第127話 班員として
四月第三週の月曜、Sクラス専用訓練場には朝から乾いた足音と魔法の余韻が重なっていた。
週末の食事会で聞いた旧第5班の声は、まだ蒼真の耳に残っている。川崎の笑い声。里奈と川崎が、土と氷で場を作る話をしていた時の勢い。
それぞれの場所で進み始めている。なら、自分も進まなければいけない。
「神代、今日は新班での模擬連携だ。相手は訓練用の自動人形三体。動きは第3層相当だが、こちらは第4層前提で隊列を組む」
真田誠の声は訓練場の端まで通った。
大盾を左手に構え、右手にはメイスを下げている。必要な情報を、必要な順番で置く声だった。
「律は接近音の確認。久我は俺の左から抜けた個体を割れ。天城は右側の制圧、白瀬は防御と回復の温存。神代は後衛から射線を作れ」
「了解です」
「おう」
「分かったわ」
「はい」
「了解」
返事が並ぶ。
凛は杖の先を下げ、ほのかはその半歩後ろで周囲を見ている。綾瀬律は床に片膝をつき、久我晴臣は大剣を肩に担いだ。
「正面二、右奥一。右奥は遅れて来ます」
「なら正面を受ける。右奥は天城、牽制。神代は正面左を狙える位置へ」
真田が一歩前へ出た。
自動人形の関節が軋み、三体が動き出す。金属と革を混ぜたような足音が床を叩いた。
蒼真は矢を番える。重藤弓はまだ手の内に馴染み切っていない。引き分けるだけで肩と背中に力を要求してくる。
それでも、正面左の人形が真田の盾に当たる瞬間は見えた。
「真田、左の肩を流してくれ!」
言葉が先に出た。
真田の声と重なる。
「久我、左を割れ!」
一瞬、訓練場の空気が乱れた。
久我の足が半歩迷い、蒼真も引き分けの途中で指先に余計な力が入った。真田は盾で正面の一体を受け止めたが、左の人形への押し込みが遅れる。
「《火球》」
右奥から来た人形の足元で火が弾ける。牽制としては十分だったが、火力は抑えられたはずだ。
蒼真は矢を放つ。
矢は左の人形の肩を抜いた。だが狙った中心より指一本分外れている。重藤弓の威力で装甲は砕けたものの、人形は止まらず、久我の大剣がその胴を横から叩き割った。
「おい、神代。今のは俺が行くところだっただろ」
久我が振り返る。怒鳴るほどではないが、声には明らかな引っかかりがあった。
「悪い。見えたから、つい」
「見えたのは分かる。けど、声が二つ飛ぶと足が止まる」
久我の言い方は刺々しい。だが内容は正しかった。
真田は怒っていなかった。盾を下げず、残る二体への距離を測りながら短く言う。
「続ける。神代、次は俺の声の後に頼む」
「分かった」
訓練はそのまま続いた。
一度乱れた呼吸は、なかなか戻らない。綾瀬の報告は正確だった。ほのかの《光盾》も必要な位置に出た。凛の火魔法は、本来なら一体を押し返せる主砲を、隙を埋めるために使わされていた。久我は真田の作った隙間を力で割った。
問題は蒼真だった。
射抜ける場所が見える。敵の重心が傾く瞬間も、盾に押されて肩が開く一拍も見える。だから口が出る。
前なら、それでよかった。悠斗と航は、蒼真の声を前提に動いてくれた。紅葉の索敵も、里奈と真帆の魔法も、蒼真が戦場全体を見て組み直すやり方に馴染んでいた。
でも、今は違う。
ここには真田の声がある。
「終了だ」
後藤の声で、自動人形が動きを止めた。
訓練場の床に焦げ跡と矢の欠片が残る。蒼真は息を吐き、弦を押さえた。疲労だけではなく、失敗した感覚が胸の内側に残っている。
「神代」
真田が近づいてきた。
久我も大剣を肩から下ろし、凛は腕を組み、ほのかはまず真田の言葉を待っていた。
「さっきの左肩の指示、判断自体は助かった」
「でも、重なった」
