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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第六章 Sクラスの弓術士編

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第122話 真田誠

 午後の光は、午前より白く見えた。

 始業式の日のSクラス教室は、昼を挟んでもまだ落ち着ききっていない。机の配置は午前と同じだ。けれど黒板に書かれた班名と名前の列が、教室の空気を変えていた。

 二年Sクラス第4班。

 その横には神代蒼真の名前がある。続けて天城凛・白瀬ほのか・真田誠・綾瀬律・久我晴臣。六人の名前が並んでいる。

 蒼真は自分の名前の位置を見て、右手の指先を握った。弽はつけていない。それでも指の腹には、昨日の重藤弓の弦の硬さがまだ残っていた。


「で、午後は各班で顔合わせだ。早いところは訓練場で軽く動いてこい。ただし初日から本気で潰し合ったら、俺の胃ではなく書類が死ぬ」


 教卓の後藤が紙コップを片手にそう告げた。

 教室のあちこちから笑いが起きる。後藤はそれを受け流すように肩をすくめた。


「班長は各班で決めろ。経験者がいるなら話は早い。いないなら、今日中に暫定でいいから置け。班長不在の班ほど面倒なものはない。誰も責任を取らない会議は、煙草のない喫煙所みたいなものだ」

「先生、それ例えとして成立してます?」

「俺の中では成立している」


 前の方の席から突っ込みが飛び、後藤は真顔で返した。

 その緩さの裏で、言っていることは重い。班長を決める。それは誰の指示で動き、誰の判断に背中を預けるのかを決めるということだ。


 去年なら、考えるまでもなかった。蒼真が前に立ち、五人に声をかけて戦術を組んだ。悠斗が笑い、航が足りない部分を埋める。紅葉が索敵を告げ、里奈と真帆が後ろから支えた。

 けれど今、黒板の隣にあるのは別の名前の列だ。


「神代」


 低い声に呼ばれ、蒼真は顔を向けた。

 真田誠が立っていた。午前の握手の時と同じく、姿勢に無駄がない。制服姿なのに、もう盾を構えているような安定感がある。


 その後ろには凛とほのか、綾瀬、久我も集まっていた。久我は机に片手をつき、蒼真と真田を見比べている。綾瀬はメモ帳を取り出しかけて、すぐにしまった。


「さっきの続きだ。班長の件だが、俺がやる」

「異論はない」


 蒼真はすぐに答えた。

 自分でも驚くほど早かった。去年なら、まず班の適性を並べていたはずだ。誰が前に出るべきかも考えただろう。だが今回は違う。Sクラスでの経験があり、川崎麻衣のいた班をまとめてきた真田がいる。

