第100話 フォーメーションC
一月第五週、土曜日の午後一時だった。
屋内訓練場の中央、フィールドエリア。普段は的場として使われている広いラバーマットの一画を、今日は学院に申請して仮設の競技フィールドとして転用してあった。柱に見立てた仮設の障害物が三本。足場の段差に見立てた合板の台が二つ。競技場の障害物配置をできるだけ模した形で、机上ではなく身体で動ける状態に設置されている。
六人が、フィールドの隅に集まっていた。
月曜のホワイトボードの七行。《小転移》対人戦運用の第一案。そこから水曜放課後のフォーメーションC一次再設計へ進み、その次の土曜も訓練を重ねた。今週の繰り返しを経て、今日が四度目の合同訓練だった。
先週の水曜と土曜、今週の水曜の三度の組み直しで、フォーメーションCの大枠は固まりつつあった。今日は、その大枠をさらに詰める。《小転移》の三択運用。里奈の氷床の帯状応用。真帆の《光盾》。紅葉の対人戦寄りの索敵動線。それらを連動させる形に整える。
悠斗が背筋を一度伸ばして、首を左右に鳴らした。
「よし、始めるか。腹減る前に、一発、形にしようぜ」
「悠斗、まだ昼飯の話してる」
紅葉が脇でくすりと笑って、タブレットの画面を立ち上げた。
「お前、訓練前にがっつり食ったろ。から揚げ定食、大盛り、味噌汁二杯」
「あれは三十分前だろ。男子の腹は別腹だ」
「腹に別腹ないでしょ、普通」
航がベリーショートの頭を一度掻いて、長机の上にクリアファイルを広げた。
「掛け合いはあとにしてくれ。先週から今日までの三度で、フォーメーションCの基本構造、ここまで来てる。一度確認しよう」
航がA4の紙を一枚、皆の方に向けた。紙の上には、コの字型のフィールドの俯瞰図が描かれていた。前衛二、中衛二、後衛二の配置。各位置に名前と役割が書き込まれている。
◇
「前衛二は、悠斗と航。役割は、固定じゃない。可変だ」
航が紙の上を、ペンの先で順番になぞった。
「悠斗が囮役で前に出て、敵の前衛二を引き付ける。俺が本命のタイミング合わせ役で、悠斗の動きに合わせて側面から斬り込む。これが基本パターン。ただ相手の班長の動きによっては、悠斗と俺の役割を入れ替える」
「逆転、ってやつだな」
悠斗が槍の石突きでフィールドを一度叩いた。
「相手の班長が俺の派手な動きを本命だと読んできた場合、航が本命の側で動いた方が判断を一拍ずらせる。お前の話、月曜から何度も聞いたけど、改めて聞いてもいい話だな」
「役割分担の幅を広げてるだけだ」
航は短く返した。
「悠斗が壁役で、俺が突っ込む。フェイントの中に本物が混ざるのと同じ構造だ。相手は、悠斗を見る癖がついてる頃に、俺が抜く」
「俺、派手な方の役、嫌いじゃねえぞ」
「分かってる。だから囮役は基本、お前だ」
「お前のその『役割だ』、そろそろ商標登録した方がいいんじゃねえのか」
「考えとく」
紅葉と里奈と真帆の三人が、ふっと同時に肩を緩めた。里奈が口元に手を当てて、小さく笑い声を抑える。真帆が淡い緑のノートに、何か一行書き加えた。
「中衛二は、鬼塚と蒼真」
航が次の位置に移った。鬼塚紅葉の名前を、ペンの先で軽く叩く。
「鬼塚は索敵と射線確保。対人戦寄りの距離取りで、相手の班長の判断を、横から読み続ける役。蒼真は中衛の射撃位置で、《小転移》の三択を回しながら、通常射と『弐』を撃ち分ける役」
「射撃位置は、固定じゃない」
蒼真が一歩、紙の方へ踏み込んだ。
「《小転移》のフェイントを混ぜる時に、半歩横にずれて矢の射線の角度を変える。柱の陰に身体を一瞬入れる。出てくる時には、最初の位置とは違う角度から飛んでいく形だ。それが月曜の七行の二段目の運用だ」
「了解。射線の角度を変える幅は、最大でどれくらい見込むんだ?」
航は紙の上の中衛位置を指で囲った。
