第125話 大盾と大剣
四月第二週の訓練場には、今年度の熱が戻っていた。
始業式直後の浮ついた空気が抜け、各班が今年度の形を探し始めている。屋内訓練場の前衛レーンでは、木剣の乾いた音よりも、盾にぶつかる重い衝突音が目立っていた。
蒼真は重藤弓を肩にかけ、レーンの端でその音を聞いていた。昨日は綾瀬の音に矢を置いた。見えない場所へ射を通す感覚は、まだ指先に残っている。今日はその先にある前衛の形を見る日だ。
真田誠が大盾を左腕に固定し、右手にメイスを持って立っている。探索用の重装備ではなく訓練用に軽量化されたものだが、それでも他の生徒の盾とは厚みが違った。蒼真の目には、ただ守るための板ではなく、戦場の向きを変える壁に見えた。
その隣で久我晴臣が大剣を肩に担いでいた。身の丈ほどの長さに、盾と見紛うほどの幅。刃というより鉄塊を剣の形に削り出したようなそれを、久我は片手で軽く支えている。
「神代、遅いぞ」
真田の声がよく通った。
「時間ぴったりだと思うけど」
「俺たちは先に温まっている。つまり相対的に遅い」
「それ、理屈になってるか?」
「班長の理屈だ。慣れろ」
真田が真面目な顔で言うので、隣の久我が鼻で笑った。
「真田の理屈はだいたい盾みたいなもんだ。厚いけど、たまに邪魔だ」
「久我。聞こえているぞ」
「聞かせてるんだよ」
久我は悪びれずに大剣の柄を握り直した。肩幅が広く、彫りの深い顔立ちのせいか、同じ制服でもどこか威圧感がある。けれど言葉の端には妙な軽さがあった。
レーンの外では凛とほのかも見学位置についている。凛は腕を組み、ほのかは小さく手を振った。
「神代くん、今日は前衛合わせだよね」
「ああ。真田と久我の動きを見ておけって言われた」
「見るだけで済むと思ってるなら甘いわよ」
凛が視線だけをこちらに向ける。
「Sクラスの前衛は、見てから合わせるより、合わせながら覚える方が早いから」
「それ、撃ちながら覚えろってことか」
「そう」
短い返答だった。
蒼真は弽の革を親指で押した。撃ちながら覚える。言葉にすると乱暴だが、実際にはそれが一番早いのだろう。
真田が訓練用魔導人形の起動を確認した。前衛レーンの奥にいるのは盾持ち型二体、槍型一体、斧型一体。いずれも二年生用に調整された出力で、単純な的ではない。
「最初は俺と久我で受ける。神代は後ろから観察。二周目から射を入れろ」
「了解」
「天城、白瀬は外から見てくれ。崩れたところがあれば言え」
「分かった」
「うん。無茶しそうなら止めるね」
「俺は無茶をしない」
真田が即答すると、久我が大剣の腹で肩を叩いた。
「真田のそれ、自覚ないタイプの無茶だからな」
「久我の大振りよりは安全だ」
「俺のは大振りじゃなくて大火力だ」
「当たればな」
「当てるんだよ」
二人のやり取りは棘があるようで、険悪ではなかった。付き合いの長い前衛同士の、呼吸の確認にも聞こえる。
合図と同時に魔導人形が動いた。
先に飛び出したのは槍型だった。長い腕がしなり、真田の左肩を狙う。真田は半歩前に出た。避けるのではなく、槍の通り道に盾を置く。
衝突音が鳴った。
盾が受けたのに、真田の足は下がらない。むしろ槍の穂先を盾の角度で右へ流し、そのまま魔導人形の正面をこちら側へ向けさせる。
「久我、右肩」
「見えてる」
久我の腕に魔力が集まった。
《腕力強化》。全身ではなく、腕だけが一瞬だけ太く見えるほど魔力で満ちる。大剣が肩から落ちる。振ったというより、落とした鉄塊に身体を合わせたような一撃だった。
