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蒼弓の軌跡 ~探索者学院唯一の弓術士は静かに頂を狙う~  作者: 七夜灯
第四章 冬への助走編

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第101話 予選前夜

 二月第二週、月曜日の夕方だった。

 屋内訓練場中央のフィールドエリアには、仮設の障害物が二月第一週の最後の通し稽古の時と同じ配置で残されていた。柱に見立てた障害物が三本。足場の段差に見立てた合板の台が二つ。学院の事務には、明日の予選第1戦の朝までこの配置のまま残してもらうように話を通してある。


 六人がフィールドの隅に集まっていた。


 今日は通し稽古を組まなかった。先週の日曜の最終確認で、フォーメーションCの第一稿は身体に入りきっている。昨日の日曜から今日の月曜までに、各自が役割の最終確認を頭の中で済ませてきた。今日はフィールドの上で軽く動きを確認する。明日の朝の入場までの段取りを通すだけだった。


「明日、午前九時集合な」


 航がクリアファイルを開き、A4の紙を一枚皆の方に向けた。


「集合場所は立川学院演武場の選手控室。試合開始は十時、終了は十時十五分。終わったら控室で装備を解除して、十一時までに観客席へ移動」

「観客席って、何見るんだっけ?」

「予選E組の他の試合だ。午前と午後で同グループ三班の試合を全部観戦する。3組第4班、2組第1班、5組第3班だ。次戦以降の対戦相手の動きを生で見ておきたい」

「ああ、そうだった。録画より生がいいって、お前先週言ってたな」

「録画は後ろの動きが切れる」


 航は淡々と返した。


「観戦中もメモは取れる。会場のルールで、対戦相手のスキル運用に関する記録は許可されてる。協会データベースに登録されたスキルなら、観戦中の記録も当然OKだ」

「了解」


 悠斗が槍の石突きを地面に立てた。


「明日の流れ、もっかい確認しとこうぜ」


 蒼真は五人の方を見た。


「九時に控室集合。装備の最終確認と魔導具の起動。審判団からの注意事項の説明。九時四十分にフィールド入場。九時五十分に相手班、4組第2班との挨拶。フィールド両端の所定位置で待機。十時に試合開始の合図」

「合図、銅鑼だっけ?」

「銅鑼の音一打だな。低く長い音。同時に、フィールド全体を覆う魔道具の起動光が青く一度脈打つ」

「ああ、思い出した。先週の説明会で写真出てたやつな」


 悠斗は槍を肩に担ぎ直した。


「合図と同時に、開始」

「同時に、開始な」


 蒼真は頷いた。


       ◇


 軽くフィールドの上を一周だけ歩き、自分の射撃位置から見える障害物の位置を目に焼き付けた。中衛の射撃位置の中で五メートル四方の動線。半歩横にずれる時の柱の陰への入り方。《小転移》の本物発動を仕掛ける時に使う、柱の手前の床の質感。すべて先週の通し稽古の時から変わっていない。


 悠斗と航が前衛位置で軽く槍と剣を合わせ、間合いを確認していた。里奈が後衛位置で《氷床(フロストバインド)》の帯を一度だけフィールド中央へ展開し、また消した。真帆が《光盾(ライトシールド)》を一度だけ紅葉の前に置いて下ろした。紅葉は斥候の動線をフィールドの両端で確認した。半身の構えのまま二度。