「五メートル四方の中で、二歩ずれる。角度にすると、三十度くらい変わる」
「分かった。中衛の蒼真の射撃位置は、おおむね五メートル四方の中で動く。その範囲を、鬼塚と中村と小林の三人が把握しておく」
「うん。射線の通り道を、後衛で塞がないようにする、ってことだよね」
紅葉が頷いた。里奈も真帆を見て、それから蒼真の方を見て、小さく頷いた。
「後衛二は、中村と小林」
航がもう一段下の位置に移った。
「中村は、氷床の帯状応用と氷壁で、フィールドの場の制御。敵の前衛の足元を奪う。敵の後衛の射線を遮る。退路を半分塞ぐ。その三役。秋の頃と比べたら、できることが、明確に増えてる」
里奈が一瞬目を伏せた。それから軽く息を吸って、顔を上げた。
「氷床、私、まだ展開の初動が遅いんです。自分でも気付いてますけど」
「初動が遅れるのは、相手の前衛の足の運びを見てからの判断だからだろ。悪いことじゃない。むしろ、誤射を防いでる」
航が淡々と返した。
「相手の前衛の足元を、氷で奪う瞬間。そこを、悠斗が押し込む合図にする。だから中村の判断と悠斗の踏み込みを合わせる訓練を、この後で入れる」
「私の判断、悠斗の動きの起点に、なるってことですか」
「なる。だから迷っていい。迷った分だけ、悠斗の踏み込みに、確信が乗る」
里奈は両手で杖の柄を一度握り直した。短く頷いた。
「分かりました。やります」
「小林は《光盾》で防御。必要時に《回復》。月例実習で《回復》が初実戦投入できたから、対人戦の中盤以降のスタミナ管理にも、《回復》が回せる」
航が真帆の方を見た。
「小林、《回復》は今最大で何回いける?」
「えっと、訓練場の感覚だと四回までは確実に。五回目になると、効きが落ちます」
「対人戦は十五分。四回もあれば十分だ。中盤以降に二回、終盤に二回、の配分で見ておいてくれ」
「はい」
真帆が小さく頷いて、ノートに一行書き加えた。それからふと顔を上げて、悠斗の方を見た。
「悠斗さん、明日からの自主訓練で肩は無理しないでくださいね。先月の打撲、まだ残ってると思うので」
「お前、それ見えてんのか?」
「見えてます。動きの右側だけ、わずかに庇ってます」
「……ありがてえな」
悠斗が頭の後ろを片手で叩いて、軽く笑った。航が紙の上で次の項目に進む手を、一瞬止めた。それからそのまま続けた。
「全員の役割は、ここまで。ここに、《小転移》の三択を、組み込む」
航は紙の上から顔を上げて、五人の方を見た。
◇
蒼真は航の隣に立って、紙の上の中衛位置を、自分のペンの先で指した。
「俺の射撃位置の中で、ナイフ投擲+視線誘導を、戦闘の冒頭から繰り返す。相手の班長が『次は転移する側か、しない側か』を毎回判断するように仕向ける。一段目の『使うかもしれない姿勢の継続』を、戦闘の最初から最後まで絶やさない」
「実発動なしでも成立、するんだったよな」
悠斗が首の後ろを叩いた。
「成立する。ナイフを投げる。半歩横にずれて柱の陰に一瞬身体を入れる。出てきた時に、矢の射線が違う角度から飛ぶ。実態は転移してない。ただ相手の班長は、毎回、転移の可能性を計算に入れる」
「で、フェイントの中に本物が混ざる」
里奈が短く割り込んだ。
「混ざる」
蒼真は里奈の方を向いた。月曜のミーティングスペースで、里奈が初めてこの混合運用を口にした。その時の声を紙の上で重ねるように、頷いた。
「本物発動は、戦闘全体で、一回か二回。決め所に温存。フェイントを三回四回と続けた後で本物が来る。本物が来た時、相手は『これもフェイントかもしれない』と一瞬判断が遅れる。その一瞬で射線が通る」
「うん」
里奈は頷いた。月曜の自分の言葉が、今日のフィールドの図の中で、自分の役割と接続して立ち上がる。その感触を、自分の頷きでもう一度確かめた。