 その事実だけで、答えはほとんど決まっていた。


「早いな」

「真田はSクラスで班長をやってたんだろ。俺は、Sクラスのやり方を知らない」

「去年、お前は一般クラスで優勝班の班長だった」

「それでも、ここでは新入りだ」


 言葉にすると、腹の底が重くなる。

 新入り。

 その響きは悔しくない。けれど簡単でもなかった。自分が積み上げてきた一年は消えない。それでも、この教室では最初から覚え直すことがある。

 凛が腕を組み、蒼真を横目で見た。


「自分で言えるなら、分かってるのね」

「そこは分かってる扱いじゃないのか」

「全部分かってる顔をされたら困るでしょ」

「それは、そうだな」


 ほのかが笑った。


「神代くん、去年は班長さんだったし。つい考えちゃうこともありそうだよね」

「たぶん、ある。口に出しかけたら止めてほしい」

「凛ちゃん、任された?」

「どうして私に振るの」

「一番早そうだから」

「……否定はしないけど」


 凛が視線を逸らす。

 そのやり取りに、久我が低く笑った。


「なるほどな。神代ってもっと無口な弓馬鹿かと思ってた。わりと普通に突っ込まれるんだな」

「弓馬鹿は否定しないけど、無口ではないと思う」

「そこ否定しないのかよ」

「嘘をつくところじゃない」


 久我は一瞬きょとんとしてから、楽しそうに口角を上げた。


「いいな。そういう返し、嫌いじゃない」

「ありがとうございます。僕としては、最初の顔合わせで喧嘩にならなくて助かります」


 綾瀬が丁寧に言うと、久我が肩をすくめる。


「俺は喧嘩売ってねえよ」

「久我くんの場合、声が大きいです。誤解されやすいと思います」

「律、お前は初日から俺に刺してくるな」

「事実なので」


 淡々とした綾瀬の声に、ほのかが口元を押さえた。凛も目元を和らげる。

 Sクラスの空気は張り詰めている。けれど、冷たいだけではない。蒼真はそのことを実感していた。


「場所を移そう。教室だと話しにくい」


 真田が短く言った。

 それだけで六人が動く。蒼真は反射的に最後尾から全員の位置を確認しようとして、自分で気づいて足を止めた。


 真田が先頭に立つ。久我がその隣に並びかけ、真田に目で制されて半歩下がる。綾瀬は通路側へ自然に寄り、凛とほのかは中央を歩いた。

 蒼真は一拍遅れて、その後ろへ入った。前を作るのは、自分ではない。その単純な事実が、足の置き場を変えた。


       ◇


 訓練場は、始業式の日でも人がいた。

 屋内の床は磨かれていて、午後の光が高い窓から斜めに落ちている。剣戟の音。《火球(ファイアボール)》が魔法訓練用の的に当たる鈍い響き。教官の声。一般クラスの訓練場と同じ施設のはずなのに、使い方の密度が違う。

 真田は空いている一角を選び、六人を半円状に立たせた。


「まず、役割の確認をする。俺は騎士。前衛の基点として大盾とメイスを使う。去年は片手直剣と盾だったが、二年から装備を変えることにした」

「大盾、もう使い慣れてるのか?」


 久我が尋ねる。

 真田は首を横に振った。


「十分とは言えない。だが、第4層以降を考えるなら、前を止める力が要る。俺のスキルは《痛覚軽減》だ。派手な強化ではないが、崩れにくさなら出せる」

「《痛覚軽減》って、痛くないってこと?」

「痛みが消えるわけじゃない。鈍るだけだ。痛みで動きが止まる時間を減らせる」

「地味だけど、前にいる人には大事ですね」


 ほのかが真面目に頷いた。

 白魔法使いの言葉だからだろう。真田は表情を和らげた。


「白瀬の回復が届く前に倒れるのは避けたいからな」

「できれば倒れる前に教えてください。倒れてからだとわたしも焦ります」

「努力する」

「そこは『倒れない』って言ってほしかったです」

「絶対は言えない」

「真田くん、真面目だね」


 ほのかの柔らかな声に、久我が笑う。


「真田はずっとこうだぞ。冗談に対しても盾構えて返す」

「久我。話が逸れる」

「はいはい」


 真田は久我の軽口を流し、視線を凛へ向けた。


「天城は火魔法。中後衛の主火力だ。白瀬は回復と支援。綾瀬は斥候、罠。久我は前衛火力。神代は弓による中後距離火力。ここまではいいな」

「いい」


 凛が短く答える。

 蒼真も頷いた。


「方針は?」


 その言葉は、ほとんど反射で出た。

 言ってから、蒼真は喉が硬くなるのを感じた。旧第5班なら、ここから自分が話し始めていた。敵の数。通路幅。射線。前衛の位置。後衛の逃げ道。

 真田は責めるようには見なかった。ただ、蒼真をまっすぐ見返した。


「俺が前を作る。久我は俺の横か斜め前で圧をかける。天城は面で削る。神代は、俺と久我が止めた相手の急所を抜く。白瀬は回復と防御の判断を自分で持つ。綾瀬は敵の接近方向と足音の違いを最優先で共有する」

「俺は、射線を優先して動いていいのか?」

「動いていい。ただし、俺の盾の後ろに固定される必要はない。お前は、盾の陰で撃つ射手じゃないだろ」

「……分かった」


 指先に力が入った。

 それは気を遣われたからではない。真田が蒼真の戦い方を、ただの後衛としてではなく見ていたからだ。

 同時に、真田の言葉には線があった。

 自由に動いていい。だが、班の前は真田が作る。

 蒼真はその線を頭の中でなぞった。


「ただし」


 真田が続ける。


「指示が重なった時は、俺の声を優先してくれ。戦術案がある時は出していい。むしろ出してほしい。だが、最終決定は俺がする」

「了解」


 短く返す。

 その一言が、自分の中に落ちるまでに少し時間がかかった。

 了解。

 去年、悠斗や航や紅葉たちが自分に返してくれていた言葉だ。今度は、自分が誰かに返す側になる。


「神代くん、大丈夫?」


 ほのかがそっと声をかけた。

 蒼真は一度息を吸う。


「大丈夫。変な感じがしただけ」

「班長じゃない感じ?」

「うん」

「それ、たぶん普通だと思うよ。いきなり切り替えられたら、それはそれで怖いし」

「白瀬、地味に厳しいな」

「そうかな?」


 ほのかが首を傾げる。

 凛が横から言った。


「ほのかは時々そういうことを平気で言う」

「凛ちゃんほどじゃないよ」

「私は必要なことしか言ってない」

「今のも必要だった?」

「……たぶん」


 短いやり取りに、蒼真の口元が緩んだ。

 張っていた息が抜ける。新しい班は、まだ形になっていない。けれど、声の置き場所は見え始めている。


「真田」


 蒼真は改めて真田を見た。


「俺の射は、止まってる相手には強い。けど、速い相手や複数の相手に詰められると弱い。弓を変えてからは、威力は上がったけど速射性は落ちてる。そこは最初に伝えておきたい」