槍型の右肩に大剣が叩き込まれ、赤い判定光が大きく弾ける。魔導人形の上体が傾き、膝が床を擦った。
「……割った」
蒼真は思わず呟いた。
悠斗の槍は速く、前に出る力がある。航の長剣は安定していて、相手の動きを切る。けれど久我の大剣は、そのどちらとも違った。
止めた敵を、割る。
言葉にすると単純なのに、目の前で見ると乱暴なほど説得力があった。
次に斧型が真田の横を狙う。普通なら盾の外側を抜かれる角度だ。だが真田は大盾を引かず、身体ごと斧型の前へ滑り込んだ。
「神代、見ておけ。盾は隠れるためだけのものじゃない」
真田の声が通る。
メイスが短く振られ、斧型の肘に当たった。大きなダメージではない。けれど腕の角度がずれ、斧の軌道が床へ落ちる。真田はその隙に盾の面を押し付け、斧型の胸を完全にこちらへ向けさせた。
「盾は、敵の向きを作るためのものだ」
言葉と同時に、真田の足が床を踏む。
斧型の動きが止まった。痛覚軽減で受けられるから耐えている、というだけではない。受ける位置、押す角度、止める時間。その全てが後ろの味方に攻撃させるために組まれている。
「久我」
「はいよ」
久我の大剣が横から入る。
斧型の胴に赤い判定光が走り、魔導人形が停止した。
蒼真は無意識に射線を探していた。真田の盾の右外側。久我の大剣の軌道の上。魔導人形の首が開く瞬間はある。けれど、そこへ矢を置くには真田が作る向きを読まなければならない。
旧第5班では、悠斗と航が敵を引きつけ、蒼真が側面から急所を射抜いた。だが真田は、敵をこちらへ向けたまま固定する。盾の後ろに安全地帯を作るのではなく、射手へ撃つべき面を見せる。
「次、神代も入れ」
真田が振り返らずに言った。
「俺の盾の後ろに隠れろとは言わない。お前はそういう射手じゃないだろう」
「……分かってる」
「だが、俺が止めた敵は射抜け。止める時間は作る」
「急所まで向けてくれるのか?」
「向ける。外すな」
真田の声は淡々としていた。挑発ではない。仕事を渡す声だった。
蒼真は矢を抜いた。重藤弓の握りが手のひらに重い。速射はまだ難しい。以前の和弓なら二射目を置けていた間合いで、今はまだ弦を引き切れない。だからこそ、真田が作る一拍を無駄にはできない。
次の起動音。
盾持ち型と槍型が同時に前へ出る。真田は盾持ち型を受け、久我が槍型へ走りかけた。
「久我、行き過ぎるな。盾持ちを先に固定する」
「俺が槍を割れば早いだろ」
「神代の射線が消える」
その一言で、久我の足が止まった。
蒼真は瞬きを一つだけした。真田は久我の火力だけでなく、蒼真の射線も同時に見ている。
「……へえ。そういうこと言うんだな、班長」
「班長だからな」
「分かったよ。神代、外したら笑うぞ」
「笑われないようにする」
蒼真は弦を引いた。
真田の盾が盾持ち型を受ける。重い衝突。盾持ち型の右足が半歩外へ流れる。真田がメイスで膝を叩き、敵の上体をこちらへ傾ける。
首元が開いた。
紅葉の指差しではない。綾瀬の音でもない。真田の盾が作った射線だ。
蒼真はそこへ矢を置いた。
離れ。
蒼い軌跡が真田の盾の縁すれすれを抜け、盾持ち型の首に入る。赤い判定光が弾けた。
真田の盾が一拍遅れて下がる。矢は盾に触れていない。
「入った」
「盾の縁から拳一つ。悪くない」
真田が短く言う。
「褒め方が渋いな」
「十分褒めている」
「俺なら今のは素直にすげえって言うけどな」
久我が大剣を振り上げ、残った槍型の胴を叩き割った。判定光が散り、レーンの魔導人形が停止する。
ほのかが外から小さく拍手した。
「今の、見ててちょっと気持ちよかったね」