「で」
蒼真は続けた。
「フェイントが入った時、悠斗と航は相手前衛が視線を外した一瞬を突く。本物が入った時は、俺が転移先で射線を取る。その瞬間に悠斗と航が相手前衛を押し込む。どちらでも前衛の二人が戦況を捌く側に回る」
悠斗が腕を組み直した。少しの間、顎を引いて、それから頷いた。
「フェイントの時は、視線を外した一瞬を抜く。これは、これまでの戦闘でもやってきた形だな」
「そうだ」
「本物の時は、お前が転移した先の射線方向に、俺と航が相手の前衛を押し込む。転移先のお前の射線が通るように、敵の前衛を少しずらす役ってことか」
「そういうことだ」
「分かった。前のパターンの延長で、頭の中、組める」
悠斗が槍の石突きでフィールドを一度叩いた。それからにやりと笑って、航の方を向いた。
「で、お前、俺の動きの『起点』としてその紙に書き加えるんだろ」
「書く」
「もう書いてんだろ」
「書いてる」
航がボードの方に歩いて、フォーメーションCの図の隣に、新しい行を書き加えた。
『前衛二の動き:フェイント時=視線外しの一瞬を抜く/本物時=転移先射線方向へ敵前衛を押し込む』
書き終えてから、振り返った。
「ここまで、全員、頭の中で組み直せたか」
「組み直せた」
悠斗が短く返した。
「私も。射線の通り道、把握した」
紅葉が続けた。残りの三人も、それぞれ短く頷いた。
◇
「じゃあ、動こう」
蒼真はフィールドに足を踏み出した。
「最初の十五分は、フェイントだけのパターン。実発動なし。ナイフ投擲+視線誘導の連続。悠斗と航は、視線外しの一瞬を抜く動き。里奈は氷床の帯で敵前衛の足元を二回奪う。真帆は紅葉の前に《光盾》を一回置く。紅葉は相手の班長役を立てる」
「私が相手の班長役、やるの」
紅葉が眉を一度寄せた。それから口の端を少し緩めた。
「ま、いいよ。蒼真がフェイントを混ぜてきた時の判断の負荷、こっちで体験する。私、相手の班長の判断、横から読みたいって言った張本人だしね」
「そう。お前が相手の班長の判断を自分の身体で確かめてくれた方が、戦況を読む時の精度が上がる」
「うん。それと、こっち側に立ってみて何が一番きついのか確認する。終わったら整理して班に戻すよ」
「頼む」
紅葉はフィールドの反対側に移った。仮設の障害物の柱の隣に立って、半身で構える。
残りの五人が、フィールドのこちら側に並んだ。蒼真は中衛位置に立って、弓を構えた。スローイングナイフをナイフポーチから一本、取り出して、左手の指の間に挟む。
「行くぞ」
蒼真は短く声を出した。
悠斗と航が前衛位置から、紅葉のいる方へ動き出す。蒼真は悠斗の動きから一拍遅れて、ナイフを紅葉の右側の柱に向かって投げた。ナイフが柱の手前の床に着弾する直前、蒼真は半歩横にずれた。
柱に見立てた仮設障害物の影へ、身体を一瞬入れる。出てきた時には、矢を番えた位置がナイフ投擲の前から二歩分ずれていた。
矢を放った。蒼い軌跡が、紅葉の方へ走る。もちろん訓練だから紅葉の手前で減衰させる魔力量に抑えてある。蒼い軌跡はナイフが着弾した柱とは違う角度から、紅葉の側面の的へ走った。
紅葉は、ナイフの着弾点に視線を一瞬取られていた。蒼い軌跡が紅葉の側面の的を抜けた瞬間に、紅葉は短く息を吐いた。
「やられた」
紅葉は半身を解いて、肩を落とした。
「ナイフが本物の合図だと思ってた。ナイフの方に蒼真が転移してくる。だからナイフの着弾点を最警戒した」
「そう判断するように、設計してる」
「で、その判断が、まんまと外れたわけだ」
紅葉は柱の側面の的を一度叩いて、首を振った。
「次、もう一回フェイント。今度は矢の射線の角度を別の方向に変える。お前がさっきのパターンの判断を覚えた状態で、もう一回外させる」
「うん。心して、待つよ」
