↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第六章 Sクラスの弓術士編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
117/140

第117話 川崎麻衣

 三月下旬の学院は、普段より広く感じた。

 終業式も終わった校舎には、自主訓練に来た生徒の声がまばらに響いている。川崎麻衣(かわさきまい)は面談室の前で、両手を制服のスカートの上に重ねた。

 指先が冷たい。寒いからではない。面談室の扉を前にすると、手のひらだけが落ち着かなかった。


 扉の向こうには、榊原美樹がいる。

 今日は、来年度に自分が所属する班と正式に顔を合わせる日だった。

 Sクラスから一般クラスへ移る。その言葉はもう何度も頭の中で噛み砕いた。劣等生として落とすのではない。自分の《土壁(ストーンウォール)》も《泥沼(クワグマイアー)》も能力そのものが低いわけではない。ただ前の班では噛み合わなかった。

 理解はしている。けれど、理解と感情は同じ速度では進まない。

 廊下の先から、明るい声が聞こえた。


「ここで合ってるよな? 面談室って、ここだよな?」

「合っている。扉に書いてあるだろ」

「いや、合ってるかどうかを声に出して確認すると安心するだろ」

「お前だけだ」


 男子二人の声に続いて、女子の軽い笑い声が近づいてくる。

 麻衣は背筋を伸ばした。

 廊下の角を曲がってきたのは、五人だった。

 先頭にいる背の高い男子が麻衣の姿を見つけ、一瞬だけ足を止める。それから、ぱっと表情を明るくした。


「川崎さん、だよな。俺、橘悠斗。来年度から、たぶん班長やることになった。よろしく!」


 勢いのある自己紹介だった。

 声も大きい。手を差し出す速度も速い。けれど、その手は途中でぴたりと止まった。いきなり握手を求めるのは強すぎると思ったのか、悠斗は自分の手を見て慌てた顔をする。


「あ、いや、握手は別に今じゃなくてもいいな。ごめん、先走った」

「悠斗、初手から圧が強い」

「圧って言うな。歓迎の気持ちだよ」

「歓迎を全身で突撃させるな」


 隣の男子――宮瀬航が淡々と釘を刺す。

 そのやりとりが自然すぎて、麻衣は瞬きをした。

 怒られているのに、悠斗は本気で落ち込んでいない。航も突き放しているわけではない。二人の間にある距離が近い。

 その後ろから、赤みのある髪を揺らした女子が顔を出した。


「鬼塚紅葉。斥候だよ。悠斗がうるさかったら遠慮なく言ってね。たぶん静かにはならないけど、私たちが慣れてるから」

「慣れてるって何だよ」

「一年分の実績」

「重い」


 紅葉が笑うと、残る二人の女子も表情を緩めた。

 中村里奈と、小林真帆。

 麻衣は二人の名前を知っていた。対人戦の決勝で何度も聞いた名前だ。

 里奈が一歩前に出る。


「中村里奈です。氷魔法使い、です。よろしくお願いします」

「小林真帆です。白魔法使いです。よろしくお願いします、川崎さん」


 二人の声は柔らかかった。

 麻衣の中で固くなっていたものが、ゆるやかにほどける。


「川崎麻衣です。地魔法使いです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 悠斗が何か言いかけ、航に横から肘で止められる。紅葉が「今のは止めて正解」と小声で言い、悠斗が「分かってるよ」とさらに小声で返した。

