第103話 弓潰しに対する答え
銅鑼の音が、低く、長く、フィールド全体を覆った。
その響きが立ち上がりきる前に、フィールド全体を覆う魔道具の起動光が青く脈を打った。
冬の朝の弱い太陽光と、青い脈打ちの光が石造りの床の上で混ざり合った。
蒼真は両足を、その光の上に踏み締めた。
「来るぞ」
航が、低い声で、半歩斜め後ろから言った。
蒼真が顔を上げた時には、フィールドの西側から四人の剣士が一直線に動き始めていた。
西島慎也、茂野亘、杉浦拓海――三人が前衛で横一列に。その後ろから、もう一人の剣士・榊原修吾が半歩遅れて続く。火炎の魔法使い・赤羽朱莉と斥候は剣士たちの背後で距離を取り、ヒーラーの藤野沙也は西側の石柱の影の手前まで下がった。
四人の剣士が同時に床を蹴った。
石床を打つ靴音が、横一列に揃って迫ってくる。
狙いは迷っていない。
全員、蒼真だった。
弓潰し。
遠距離職を真正面から潰すための、対弓術士の定石。
想定通り。
けれど、想定していたよりも、音が近い。
「想定通り!」
悠斗が叫び、槍の石突きを床に噛ませた。
航が剣を低く抜きながら、悠斗の左に半歩並んだ。前衛二枚の壁が、蒼真の前で、ぴたりと出来上がる。
「悠斗、左の二枚!航、右の二枚!」
蒼真は短く指示を飛ばしながら、自分は半歩後ろへ下がった。
矢筒から右手で一本、引き抜く。弽の革が、親指の付け根の弦枕の位置に、しっかりと乗っている。冬の朝の空気が冷えていることを、もう頬では感じていなかった。
最初の矢を、杉浦の右肩へ向けて、引き分ける。
通常射。距離、十八メートル。
蒼真の右目の端で、矢の蒼い軌跡が尾を引いた。
矢は、杉浦の右肩を掠め、肩口に判定を刻んだ。
淡い赤の判定光が、杉浦の身体を一瞬だけ縁取る。
「杉浦!」
西島の声が飛ぶ。
「止まるな!」
「止まってねえ!」
杉浦は歯を食いしばり、剣を握り直した。
右肩の動きは鈍い。それでも、足は前に出ている。
杉浦は止まらない。
だが、剣を振り上げる右肩が、半拍だけ遅れた。
切っ先が、予定より低い。
その低さを、悠斗が見た。
「そこ!」
悠斗の槍が、杉浦の腹部へ走った。
杉浦の剣が横から入る。
鋼と鋼が噛み合い、乾いた音が石床で跳ねた。
槍の穂先が流される。
だが、悠斗は腕を引かない。
柄を手の中で滑らせ、石突きを床に擦らせた。
ぎ、と短く石が鳴った。
次の瞬間、槍が下から跳ねた。
「お前、それ、引き戻し早ぇな!」
悠斗が、突き出しながら、声を張った。
杉浦の眉が寄る。
剣の腹で受けたはずの突きが、腕ごと押し返してくる。
杉浦が眉根を寄せたまま半歩後ろへ下がる。悠斗の二度目の突きを、辛うじて剣の腹で受け止めた。
航はその隣で、右前列――茂野亘の隣に立つ榊原の踏み込みを剣の腹で横へ流していた。受け流しながら左足を半歩内側へ送り込み、相手の体勢を斜めに崩しにかかる。
「蒼真、右の二枚、押さえてくれるか!左、俺らで遅らせる!」
悠斗が、槍を振り戻しながら、振り向かないまま叫んだ。
蒼真は、もう次の矢を引き絞っていた。
右の二枚――茂野亘と、その隣の榊原。茂野は大盾を左腕に構えて進んでいる。盾の縁の鋼が冬の朝の光を白く返す。茂野の表情は変わらない。寡黙な職人が持ち場の仕事に取り掛かるような、静かな前進だった。
蒼真は、茂野の盾の縁の脇――盾と身体の隙間に、二本目の矢を放った。
通常射、十六メートル、距離詰めながらの一射。
矢は茂野の盾の縁を紙一重で外し、後ろの榊原の太腿側面に当たった。判定光が淡い赤でもう一つ点る。
「――硬いな」
蒼真は、口の中だけでつぶやいた。
茂野の盾の取り回しが、想定よりも一段速い。盾は蒼真の射撃線と榊原の身体の中央との間に、常に介在する位置へ動かされている。射線が榊原の胸や腹の中心へ通らない。
ここで、フィールドの西側、剣士たちの後ろから、赤羽が杖を上げた。
「紅葉!」