紅葉は柱の隣に立ち直して、半身で構え直した。眉のあたりに本気の色が乗った。
二度目のフェイント。今度はナイフを左の柱に向かって投げた。蒼真は逆方向の右に半歩ずれた。柱の陰に身体を一瞬入れて出る。矢の射線は、左のナイフ着弾点とは反対側から飛んでいった。
紅葉はナイフを左に投げられた瞬間、視線を左に取った。蒼い軌跡が紅葉の正面から飛んできた時、紅葉は半身を捻る動きが半拍遅れた。
「もう一回、外した」
紅葉は短く息を吐き、それから笑った。
「同じパターンに見えて、矢の射線の角度が違う。私、二回連続で判断外した。班長、いい性格してる」
「褒め言葉、として受け取っておく」
「うん。褒めてる、半分は」
「これを、戦闘中、ずっと繰り返す」
蒼真は弓を下ろさずに、次のナイフを左手に取った。
「相手の班長が戦闘中ずっと判断を外し続ける。ナイフを投げるたびに、相手班全員の位置取りが強制的に組み直される」
「うん。それで、十回に一回、二回。本物が、来るんだよね」
「来る」
蒼真は弓を下ろした。
紅葉は柱の隣で、両手を一度組み直した。それからぽつりと言った。
「これ、相手側、結構しんどいよ」
「だろうな」
「相手の班長が戦闘中ずっと判断負荷を抱える。それが、こちらの戦況の主導権ってことだ」
「そう。お前が横から読み続ける役だからその負荷を相手班長の表情の変化から拾ってくれ」
「拾うよ。表情の崩れ方、視線の止まり方、肩の力の入り方。拾えるところは全部」
航がフィールドの脇から、ペンを片手に、ノートに何かを書き加えていた。たぶんフェイント二連の動線図と、紅葉の判断の遅れ方の整理だろう、と蒼真は思った。
◇
二時間が経った。
休憩を一度挟んで、次の三十分は本物発動を一回だけ混ぜたパターンの訓練に入った。蒼真は実際に転移を一回だけ実発動して、紅葉の側に転移した。
フェイント三連の後で本物が来た。紅葉の視線はナイフの着弾点に固定されている。蒼真がそこへ出現した瞬間、半身を捻る動作は完全に間に合わなかった。
訓練だから蒼真は紅葉の体に矢を向けず、紅葉の脇の柱の的を抜いた。それでも紅葉は短く息を吐いて、自分の負けを認めた。
「本物は、無理。判断の追いつき方が、ない」
「そうなるように、組んだ」
蒼真は短く返した。
「フェイントが続いた後で、本物が来る。相手は『これも、フェイントかもしれない』って、一瞬判断が遅れる。その一瞬で射線が通る」
「うん。私、相手の班長側に立っても、これ対策できる気がしない」
「対策できる気がしないってことは、向こうの班長も同じように感じるってことだ」
航がフィールドの脇から、淡々と引き取った。
「ただ相手も馬鹿じゃない。フェイント三連の後の本物、何度も使うと、リズムを読まれる。だから本物は、一試合に一回。多くて二回。リズムを覚えさせない」
「分かった」
蒼真は頷いた。
「予選第1戦の4組第2班では、たぶん本物は使わない。フェイントだけで通す」
「使わない、ってのは、相手の戦術構成と噛み合わないからか」
「相手の前衛が剣士四枚で、囲み崩しを狙ってくる。視界を切る戦術は強くない。フェイントだけで、相手の判断負荷を稼げる。本物を使わなくても勝てる」
「で、温存しておく」
「そう」
蒼真は弓を下ろしたまま、頷いた。
「予選第2戦の3組第4班。視線切り戦術の方が、《小転移》の本物を一発使う場面が出てくる可能性が高い。決勝T本命の竹井班には、もう一発」
「合計三発。前後の試合の温存配分は、こっちで管理しておく。試合中、お前が判断を迷ったら、合図を出す」
「助かる」
悠斗が首をぐるりと回して、紅葉の方を見た。
「紅葉、お前、今日の相手班長役は結構本気でやってくれてたな」
「相手班長の負荷を、こっちの身体で測るって決めたから。本気でやらないと、測れない」
