02.巣食う病魔が心を蝕んで・・・・
(1736.6/-- 〜 11/--)
ーーーー母が居なくなり、暫く。
2人の弟と妹は次第に立ち直って行った。元気と笑顔を取り戻していった。
父は、立ち直った・・・というよりも、仕事に没頭して、心に巣食うモヤモヤを忘れ去ろうとしているようだった。・・・・けど、それはきっと仕方のないことだと思った。だって父は、母と一番長く一緒にいた人。母を愛した人。母に愛された人。そんな人が、そう簡単に立ち直れるわけもなければ、忘れ去ることもきっとできないだろうから。
とはいえそれも時間の問題。人には忘却という機能が備わっているらしいから、弟たち同様、父だって時間が経てばゆっくりと立ち直っていくのだろう。
・・・・でも、だとしたら私は?・・・・・私は、立ち直っているのだろうか?母の死を乗り越えて、これからも頑張っていけるのだろうか?
「・・・・・・。」
答えは、出せなかった。・・・・というよりも、出す暇がなかったと言うべきか。
ーーーー母が居なくなり、私が母の代わりをする事になった。・・・もちろん、自主的に。
弟の2人は暴れん坊で、家のことなんてまったく気にしてないし、妹は妹で、まだ幼児。家事の手伝いをしてくれたりはするけれど、これといって役に立つことは少なく、寧ろ片付けるほどに散らかっていく始末。
父は父で、家にいると母の事を思い出して苦しそうにしているし、そのくせその疲れた顔で家事を手伝おうと・・・・。だから、「家のことは大丈夫。」・・・と断って、父には回復の時間に専念してもらいたかった。・・・・けどまあ、そのせいか結局仕事に没頭している時間が長くなって、帰りが遅くなっていた。
もちろん、帰ってくれば家事を手伝ってくれる。けどその疲れた顔で手伝わせるのが申し訳なくて、何度も私が断っていた。
思い起こせば、母が居なくなった当初は父もなるべく家に早く帰るように気をつけていた節があった。けれど私が父からの家事の手伝いを断る度に、父も次第に帰りが遅く・・・・・。
「・・・アタシのせいかな・・・。もっとちゃんと、一緒に頑張るべきなのかな・・・・」・・・と、後になってして思えば後悔が生まれるけれど、実際のところ当時として私は、「”それでいい”」と決めつけていた。
だから肝心の私はというと、母が居なくなっても特に変わっていなかった。今まで母を手伝っていた時のように・・・。また、母の代わりも併せて、普通の兎美麗を続けていた。
ーーーーけど、それはきっと麻痺していたから。・・・・心が現実に追いついていなくて、何処か遠く、置き去りにしたまま生き続けていたから。
そしてそれを後押しするようにして、私も父同様に何かしらかの用事に没頭していた。・・・・少しでも自由ができれば、心が張り裂けそうになってしまう。それが堪らなく怖くて、不安で、苦して・・・・だから、避け続けていた。目を逸らし続けていた。・・・・『母が死んだ』という、その現実からーーーーーーーーー
「家政婦を、雇おうか。」
それが、父の提案。
けれど私は、反対だった。だって・・・・。
本当なら、忘れ去るまで忙しいままでよかった。心に巣食う苦しみの種が朽ち果てるまで、逃げ続けたかった。・・・・でも、わがままは言えなかった。あるいは、「心に折り合いを付けるべきだ」・・・と、私自身が無意識で判断したのかもしれない。だからーーーー。
「・・・・うん。」
父の提案に、私は頷いた。
ーーーー母が居なくなった当初。妹は、よく泣いていた。
ーーーー夜、ベッドの中・・・本当なら、妹の隣には母が居たはず。けどその温もりがないから、妹は一向に眠らない。
私が抱き締めてあげても、心に空いた穴が埋まることはなくて、「ママぁ・・・ママぁ・・・」・・・と、毎晩のように泣いていた。
