第126話 七人のテーブル
四月第二週の金曜、放課後の立川駅前は春の夜に近づいていた。
サンサンロードの街路樹には若い葉が増え、夕方の光を受けて揺れている。
蒼真は重藤弓を背負ったまま、駅前のファミレスの入口で足を止めた。真田の盾の縁を抜いた感覚がまだ指先に残っている。けれど今日は、Sクラス第4班の訓練ではない。旧第5班の六人と、川崎麻衣を交えた食事会だった。
「蒼真、こっちこっち!」
窓際の大きなテーブルで、悠斗が両手を振っていた。
「声がでかい」
「だって七人席、確保できたんだぞ。これ、今日の俺の最大の功績じゃね?」
「予約したのは真帆だろ」
「宮瀬くん、そこは言わなくてもいいところです」
真帆が苦笑し、悠斗は胸を張ったまま固まった。
紅葉がストローを袋から出しながら、にやりと笑った。
「悠斗、班長になってから刺さる回数増えたよね」
「俺だって好きで刺さってるわけじゃねえんだよ」
「でも反応いいから、ちょっと面白い」
「紅葉、そこは優しくしてくれよ!」
やり取りはいつもの調子だった。
けれど、テーブルの端に座る川崎麻衣は、少し背筋を伸ばしたまま笑っている。笑ってはいるが、まだ混ざり切れてはいない。
「神代さん、訓練お疲れさま」
「川崎もお疲れ。今日は月例探索の打ち合わせだったんだっけ」
「うん。まだ、打ち合わせってほど立派なものじゃないけど」
川崎の声は落ち着いている。Sクラスにいた時の硬さは残っているが、以前より肩の力が抜けて見えた。
蒼真は左に悠斗、右に航がいる席へ座った。向かい側には紅葉、里奈、真帆、川崎が並ぶ。
「よし。今日は第5班親睦会だ」
悠斗が宣言した。
「俺、抜けてるけど」
「蒼真は名誉第5班みたいなもんだろ」
「雑な役職を作るな」
「名誉なら、なんか偉そうでいいじゃん」
「それは違うと思う」
航が水を一口飲んでから、いつもの淡々とした声で言った。
「そもそも名誉枠を作ると、現第5班の定義がぶれる」
「航、ファミレスで定義の話するなよ。楽しくなくなるだろ」
「楽しくするために、最初から言葉を雑にするなと言ってる」
「正論が一番痛い!」
悠斗がテーブルに突っ伏しかけ、真帆が慌ててコップを避けた。
「悠斗さん、ドリンクバーのコップを倒したら、班長ポイント下がります」
「そんなポイント制あったの!?」
「今作りました」
「真帆まで厳しい!」
紅葉が声を上げて笑った。里奈も口元を押さえて、小さく肩を震わせている。
川崎もつられるように笑った。少し自然な笑い方だった。
注文を終えると、テーブルの上にポテトとパスタの皿が並んだ。蒼真は肉多めのプレートを頼んだが、重藤弓を引き始めてから食事量が増えたことを悠斗にすぐ見抜かれた。
「蒼真、前より食う量増えてね?」
「弓が重いからな」
「理由が弓なの、蒼真らしいよね」
紅葉が笑う。
「でも実際、重い弓って大変なんでしょ?」
「大変だよ。威力はあるけど、前みたいには撃てない。引き分けるまでに一拍遅れる」
「その一拍を、今の班で埋めるんだろ」
航の言葉に、蒼真は頷いた。
「真田の盾と久我の大剣、綾瀬の索敵、天城の火力、白瀬の防御。全部、前の第5班とは違う。まだ頭の中で地図になってない」
「へえ。蒼真でもそうなるんだ」
悠斗が少し驚いたように言う。
「なるよ。俺だけで組めるわけじゃないし、今は班長でもない」
「……そっか」
悠斗の声が落ちた。
その一拍で、テーブルの空気も少し変わった。蒼真がSクラスへ上がった側で、川崎がSクラスから出た側。その事実は、誰も悪くないのに、同じテーブルの真ん中に置かれている。