 三十分ほどで、確認は終わった。


「これで、あとは明日だな」


 蒼真は弓を下ろし、五人の方に向き直った。


「な、今日、全員で鷹丸行かないか?」

「お、行く行く!」


 悠斗が即答し、槍を担ぎ直した。


「あそこの生姜焼き、明日の朝の腹に入る前にもう一回入れときたい」

「明日の朝も食えばいいだろ」

「明日の朝はさあ、緊張で入らない可能性がまあまああるんだよ」

「お前、緊張するのか?」


 蒼真は思わず聞き返した。


「するよ。お前、しないの?」

「するに決まってるだろ。ただ」


 蒼真は半歩、自分の射撃位置の方に視線を戻してから続けた。


「悠斗の緊張とは、形が違う気がする」

「形?」

「悠斗のは、明日の朝の食欲に出る種類だろ。俺のは、頭の中で明日の戦闘の組み立てがずっと回り続ける種類」

「うわ、それ、お前らしいなあ」


 悠斗は半笑いで槍を肩に担ぎ直した。


「で、緊張の話は分かったから結局、鷹丸は?」

「行く」

「行きます」

「うん、行く」

「私も」


 残り四人の声が重なった。


「決まりだな」


 蒼真は短く笑った。訓練場を出て、訓練棟の入口の前で六人は装備を背負い直した。立川の冬の夕方の空気が、白い息を頬の前に広げていく。


「鷹丸まで徒歩十二分」


 航が時計を見た。


「予約は十八時。店主に頼んである。六名、奥のテーブル」

「お前、もう予約まで入れてたのか?」

「入れた。店主、『神代らの班か。お前らもう常連扱いだから、何も言わんでも分かる』だとさ」

「うわ、いいなそれ」


 悠斗は槍を担ぎ直して、訓練棟の出口へ歩き出した。残りの五人もそれに続いた。


   ◇


 めしや鷹丸の暖簾をくぐった時、店主が厨房の奥から顔を出し、いつもの太い声を出した。


「おう、来たか。奥のテーブル、用意してあるぞ」

「よろしくお願いします」


 蒼真は頭を下げた。


 六人で奥のテーブルに収まる。座敷ではなく、椅子のテーブル席。蒼真の隣に紅葉。その向かいに悠斗。悠斗の隣に航。奥に里奈と真帆。いつもの定位置だった。


「皆、何にする?」


 店主がメニューも持たずに立っていた。


「俺、生姜焼き定食、ご飯大盛りで!」

「俺は日替わり」

「サバの味噌煮定食、お願いします」

「鶏南蛮、お願いします」

「鯖定食でお願いします」

「私、玉子丼で」


 六人がそれぞれ即答した。店主は頷きながら注文を頭の中だけで覚え、厨房の奥へ戻っていった。メモは取らなかった。


「相変わらず、メモ取らないなあの人」

「常連の店ってのは、こういうことか」

「こういうことだ」


 航はそう返してから、少し考える顔で続けた。


「ただ、店主、俺の日替わりが何かは把握してないだろ」

「日替わりは店主の出すものを食う、っていう契約だから別にいい」

「契約言うな」


 航の半眼のツッコミに、悠斗が肩を揺らして笑った。


 水が運ばれてきた。湯気の立つ温かいおしぼりも人数分。先週の通し稽古の後にも、ここに来た。先月の月例実習の後にも、ここに来た。秋の異常事態対応の事後にも来た。夏休み前にも夏休み明けにも来た。一年生の四月。初めての実習の後で悠斗がこの店を探し当てた。あれから六人で何度この奥のテーブルに座っただろう。