「助かる。だが、指示系統は一つにしたい」
真田の声は驚くほど平坦だった。
責めているのではない。線を引いているだけだ。
「神代の視野が広いのは分かっている。俺が見落とすものも拾えるだろう。だから報告は欲しい。ただ、攻撃指示を同時に出されると、久我も天城も一瞬迷う。白瀬の《光盾》の判断も遅れる」
「……そうだな」
蒼真は頷いた。自分が班長だった時も、指示が複数飛べば隊列は乱れると何度も考えていた。なのに、同じことを自分がやった。
「言い方を決めよう。神代は見えた情報を短く置いてくれ。俺が拾って指示にする。緊急時だけ、直接撃っていい」
「例えば?」
「『左肩、空く』『右奥、速い』『天城の射線、塞がる』みたいな形だ。命令じゃなくて情報なら、俺が受け取れる」
綾瀬が小さく頷いた。
「僕の報告と近い形ですね。音で拾ったものをそのまま置く。判断は班長がします」
「そういうことだ」
蒼真はそのやり取りを見て、胸の内側にあった硬さがほどけていくのを感じた。
綾瀬は音を報告する。判断を乗せすぎない。
なら、自分も見えたものを情報として置けばいい。
「神代」
凛が短く呼んだ。
「何だ?」
「さっきの右奥、私が焼いたわ。牽制にしては魔力を使いすぎた」
「悪い。俺の声で久我が一瞬止まったからだ」
「分かってるならいい。次は、私に余計な火を使わせないで」
言い方はきつい。けれど責めるだけの声ではなかった。次も同じ班で戦う前提の言葉だった。
「分かった。次は情報だけ置く」
「ならいいわ」
ほのかが笑った。
「神代くんが黙りすぎても困ると思うよ。見えているものを全部飲み込むと、今度は真田くんが拾えないから」
「加減が難しいな」
「うん。でも、難しいから訓練なんだと思う」
その柔らかい声に、蒼真は息を吐いた。
難しいから訓練。肩の力が抜ける。
「もう一本やるぞ」
後藤が手元の端末を操作した。
「今ので終わりじゃないんですか」
久我が嫌そうに眉を上げる。
「うむ。失敗した直後に修正するのが一番効率がいい。寝かせると、脳内で自分に都合よく編集されるからな」
「教官、それ経験談ですか」
「今は反省している。たぶん」
後藤は煙草を取り出しかけ、渋い顔で胸ポケットに戻した。
「我慢だ。さて、二本目。真田、条件は同じでいい。神代は今決めた形でやってみろ」
「はい」
二本目が始まった。
綾瀬が床に意識を落とす。
「正面一、左奥二。左奥の片方が速いです」
「正面を受ける。久我は左の速い方。天城はもう一体を牽制」
蒼真は矢を番えた。重藤弓を引く。重い。やはり、遅い。
けれど焦って口を出さない。真田の盾が正面を受け、左奥から速い個体が回り込む。さらに奥の一体が凛の射線を横切った。
「天城の射線、塞がる」
蒼真は情報だけを置いた。
「天城、一歩右。神代は左奥の膝」
真田がすぐに拾った。
凛が半歩右へずれる。久我の大剣が速い個体の胴を押し返し、その影から膝が見えた。
蒼真は背中で弓を開く。弓に引かれるな。祖父の手紙の言葉が、短く脳裏をよぎる。
矢を放つ。矢は左奥の人形の膝関節を抜き、脚を床へ落とす。久我がその横を抜け、大剣で胴を割った。
「悪くねえ」
久我が短く言った。
「久我くん、次が来ます」
綾瀬の声。
「分かってる!」
真田の盾が正面を押し返し、凛の《火球》が牽制で床を焼く。ほのかの《光盾》が抜けかけた人形の腕を止めた。
蒼真は次の矢を番える。
間に合わない。重藤弓では、以前のような速射で隙を埋められない。だから、声を出す。
「右、白瀬の盾で止まってる」
「久我、右を割れ。天城は温存」
真田の指示で久我が走る。