悠斗はそれを振り払うように、明るい声を出した。
「まあ、こっちはこっちで新生第5班だからな! 川崎の地魔法が入った。俺は班長だし、航もいる。紅葉も里奈も真帆もいる。つまり最強だ!」
「説明が雑」
「勢いで押し切ろうとしてる」
「悠斗さん、気持ちは伝わります」
「真帆、そこは褒めてくれてる?」
「気持ちは、です」
悠斗はまた胸を押さえた。
川崎が小さく笑い、それから視線を落とした。
「私、まだ第5班で何ができるか、はっきり掴めていなくて」
悠斗がすぐに口を開きかける。けれど航が肘で軽く止めた。紅葉もストローを回す手を止め、里奈はまっすぐ川崎を見た。
「前の班だと、《土壁》を出すと前衛の動線を塞ぎやすかったの。真田くんが前で止めてくれるから、壁を出すより、そのまま押し切った方が早い場面も多くて。《泥沼》も、味方の踏み込みを遅らせるかもしれないって考えると、出すのが遅れて」
川崎はそこで一度、指先を膝の上で握った。
「だから、第5班でも同じことをしたら邪魔になるんじゃないかって、少し思ってる」
「邪魔じゃないよ」
里奈の返事は早かった。
普段の里奈なら、少し言葉を探してから話す。けれど今は、反応の方が先に出たように見えた。
「《泥沼》で足を取れるなら私の《氷床》と合わせられます。氷だけだと滑らせる方向に寄ります。でも泥で沈ませてから凍らせるというか……完全に凍らせるわけではなく動く足を遅くする感じです」
「泥を氷で固める?」
「はい。たぶん敵の足首だけでも十分です。あと《土壁》も《氷壁》と並べたら厚みを変えられます。土で進路を絞って、氷で一瞬止める。逆でもできるかもしれません」
里奈の声はだんだん勢いを増していった。遠慮がちな声なのに、目だけは真剣だった。
川崎は驚いたように瞬きをする。
「そんな使い方、考えたことなかった」
「私も、今、考えました」
「今?」
「はい。でも、たぶんできます」
紅葉が身を乗り出した。
「それ、索敵側からすると助かるかも。通路で敵が二方向から来た時、片方を泥と氷で遅らせられたら、私が声出す時間が増えるし」
「俺と航も、一体ずつ処理しやすくなるな」
悠斗が今度は真面目な顔で言った。
「川崎の壁で道を作る。里奈の氷で止める。紅葉が先に拾って、俺と航が前で叩く。真帆は回復と《光盾》を温存する。余裕があれば《光矢》で牽制。……お。なんか班長っぽくないか、今の俺」
「最後の一言がなければ、そこそこ班長っぽかった」
「航、褒めるなら最後まで褒めろよ!」
「褒める材料を自分で削るな」
蒼真はそのやり取りを聞きながら、小さな痛みと安心が同時に残っていた。
川崎の《土壁》と里奈の《氷壁》。川崎の《泥沼》と里奈の《氷床》。紅葉の索敵、悠斗と航の前衛、真帆の光。そこに自分の矢はない。
寂しくないと言えば嘘になる。けれど、弱くなったとは少しも思わなかった。
「神代さん?」
里奈に呼ばれ、蒼真は顔を上げた。
「悪い。ちょっと考えてた」
「今の組み合わせ、変でしたか?」
「いや。むしろ、すごくいいと思う。俺がいた時とは全然違うけど、それがいい」
里奈がほっと息を吐く。川崎はまだ少し戸惑っている顔だった。
「神代さんがそう言うなら、少し安心する」
「俺が保証できる立場じゃないけど」
「でも、神代さんは前の第5班の班長だったから」
川崎の言葉に、蒼真は一瞬だけ返事に迷った。前の第5班の班長。そう呼ばれることに胸が鳴る。けれど今、目の前にいる六人は、もう蒼真が指示を出す班ではない。
「前の、だな」
蒼真はそう言って、ポテトを取った。
「今の第5班は悠斗の班だ。俺が言えるのは、外から見ても面白そうな班になってるってことくらいだよ」