 蒼真は、その回数を数えなかった。代わりにおしぼりで両手を温めた。冬の冷えで、まだ指先の感覚が戻りきっていない。


 悠斗が、お冷やのコップを手の中で一度だけ回した。


「なんかこう、ここに座ると落ち着くよなあ」

「落ち着くね」


 紅葉が短く同意した。


「なんでだろうな」

「店主が毎回、注文覚えててくれるから、じゃないか?」

「それだけ?」

「それだけじゃないだろうけど。それもたぶん入ってる」

「あと、ご飯の盛りが多いから」

「お前は、それ、絶対入ってるだろうな」


 悠斗の発言に紅葉が即座にツッコんで、テーブルの空気が揺れた。里奈が口元を押さえて笑い、真帆も肩を揺らした。


 しばらくしてから、里奈がおしぼりを丁寧に畳み直し、ぽつりと口を開いた。


「私、四月の最初の頃は、ここの暖簾くぐるのも緊張してたんだよね」

「えっ、そうだったの?」


 真帆が両手で包んでいた湯呑みを少し下ろした。


「うん。お店の人、声太いし、ちょっとぎこちなかったというか」

「店主、声は太いからな」

「うん、最初の頃は何頼んでいいか口に出すのも、ちょっと」


 里奈はそこで言葉を切り、湯呑みのお茶を一口飲んでから笑った。


「今は、平気」

「うん。今の里奈ちゃん、注文、店主より先に言いそうだもんね」

「真帆ちゃん、それはさすがに言いすぎ」


 里奈はもう一度笑った。今日の里奈の笑い方は、月曜のミーティングスペースの時より自然に口元が動いていた。真帆は湯呑みを両手で包んだまま里奈を見て、嬉しそうに目元を緩めた。


   ◇


 料理が運ばれてきて、「いただきます」の声が六人から重なった。

 しばらくはそれぞれが無言で食べた。明日の話は誰からも出なかった。蒼真の生姜焼きはいつも通りだった。肉の繊維が口の中で解れる柔らかさで、ご飯が進む。悠斗の生姜焼き定食は大盛りの茶碗が見えなくなるほど肉とキャベツで埋まっていた。


 半分ほど食べ進んだところで、悠斗が箸を置いた。


「明日、前衛、任せろ」


 短く、それだけ言った。


「悠斗」


 蒼真は箸を一度止めた。


「囮役で前に出る時も、本命役で抑える時も両方組み立てとく。お前のフェイント後に視線を外した一瞬を抜く動き。お前が転移した先の射線方向へ敵を押し込む動き。両方、頭の中で何回も走らせた」

「頼むぞ」

「任せろって」


 悠斗はもう一度繰り返し、ご飯をひと口食べた。茶碗の山が少し低くなった。


 航が箸を置いて続いた。


「俺は、お前の指示通りに動く」


 航は淡々と切り出してから、少し言葉を選ぶような間を置いた。


「前衛で悠斗と並ぶ時も、フェイント時の側面取りでも本物時の押し込みでも判断に合わせる。お前が頭の中でフェイントを混ぜる順番を走らせている間。あるいは本物を入れる場所や相手班長の判断負荷を整理している間。俺は、お前の手の動きと悠斗の槍の角度を見る。鬼塚の視線の方向も見続ける。お前の判断が俺の動きに降りてくるのを待つ」

「ありがとな」

「役割だ」


 航はもう一度箸を取った。サバの味噌煮を、骨を残しながら丁寧に解いていく。普段通りの几帳面さだった。


「あとお前、今日、歩幅広いな」

「え?」

「訓練場から鷹丸まで歩いてくる時。歩幅が広い時のお前は、頭の中でもう次の手を組んでる」

「お前、それ、よく見てるな」

「役割だ」


 航は同じ言葉で返した。蒼真は思わず吹き出しそうになり、湯呑みを手に取って隠した。


 紅葉が玉子丼の途中で箸を置いた。


「索敵、絶対外さない」


 短く、それだけ言った。


「相手の班長の動きを横からずっと読み続ける。蒼真のフェイントが入った時、相手の班長が判断を外した瞬間を私の側で測る。本物が入った時は、判断がどこで完全に追いつかなくなったかも測る」

「測ったら、戦闘中に合図くれるか?」

「うん、合図する。たぶん二回か三回は入れる」

「頼んだ」

「任せといて」


 紅葉はもう一度箸を取り、玉子丼の続きを食べ始めた。先月の月例実習後の食卓と同じように淡々と丁寧に。途中で蒼真の方をちらりと見て、目だけで軽く笑った。


 里奈が鶏南蛮の最後のひと切れを口に運んでから、箸を置いた。


「氷で、足、止めます」


 里奈の声は短かったけれど、語尾はしっかりと着地していた。それから、言葉を選ぶように続けた。


「《氷床(フロストバインド)》の帯。フィールド中央に敵前衛の動線を分断する形で二度置きます。広さと長さ。冷やし直しのタイミング。先週の通し稽古で班員が踏まないルートまで確認しました。明日、相手の前衛が囲み崩しに入ろうとした時は、その動線の真ん中に帯を置きます」

