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八百万の火玉花道  作者: 椿 木春
イベリス[第一章・第2幕]
45/57

34.覚醒前夜、また逢う日まで

 迫る爪を紙一重で交わし、痛みの消えた体で踏ん張る。

 諦めるな!!!諦めるな!!!踏ん張れ!!!負けるな!!!頑張れ!私!!!!

 「ぁぁぁらぁあああぁぁぁぁ!!!!!!!」

 握り締めた拳を、精一杯に突き出す。

 この際、後隙は気にしない。気にしてられない。

 とにかく距離を取るため、現状を打開するために、その一手を打った。

 結果は・・・僥倖(ぎょうこう)。

 全ての状況が、功(こう)を奏(そう)した。

 突き出した拳は”ソレ”にめり込み・・・しかし頑丈(がんじょう)、故に貫通することはなく、加えて、迫る”ソレ”速度が反発力を生みーーーー。

 目の前に佇(たたず)んでいた”ソレ”が、凄い勢いで吹っ飛ばされていく。

 腕の骨はバッキバキに砕けてしまったけど、それでも、最高の一撃だった。

 ・・・やった!

 ここにきて嬉しさが込み上げてくる。

 生きていることへの感謝が、溢れてくる。なのにーーーー。

 私の喜びを嘲笑うようにして、地面から無数の棘(とげ)が生えてきた。

 ッッ!!避け・・られない!!!

 棘が腹部を突き刺す。

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 ”ソレ”は、クィーンクェと同じ攻撃手段を有していた。

 ・・・だったら教えてよ・・・・・。

 既に瀕死も瀕死で、最後の力すら振り絞った残りカス。

 ・・・もう、まともに力が・・・・。

 突き上げられたせいで、地面から脚が離れたまま・・・・けれど自重によって、無数の棘が貫通したままにゆっくりと落ちていく。・・・体の中を・・・内臓を撫でられるような感触が、ねっとりと全身から感じられる。