 麻衣は思わず口元を押さえた。


「……賑やかな班なんですね」

「え、今の褒められた?」

「たぶん違う」

「いや、賑やかは長所だろ」

「短所にもなる」


 航の即答に、悠斗が肩を落とす。

 その空気に、面談室の扉が内側から開いた。

 榊原が穏やかな顔で立っている。


「全員揃ったわね。入りましょうか」


 面談室には、六人分の椅子が半円に近い形で置かれていた。

 榊原の目に同情の色はなかった。ただ、次に進む生徒を確認する教官の目だった。


「来年度、川崎さんは二年一組所属、第五班へ配属となります。橘君たち五人は、神代君がSクラスへ昇格した後、この六人で新しい第五班として活動します」


 神代君。

 その名前が出た瞬間、麻衣は無意識に指先を握った。

 自分が抜けた場所へ行く生徒。自分が入る班から抜ける生徒。

 彼のことを、麻衣は一度だけ近くで見ている。職員室近くの廊下で、榊原に呼ばれた帰りだった。すれ違いざま、彼は短く会釈をした。

 それなのに、妙に覚えている。勝った人の顔ではなかったからだ。


「まず、確認しておきます」


 榊原の声で、麻衣は意識を戻した。


「川崎さんは、Sクラスの水準に届かないから配属されるわけではありません。地魔法の発動速度や制御、座学はどれも評価対象として十分です。ただ、前の班では得意な『止める』『区切る』『足場を変える』役割が戦術の中心に置かれにくかった」

「はい」

「第五班は、神代君が抜けたことで火力と射程の形が変わります。その代わり、あなたの《土壁(ストーンウォール)》と《泥沼(クワグマイアー)》はここでは前よりずっと必要になる可能性が高い」


 榊原の言葉に、麻衣は黙って頷いた。

 必要になる。その言葉は怖くて、嬉しくもあった。

 里奈が控えめに手を上げる。


「あの、質問してもいいですか」

「どうぞ」

「川崎さんの《土壁(ストーンウォール)》って、幅と厚みはどれくらい調整できますか?」


 麻衣は驚いて里奈を見た。

 遠慮や気遣いではなく、戦術の質問だった。自分の魔法と合わせるために必要な情報を聞いている顔だった。


「幅は最大で三メートルくらいまでなら。厚くすると幅は狭くなります。高さは今の制御だと二メートル少しが安定します」

「私の《氷壁(アイスウォール)》より、幅を取りやすいですね」

「でも、展開速度はたぶん氷より遅いです。地面に定着させる分、出す場所を間違えると邪魔になります」

「邪魔に、できますよね」

「え?」

「敵にとって、です」


 里奈の言葉に、麻衣は息を止めた。

 紅葉が目を輝かせる。


「それ、面白い。氷で退路を狭めて、土で横を塞ぐ。そこに泥で足を取ったら、かなり嫌な通路作れるんじゃない?」

「宮瀬くんが盾で前を止めて、橘くんが横から突く。真帆ちゃんは《光盾(ライトシールド)》と《光矢(ライトアロー)》で補助。……あ、すみません。勝手に」

「いや、続けてください」


 麻衣の声は、さっきより強く出た。

 里奈は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく頷く。


「川崎さんの《泥沼(クワグマイアー)》は足場を悪くする魔法ですよね。私の《氷床(フロストバインド)》も、滑らせる使い方ができます。泥で沈ませて氷で滑らせれば、敵の踏み直しがかなり遅れると思います」

「ただ、味方も巻き込みます」

「はい。だから、使う場所を決めたいです。紅葉ちゃんの索敵と合わせて、橘くんと宮瀬くんが踏まない線を先に作れれば」

「俺、踏まない自信あんまりないんだけど」

「そこは持て、班長」

「真帆さんや、俺が踏んだらよろしく」

「踏まない前提でお願いします」


 麻衣は、自分の中に沈んでいた言葉を探した。ここで黙ったままだと、また同じことになる。


「私、前の班では、あまり言えませんでした」


 五人の視線が麻衣に向く。怖い。けれど、逃げたいほどではなかった。


「真田くんが前を作ってくれて、火力のある人たちがすぐ倒してくれて。私の壁や泥を使う前に、戦闘が終わることも多かったです。だから、必要ないなら邪魔しない方がいいと思っていました」