「うん、頼む」

「氷壁も、必要なら出します。後衛の射線を切る時、入口側に一枚」

「分かった」


 蒼真が頷くと、里奈は肩の力を抜いた。


「私、ちょっと前まで、こういう話を班の前でするのが苦手で」

「うん」

「今は、しゃべってる時、声が震えなくてよかった」

「全然、震えてなかったよ、里奈ちゃん」


 真帆が両手で湯呑みを包んだまま、にっこりと笑った。里奈が小さく頷き、もう一度箸を取った。


 最後に真帆が、玉子丼の最後のひと口を食べ終えた。それから膝の上に置いていた杖を両手で持ち直した。杖頭の白い魔導具に指先がそっと触れる。


「皆を、守ります」


 真帆は短く言った。それから、深呼吸を一つして続けた。


「《光盾(ライトシールド)》、紅葉ちゃんの前に必要な時に置きます。中衛の神代さんの射線が通る場所には置かない。後衛の里奈ちゃんの魔法の発動の前にも、邪魔にならない位置で」

「うん」

「《回復(ヒール)》、必要なら戦闘の中盤以降で入れます。一射の決め所の前に、班員のスタミナを戻します」

「ありがとう、真帆」


 蒼真が頷くと、真帆は杖を胸の前に立てたまま小さく息を吐いた。


       ◇


 五人が、それぞれの覚悟を、それぞれの言葉で口にした。

 蒼真は生姜焼き定食の最後のひと切れを丁寧に口に運んだ。咀嚼して飲み込んでから、湯呑みのお茶をひと口飲む。


「ありがとな、五人とも」


 蒼真は口を開いた。


「明日」


 ここで、一度言葉を切った。


「勝つ」と口にしようとして、その言葉が自分の身体の中で違う形をしている気がした。湯呑みを置き、五人の顔を順番に見た。悠斗。航。紅葉。里奈。真帆。五人の顔が食事の途中の角度で蒼真の方を見ていた。


「明日、六人で、やる」


 蒼真は言った。


「『勝つ』じゃなくて、『やる』」

「やる、っていうのは?」


 悠斗が訊いた。


「明日のフィールドで、フォーメーションCをちゃんと回す。月曜のホワイトボードの七行をちゃんと混ぜる。九十五の『弐』を決め所でちゃんと届ける。里奈の氷の帯をちゃんと置く。真帆の《光盾(ライトシールド)》と《回復(ヒール)》をちゃんと間に合わせる。紅葉の索敵をちゃんと外さない。悠斗と航の前衛を両パターンちゃんと回す」

「うん」

「全部回せたら、結果は後からついてくると思う」


 蒼真はそう続けた。


「だから『勝つ』じゃなくて、『やる』」

「お前、それ、いい言葉だな」


 悠斗が、ふっと笑った。


「俺、緊張、半分ほどけた気がするわ」

「ほどけたか」

「うん、ほどけた」


 悠斗は箸を置いて、ご飯大盛りの最後のひと口を口に運んだ。


 航が頷きながら、湯呑みを手に取った。


「『結果は後からついてくる』ってのはな。参謀役としては、本当は好きじゃない言い方だ」


 航がそう続けたので、蒼真は一度視線を上げた。


「結果は、設計の中に組み込まれてる。明日の試合でフォーメーションCを正しく回せれば、結果がどう動くか。その見込みは俺の頭の中で立ってる」

「だよな」

「だが」


 航は湯呑みを置いた。


「お前の『やる』は、そういう意味じゃないって分かってる。お前は、結果の見込みを頭の中で組んでないわけじゃない。組んだ上で班の前では『やる』と言う。そうやって言葉を選ぶのはお前なりの班長の役割だ」