蒼真が振り向くより早く、紅葉が中衛の右側から半歩前へ出ていた。
「来るよ!《火炎》、扇状!悠斗と航のところ、巻き込まれる!」
紅葉の声はいつもより一段高かった。けれど語尾は揺れていない。半身の構えのまま、赤羽の杖先と悠斗・航の足元を同時に押さえている。
「里奈!」
蒼真は、声をフィールドの後衛位置に向かって、半身で投げた。
里奈が、すでに杖を、両手で胸の前まで持ち上げていた。杖頭の魔導具の連動部分から、淡い白い光が上向きに立ち上がる。
「《氷壁》!」
里奈の声が、フィールドの東側の空気を一拍だけ凍らせた。
悠斗と航の前――前衛二枚の二メートルほど前方に、白い結晶が床から斜めに立ち上がり、垂直の壁を形成した。横幅は約三メートル。高さは約二メートル。赤羽の杖先から扇状に開きかけた炎が壁に当たり、左右へ分かれた。
炎の縁の熱気が氷壁の表面を溶かしながら、左右へ流れていく。
蒼真は、その光景を、視界の端で捉えた。氷壁の正面投影面積――去年の秋までの里奈の《氷壁》より、明らかに、面積が広い。
「里奈、上手いな!」
蒼真は、口に出してから、すぐに次の矢を引いていた。
里奈の杖先の白い光が、もう一度脈を打つ。
「もうちょっと、もちます!」
「真帆!」
蒼真の声に、後衛位置の右側から、真帆の白い光が応じた。
「《光球》、行きます!」
真帆の杖先に、白い光の球が生まれていた。直径、握りこぶし二つ分ほど。
球は真帆の手のひらを離れ、フィールド中央の悠斗と航の頭上へ浮き上がっていく。
冬の朝の太陽光の下では、《光球》の白い輝きはそれほど派手には見えない。それでも、相手側の剣士たちの目線を一拍引きつける効果はあった。
「西島!光、注意」
西島が、フィールドの西側の最前列で、短く部下に指示を出した声が、聞こえた。
声は短いが、よく通る。剣士たち四人の動きが、その声に合わせて、一拍だけ、足を止めた。
蒼真は、その一拍を逃さなかった。
「悠斗、航、半歩引け!」
悠斗と航が上体を後ろへ送る。
蒼真は矢を引き絞ったまま、半歩左へ動いた。茂野の大盾の角度から、射線がわずかにずれる。
左の前列――悠斗が押し合っている杉浦の、剣を持つ右腕の付け根。
通常射、十四メートル。
矢が蒼真の指先を離れた瞬間、蒼い軌跡が石床の上に白く尾を引いた。
矢は杉浦の上腕の三角筋に深く食い込まず、軽く乗った。判定光が、再び赤で点る。杉浦の右腕の動きが、目に見えて、鈍くなった。
「悠斗、押せ!」
「おう!」
悠斗は右腕の動きが鈍くなった杉浦の正面で槍を大きく振り回し、突きを三度続けた。杉浦の剣の動きが、上腕の鈍さに引きずられて、防御の角度を保てなくなる。三度目の突きが、杉浦の腹部中央に軽く触れた。
判定光が、杉浦の身体の周りで、赤から橙へ、輪郭の色を一段濃くした。
「中位ポイント!」
航が、自分の打ち合いの合間に、短く確認の声を出した。
蒼真は頷いて、もう次の矢を、矢筒から抜いていた。
フィールドの西側で、西島の声が、低く、けれども鋭く飛んだ。
「左、下げろ!ヒーラーの届く位置まで!」
杉浦がぎこちなく半歩後ろへ下がる。盾の後ろから藤野が、杉浦の右腕の三角筋に白い光をかける。判定光の赤い輪郭が弱まった。
「あー、ヒーラー仕事してんな」
悠斗が、槍を構え直しながら、声を張った。
「あったりめーだろ、ヒーラー入ってんだから」
「悠斗、お前、口、減らせ」
「無理だな」
「だろうな」
航が半眼で短く返すと、悠斗が肩を、もう一段、揺らして笑った。
蒼真は視界の端で、藤野の白い光が杉浦の右腕に吸い込まれるのを確認しながら、次の矢を引き絞った。藤野の回復で、蓄積がいくらか戻されていく。
けれども、ゼロには戻らない。蓄積のいくらかは、相手の身体に残る。それが、この試合の、組み立ての肝だった。
◇
序盤の四分。