「そういうとこ、お前、職人気質だよな」
「斥候だからね。気配、測るのが仕事」
紅葉は柱の隣を離れて、こちらに歩いてきた。タオルで額を一度押さえて、笑った。
「でも班長役は、もう勘弁して。次はちゃんと味方側に戻るから」
「分かった。次の通し稽古は、味方側だ」
蒼真は短く返した。
◇
休憩を挟み、午後五時を回った頃。
最後の三十分は、実戦想定の通し稽古だった。十五分の競技時間を半分の七分半に縮め、フォーメーションCの全要素を連動させる。フェイントの連続。本物の一回。悠斗と航の前衛動作の切り替え。里奈の氷床の帯。真帆の《光盾》。紅葉の索敵。相手側は航と紅葉の二人に分担させて立てる。
通し稽古の冒頭、蒼真はナイフを一本目の柱に向けて投げた。フェイント。半歩横にずれ、矢の射線を変えて放つ。蒼い軌跡が、航の隣に立てた的を、斜めに抜けた。航は半身を一拍遅らせた。
二本目のナイフ。フェイント。今度は紅葉の側の柱に向かって投げる。矢の射線は逆方向。
三本目のナイフ。フェイント。蒼真の射撃位置の中で、五メートル四方の中で二歩ずれ、また別の角度から射る。
四本目のナイフ。本物。
蒼真は左手の親指の爪の片をナイフの柄に巻き付け、それから投げた。ナイフが紅葉の側の柱の手前に着弾した瞬間、蒼真は《小転移》を発動する。
〇・三秒。
蒼真の身体が、ナイフの着弾点に出現した。同時に悠斗が押し込んでいた敵前衛役の航の背後に死角が空く。そこに蒼真の射線が通った。蒼真は弓を引き、矢を放った。蒼い軌跡が、航の側面の的を、最短距離で抜いた。
航は半身を捻る動作の途中で、蒼真の出現に気づくのが半拍遅れた。
「本物、入った」
航は短く自分に向かって声を出した。それから振り返って蒼真を見た。
「お前のフェイント三連の後の本物は、こっち側の半身として受けるとほぼ対応不能だ。ナイフの着弾点に視線が貼り付いた状態で、お前が出現する。視線を引き剥がしてから半身を捻るまでに、半拍足りない」
「そうなるように、組んだ」
「今日の訓練で、組み上がった、と見ていい」
通し稽古の中で、悠斗の「囮役と本命役の逆転」も二度入った。前半は悠斗が囮で航が本命、後半は航が囮で悠斗が本命の逆転パターン。里奈の氷床の帯が、敵側の前衛役の足元を二度奪った。真帆の《光盾》が、紅葉が射線を抜こうとした一瞬を防いだ。
七分半が経った時、フィールドの中央で、蒼真は弓を下ろした。
「通った」
短く自分に向かって、声に出した。
悠斗が槍の石突きでフィールドを叩いて、ベンチの方へ歩いてきた。
「お前のフェイント、こっち側で見てたら何やってんのか分からんかったぞ」
「そう見えるように、組んでる」
「最後の本物、お前、紅葉の真横に出てきたな。あれ、見てて、ぞっとしたわ」
「出た」
「お前、《小転移》、上手くなったな。月初の頃と、別物だ」
「九十五の『弐』を上手く使えるように、《小転移》の方も整えてる」
蒼真は弓袋の中に矢を戻しながら、短く返した。悠斗が、ふっと笑って、頷いた。
「両輪、回ってんだな」
「回ってる」
航がフィールドの脇で、フォーメーションCの図と今日の通し稽古の動線図をまとめてクリアファイルに収めた。
「フォーメーションC、対人戦運用版。第一稿としてまとまった」
航は淡々と言った。
「来週は、二月第一週。予選第1戦の前々日と前日に最後の調整を入れる。その間の平日は、各自で自主訓練。土曜は休み。日曜の午後に、最終確認の通し稽古を一本」
「了解」
悠斗が即答した。
「私、明日の日曜、相手の班長候補の動画を頭から見直しとく」
紅葉が続けた。
「私も、氷床の展開に合わせた足の運びを自宅の前で繰り返します」
里奈が小さく付け加えた。