「そうか」

「そうだ」


 航は短く返してから、もう一度サバの味噌煮の身を骨から外す動作に戻った。


「お前、参謀役としては好きじゃないとか言いつつ、結局肯定してるじゃん」


 悠斗が横から茶々を入れた。


「肯定はしてない。理解しただけだ」

「同じだろ、それ」

「違う」

「どう違うんだよ」

「肯定は、そっちが正しいという判断を含む。理解は、そっちの言葉の意図を読み取ったという事実確認だけだ」

「うわ、出た、参謀の屁理屈」

「屁理屈じゃない」


 悠斗が笑い、紅葉も小さく肩を揺らして笑った。里奈が頷きを返すのが少し遅れ、真帆が杖を胸の前に引き寄せた。


「明日、よろしく」


 蒼真は五人を見渡して、もう一度言った。


「よろしく」


 五人が、それぞれの声で返した。声の重なり方が、不思議と揃っていた。


       ◇


 会計を済ませて暖簾の外に出た時、立川の冬の夜の空気は、訓練場の外で別れた時よりも冷えていた。


 店主が暖簾の脇まで出てきて、いつもの太い声を出した。


「おう、明日、頑張れよ」

「ありがとうございます」


 蒼真は頭を下げた。


「神代の班が対人戦出るのは知ってる。明日勝ったら、また来い」

「はい」

「負けても、来い」

「はい」


 蒼真がもう一度頭を下げると、店主は片手を一度上げて暖簾の中に戻っていった。


 六人は、サンサンロードの真ん中に立っていた。アーケードの天井から、淡い明かりが白く落ちていた。


「じゃあ、ここで」


 蒼真が言った。


「明日九時、立川学院演武場の選手控室な」

「了解」


 悠斗が即答した。


「俺と航は寮帰る」

「私も寮。里奈と真帆ちゃんは、駅の方ね」

「うん」

「俺は錦町」


 いつも通りの解散の形だった。立川駅前のロータリーで三方向に分かれる。寮通学組の悠斗、航、紅葉。電車通学組の里奈と真帆。錦町方向の蒼真。いつものリズム。


 悠斗が槍を肩に担ぎ直してから、片手を上げて五人の方に向き直った。

「お前ら、明日、いつも通りやろうな」


「いつも通り」

 航が同意した。


「いつも通り、ね」

 紅葉が頷いた。


「いつも通り、で」

 里奈が語尾を強くして頷いた。


「いつも通り、です」

 真帆がマフラーの端を両手で軽く押さえながら頷いた。


「いつも通り、で行こう」

 蒼真は最後に五人を見渡し、頷き返した。


 六人が、それぞれの方向に歩き出した。サンサンロードの真ん中で、影が別々の方向へ伸びていく。蒼真は錦町のマンションへ向かう道の側へ一歩踏み出した。


       ◇


 錦町のマンションに帰り着いたのは、午後八時前だった。


 六階の自室。和室の机の前に座って、メンテナンスノートを開いた。


 月曜のホワイトボードの七行。土曜のフォーメーションCの図。月例実習の記録。『弐』九十五の数値。そして二月第一週の最終確認の通し稽古の記録。ここまで積み上がってきた行の一番下に、新しい見出しを書いた。

『二月第二週・月曜。予選前夜』

 その下に、一行ずつ書いていった。

『午前九時、立川学院演武場、選手控室集合』

『試合開始、午前十時。試合終了、午前十時十五分』

『相手班、4組第2班。剣士四・遠距離潰し戦術想定。茂野の大盾。冨樫の《火炎(フレイムスロウワー)》。斎木のヒーラー護衛』

『フォーメーションC、対人戦運用版、第一稿』

『《小転移》使う/使わない/フェイント、三択を回す。本物発動は、たぶん温存』

『「弐」、九十五。決め所に一射、もしくは二射』

『里奈の氷床、帯。真帆の《光盾(ライトシールド)》と《回復(ヒール)》。紅葉の索敵。悠斗と航の前衛』

 書き終えてから、一行空けた。

 その下に、自分自身への確認として、もう一行を書き加えた。

『明日、六人で、やる』


 ペンを置いて、ノートをそっと閉じた。


 机の上に置いた弽の布袋に、軽く右手を当てた。革の馴染んだ手触りが布越しに指の腹へ伝わってくる。神代家伝来の、指を覆わない独自仕様の弽。地元の弓道場で十二歳の頃から使い込んできた戦闘装備の根にある一品。