蒼真の通常射が、四組第二班の前衛剣士たちの腕や脚に軽傷ポイントを蓄積させていく。深刻なダメージは入らない。それでも一射ごとに剣士たちの動きは鈍る。藤野の白い光がその鈍さの一部を戻すが、戻し切れない蓄積は残る。
悠斗と航の前衛二枚は、その一拍の鈍さを、確実に逃さない。
悠斗が大声を上げた。
「これだよ、これ!お前ら、よく覚えとけよ!弓術士の班ってのは、こういうもんなんだよ!」
「悠斗、口、動かしすぎ」
「ちょっとくらい、いいだろ!俺、こういう時、無口になれないんだよ!」
「知ってる」
「知ってんのかよ」
「一年、一緒にいる」
「だな!」
航が半眼で短く返して、悠斗が肩を揺らして笑いながら、槍を回す。
紅葉が中衛右側から半身のまま、口元に笑みを乗せた。
「悠斗、声、フィールドの外まで、届いてるからね」
「いいんだよ、届いて」
「観客席に、紅葉のお父さん、来てなかったよね?」
「来てねえだろ、たぶん。静岡だし」
「よかった」
「なんで!?」
紅葉は、肩越しに、ふっ、と短く笑った。
蒼真はその掛け合いを視界の端で聞きながら、自分の口元が緩むのを止めなかった。
冬の朝の空気の中で、心臓は普段の倍ほどの速さで脈を刻んでいた。それでも乱れてはいない。こめかみに汗が滲んでいるのを、自分でも感じる。
速い。
怖い。
一歩でも判断を間違えれば、前衛の壁ごと押し潰される。
それでも、蒼真の口元は動いていた。
「楽しい」
蒼真は、口の中だけで、つぶやいた。
戦いの最中にこんな言葉を口の中で言うのは、たぶん初めてだった。それでも、今この胸にあるものを言い表すのに、それ以上の言葉は浮かばなかった。
次の矢を、矢筒から抜く。
前衛盾――茂野亘が、悠斗と航の正面へ半歩ずつ踏み込んでくる。盾の取り回しに隙はない。茂野の足は地面から離れず、盾の縁も上げすぎない。職人が工具を決まった角度でしか動かさないのと同じ動きだった。
茂野の大盾の裏に、榊原と赤羽が隠れる位置を取り始めていた。
四組第二班の隊形が、変わってきている。
序盤の弓潰しは、四人の剣士で一直線に蒼真を狙う動きだった。そこから中盤の前衛盾――茂野の盾の後ろに残る三名を置き、まとまって押し進む構図へ移っている。
西島の指揮が、相手側のフィールドから何度か低く飛んでいる。一年生の班長らしい硬さはあるが迷いはない。指示の単語選びには事前準備が見える。「左、下げろ」「ヒーラーは左に」「盾、二歩前」――必要な単語だけで構成された指揮。
蒼真は、隊形が変わる気配を、まっすぐに視線で受け止めた。
西島は、想定通り、いい指揮官だった。
◇
「蒼真!」
航が、剣を一度、榊原の打ち下ろしから受け流した後で、声を投げてきた。
「茂野の盾、想定より、固い。直射、抜けるか?」
「抜けない」
蒼真は、即答した。
茂野の盾の取り回しは、蒼真の射線を何度も紙一重で塞いでくる。盾の角度は、視界の中で絶えず動き続けている。盾の縁の鋼が、フィールドの中央で銀色の弧を描いている。
矢の射線を茂野の身体の中心に通そうとすると、必ず盾が割り込む。盾の縁を狙えば、後ろの榊原の太腿に当たる程度の、軽傷ポイントしか取れない。
あの大盾を、直射では、抜けない。
「弐、込めるか?」
航が、剣を構え直しながら、横目だけで蒼真の方を見た。
「いや」
蒼真は、首を、横に振った。
「『弐』をここで撃っても、たぶん茂野の盾の表面で止まる。あの盾、魔力防御の付与が結構厚い」
「読んだか」
「盾の表面じゃない。縁を掠めた時、矢の勢いが死んだ」
「『弐』を正面に使うのは損か」
「損だ。九十五で当たる一本は、盾じゃなく、人に使う」
「了解だ。じゃあ、正面は捨てる」
航はそれ以上何も訊かず、視線を榊原へ戻した。剣を構え直す時、航の口元がわずかに動いた。あれは蒼真の判断を、参謀の側から追認した時の表情だった。
蒼真は矢を抜きながら、月曜のホワイトボードの七行を頭の中に呼び戻した。
《小転移》――三択を回す。本物発動は、たぶん、温存。
