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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第六章 Sクラスの弓術士編

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第130話 火と矢の間

 翌日の放課後、訓練場の空気は草原の記憶をまだ指先に残しているようだった。

 ここは学院の屋内訓練場だ。床は魔導素材の板で、壁際には標的用の魔導人形が並び、天井の照明は第4層の太陽らしき光とは違う。風もない。

 それでも神代蒼真の指先には、昨日の第4層で踏んだ草の感触が残っていた。狼の低い走り。コボルトが左右へ散る動き。重藤弓を引き分ける間に、一拍だけ世界から置いていかれる感覚。

 真田から出された宿題は短かった。

 撃つ一本と、撃たない一本の判断を早くしろ。

 その言葉をメンテナンスノートに書いた上で、今日の放課後に後衛連携レーンを取った。


「それで、どうして私まで呼ばれるの」


 隣で天城凛が杖を肩に軽く当てながら言った。


「第4層で、天城の火が敵の進路を狭めた。あれに合わせれば、重藤弓でも撃てる場面を増やせると思った」

「昨日も合わせていたでしょ」

「まだ足りない。俺が撃ってから天城が火を置く時と、天城が撃った後に俺が撃つ時で、射線がぶつかる」


 凛は一瞬、黙った。

 その沈黙が、図星を突かれた時のものだと蒼真にも分かるようになってきた。


「……火は広がるのよ。矢みたいに細くない」

「分かってる。だから、火の外側を使いたい」

「簡単に言うわね」

「簡単じゃないから、練習する」


 凛の眉が動いた。

 言い返すと思っていたのに、蒼真がそのまま受け止めたからだろう。昨日の草原で、凛に言われた「呼吸が一つ増えている」という指摘が、まだ胸に残っている。


「二人とも、始める前から火花散らさないでね」


 白瀬ほのかが、少し離れた場所で笑った。杖の先にはまだ白い魔力が灯っていない。今日は攻撃でも回復でもなく、外から見る役を買って出てくれている。


「散らしてないわ」

「今のはちょっと散ってたよ、凛ちゃん」

「ほのか」

「はい。見ます」


 訓練レーンの奥で、三体の魔導人形が起動する。狼型ではなく、細い脚を持つ小型の魔導人形だ。左右への回避と低い姿勢を再現する設定にしてある。昨日の第4層の敵ほど速くはないが、射線を外す動きは似せられていた。