「私は、《回復》の発動の間合いを、もう一度自分の中で整理しておきます」
真帆が淡い緑のノートに一行書き加えた。
訓練場の窓の外は、もう暗くなりかけていた。一月最後の土曜の夕方。立川の冬の空気が、訓練棟の壁の縁から流れ込んでくる。
六人は、装備を背負い直した。
ベンチの脇に置いてあった蒼真のメンテナンスノートに、最後の一行を書き加えた。
『一月第五週・土曜。フォーメーションC対人戦運用版、第一稿、通し稽古通過』
書き終えてから、ペンを置いた。
ノートの一番上のページに、月曜のホワイトボードの七行と、今日のフォーメーションCの図が自分の文字で並んでいた。
《小転移》の三択を、フォーメーションCの中で、毎回回す。
班員五人の役割が、その三択と連動する。
「明日からは調整だな」
蒼真は短く呟いた。
訓練場の出口の前で、悠斗が槍の石突きをもう一度地面に立てた。
「お前さ、月曜の七行からここまで二週間だぞ」
「そうだな」
「俺、フェイント時の動きと本物時の動きを、同じ身体で切り替えるのは最初無理だと思ってた」
「今日できてた」
「できてた」
悠斗は短く笑って、それからふっと息を吐いた。
「俺の頭ん中、まだ対人戦の最中は忙しいまんまだけどよ。お前の頭ん中ほどじゃねえな」
「役割分担だ」
航がいつも通りの調子で引き取った。
「悠斗が前で暴れる。蒼真が後ろで考える。中村と小林が場を整える。鬼塚が相手の判断を読む。俺が情報を整理する。それが班の形だ」
「お前、それもう何回も言ってるぞ」
「役割だ」
「それも、もう何回も言ってる」
悠斗が、肩を揺らして笑った。紅葉が後ろで、口の端を上げて軽く首を振った。
「悠斗、その航のお決まり、もう班の伝統だよ」
「伝統が、若いうちから固まりすぎだろ」
「固まるとこから班は始まるんだよ、たぶん」
悠斗は槍を肩に担ぎ直して、訓練棟の出口へ歩き出した。残りの五人も、それに続いた。
訓練棟の入口を出る時、立川の冬の夜の空気が白い息と一緒に広がった。里奈が、両手を擦り合わせた。
「冷えてきましたね」
「夜はもっと冷えるよ。手袋、ちゃんとしなよ、里奈」
紅葉が首元のマフラーを巻き直しながら言った。
「真帆ちゃんも、駅まで、寒くない?」
「大丈夫。ホームの自販機でホットの紅茶を買って帰る予定なので」
「いいね、それ。私も今度、真似する」
六人は、訓練棟の前の通路を、街灯の下で歩いた。
二月第一週の予選第1戦まであと十日。
立川駅前のロータリーが見えてきた頃、悠斗が歩を止めた。
「じゃ、いつも通り、解散な」
「いつも通り」
航が短く返した。
悠斗・航・紅葉の三人は改札の手前から右へ折れて柴崎町の寮の方へ向かった。里奈と真帆は、改札を抜けて、ホームへの階段を上がる。蒼真は改札の手前で一度立ち止まった。五人の背中を見送ってから、サンサンロード方向、錦町のマンションへの道に足を向けた。
六人の影が、それぞれ別の方向へ伸びていった。
錦町のマンションに帰り着いた時、蒼真は玄関で弓袋を下ろした。和室の机の前に座り、メンテナンスノートを開く。月曜から積み上がってきた七行。フェイントの一段目と二段目。里奈の混合運用。真帆の本物発動リスクの整理。それから今日のフォーメーションCの図。それらを、自分のペンでもう一度なぞった。
なぞり終えてからペンを置いた。
ノートの右側の余白に、蒼真はもう一行だけ書き加えた。
『通った』
書き終えてから、ノートを閉じた。
窓の外の冬の夜の空には、薄い雲が東へ流れていく。あと十日。フォーメーションCを本番でもう一度通す。
九十五の『弐』、三択の《小転移》、班員五人の役割。その全部を繋げる形で、競技場のフィールドの上でもう一度組み直す。
明日は日曜日。各自、自主訓練。明後日の月曜から、二月第一週が始まる。




