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第二章補 ―― 三人でなければ越えられない 一から四

## 一 役割は、勝手に決まった


 三人になって最初にわかったのは、それぞれが違うものを見ているということだった。


 カイルは地面を見る。足跡、轍の跡、土の湿り気、石の転がり方。「ここは最近人が通った」「この先に水がある」「雨が来る」――カイルが言うことは、たいてい当たった。十年の荒野歩きが、体に染み込んでいた。


 アタカは人を見る。出会った人間の表情、声の調子、視線の動き。「あの人、何か隠してる」「さっきの言い方、本当のことじゃない」――アタカが言うことも、後で確かめると合っていた。カルノでの暮らしの中で、言えないことを抱えながら生きてきた人間の勘だった。


 ノアは全体を見る。地形の流れ、風の向き、遠くの輪郭、三人の状態。「あの山を越えると下りになる」「カイルの足が重い」「アタカは今、無理をしている」――言葉にするより先に気づいていた。なぜそう見えるのか、自分でも説明できなかったが、見えていた。


 三人は誰も「お前はこれを担当しろ」とは言わなかった。ただ、歩いているうちに自然にそうなっていった。


 カイルが先頭を歩いて、道を読む。ノアが中ほどを歩いて、全体を把握する。アタカが後ろを歩いて、二人の様子を見る。それがいつの間にか定位置になった。


 六日目の夜、焚き火の前でカイルが言った。「俺たち、うまく噛み合ってるな」


 ノアは頷いた。アタカは「最初からそんな気がしてた」と言った。


 カイルが少し驚いた顔をした。「最初から?」


「カイルさんが来た方がいいって、直感でわかった」とアタカは言った。「なんでかはわからないけど」


「直感か」とカイルは呟いた。それから火を見た。「俺もそうだった。お前らと会った瞬間、行くと決まってた。理由は後からついてきた」


 三人はしばらく黙っていた。


 引き寄せられた、という言葉をノアは思った。口には出さなかった。でも、そう感じていた。


---


## 二 崖の下で


 七日目の午前、崖が現れた。


 高さは十メートルほど。垂直ではなく、斜めに傾いている。上れないことはない。だが足場が悪く、表面が砂と小石で覆われていて、踏むたびに崩れる。


 カイルが崖を見上げた。「迂回すると半日かかる。上れれば二時間で向こう側に出られる」


「上れますか」とノアは聞いた。


「俺は上れる。問題はお前らだ」


 アタカが崖を見上げた。「やってみる」


「無理に言わなくていい」とカイルは言った。「迂回路は安全だ」


「安全だけど半日かかる。水が持つかどうか」


 カイルは黙った。それが答えだった。


 ノアは崖の表面を観察した。砂が多い部分と、岩が露出している部分がある。岩の部分は滑りにくい。その岩を繋いでいけば、ルートが作れる。


「岩の出ているところだけを踏んでいけば上れる」とノアは言った。「俺が先に上って、ロープを下ろす」


「ロープがないだろ」とカイルが言った。


「あの木の皮を剥いで、繋げれば」


 カイルは近くの低木を見た。しばらく考えてから、「……できなくはない」と言った。


 三十分かけて、木の皮を剥いで撚り合わせた。細いが、人の体重を支えるくらいの強度は出た。カイルが確かめて、「まあ、使えるだろ」と言った。


 ノアが先に上った。岩の出ている部分だけを選んで、慎重に、ゆっくりと。崩れそうな場所は手で確かめてから体重をかけた。途中で砂が崩れて足がずれたが、すぐに別の岩を見つけた。


 上まで十分かかった。


 上からロープを下ろした。「アタカ、来い」


 アタカがロープを掴んだ。カイルが下から支える。ノアが上から引く。アタカは声を出さずに上った。一度だけ「っ」と詰まった声を出したが、止まらなかった。


 上に出たとき、アタカは息を切らしていた。地面に手をついて、少し頭を下げた。


「大丈夫か」


「……大丈夫。ちょっと待って」


 次にカイルが上った。カイルは自力で上った。ロープを補助に使いながら、さほど時間をかけずに来た。上に出ると、崖下を一度見て、「悪くないルートだった」と言った。ノアへの、遠回しな称賛だとわかった。


 三人が崖の上に立った。


 向こう側に、広い平地が広がっていた。草が生えている。遠くに木立が見える。


「水場がある」とカイルが言った。「木があるところには水がある」


 アタカがようやく顔を上げた。「見えた。木」


「休んでから行くか」とノアは言った。


「行ける」とアタカは言った。立ち上がった。膝が少し震えていたが、ノアは指摘しなかった。アタカが行けると言うなら、行ける。


 カイルがノアの隣に来た。小声で言った。「お前のルート読み、助かった。迂回してたら水が持たなかった」


「カイルさんが皮を撚る方法を知ってたから使えた」


「お嬢さんが文句一つ言わなかったから、時間をとられなかった」


 三人でなければ越えられなかった。それを三人ともわかっていた。


---


## 三 嵐の夜


 八日目の夜、嵐が来た。


 カイルは午後の時点で「今夜は荒れる」と言っていた。雲の動きと、風の匂いでわかるらしい。二人には全くわからなかったが、カイルが言うなら間違いないと思った。


 それほど疑いなく信頼できるようになっていたということに、ノアは少し驚いた。出会って三日も経っていない。


 雨宿りできる場所を探した。カイルが岩盤の突き出した場所を見つけた。深さが足りなかったので、カイルが持っていた防水の布を張った。三人がぎりぎり入れる空間が生まれた。