 蒼真は重藤弓を構え、矢を番える。

 右肩から背中に、張力が重く乗った。訓練場の明るい空気の中でも、重藤弓は草原と同じだけ重い。


「最初は俺が先に撃つ。天城は、抜けた一体を火で止めてくれ」

「了解」


 凛の短い返事と同時に、魔導人形が走り出した。

 蒼真は中央の一体へ狙いを置く。引き分け。胸の前から、弦が少しずつ離れていく。狙いが整うまでの一拍。その間に、右の人形が外へ逃げた。


「急所」


 真田に言われた通り、短く告げて離す。

 蒼い軌跡が中央の人形の頭部を貫き、魔導人形の輪郭が赤く点滅した。撃破判定。だが、その直後、凛の《炎槍(フレイムランス)》が右の人形へ一直線に伸びた。

 細く鋭い炎が、矢の射線とほとんど同じ高さを走る。

 蒼真は二射目を番えようとして、手を止めた。炎の残光が揺れ、標的の輪郭が一瞬だけ歪む。そこへ無理に撃てば、当てられない。


「無理」


 言葉を置く。

 右の人形は《炎槍(フレイムランス)》に胴を撃たれて止まったが、左の一体がその間に抜けた。ほのかの足元近くに判定用の赤い線が走り、訓練場の端で警告音が鳴る。


「一体通過。今の、火力は足りてたけど、二人の攻撃が同じ線に重なったかも」


 ほのかが穏やかに言った。

 凛の《炎槍(フレイムランス)》は、通ればそれだけで止められる。だからこそ、蒼真の矢と同じ中心を奪い合った。


「私が悪いの?」

「悪いって話じゃないよ。凛ちゃんの《炎槍(フレイムランス)》は真っ直ぐ強いから、神代くんの矢と見たい場所が似てるんだと思う」

「同じところを見すぎ、か」


 蒼真が呟くと、ほのかは嬉しそうに頷いた。


「うん。二人とも、倒したい敵の中心を見てる。だから強いんだけど、同じ敵を同じ角度で倒しに行くと、片方が余るんじゃないかな」

「余るって、私の火が余計みたいに言わないで」

「違う違う。凛ちゃんの火が強いから、そこに神代くんの矢まで重ねるともったいないってこと」


 凛は視線を逸らした。

 褒められた時の凛は、怒るより先に困る。蒼真はそれを見て、重藤弓の握りを握り直した。


 蒼真は一度、訓練レーンの奥を見た。

 凛の火は、ただ敵を動かすための道具ではない。正面から当たれば、魔導人形の判定を一撃で赤く染めるだけの火力がある。第4層でも、コボルトを焼き切った。

 だからこそ、全部を火に任せればいい、ではない。

 凛が倒し切る火を撃つ場面と、蒼真が矢を置くために火の外側を使う場面。その二つを分けられなければ、強い火も強い矢も互いの邪魔になる。


「凛ちゃんの火力を弱く使う練習じゃなくて、強い火を無駄にしない練習だね」


 ほのかが横から言う。

 凛はまた視線を逸らした。


「……そういうことなら、まだ分かるわ」

「じゃあ、次は天城が先に撃つ。俺は火から逃げる側を狙う」

「私が動かして、あなたが撃つってこと?」

「そうだ」

「私が撃った後に合わせなさい。炎の外側が一瞬だけ空くから、そこに入れればいい」

「合わせるだけじゃなくて、先に置く」


 凛の碧い目が、蒼真へ向いた。


「先に?」

「天城の火が来たら、魔導人形は火を避ける。避ける先は、たぶん火の弱い方だ。そこに、俺が先に狙いを置く」

「外したら?」

「外れる」

「開き直らないで」

「でも、見てから引いたら間に合わない。重藤弓は遅い。だったら、来る場所に置くしかない」


 凛は黙って蒼真を見た。

 昨日の草原で言われたことを、そのまま別の形にしている。迷う時間を削る。撃つと決める前に、撃つ場所を決めておく。


「……分かったわ。外しても、文句は言わない」

「珍しいな」

「練習で文句を言っても仕方ないでしょ。本番で外したら言うわ」

「結局言うのか」

「当然」


 ほのかが「二人とも、今の会話ちょっと息合ってたね」と小さく言った。

 凛は聞こえないふりをした。蒼真も、聞こえなかったことにした。

 次の起動音が鳴る。

 三体の魔導人形が、今度は最初から左右へ散る設定で走り出した。凛が杖を前へ出す。杖先に火の魔力が収束し、空気が揺れた。


「《炎槍(フレイムランス)》」


 炎の槍が、正面左へ走る。

 魔導人形は炎を嫌うように右へ逸れた。蒼真はその動きそのものを見る前に、右側の空いた線へ矢を置いていた。


「足止め」


 急所ではない。だが、脚なら止められる。

 離れ。

 蒼い軌跡が炎の残光の外側を通り、右へ逃げた魔導人形の膝関節を撃ち抜いた。撃破ではない。けれど、人形の姿勢が崩れ、後続の一体が進路を詰まらせる。


「いい」


 凛の声が短く飛んだ。

 続けて彼女の《火球(ファイアボール)》が、詰まった二体の足元に落ちる。爆ぜた火が床を赤く照らし、二体の動きを止めた。

 蒼真は二射目を番える。遅い。重い。それでも、止まっている敵なら間に合う。


「急所」


 引き分け、狙う。

 矢は一拍遅れて、片方の胸部を貫いた。撃破判定。残った一体は凛の二発目の《炎槍(フレイムランス)》で赤く点滅し、訓練レーンに終了音が響いた。

 蒼真は息を吐く。

 矢は二本。撃破は一体と足止め一体。昨日の戦闘より、判断が早かった。


「今の、最初の矢は倒す矢じゃなかったね」


 ほのかが近づきながら言う。


「ああ。足を止める矢にした」

「急所を狙えないから撃たない、じゃなくて、急所を狙わない矢に変えたんだ」

「真田に言われた三つのうちの一つだ。急所、足止め、無理」

「うん。分かりやすい。私も盾を置く時、何を守ればいいか早く分かるかも」


 ほのかはそう言ってから、凛の方を見る。


「凛ちゃんも、今の火、神代くんの矢を待ってたよね」

「待ってないわ。詰まったから撃っただけ」

「詰まるのを待ってたんじゃないの?」

「ほのか」

「はい。黙ります」


 凛は軽く息を吐き、蒼真へ向き直る。


「今のは、悪くなかった」

「前にも聞いたな、それ」

「悪くないものは悪くないと言うわ」

「じゃあ、良い時は?」

「調子に乗るから言わない」

「厳しいな」

「あなた、言わなくても勝手に反省するでしょ。褒めるより、足りないところを言った方が伸びるわ」


 蒼真は思わず苦笑した。

 確かに、自分は反省する。良かった部分より、届かなかった部分を先にノートへ書く。凛はそれをもう知っている。


「でも、今の一本は覚えておく」


 蒼真が言うと、凛の表情がわずかに緩んだ。


「覚えるだけじゃなくて、次もやりなさい」

「やる」


 短く返して、蒼真は次の矢を抜いた。

 その後も、訓練は続いた。

 凛が《火球(ファイアボール)》で面を作れば、蒼真は火の弱い端へ矢を置く。凛が《炎槍(フレイムランス)》で一本の線を貫けば、その線から逃げる敵の膝を狙う。蒼真が先に足止めを宣言した時は、凛が倒し切る火を重ねた。