 「ん゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛・・・ぁ゛ぁ゛・・・・。」

 棘を必死で掴み、握り潰そうと・・・引き抜こうと・・・・けれど、何をしようとも、貫通した肉の棘から逃れられなかった。そしてーーーー。

 無数の棘が、本来の柔軟性を取り戻し、私を縛る。

 はたから見れば、樹木の上で蔓に絡め取られた人間のような見た目。

 ・・・薄い本にでてくるかも・・・ハハハ。

 現実逃避。しかしすぐに引き戻される。

 「い゛ッッ!!・・・ぁ゛ぁ゛ッ!!」

 ・・・ああ・・熱い・・・・・痛い・・・。

 貫かれた部位から、途方もない量の血が流れ落ちていく。

 強く、強く、締め付けられる度に、鈍く、深く、執念のように響く痛みが、意識にハッキリと纏わりついてくる。

 思考は赤く染められ、ただ、「痛い」と泣き叫ぶ。

 けれどそれが声として発されることはなく、漏れる声はどれも呻きばかり。

 ・・・逃げたい・・・逃げたい・・・逃げたい・・・助けて・・・・。

 でも、動けない。解(ほど)けない。逃げられない。そして意識がーーーー。

 「・・・ぁッ・・・・かッ・・・・。」

 一瞬、意識が飛んでいたのか・・・・。目覚めてみれば、感覚が薄れ、少しばかりか冷静さを取り戻していた。

 ・・・時間がない。流れ出る血の量が多すぎる・・・・。

 ・・・ああ・・・これは助からない。これで・・・終わり・・・・。そんなのって・・・・・・・。

 「・・・・・・・たすけて。」

 その一言が声として漏れたかどうかは知らない。知ることもないーーーー。

 そして数秒後。・・・・意識は再び赤く染められ、加え唐突にして、耐え難(がた)い不快感に全身を覆われる。

 「い゛ッ・・やぁッ!いやぁッ!!あ゛い゛ッッ・・てこないでぇ!!やめ゛ッ?!こ゛め゛ん゛な゛さ゛!!!こ゛め゛ッ・・・い゛や゛・・・・・。」

 理性が消え去り、視界が消え去り、音が消え去り、世界が消え去り・・・。


 「ねぇねぇ知ってる?」

 「「なにを?」」

 「フェアリエの・・・繁殖方法。」

 見知った誰かが、「怖い話を始めるのか?」と言いたくなるような雰囲気で、私たちに問いかける。

 「知ってる?」

 「さあ?」

 「気持ち悪いぃ〜。」

 「そーだそーだ!」

 「え〜・・・気にならない?」

 「確かに気になるぅ〜。」

 気味悪がる者。好奇心を見せる者。三者三様の意見が場に流れる中、これまた見知った別の1人が、答えを問う。

 「それって最近噂として広まってるやつ?」

 「そうそう、それそれぇ〜!」

 正解らしい。けど・・・そんな噂流れてたんだ。知らなかった・・・・。

 「え、なに?そんなのあったっけ?」

 ほらみんなも。

 「知らなぁ〜い。」

 だよね。

 「あたしは見たかも。・・・一番上の一行だけ。・・・流しで。」

 「それ見たって言えるの?」

 「・・・ま、まあ0.1%くらいは?」

 「意味ねぇ〜。」

 「で、どんな内容なの?」

 「ビークワイエット!みんな静かに。今から話すよ。」

 パチッ・・と、電気が消える。

 「・・・キャッ!」・・・っと、誰かが悲鳴をあげた。

 それを無視して、自らの顔を懐中電灯で照らした女の子が、話し始める。・・・・声を低くし、ゆっくりと・・・・。

 「とても冷たい夜のことです。戦場に取り残されてしまった男は、ひとり、寒さにやられながらフラフラと歩いていました。

 その男は銃を片手に、暖をとれる場所を探しているのです。

 しばらく歩くと、ほどほどに良い大きさの洞窟を発見します。

 『やった。これで少しは寒さを凌げる。』

 男は喜び、強張る脚に力を入れて洞窟の中へ。

 しかしすぐにして、男は異変を感じます。

 『この洞窟、思ったよりも広いな。先が真っ暗で見通せない。それにこの臭いは・・・・。』

 男は警戒しながらも、洞窟の中へ中へと歩みを進めます。

 『おーい。誰かいますか?大丈夫ですか?』

 男が感じた臭い。それは血の匂いです。

 初めは獣のものかと思い気にしていませんでしたがしかし、少し進んだところにリュックを発見したのです。

 ・・・誰かいる!

 そう確信した男は、さらに奥へと歩みを進めることにしました。もちろん警戒を怠ってはいません。

 しかし、誰かいるかもしれない・・・という淡い希望が、彼の脚を前へ前へと突き動かしてしまったのです。

 そうして進むにつれ、2つ目のリュックを発見します。

 『複数人いるのか?』

 それに応えるかのように、さらにもう一つのリュックが。男の意志は、より強固なものへとなります。

 しかし・・・・・・ピチョン・・・・・ピチョン・・・・・ピチョン・・・。

 何かの雫が滴る音が、洞窟内に響きます。そして!!