そんなだから、私もずっと眠れなかった。妹が力尽きて寝てしまっても、私はまだ眠れなかった。
ーーーー深夜・・・・母の夢でも見たのか、起き抜けに母が居なくなったことを思い出して、静かに泣いていた。
その小さな泣き声に私も起こされる。起きて直ぐに、妹の頭を撫で続けた。私も、泣きたかった。けれど涙は出なかった。
・・・あまりにも胸が苦しい。なのに、心は平然としている。・・・まるで自分が2つに割れてしまったみたい・・・・。
泣き止めば、妹は力尽きてまた寝てしまう。それで私も眠りにつく。
ーーーー朝・・・・私の学校と妹の保育園への支度を始めようと動いていると、眠そうな妹が、涙で腫れた目を擦りながら私に抱きつき、離れない。だからそのまま支度を終えて家を発つけど、保育園前でまたしても泣き出してしまう。・・・・今度は、私と離れたくない・・・と。
ただ、そうやって妹の面倒を見続けるを面倒だとは思わなかった。忙しければ忙しい程に、心は”無感情”になってくれたから。
・・・・だから世話を焼いた。弟たちにも、父にも。・・・弟たちには世話を焼かれていた・・・って表現のほうが正しいかもしれないけど・・・・。
とても、忙しい日々だった。けど、それでよかった。
当時の私のスケジュールとしては、まず朝、私自身と妹の支度。必要な物に関しては全部父が買ってくれるから、私がそれを仕分けまとめる。
一通り準備がまとまれば、朝食を作って、弟たちを起こす。
父はすでに起きていて、朝食を代わりに作ってくれたり、起きた妹の面倒を見ていてくれたり。だから私はその間に、父のお弁当を作ったりしていた。
そんな私に対して、父はコンビニで良いと言うけれど、なんとなく、作ってあげたかった。・・・それが、父の為にもなると思って・・・・。
朝の支度が済めば、妹を保育園へ。そして私は学校へ。
学校は午後の3時まで。終われば一旦帰宅して、冷蔵庫の中をチェック。作れそうな料理を考えて、足りない食材をメモ。ついでに父に連絡を入れておく。こうすれば、父が帰りに買ってきてくれる。ただ、急ぎで必要な食材だけは、スーパーへ買いに行く。・・・夜ご飯の支度に父は間に合わないから。
買い物が終わり一旦帰宅したら、部屋の掃除と夜ご飯の仕込みを。・・・・時間があれば、宿題にも手を付けておく。
5時過ぎ。お湯張りのスイッチを入れて、妹を迎えに行く。
帰り道。お菓子屋さんによって、少し買い物。真っ直ぐ帰ることはせず、ちょっと寄り道。
妹を連れて家に帰れば、妹と私の洗濯物をまとめて先に洗濯。妹と私はそのままお風呂に入る。
お風呂を上がれば、夜ご飯の仕上げを済ませておく。
弟2人は、少年サッカークラブに入っているから、冬場であれば5時半過ぎ・・・夏場であれば7時過ぎになってから帰ってくる。
帰ってきたら、泥と砂と汗にまみれた服を脱ぎ散らかすから、それをまとめてカゴに入れておく。弟2人はお風呂に突っ込む。
妹と私の洗濯物の洗濯が終われば、次は弟2人の服。・・・ただ、洗濯機にいれる前に、下洗いとして、洗剤を溶かした水で軽く洗って泥や砂を落としておく。それが済めば洗濯機へ。
洗濯物は、基本、部屋干し。扇風機を使って、なるべく生乾きを防ぐ。外で干すのは、休みの日くらい。
父は、早ければ6時過ぎ・・・遅ければ8時を過ぎて帰ってくる。だから夜ご飯は、弟たちと父の帰宅を目安にして、6時半から7時半の間に用意するようにしている。
夜ご飯が終われば、残り物の仕分けと食器の片付け。父が居なければ、父の分を選り分けておく。
食器を洗うのは、父の夜ご飯が済んだ後。だからそれまでは、水につけて放置しておく。