 嵐は思ったより激しかった。


 雨が横から叩きつけてくる。風が唸る。布が何度もはためいた。カイルが押さえ、ノアが縄を引いた。それでも端が一度めくれて、アタカの半身が濡れた。アタカはすぐに布の端を自分で押さえた。


 三人は肩を寄せ合って、嵐が通り過ぎるのを待った。


 体が触れていた。カイルの腕がノアの肩に当たっていた。アタカがノアの反対側に寄っていた。嵐の音が大きくて、会話ができなかった。


 一時間ほどして、風が少し弱まった。


「生きてるか」とカイルが言った。


「生きてる」とノアは言った。


「……生きてる」とアタカが言った。少し間があったのは、寒さで口が動きにくかったからだと、声でわかった。


「濡れたか」


「少し」


 カイルが毛皮の一枚をアタカに渡した。アタカが「いいです」と言った。カイルが「受け取れ、風邪をひく」と言った。アタカは黙って受け取った。


 ノアはカイルを見た。カイルは濡れた上着を絞っていた。自分の防寒具を渡しておいて、平気な顔をしていた。


「カイルさん、寒くないですか」


「慣れてる」


「慣れてる、は答えになってない」


 カイルがノアを見た。少し意外そうな顔をした。「……お前、意外と遠慮しないな」


「必要なことを聞いただけだ」


「遠慮しろという意味じゃない。そういう奴は嫌いじゃない」カイルは上着を羽織り直した。「寒い。だが、俺はこれくらいは平気だ。本当に」


「わかった」


 嵐が完全に過ぎるまで、もう一時間かかった。


 その間、三人はほとんど黙っていた。ノアは風の音を聞いていた。嵐の音の中に、あの呼びかけが混じっているような気がした。気のせいかもしれなかった。でも、嵐の中でも消えない何かが、確かにあった。


 夜が明けた。


 空は洗われたように澄んでいた。地面が濡れて光っている。草が水を含んで重そうに垂れている。


 三人は外に出た。アタカが空を見上げて「きれい」と言った。カイルが「雨上がりはこういうもんだ」と言った。ノアは黙って、その澄んだ空気を胸に吸い込んだ。


 嵐を越えた。三人で。


---


## 四 カイルとノアの朝


 九日目の夜明け前。


 アタカはまだ眠っていた。カイルとノアだけが起きていた。最近はそうなることが多かった。二人とも早起きの癖があった。


 カイルが水筒に水を入れながら言った。「お前、いくつだ」


「十七」


「そうか。若いな」


「カイルさんは?」


「三十四だ」


 ノアは少し意外だった。もっと上だと思っていた。「もっと年上かと思った」


「荒野を歩くと老ける」とカイルは言った。冗談なのか本気なのか、判断しにくい言い方だった。


 少し沈黙があった。朝の鳥が鳴いた。荒野に鳥がいることを、ノアはカイルに会うまで知らなかった。


「聞いていいか」とノアは言った。


「なんだ」


「カイルさんは、風を聞いてから十年、何を探してた?」


 カイルは水筒の蓋を閉めた。少し間を置いてから答えた。「わからなかった。ずっとわからないまま歩いてた」


「今も?」


「今は、少しわかってきた気がする」カイルは東の空を見た。「風が呼んでるものが、一つの場所じゃなくて、一つの状態なんじゃないかと思い始めた」


「状態?」


「人が、本来あるべき場所にいる状態。本来持っているものを持っている状態。……うまく言えないが」


 ノアはその言葉を頭の中で転がした。本来あるべき場所。本来持っているもの。


「俺には、何かが欠けている感じがずっとある」とノアは言った。「名前みたいなもので、言葉にならないけど、何か足りない」


「俺もそうだった」とカイルは言った。「今も、少し、そうだ」


「カイルさんでも」


「お前らに会って、風が少しわかってきた気がする。それだけだ」カイルはノアを見た。「お前はどうだ」


「俺も」とノアは言った。「少しだけ。でも、まだわからない方が多い」


「そうか」


 それだけで、二人は黙った。


 ノアは思った。カイルはあまり多くを語らない。でも、語ることの一つ一つが、重かった。十年分の重さがあった。ノアの十七年より長い時間、同じ渇きを抱えて歩いてきた人間の言葉だった。


 それが、頼もしかった。

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