「分かった。威力を当てにする。ただし連射で穴埋めする前提にはしない」

「助かる」

「代わりに、決めるべきところでは決めてもらう」

「それは、やる」


 蒼真の声は、自分でも思ったより強かった。

 久我が満足そうに笑う。


「いいじゃねえか。高火力狙撃手ってやつだな」

「外したら怒られるやつだ」

「外すなよ」

「簡単に言うな」

「弓馬鹿なら当てるだろ」

「弓馬鹿の信頼が雑すぎる」


 久我の笑い声が訓練場の一角に響く。

 綾瀬がその横で、周囲の音に耳を澄ませるように顔を傾けていた。彼の意識は会話にありながら、訓練場全体の音も拾っているように見える。


「律」


 真田が声をかける。


「神代の射線に必要な情報を、どう渡す?」

「距離と方向。足音の数と重さ。あとは見えていない敵が速度を変えた時です。僕の報告は視覚より一拍早いことがあります。ただ、形までは見えません」

「鬼塚は、見えたものをそのまま教えてくれる斥候だった。綾瀬は、見える前の変化を教えてくれるのか」

「はい。神代くんの言い方だと、そうなります」


 綾瀬は頷いた。


「ただ、音だけだと誤差もあります。だから、神代くんがどの情報で弓を射るのか、早めに確認したいです」

「分かった。俺も、音の報告でどこまで引けるか試したい」

「では、次の訓練でお願いします」

「うん」


 話が形になっていく。

 真田が前を作り、久我が圧をかける。凛が火力を置き、ほのかが支え、綾瀬が音を拾う。その中で、蒼真は射を置く。


 それは旧第5班とは違う配置図だった。悠斗の槍も航の剣もない。紅葉の《視力強化》も、里奈の氷も、真帆の白い光もない。

 ない、と意識した瞬間だけ喉が詰まる。けれど、その空白を埋めるように、新しい線が一本ずつ引かれていく。


「真田」


 凛が声を上げた。


「火魔法の射線と、神代の射線は被る可能性がある。そこは最初に整理した方がいい」

「そうだな。天城、神代。次の訓練では、互いの射線を確認する」

「了解」

「分かった」


 凛と蒼真の返事が重なった。

 一瞬だけ、凛がこちらを見る。蒼真も目を合わせる。

 同じ班。

 その事実が、教室で名前を見た時よりも具体的になる。


「今日は顔合わせと方針確認までだ。装備を持ってきていない者もいる。明日以降、実際に動く」


 真田がまとめる。

 その声には迷いがなかった。派手ではない。だが、六人の視線が自然に集まるだけの重さがある。


「最後に一つだけ言っておく」


 真田は蒼真だけではなく、全員を見た。


「川崎が抜けたことについて、俺は何も感じていないわけじゃない。去年の班は去年の班だ。だが、今日からはこの六人で第4班だ。前の班をなかったことにはしない。けれど、引きずって動きを鈍らせるつもりもない」


 その言葉に、蒼真は何も返せなかった。

 真田もまた、組み替えられた側だった。蒼真が旧第5班を離れたように、真田も川崎麻衣が抜けた班の前に立っている。


 自分だけが寂しいわけではない。自分だけが、新しい場所に放り込まれたわけでもない。

 凛もほのかも黙っていた。久我も綾瀬も、何も茶化さなかった。


「だから、神代」


 真田の視線が蒼真へ向く。


「お前が旧班を大事にしていることは分かる。それでいい。ただ、この班で戦う時は、俺たちの背中も見てくれ」

「……分かった」


 蒼真は右手を握った。

 弦はない。矢もない。けれど、頭の中に新しい射線が一本引かれた。


「真田」

「何だ」

「よろしく、班長」


 真田は一瞬だけ表情を引き締めた。

 それから、短く頷いた。


「ああ。よろしく、神代」


 高い窓から落ちる四月の光が、訓練場の床に長く伸びていた。その光の上に、まだ揃っていない六つの影が並ぶ。

 蒼真はその端に立ち、前にいる真田の背中を見た。


 班長ではない。

 けれど、射を置く場所はある。

 まだ届かない距離も、まだ噛み合わない呼吸もある。それでも、第4班の最初の線は、確かに足元から伸び始めていた。

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