第16話 潜入
ダンジョンの入口は、巨大な洞窟だった。
学院の敷地から北へ歩き、探索者協会の建物を抜け、自衛隊駐屯地のフェンス沿いを進む。旧国営昭和記念公園の跡地。その中心部に、立川ダンジョンの入口がぽっかりと口を開けていた。
高さ十メートル、幅十五メートルほどの岩の裂け目。周囲には探索者協会の管理施設が建ち並び、武装した探索者たちが出入りしている。一年生の集団が近づくと、受付の職員が書類を確認し、入場ゲートを開けた。
「でかいな」
蒼真は入口を見上げて呟いた。
天恵熱の時に入った地元のダンジョン入口とは、規模が違った。あの時は案内されるまま入口に一歩踏み入れただけだ。適性が発現して、すぐに引き返した。戦闘はなく、中を見る余裕もなかった。
今日は違う。武器を持って、仲間を率いて、中に入る。
心臓が速い。手のひらが熱い。怖いか。
いや。
――楽しみだ。
「真帆」
「はいっ」
「中に入ったら《光球》を頼む」
「任せてください!」
蒼真は第5班の先頭に立ち、入口へ踏み込んだ。
◇
一歩。
空気が変わった。
外の五月の風が遮断され、肌に纏わりつくような重い空気に包まれる。魔素だ。先日の探索者概論で後藤が説明した、ダンジョン内に充満する粒子。肉眼では見えないが、全身で感じる。肌の表面をざらりと撫でるような、目に見えない粒が体を通り抜けていく感覚。
天恵熱の時に一瞬だけ感じたあの感覚。それが今、全身を覆っている。
「濃いな」
蒼真は息を吐いた。入口付近でこれだ。奥に進めばもっと濃くなる。
「真帆」
「《光球》!」
真帆が右手を掲げると、掌の上に柔らかな白い光の玉が浮かび上がった。直径二十センチほど。暖かみのある光が洞窟の壁を照らし、六人の周囲五メートルほどを視認可能にした。
「おお」
悠斗が声を漏らした。光球の光を受けて、洞窟の壁面がぼんやりと浮かび上がる。灰褐色の岩肌、ところどころに苔のようなものが生えている。天井は高く、声が微かに反響する。
「紅葉」
「分かってる」
紅葉が目を細めた。否、《視力強化》を発動したのだ。瞳に微かな光が灯り、暗闇の奥を見通す目が起動する。
「前方三十メートルまで確認。魔物の気配はない。道は二手に分かれる。右が東側区画、マップ通り」
「了解。右に進む。紅葉は十メートル先行。何か見えたら即座に報告。声が出せない状況なら手信号」
「了解」
紅葉が音もなく前に出た。黒髪のショートカットが光球の光の中に浮かび、すぐに暗がりに溶けていく。斥候の動きだった。足音がほとんどしない。
「……うちの斥候、優秀だな」
航が小声で言った。蒼真も同感だった。
「悠斗、航、前衛を頼む。俺は真帆と里奈の後ろにつく。射線が通ったら声をかける」
「おう」
「了解」
六人が隊列を組んで進み始めた。
先頭に紅葉が十メートル先行。その後ろに前衛の悠斗と航が並ぶ。中衛に里奈と真帆。最後尾に蒼真。
弓術士の位置は最後尾だ。全体を見渡し、射線を確保するために。
◇
第1層の東側区画に入って五分。
紅葉が立ち止まった。右手を上げる。止まれ、の手信号。
全員が足を止めた。蒼真は矢筒から矢を一本引き抜き、弦に番えた。まだ引き絞らない。
紅葉が振り返り、指を二本立てた。敵、二体。
蒼真は頷き、小声で指示を出した。
「悠斗、航、前に出ろ。紅葉は下がって右側面。里奈、射線が通ったら撃て。真帆はその場で待機」
全員が動いた。悠斗が槍を構え、航が長剣を抜く。
暗がりの奥から、二つの影が現れた。
ゴブリン。
緑色の肌。角なし。体高一メートル程度。手に粗雑な棍棒を握っている。小さな目が光球の光を反射して、ぎらりと光った。
――これが、魔物。
蒼真の心臓が一際強く打った。授業で映像は見た。データも学んだ。だが、生きて動いている魔物を目の前にするのは初めてだった。
獣のような臭い。低い唸り声。小さな体躯に似合わない、殺意のこもった目。
怖い、か。
蒼真は弦を引いた。答えは、矢を放てば分かる。
――いいや。最高だ。
ゴブリンが棍棒を振りかぶり、悠斗に突進してきた。
「来た!」
悠斗が《脚力強化》を発動し、半歩踏み込んで槍を突き出した。穂先が魔力を纏い、蒼白い光を引きながらゴブリンの胸を貫く。
ゴブリンが絶叫した。棍棒を振り回すが、悠斗は槍のリーチで距離を保ちながら穂先を引き抜く。ゴブリンがよろめいた。
もう一体が航に向かった。航が長剣を構え、《斬撃強化》を乗せた横薙ぎ。鈍い音とともにゴブリンが吹き飛ぶ。壁に叩きつけられ、動かなくなった。
悠斗の方のゴブリンが体勢を立て直そうとする。
その瞬間、蒼真は弦を引き絞った。
魔力が矢に流れ込む。矢の先端から蒼い光が灯る。弦を引く腕に、弓道場で数千回繰り返した感触が蘇る。
射線、通った。
放つ。
蒼い軌跡が闇を裂いた。
矢はゴブリンの額を正確に射抜き、背後の壁に縫い止めた。ゴブリンの体が一瞬硬直し、粒子状に崩壊し始めた。
「――っ!」
蒼真は自分の手を見た。指先が微かに震えている。だが、それは恐怖からではなかった。
興奮だ。
魔力を纏った矢が魔物を射抜いた。蒼い軌跡が闇に尾を引いた。弓道場で放った何千本もの矢が、今この瞬間、報われた。
航の方のゴブリンも粒子化していた。崩れた魔物の体が光の粒となり、戦闘に参加した六人の体に吸い込まれていく。経験値の吸収。授業で習った仕組みだ。魔力の粒子が全身を駆け巡り、ほんの微かに、体が軽くなったような感覚がある。
「やった」
真帆が小さく呟いた。
「……やったな」
悠斗が槍を下ろし、額の汗を拭った。
航は長剣の血、いや、ゴブリンはもう粒子化している。航は刀身を確認し、静かに鞘に収めた。
紅葉が右側面から戻ってきた。表情は変わらないが、僅かに肩の力が抜けている。
里奈は、動けなかった。
後衛の位置で、杖を構えたまま固まっている。《氷矢》を撃てなかった。唇が白い。指先が震えている。
蒼真はそれを見て、声をかけた。
「里奈」
里奈がびくりと顔を上げた。
「初戦だ。誰だって固まる。次に撃てればいい」
蒼真の声に、責める色はなかった。里奈の目が潤んだが、唇を噛んで頷いた。
「次は、撃ちます」
「ああ。頼むぞ」
蒼真は矢筒を確認した。矢は残り九本。スローイングナイフ五本は温存。煙幕も手つかず。
マップを取り出し、現在地を確認する。しるし設置地点まであと数百メートル。
「このまま進む。紅葉、先行を続けてくれ」
「了解」
紅葉が再び前に出た。
蒼真は最後尾に戻りながら、弓を握る手に力を込めた。
蒼い軌跡が、まだ目の奥に残っている。
これがダンジョンか。魔素の濃い空気が、肺の奥までずしりと沈んだ。