「盾の横を抜く神代もだけど、真田の止め方が細かい」
凛は素直にそう言った。珍しく、声に余計な棘がない。
「天城に褒められたぞ、真田」
「褒められたのは俺だけではない」
「そこは自分だけ受け取っとけよ。真面目か」
「俺は真面目だぞ」
久我が呆れたように笑い、真田は表情を変えずに大盾を下ろした。
蒼真は弓を下げて息を吐いた。肩に残る重藤弓の反動はいつもより重い。だが、今の一射は無理に自分で射線をこじ開けたものではなかった。
真田が止める。久我が割る。凛が動かし、ほのかが守り、綾瀬が道を聞く。そこに自分の矢を置く。
旧第5班で築いた形とは違う。違うから戸惑う。けれど、違うからこそ自分の射が変わる。
「神代」
久我が大剣を肩に担ぎ直した。
「お前、盾の後ろにいるの嫌いなタイプだろ」
「嫌いというか、そこにいるだけになるのは避けたい」
「だと思った。顔に出てる」
「そんなに?」
「出てる。真面目に面倒くさい顔してる」
蒼真が返答に詰まると、久我は口元を上げた。
「でも、真田の盾は隠れる場所じゃなくて、撃つための壁だ。そこは勘違いすんなよ」
「久我がそう言うのか」
「俺はあの盾が止めたやつを割る係だからな。盾がなきゃ俺の一撃も半分は空振る」
皮肉っぽい口調なのに、言葉の中身は真田への信頼だった。
真田は何も言わない。ただ、大盾の縁を確認し、傷の位置を指でなぞっている。
「次は三体同時でやる」
「もう?」
「今の一射で、神代が盾の縁を怖がらないことは分かった。なら増やす」
「判断が早いな」
「Sクラスだからな」
真田の言葉に、久我がまた笑った。
「便利だな、その理由」
「事実だ」
「ほら出た。事実」
蒼真もつられて笑った。
重藤弓はまだ重い。真田の盾の動きも、久我の大剣の軌道も、全てを読めているわけではない。撃てる隙間を見落とした場面もあった。逆に、撃とうとして久我の進路に被りかけた瞬間もある。
それでも一本だけ通った。
盾の縁を抜けた蒼い軌跡が、まだ目の奥に残っている。
訓練後、蒼真はメンテナンスノートを開いた。
ページの上に、真田の盾を四角く描く。その右外側に矢の線を引き、久我の大剣の軌道を太い弧で重ねた。これまでのノートにはなかった形だ。
『真田の盾=防壁ではなく、敵の向きを作る道具。久我の大剣=止めた敵を割る火力。自分の矢=盾の縁、久我の軌道外、首・関節へ置く』
書き終えたところで、真田が横から覗き込んだ。
「図にするのか」
「癖みたいなものだ。頭の中だけだと整理しきれない」
「いい。次からそれを共有しろ」
「俺が?」
「班員としての共有だ。指揮を取れと言っているわけじゃない」
その言い方に、蒼真は息を止めた。
班長ではない。だが、考えなくていいわけではない。自分が見た射線を、班長の指示系統へ返す。それもまた、班員としての仕事なのだ。
「分かった。次までに、今日の分をまとめる」
「頼む」
「俺の格好いい大剣の軌道、太めに描いとけよ」
「もう太い」
「もっとだ。バスターソードは存在感が命だろ」
「命なのか、それ」
ほのかがくすくす笑い、凛は呆れたように目を伏せた。
その空気が、班らしく感じた。
蒼真はノートの端にもう一行を書き足す。
『盾の後ろに隠れるのではなく、盾が作った射線へ置く』
まだ完全には噛み合っていない。真田の盾と久我の火力。凛の火、ほのかの光、綾瀬の音。それらは自分の中で一つの地図になりきっていない。
けれど今日、盾の縁の向こうに一本の道が見えた。
蒼真は弽の革を親指で押し、重藤弓を肩にかけ直した。
新しい前衛の音が、矢の置き場所を変え始めていた。