 布袋から手を離して、スマートフォンを取り上げた。地元の祖父にメッセージを送る。

『明日、対人戦の予選第一戦。やってきます』

 送信してから、画面を伏せて机の上に置いた。返信は来るかもしれないし来ないかもしれない。祖父の「そうか」が来るとして、それは明日の朝かもしれない。明後日の朝かもしれない。返信のタイミングを蒼真が予想したことは入学からの九ヶ月でほとんどなかった。


 ただ月初のあの夜を蒼真はふと思い出した。立川ダンジョンのイレギュラー対応の事後報告を経て祖父から珍しく三行の返信が来た夜。あの三行は祖父の「そうか」を超える評として今もメンテナンスノートの上に残っている。明日の試合の前に読み返したくなった気持ちは確認してから抑えた。今読み返さなくても、あの三行は自分の身体の中に入っている。


 もう一度、机の上のスマートフォンに視線を落とした。画面は伏せたままだった。


 立ち上がって、弓立ての前に行った。

 和弓に軽く左手を当てる。革と木の馴染んだ感触が、立川の自室の冬の空気の中で自分の身体の延長になっていた。冬の手の甲側の手袋は玄関で外して靴箱の上に置いてある。明日はまた、この手袋を玄関で着け直して立川学院演武場へ向かう。


 弓立てから手を離し、矢筒を確認した。矢、二十四本。スローイングナイフは六本。すべて新しい触媒として爪の片と髪が柄の根元に丁寧に括り付けられている。

 全部、揃っていた。


 蒼真は弓立ての前に立ったまま、しばらく動かなかった。

 頭の中で、明日の試合の最初の十秒の動きをもう一度なぞった。

 審判の銅鑼の音。フィールド全体を覆う魔道具の起動光が青く一度脈打つ瞬間。悠斗が前衛位置から床を蹴る音。航が一拍遅れて剣を低く構える音。紅葉が斥候の動線で半歩前に出る気配。里奈の杖が下から上へ持ち上がる音。真帆が杖頭に指先を添える気配。そして、自分の手の中の和弓の握りに、左手の感触が乗る感覚。


 最初の十秒をなぞり終えた時、蒼真の身体の中に静かな手応えが残った。

 月曜のホワイトボードの七行。九十五の『弐』。フォーメーションCの図。班員五人の覚悟。それらは――『明日、六人でやる』の一行にすべて束ねられていた。


 机の上のスマートフォンが、低く一度だけ振動した。

 蒼真は弓立ての前から机の方へ二歩戻った。画面を起こすと、祖父からのメッセージが一行表示されていた。

 画面には、『そうか』とだけ表示されていた。それ以上は、何も書かれていなかった。

 蒼真は、画面の前でしばらく動かなかった。


 月初の夜の三行返信のような例外的な評は、今夜の祖父からは来なかった。それでいい、と蒼真は思った。今夜の祖父の「そうか」はいつもの「そうか」だった。十一月の食卓。十二月の射場。月初の射場。年末年始の食卓。その系譜の上に自然に積み重なる言葉だった。

 その「そうか」が、立川の自室の夜に、静かに残った。

 画面を伏せて、もう一度机の上に置いた。


 窓の外の立川の冬の夜の空には、月が東の空から高い位置まで上がっていた。雲ひとつなかった。明日の朝の天気は、晴れの予報だった。


「明日、六人で、やる」


 蒼真は声に出さずに、口の中だけでもう一度なぞった。その言葉が自室の和室の空気の中で形になって落ちる前に、すっと消えていった。

 冬の夜の空気が、和室の畳の上を静かに撫でていった。

ここまでお読みくださり、誠にありがとうございます。

本話で第四章冬への助走編の完結となります。いかがでしたでしょうか?

次回からは第五章が開始しますのでお待ちください。

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