夜ご飯が終われば、妹の世話をしながら、弟たちの宿題を見たり、喧嘩をした弟たちの仲裁をしたり、弟たちに構われたり。・・・ついでに私も、残った宿題を終わらせる。・・・遅く帰ってきた時の父は、それを観ながら夜ご飯を食べている。
色々済めば、明日の支度。もちろん、妹と、弟2人の分を優先的に。・・・ついでに、買っておくべき物がないかの確認。・・・・文房具だったり、学校側から必要とされた物だったり。
9時過ぎ。弟2人は別の部屋に押し込んでおき、妹を寝室へ。そのまま寝かしつける。
妹が寝れば、残った家事を済ませる。洗い物だったり、洗濯物だったり。・・・ただ、妹を寝かしつけている間に、父が済ませていることもよくある。
それらが終われば、残っているやるべき事を。・・・・妹と弟優先で宿題が終わっていないことなんてよくあるし、部屋の掃除・・・夜だと掃除機はうるさくて使えないから、コロコロ(粘着クリーナー)だったりハンディモップなりで、軽く掃除しておく。あと、必要な物リストを見ながら普通に足りてない物を確認して、父に伝えておく。
11時頃。私も、妹の隣で眠りにつく。
これが私の1日。そんな生活を、3カ月程。
睡眠時間はそれなりに取れた上で、起きている時間は基本、何かしている。だから気にしないで入れたのに・・・・。
家政婦さんを雇ってからも、妹は私にべったりだった。だから保育園の送り迎えや就寝は、ずっと側にいた。
弟たちも暫くは余所余所しくしていた。やっぱりそう簡単には打ち解けられないらしい。
だから妹と弟の面倒は基本的に私が見ていた。今までと変わらずに。
だけれど、家事全般は家政婦さんが代わりに済ませてくれる。そのせいで、時間が余る。何をすればいいのかがわからないまま、無為に時間が流れていく。
家政婦さんを手伝おうにも手際が良いし、二人がかりだと仕事量が少なくなって直ぐに終わってしまう。
結局私は、体裁的には妹と弟の面倒を見る時間が・・・・実際的には何もすることがない時間が多くなった。
ーーーー家政婦さんを雇ってから暫く。
・・・・心が、苦しい?
妹と弟たちの面倒を見る、当たり前の日常。
妹が、「キラキラ!キラキラ!(ジュエリー欲しい)」・・・って言うから、お菓子屋さんに一緒に出かけたり、帰りにクレープ屋さんによったり・・・・。
家政婦さんとも普通に話すようになって、買い物ついでに向かったデパートで化粧品や美容品を教えてもらったり、いろんな和菓子や洋菓子を作ってくれたり・・・・。
弟たちは、家政婦さんにまだ懐いてないながらも、どこか『母』というものの存在を家政婦さんに感じているらしく、私では担えなかったその『甘えたい願望の行く先』を少しづつ曝け出し始めている。
父は父で折り合いをつけたのか、前のような、隠そうとしても隠しきれていなかった『苦しく疲れた顔』を見せなくなっていた。
そんな何も変わりない・・・私も少しばかりか楽しいと感じ始めていた日常が・・・・。なのにどうして・・・・。
ーーーー当時として、私は自覚していなかった。
何かしらかの用事に没頭し続けていた私は、『母の死』を、受け入れられたつもりでいた。てっきり乗り越えたものだと思っていた。
けど実際は、忘れていただけ。・・・逃げて逃げて見ないふりをしていただけ。
傷ついた心はずっと血を流したまま、もう後戻りできないほどに、『堂々たる自尊心』という名の『心に流れる血液』は失われすぎていた。・・・だからこそ優しさが・・・幸せな事が申し訳なくなってしまうほどに、心は卑屈になっていた。
でも人生に彩りが戻り始めて・・・・枯れていたはずの血管に血が流れ始めたその結果として、『心に巣食った病魔』も一気に広がった。・・・・ただ、それだけのことーーーーー。