凛は魔力を練りかけた手を止め、ふっと息を吐いた。無駄な火が一つ減る。
その小さな変化が、蒼真には大きく見えた。
自分の矢が間に合わなくても、情報は間に合う。真田が指示に変える。
その中に、自分の場所がある。
「終了」
二本目は一本目より明らかに早く終わった。
全員の息は上がっている。だが空気は乱れていない。
「今の形で行こう」
「俺は、情報を置く」
「必要なら俺が指示にする。緊急時は撃て」
「分かった」
久我が大剣を肩に担ぎ直し、にやりと笑った。
「神代、最初からそれで頼むぜ。俺、二人から別方向に動けって言われても、体は一個しかねえから」
「悪かった」
「まあ、二本目の膝はよかった。あれなら俺が楽できる」
「楽をするな」
真田が呆れたように眉を寄せ、綾瀬が小さく笑った。凛は杖を下げながら蒼真を見る。
「神代」
「何だ?」
「今の方が、こっちも合わせやすい」
「なら、次もそうする」
「当然でしょ。一回できたなら、次は最初からやりなさい」
相変わらずの言い方だった。蒼真は笑った。
「厳しいな」
「Sクラスだから」
凛はそれだけ言って、顔をそらした。
ほのかが隣で小さく笑う。
「でも、今の凛ちゃん、けっこう褒めてたよ」
「白瀬」
「もう言ってるわ」
久我が肩を揺らして笑い、綾瀬も口元を押さえた。
蒼真はその輪の中で、弽の革を親指で押す。
旧第5班の賑やかさとは違う。
でも、ここには真田の声がある。凛の火がある。ほのかの盾がある。綾瀬の音があり、久我の大剣がある。
そして、自分の矢がある。
「神代」
後藤が近づいてきた。
いつもの気の抜けた顔に見えるのに、目だけは訓練中の細かなずれを全部見ていたような色をしている。
「班長を降りるのも訓練だ」
「……はい」
「一年間、よく背負っていたからな。その癖は悪いものじゃない。ただ、新しい班で同じ背負い方をすると、他の奴の肩にぶつかる」
後藤は肩を軽く回して、つまらなそうに続けた。
「荷物は減ったんじゃない。持ち方が変わっただけだ。弓と同じだな。力任せに引けば暴れる。持つ場所を変えろ」
「持つ場所を変える」
「うむ。今のところ、格好いいことを言ったな。メモしていいぞ」
久我が「自分で言わなければなー」と笑い、後藤は不満そうに端末へ視線を戻した。
「今日はここまでだ。各自、今の二本を忘れる前に記録しておけ」
訓練後、蒼真は更衣室へ向かう前に、訓練場の端でメンテナンスノートを開いた。
重藤弓の項目には、今日も引き分けの遅れを書く必要がある。けれど、最初に書くべきことはそれではなかった。
班長ではない。
その言葉は春休みにも書いた。けれど、その時はまだ失った役割を確認するための言葉だった。
今は違う。
蒼真はゆっくりと書く。
――班員として強くなる。
続けて書き足す。
――見えたものを命令にしない。情報として置く。真田が指示にする。緊急時は射る。
文字にすると当たり前のことのように見えた。
けれど、その当たり前を体に入れるには時間がかかる。頭で分かっただけでは、戦闘中の一拍には間に合わない。
ノートを閉じると、綾瀬が荷物を抱えて近づいてきた。
「神代くん、次は音と視線の距離感を合わせましょう」
「ああ。真田に同じ地図を渡せるように」
綾瀬が嬉しそうに笑った。
班長として全体を決めるのではない。班員として、真田に地図を渡す。矢を置く前に、情報を置く。
旧第5班で覚えた戦い方を、違う持ち方に直す。
訓練場の高い窓から、春の光が斜めに入っている。
蒼真は重藤弓を肩に掛け直した。
重さは変わらない。
けれど持ち方は変えられる。
班長ではない弓術士として、蒼真は新しい班の音と声の中へ歩き出した。




