた。泣きそうな顔で、それでも笑った。
真帆が里奈の隣に駆け寄り、背中に手を置いた。紅葉が「やったじゃん、里奈!」と声を上げた。
蒼真は天井を仰いだ。第2層の暗い天井。魔素が濃い空気が肺に染みる。
――六人で、倒した。
「帰るぞ。全員で」
六人が動き始めた。第2層降り口へ向かって。