 ・・・ボチャッ。

 右足が深い水たまりに嵌り、男はそのまま尻もちをついてしまいました。

 『うぉ!?なんだこれ!』

 男は驚きの声を上げます。しかしそれは、嵌った故の声か、それとも水溜りの正体を知っての驚愕か。

 立ち上がろうとした男は、水が通常よりドロドロとしていると感じました。

 『しかし今は・・・・』と立ち上がり、そして懐中電灯で辺りを照らします。

 『これ・・は・・・。』

 驚愕と恐怖に染まる声を出す男。

 男が水溜りだと思いたかったその場所は、大量の血の池だったのです。

 そして血の池の中央。まるで祭壇に飾られた壺のごとく、それはそこにありました。

 ・・・肉塊です。そうとしか表現できない肉塊。いろんな生き物を潰して丸めたとしかいえない肉塊。スズメバチが作る肉団子のような大きな肉塊。

 それが、そこにはありました。

 ・・・ピチョン・・・・ピチョン。

 再び雫の落ちる音が聞こえます。しかし今度は、反響音ではなく、紛れもなく目の前から・・・・目の前の肉塊から、血が滴っていました。

 やがて音は消え去り、辺りを静寂が包んだ時・・・・・。

 ・・・キチキチ・・・キチキチ・・・。

 肉塊が蠢き始めます。そして・・・・。

 ・・・プチュッ・・・クパッ。

 割れた肉塊の中から、それは姿を現しました。白い肌に、血の赤色をにじませながら・・・・。

 次の瞬間・・・・・・・バクゥッ!!!」

 「ひゃッ!!」

 懐中電灯を持った女の子が、両腕を使って、獲物に飛びつく猛獣の口を表現した。

 その動作に驚きの声をあげた小さな女の子が、驚きの声とともに後ろに倒れた。

 けれどまたそれを無視して、懐中電灯を持った女の子が最後の締めくくりを話す。

 「そこに立っていた男は、首から上が消え去っていました。食われてしまっていたのです。首から上を。肉塊から現れた生き物・・・フェアリエによって。」

 「・・・・・・繁殖方法は?」

 「ちょぉぉぉ!ちょぉぉぉ!ちょまちぃ!!!え、わからなかった?」

 「え?」

 「あ、そっすか。・・・え、みんなは?」

 「わかったよ。」「わかった。」「まぁ・・・。」

 「あッ、よかった。」

 「・・・え?」

 「ああ、えっとつまりね、あの肉塊は人間の肉で作られたって話。つまり人間を丸めて卵の殻?胎盤?にでもして、その中でフェアリエを育ててたってこと。因みに血液は羊水ね。」

 「うっぷ・・・。」

 「あ、ごめん。気持ち悪いよね。まあでもそういうこと。こういった噂が最近出始めてるの。」

 「へ〜。」

 「興味なさげ?」

 「いや、面白くはあったよ。」

 「信じてナッシング?!」

 「所詮噂だしね。」

 「オーノー。」

 ・・・まったく。みんなして何やってんだか。

 私はひとり、外を眺めた。視界には誰も映らない。

 「でさ!・・・・・・・・」

 ・・・・ん?

 声が途切れる。辺りが唐突な静寂に包まれる。それで正面に向き直る

 ・・・・え?

 誰も居ない。

 さっきまでみんなが座っていた椅子は位置が変わっていない。なのに誰も、そこには座っていない。

 「・・・みんな?」

 反応は無し。

 「✕✕✕✕ちゃん?」

 反応は無し。

 「え?・・・ちょっとみんな?意地悪?ねぇ誰かいないの?✕✕✕✕ちゃん?」

 反応は、無し。

 ・・・・唐突に、焦りが心を囲う。不安が心を苛む。恐怖が動悸を激しくさせる。

 「ねぇ!誰か!!!」

 背中が見えた。誰かは分からないけど、大きな背中が見えた。

 「✕✕!」

 何故かはわからないけど、抱きつこうとした。瞬間、お腹に鈍痛が走る。

 「ぅ゛く゛ッ゛・・・・・・ぁがッ・・かはッ・・・。」

 地面に座り込んだまま立てなくなる。全身に力が入らない。

 一生懸命にお腹を押さえるが、苦しいのが治まらない。

 「う゛く゛ぅ゛ぅ゛・・・ぅ゛ぅ゛・・・・」

 お腹の中で何かが蠢いているように感じる。

 「う゛ッッ・・・・う゛ぇ゛・・・ぅ゛ぇ゛ぇ゛・・・・。」

 嗚咽が止まらない。けれど吐き戻せない。

 視界が滲む。そして・・・。

 お腹周りから下半身にかけて、生暖かい何かが広がる。

 そして私は倒れ込んだーーーー。

 

 ーーーー気がついたら、誰かの膝の上に頭を乗せていた。膝枕ってやつ。

 とても暖かい。とても心地よい。すごく・・・落ち着く・・・・・・。

 「・・おかあ・・さん・・・。」

 無意識に呟いた。

 ・・・・違う。この人は誰だろう・・・。

 考えても、答えは出ず。やがて思考はゆったりと、その動きを止めた。

 私はただただ、その温もりに縋り続けた。そして、私の甘えたい気持ちに応えてくれるかのように、知っている誰かが、私を抱きしめてくれた。

 とても、嬉しい気持ちで満たされ続けた。

 ・・・ありがとう。・・・ありがとう。

 「・・・・・✕✕✕。」

 誰かが、私を呼んでいる。抱きしめてくれた人が、私を呼んでいる。

 ・・・どうしたの?