 凛が最初から撃破を選ぶ回もあった。《火球(ファイアボール)》が魔導人形の胴を直撃し、蒼真が矢を番える前に赤い撃破判定が灯る。火力職としての凛の一撃は、やはり速く、強い。蒼真はそこで無理に矢を重ねず、次に逃げる一体へ狙いを移した。

 失敗もあった。先置きが早すぎて魔導人形が別方向へ逃げ、炎の揺らぎで蒼真が狙いを捨てたこともある。そのたびに、蒼真は「無理」と短く告げ、凛は次の火の角度を変えた。

 ほのかは外から見て、二人の間に言葉を置いた。


「今のは、凛ちゃんが左に寄せたら、神代くんの射線が残るかも」

「神代くん、先に置く時、肩が早く固まってる。焦ってる時だけ」

「二人とも、倒した後に次を見てるのは早いんだけど、同じ次を見てる時があるね」


 柔らかい声なのに、指摘は鋭い。

 蒼真は何度目かの終了音の後、重藤弓を下ろして左手を開いた。握りに触れていた手のひらが張っている。肩も重い。だが、昨日の草原で感じた置いていかれるだけの重さとは違った。

 重藤弓は相変わらず遅い。けれど、凛の火が敵を動かすなら、遅い矢でも間に合う場所がある。

 火と矢が同じ場所を奪い合うのではなく、火が敵を動かし、矢が動いた先を射抜く。

 それは、一年次の第5班で覚えた「仲間の力で撃つ」と似ていて、少し違う。火そのものが戦場の流れを変える。


「天城」


 蒼真は矢を矢筒へ戻しながら言った。


「何」

「火の外側、もっと見たい。次は、最初から逃げ道を二つに絞ってくれないか。俺は片方に置く。もう片方は、天城が焼く」


 凛は一瞬だけ目を見開いた。

 それから、口角を上げる。


「注文が多いわね」

「無理か?」

「できるわよ」


 即答だった。

 凛の杖先に、再び火の魔力が灯る。先ほどより細く、けれど鋭い。蒼真はその火を見ながら、重藤弓を構え直した。


「私が撃ったら、右へ逃げる。左は潰す。あなたは右に置きなさい」

「了解」

「遅れたら?」

「無理と言う」

「逃げたら?」

「次に合わせる」

「外したら?」

「反省する」

「そこは当てるって言いなさいよ」


 ほのかが小さく吹き出した。

 蒼真も笑ってから、弽の革へ親指を乗せる。


「当てる」

「最初からそう言いなさい」


 起動音。

 魔導人形が走る。

 凛の《火球(ファイアボール)》が左を塞ぎ、《炎槍(フレイムランス)》の火が中央を切る。右側に細い逃げ道が生まれた。蒼真はそこへ狙いを置く。

 見てからではない。

 来ると決めて、待つ。


「急所」


 離れた矢は、炎の端を掠めるようにして右へ走った。

 魔導人形が逃げ込んだ瞬間、蒼い軌跡が胸部中央を貫く。撃破判定の赤い光が、火の残光と重なって弾けた。

 訓練場に終了音が響く。

 凛は杖を下ろし、短く息を吐いた。


「今のは、良かった」


 蒼真は顔を上げた。


「言うのか」

「言わないと、次も同じことをやらない可能性があるでしょ」

「やる」

「ならいいわ」


 ほのかが二人の間で、満足そうに頷いた。


「火と矢の間、見えてきたね」


 その言葉は、妙にしっくりきた。

 火の中ではなく、火の外でもない。火が作った隙間。矢が届くための細い道。

 蒼真は重藤弓の重さを左手に感じながら、メンテナンスノートへ書く言葉を決めた。

 凛の火は敵を動かす。動いた先に、矢を置く。

 急所だけではない。足止めも、無理も、次の一射を作るための判断になる。

 窓の向こうで、春の夕方の光が床に長く伸びていた。

 昨日の草原より狭い場所で、蒼真は重藤弓の重さを味方にする道を一つ見つけた。

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