『弐』、九十五。決め所に、一射、もしくは二射。
里奈の氷床、帯。真帆の《光盾》と《回復》。
ここは、まだ、決め所ではなかった。
蒼真はもう一本の矢を放った。狙いは茂野の盾と榊原の隙間――盾の右端と榊原の左肩の間、五センチほどの空間。
矢は盾の縁の鋼を紙一重で外し、榊原の左肩の僧帽筋に軽く触れた。判定光が、また淡い赤で点る。蓄積、もう一段。
「いいぞ、蒼真!」
悠斗が、杉浦との打ち合いの合間に、こちらを向かずに叫んだ。
「相手、もう、左の剣士、まともに動けてねえぞ!」
「もう一押し!」
蒼真は声を返してから、自分の射撃位置を右へ一歩寄せた。茂野の盾の角度を、別の側から見るための位置取り。
茂野の盾は、その動きに滑らかに追従した。
追従が、滑らかすぎる。
蒼真は、その滑らかさの中に、一瞬、薄い違和感を覚えた。
茂野は、こちらの射撃位置の動きを視覚で追っているのではない。気配で足運びを先回りして読んでいる。寡黙な職人の職人芸、その根の深さ。
「――面倒だな」
蒼真は口の中だけでつぶやき、自分が笑いかけていることに気づいた。
面倒な相手は、燃える。
◇◆◇
観客席の東側上段から二段ほど下りた位置で、凛は両手をマフラーに埋めたままフィールドの東側を見ていた。
隣で、ほのかが、同じようにフィールドへ視線を向けたまま、つぶやいた。
「凛ちゃん、これ、いい試合だね」
「……うん」
「相手の班、盾の人を中心に崩れにくい」
「悪くない」
「白魔法使いから見ると、あの盾があるだけで後ろが呼吸しやすいと思う」
「……ほのかは、そっちを見るんだ」
「うん。私は後ろが安心して魔法を置けるか、先に見ちゃう」
「分かる。あの班、後ろが慌ててない」
凛は、フィールドの東側の弓術士へ視線を戻した。
フィールド東側の弓術士は、左の押し手を和弓の握りに置き、いつもの素手の構えを崩していなかった。冬の朝の光の下で、彼の右手の弽の革が矢筒の縁に触れて離れる。その動作のテンポは九ヶ月前の四月のあの日とほとんど同じだった。
ほとんど同じだ。けれど、その横に五人が立っていた。
凛は視界の端で、《氷壁》を立てた氷魔法使いの子の杖先に白い光が脈打つのを捉えた。
あの《氷壁》の正面投影面積――以前見たものより、明らかに広い。秋のイレギュラー対応のあと、あの子は自分の魔法の使い方を書き換えてきた。凛は観客席のこの位置から、それをはっきり見て取った。
「あの氷魔法の子」
ほのかが、隣でつぶやいた。
「うん」
「秋から、別人みたい」
「別人じゃないよ」
凛は、視線をフィールドからそらさずに、答えた。
「同じ人が、ちゃんと、強くなった」
「凛ちゃん、そういう見方をするんだね」
「ほのかの見方も、分かりやすいと思う」
「……うん。ありがとう」
ほのかは両手を、もう一度マフラーの中に深く埋めた。
ほのかの肩が少し近く寄っているのを、凛は視界の端で感じていた。けれど何も言わなかった。
「ねえ、凛ちゃん」
「ん」
「あの弓術士の人、まだ、何か、残してるよね」
「……たぶん、ね」
「私にも、まだ撃ち切ってないように見える」
「ほのかにも、そう見えるんだ」
「うん。回復役って、相手の余力を見る癖がつくから」
「そっか。なら、同じ見方をしてる」
凛は自分の言葉に、小さく頷いた。
弓の引き分けの深さも、矢の選び方も、まだ出し切られていない。あの人は今、相手班の隊形が変わるのをじっと見ている。隊形が完全に切り替わる、その一拍を待っている。
ほのかが、隣で、視線をフィールドの方へ戻した。
◇◆◇
試合開始から、約七分。
四組第二班の隊形は、茂野の大盾を先頭にした前進体形へ完全に切り替わっていた。
茂野の盾の後ろには、榊原、赤羽、藤野が隠れる位置を取っている。西島と杉浦は、悠斗と航の前衛二枚を真正面から押さえに来ている。
悠斗と航は、押し負けていない。