「面白そうって、どういう意味だよ」
「そのままの意味。俺がいた時より止め方と守り方の選択肢が増えてる。悠斗が前に出すぎても航が止める。紅葉が早めに拾う。里奈と川崎で場を作って、真帆が崩れたところを戻す。形が違う」
「……蒼真、そういうの言うと、俺ちょっと調子乗るぞ」
「ほどほどならいいんじゃないか」
「よし、調子乗る!」
「少しって言っただろ」
紅葉がすかさず言う。
「悠斗の『少し』は普通の人の三倍くらいあるからね」
「紅葉、俺のこと何だと思ってるんだ」
「声が大きい前衛」
「それ、たぶん褒めてない!」
「半分褒めてる」
「残り半分!」
テーブルに笑いが広がった。
川崎も今度ははっきり笑った。耳を赤くして、グラスの水を飲む。
「私、ここにいてもいいんだって、今日ようやく思えた」
ぽつりと落ちた言葉に、全員が一瞬黙った。
悠斗が真っ先に口を開く。
「当たり前だろ。川崎はもう第5班だ」
「でも、まだ全然」
「全然なのは俺もだぞ。班長、思ったよりむずいし」
悠斗は照れ隠しのように笑った。
「だから、俺も全然。川崎も全然。だったら一緒に慣れればいいだろ」
「悠斗さん、今のは班長ポイント高い」
真帆が穏やかに言う。
「何点?」
「八十点くらいです」
「高っ! 俺、今の録音しとけばよかった!」
「その反応で七十五点に下がりました」
「採点厳しい!」
また笑いが起きる。
蒼真はその笑いの中で、窓の外を見た。ガラス越しに見える立川駅前の灯りが、夜の色を濃くしている。
旧第5班は、なくなったわけではない。自分の知っている形のまま残っているわけでもない。蒼真が抜けた場所には、空白だけでなく、新しい組み合わせが生まれ始めていた。
寂しさはある。
けれど、その寂しさを抱えたまま安心できることを、蒼真は初めて知った。
「蒼真」
航が小さく呼んだ。
「何だ?」
「顔、変だぞ」
「変って言うな」
「寂しいけど安心した、みたいな顔だ」
「言い当てるなよ」
航が口元を上げた。
「長い付き合いだからな」
「一年だけど」
「濃い一年だった」
その言葉に、蒼真は反論できなかった。
悠斗がハンバーグを一口大きく切りながら、にっと笑う。
「まあ、蒼真もSクラスで頑張れよ。俺らもこっちで勝手に強くなるから」
「勝手に、なのか」
「おう。たまに見に来て、びっくりしろ」
「分かった。ちゃんとびっくりする」
川崎がそのやり取りを聞いて背筋を伸ばした。
「私も、びっくりしてもらえるように頑張る」
「うん。楽しみにしてる」
蒼真が答えると、川崎は頷いた。
食事が終わる頃には、最初にあった硬さはだいぶ薄れていた。紅葉が小さなパフェを頼み、川崎も迷った末に同じものを頼む。
七人のテーブルは、最初より狭く感じた。距離が縮まったからだと、蒼真は思った。
店を出ると、夜の空気が頬に触れた。
里奈と真帆、川崎は駅の改札へ向かう。紅葉は女子寮の方へ、悠斗と航は男子寮の方へ歩き出す。蒼真は錦町へ帰る道の前で、重藤弓の肩紐を掛け直した。
「じゃあな、蒼真」
「また訓練場で」
「おう。Sクラスの弓術士、置いていかれんなよ」
「そっちこそ」
悠斗が笑って手を振った。
蒼真も手を振り返す。
七人はそれぞれの帰り道へ分かれていく。けれど背中が遠ざかるほど、今日のテーブルで交わされた声が耳に残った。
土と氷で場を作る話。川崎のほどけた笑い。自分抜きで進み始めた第5班。
蒼真は夜の駅前を歩きながら、右手の親指で弽の革をそっと押した。
旧第5班は、過去になったわけではない。
それぞれの場所で、次の形へ進み始めている。