 言葉にしてみると、胸が痛んだ。

 でも、榊原は何も挟まない。悠斗も、今度は口を開かなかった。


「でも、それだと自分が何をできるのか、班にも伝わらないままでした。だから、今度は必要だと思ったら言います。……言うようにします」

「言ってくれ」


 悠斗が、今度は静かに返した。


「俺、まだ班長って感じじゃないけど、聞くことはできる。たぶん、声だけはでかいから、言ってくれたら拾う」

「そこは自信あるんだ」

「ある。声量で負けたら俺の良さが半分消える」

「半分で済むんだ」


 紅葉の突っ込みで、また笑いが起きる。

 麻衣も、今度ははっきり笑えた。

 榊原が満足そうに一つ頷く。


「良い滑り出しね。正式な訓練は新年度からだけれど、春休み中に顔を合わせておく意味はあったと思います。今日はここまで。細かい運用は、後藤先生の指示が出てから進めなさい」

「はい!」


 悠斗の返事だけが、やはり大きかった。

 面談室を出ると、廊下の空気が冷たく感じた。麻衣は一度息を吸う。

 廊下の向こうから、弓袋を肩にかけた男子が歩いてくる。神代蒼真だった。



       ◇◆◇



 蒼真は、面談室の前に集まった六人を見た。

 旧第5班の五人。

 そこに、知らない女子が一人いる。

 茶色のショートカット。大人しそうに見えるが、目だけはまっすぐこちらを見ていた。

 職員室近くの廊下で、一度すれ違った生徒だ。


「神代さん、ですよね」


 彼女が先に言った。


「川崎麻衣です。来年度から、第五班に入ることになりました」

「神代蒼真です。二年次から、Sクラスに上がることになりました」


 言ってから、少し変な自己紹介だと思った。互いに、入れ替わる場所を名乗っている。


「あの時、廊下で会釈してくれましたよね」

「覚えてたんですか」

「はい。……私、あの時、あまり顔を上げられなかったので。ちゃんと返せていなかったら、すみません」

「いや、俺もただ会釈しただけだから」


 蒼真は首を振った。

 悠斗が横から口を挟もうとして、航に袖を掴まれて止められている。

 川崎は息を吸う。


「神代さんがいた班に、私が入ります。神代さんが行く場所から、私は出ます。正直、複雑です」


 まっすぐな言葉だった。蒼真は、返事を急がなかった。自分だって、Sクラスに行ける喜びと、五人から離れる寂しさが同じ場所にある。


「俺も、複雑です。嬉しいけど、寂しい。だから、川崎さんがそう言ってくれて安心しました」

「安心、ですか」

「俺だけじゃないんだなって」


 川崎は目を瞬かせ、それからほんの少しだけ笑った。


「……変わった人ですね」

「よく言われる」

「本当に言われてそう」


 紅葉の小声に、悠斗が吹き出した。

 川崎も釣られるように笑う。その笑い方は控えめだったが、無理はなかった。

 里奈が、川崎の隣に並ぶ。


「神代さん。川崎さんの《土壁(ストーンウォール)》と《泥沼(クワグマイアー)》、すごく面白いです」

「面白い?」

「はい。私の《氷壁(アイスウォール)》と《氷床(フロストバインド)》と合わせられます。たぶん、前より安全に戦えます」


 その言葉に、蒼真は肩の奥から息が抜けるのを感じた。

 自分が抜ける穴が、そのまま穴として残るわけではない。それは寂しい。けれど、嬉しくもあった。


「そっか。なら、俺もSクラスで負けてられないな」

「負けるなよ、蒼真」

「悠斗もな」

「おう。こっちはこっちで、第5班やるから」


 悠斗の声は、前より班長らしく聞こえた。

 蒼真は川崎に向き直り、軽く頭を下げた。


「五人を、よろしくお願いします」

「はい。でも、私も入るので」


 川崎は言葉を探し、続けた。


「六人の第五班として、やれることをやります」


 その返答に、蒼真は自然と笑った。


「うん。よろしく、川崎さん」


 廊下の窓から、春の光が差し込んでいた。

 旧第5班は、もう同じ形ではない。けれど、終わったわけでもない。

 自分の知らない配置図が、五人と一人の間で新しく描かれ始めている。蒼真は弓袋の紐を握り直した。

 自分もまた、新しい場所で射を置かなければならない。

 春は、もうすぐそこまで来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。