杉浦の右腕は、蒼真の通常射の蓄積で、ほぼ機能していない。悠斗の槍が、杉浦をフィールド中央から北側へ押し込んでいる。
航は西島の剣を腹で何度も流しながら、距離を保つ。西島の踏み込みは鋭いが、航はその先を常に半歩外している。
けれども、茂野の盾の後ろから、後衛三名を完全に消されている状況は、変わらない。
蒼真の直射は、茂野の盾の表面で、一射ごとに、止まる。
「蒼真!」
悠斗の声が、フィールドの中央から、こちらに飛んできた。
「あの盾、どうする!?」
蒼真は矢を引き絞ったまま、半呼吸だけ息を止めた。
茂野の大盾の縁が、フィールド中央で銀色の弧をこちらへ向けて描いている。盾の角度、傾き、高さ。そのすべてが職人の手の中で隙なく組み立てられていた。
直射では、抜けない。
『弐』を撃ち込んでも、たぶん、表面で、止められる。
蒼真は、もう一つの選択肢を頭の中から引き出していた。
矢の軌道を直線のままにしない。弓の軸をずらし、矢のしなりと復元で射線を横へ流す射撃。
茂野の大盾の正面を避ける。盾の右縁を回り込ませ、盾の後ろの死角――フィールド西側の藤野の足元まで矢を運ぶ。
九ヶ月前――四月の半ば、入学から十日余りのあの日。フィールドのこの石の床の上で、須藤大河と向かい合った時に、放った一射。
あの一射以来、本格的な戦闘で使うのは、ほぼ、初めてになる。
曲弦射。
蒼真は、その選択肢の名前を頭の中で書き直した。
「悠斗、航」
蒼真は、口に出した。
「ん?」
「あの盾、正面は捨てる」
「抜かない、ってことか」
「抜かない。縁の外から、曲げて入れる」
悠斗が、杉浦と打ち合いながら、振り向かないまま、声を返した。
「――やっと、来たかよ!」
「やっと、来た」
「お前のあれ、十ヶ月ぶりだろ!」
「ぶりだ」
「俺、楽しみにしてたんだぞ!」
「楽しみにしてたって、何だよ」
「お前の曲弦射、俺、訓練場でしか見たことないんだよ!本番で見るの、初めてなんだよ!」
「悠斗、口、動かしすぎ」
「いいだろ、これくらい!」
悠斗は杉浦の剣を槍の柄で押し返し、肩を小さく揺らした。
航が、その横で、剣を構え直しながら、半眼で振り向いた。
「蒼真、いつ撃つ?」
「次だ。茂野が半歩出た瞬間に曲げる」
「盾の右縁、見ておく。角度が戻ったら声を投げる」
「頼む」
航は、それだけ返してから、視線を、西島の方へ戻した。
「里奈、真帆、紅葉も、聞こえたな?」
「聞こえました!」
里奈の声が、後衛位置の左側から、少し弾んで、返ってきた。
「《光球》、もう一個、出しときますか?」
真帆の声が、後衛位置の右側から続いた。
「いや、今の一つで足りる。真帆は次の光球を温存して」
「分かりました。撃たずに待ちます」
「紅葉、藤野、動き止められそうか?」
「もう止まりかけてるよ。盾の後ろ、半身しか出せてない」
紅葉の声は中衛右側から、いつも通り笑みを含んで返ってきた。
「上手いな、紅葉」
「褒めるのは撃ってからでいいよ、班長」
「索敵してるだけ、じゃないよ。お前の位置取り、藤野、半身しか出せない角度に追い込んでる」
蒼真はそこまで言ってから、片側の口元を上げた。
紅葉が半身の構えのまま、肩越しに短く笑った。
「準備しないと、嫌だから」
「だな」
蒼真は、矢筒から、もう一本の矢を抜いた。
弽の革の上で、右手の指先が弦に乗る。左手の押し手は、和弓の握りの上でいつもの位置に整った。
息を、一度だけ、深く吸う。
冬の朝の空気が、胸の奥まで白く流れ込んだ。
蒼真は弓の軸を垂直の位置から、数度だけ右側へ傾け始めた。
審判のスピーカーが、フィールドの中央から響いた。
「試合開始から、七分三十秒。残り、七分三十秒」
観客席のざわめきが、フィールド上の冬の空気に白く溶けていた。
茂野の大盾の縁が、そのざわめきの向こうで銀色の弧を描きながら、こちらへまた半歩進んでくる。
蒼真の視線は、その盾の縁――盾の正面右側の空気をまっすぐ貫いていた。




