第二章補 ―― 五から七
## 五 アタカとノアの夕方
九日目の夕方。
カイルが水場へ水を汲みに行った間、ノアとアタカは二人だった。
アタカが何かを修繕していた。靴の底が剥がれかけていたので、カイルから教わった方法で縫い直していた。針と丈夫な糸を持っていたのはカイルで、やり方を教えてから水汲みに行った。
ノアはその横に座って、地形の地図を書いていた。紙はなかったので、木の板に炭で描いた。歩いてきた道筋と、水場の場所と、目立つ岩の形。記憶が薄れる前に残しておく。いつか役に立つかもしれない。
「ノア」とアタカが針を動かしながら言った。
「うん」
「カイルさんのこと、どう思う」
「どう、というのは」
「信用できると思う?」
ノアは炭を持つ手を止めた。「してる。もう」
「早くない?」
「早いかもしれない。でも、してる」
アタカは手を止めて、ノアを見た。「根拠は?」
「風の音を聞いた話」
「それだけで?」
「それで十分だと思った」とノアは言った。「嘘をつく人間は、ああいう話をしない。恥ずかしいから。あの話をしたということは、俺たちを信用したということだ」
アタカはしばらく黙った。それから「なるほど」と言った。「私も信用してる。ただ、ノアがどう思ってるか聞きたかった」
「なんで」
「ノアが信用してれば、私も安心できるから」
ノアは少し黙った。「……俺の判断を信用してるのか」
「うん。ノアは見えてるから。人のことも、場所のことも。私が気づかないことに気づいてる」
「アタカも気づいてる。人の嘘とか、隠してることとか」
「でもノアみたいに全体は見えない。私は一人ずつしか見られない」
「それで十分だと思う」とノアは言った。「俺には一人一人が見えにくい。見えてるようで、近すぎると見えなくなる」
「だから私がいる?」
「だから、いてくれると助かる」
アタカは少し笑った。「素直じゃない言い方だけど、素直なんだよね、ノアって」
「どういう意味だ」
「言葉は回るけど、中身は正直ってこと。……ありがとう」
「何が」
「いてくれると助かる、って言ってくれて」
ノアは炭で地図の続きを描いた。アタカは靴の修繕を再開した。しばらくしてカイルが戻ってきた。水筒がいっぱいになっていた。
「できたか」とカイルがアタカの靴を見て言った。
「できました」とアタカが靴を持ち上げて見せた。
「悪くない」とカイルが言った。それがカイル流の褒め言葉だということを、二人はもう知っていた。
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## 六 三人でなければ
十日目。
罠にかかった。
正確には、罠ではない。自然にできた落とし穴だった。土の下が空洞になっていて、カイルが踏み抜いた。腰まで埋まった。
カイルが声を出した。「止まれ」
二人は止まった。
「地面が弱い。近づくな」
「でも出られますか」とアタカが言った。
「自力では無理だ」
ノアは周囲を見た。近くに木がある。太い枝が手の届く高さに出ていた。
「あの枝を折って、カイルさんに届かせる。二人で引く」
「枝だけで俺の体重を支えられるか」とカイルが言った。
「試すしかない」
アタカと二人で枝を折った。太い枝で、折れるまでに時間がかかった。二人で体重をかけて、ようやく折れた。
それをカイルに向かって差し出した。カイルが両手で掴んだ。
「引くぞ」とノアは言った。
「ゆっくり引け。一気に引くと枝が折れる」
二人で少しずつ引いた。カイルが足を動かした。土が崩れる音がした。カイルが上半身を使って体を押し上げた。三分ほどかかって、カイルが穴から出た。
地面の安全な場所まで移動してから、三人は止まった。
カイルが土を払いながら言った。「助かった」
「怪我は」とノアは言った。
「ない。泥だらけだが」
「よかった」とアタカが言った。それだけだった。
カイルはアタカを見た。それからノアを見た。
「お前ら」と言ってから、少し間があった。「……いい奴らだな」
それだけだった。カイルの言葉は少ない。でもその一言が、これまでの言葉の中で一番重かった気がした。
ノアは頷いた。「カイルさんも」
「照れくさいことを言うな」
「本当のことを言っただけだ」
カイルが、また少し笑った。苦みと温かさが混じった、カイル特有の笑い方で。
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## 七 夜、三人で
十日目の夜。
焚き火を囲んで、三人は珍しく長く話した。
きっかけはアタカが「カルノで好きだったものの話をしよう」と言ったことだった。唐突な提案だったが、誰も反対しなかった。
「私は、朝市が好きだった」とアタカが言った。「パンとか、干した果物とか。香りが好きで、毎朝通ってた。買わなくても、通るだけで」
「買わないのか」とカイルが言った。
「お金がなかった。でも通るだけで満足だった」
「それは、好きというより、拷問じゃないか」
「拷問じゃない。香りだけで幸せになれる」
カイルが首を振った。ノアは笑った。
「ノアは?」とアタカが聞いた。
「丘」とノアは言った。「丘に一人でいる時間が好きだった」
「それは知ってる。ここにいる前から知ってた」
「そうか」
「毎日行ってたじゃない。私たちが遊んでても、気づいたらいなくなってて、丘にいるんだって」
「迷惑をかけたか」
「かけてない。ただ、行ってきたなって思ってた」アタカは火を見た。「ノアが帰ってくると、なんか機嫌がいい。だから好きにさせてた」
ノアは何も言わなかった。知らなかった。アタカがそう見ていたことを。
「カイルさんは」とアタカがカイルに聞いた。
カイルはしばらく考えた。「街の中に、古い書庫があった。誰も使っていない場所で、本が積んであった。そこに入って、本を読むのが好きだった」
「意外」とアタカが言った。
「何が意外だ」
「カイルさん、本を読むイメージがなかった」
「失礼だな」
「ごめんなさい。でも意外だった」
「あの本が、外のことを少しだけ書いていた」とカイルは言った。「荒野にも動物がいる、水場がある、生き延びられる、と。それを読んで、出られると思った。もし出ることになったとき、生き延びる方法があると知っていたかった」
ノアはその言葉を聞いた。出ることを、ずっと前から考えていた。風の音を聞く前から。カイルもそうだったのかもしれない。
「三人とも、ずっと前から準備してたんだね」とアタカが言った。「出るための」
「意識はしていなかった」とノアは言った。
「でも、してた。体が」
それは確かだった。三人ともそうだった。体が知っていた。この場所には留まれないと。その日のために、それぞれが、それぞれの方法で準備していた。
火が静かに燃えていた。
ノアは思った。三人が別々の場所で、別々の準備をして、荒野の廃墟で会った。それは偶然では片付けられない気がした。何かが引き寄せた。風が、呼び寄せた。
その風がどこへ向かっているのか、まだわからない。
でも、三人で向かっていることは確かだった。