 「・・・・✕✕✕。」

 ・・・アナタは誰?

 それを知りたくても、目は開かない。声も出ない。

 ・・・夢の中にでもいるのかな・・・。

 気持ちがフワフワとしている。

 「・・・✕✕✕。」

 ・・・誰?他にも誰かいるの?

 泣き叫ぶ声が聞こえる。喜びの声が聞こえる。

 「ことみ・・・。」

 アナタの声が、耳元で鳴る。

 アナタの涙が、私を濡らす。

 アナタの想いが、私の魂を貫く。

 ・・・・ことみ。それは私の名前。お母さんがつけてくれた、私の名前。

 ・・・アナタはどうして、私をそんなにも大切そうに抱きしめてくれるの?

 「ことみ・・・ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。」

 その人はそう言った。・・・涙ながらに、悔しさと悲しさと嬉しさで顔をしかめさせながら、私の母親であると・・・・・そう言ったーーーーー。


 「マァマ!あうぅ!」

 小さな私が、一生懸命に動き回っていた。それをお母さんは追っかけて、一緒に笑って、一緒に遊んで、一緒に眠って・・・・・。

 夢現の気分で遠くから眺めていると、私の心が苦痛に呻く。・・・ピアノ線でぐるぐる巻にされて締め付けられたかのように、苦しい。とても、耐え難い・・・・はずなのに、でも、この続きを観ていたいと思ってしまう。

 

 「ママ!みて!」

 小さな私が、一生懸命に描いた絵をお母さんに見せた。

 それをお母さんが私を褒めてくれる。

 それを私は笑顔で返す。

 そしたらお母さんは私を抱っこして「・・・ギュゥッ」と抱きしめてくれた。

 ・・・とても温かい。ちょっと首が苦しいけれど・・・・小さい私は、一生懸命に引き剥がそうとするけれど、でもやっぱり温かい。とても心地が良い。全てを忘れてしまえるほどに・・・・・。


 「ママ!」   「・・・ママ?」

    「ママァ!」      「マ〜マ〜!」

  「ママ・・・。」  「・・・ママ!」


 小さな私と、お母さんの物語。

 心に空いた隙間を埋め込むように、それがずっと続いていく。

 気づいたら、涙が頬を伝っていた。

 「君!・・・どうしたの?」

 視界に映る2人とは反対の方向から、声がした。

 そこには、女性が1人、立っている。

 嘘の塊。空想の塊。そうであるはずのお母さんが、私に近寄る。

 『・・・その・・すごく幸せそうだなって。』

 自分の胸を掴んで・・・・心を握り締めて・・・・。・・・・私は、羨ましいと言いたかった。

 「君のお母さんは?」

 女性は・・・・私のことがわからない。私はちゃんと認識しているのに・・・・・・。

 ・・・どうして・・・・。

 『お母さんもお父さんも・・仕事で忙しいんです。』

 私は嘘を付いた。握る拳を更に強くして。

 『忙しくて帰ってこれないから、私はいつも1人で・・・・。』

 「そんなの辛いでしょう?淋しくはないの?甘えたりしないの?」

 『甘えたかった!・・・・だからずっと、甘えてました・・・・。でも、そのせいで・・・・・』

 「ん」

 小さな私が、大きな私の手を取る。

 その表情から察するに、「・・・遊ぼ?」・・・と言っているのだろうことは理解できた。けれど・・・・。

 純粋無垢の塊。どうやったって裏切れない。だけど、取られた手を握り返すこともできない。

 「・・・・。どう?遊ばない?」

 女性は言う。

 「ことみも君と遊びたいみたいだし・・・それに私でよければ、どうか君の話を聞かせてくれない?」

 ・・・・私の気も知らないで、彼女は言う。

 だけどそれは、とても魅力的な提案で。

 『そんなの・・ダメ・・・。』

 お願い・・・離して・・・・。

 純粋無垢の塊に対して、切に願う。

 小さな私には、ちゃんと通じた。だから手を離してくれた。なのにその表情は、どこまでも悲しそうにするばかりで・・・・・。

 「放っておけない。お願い。」

 そう言った女性が、私に手を差し出す。

 『やめてッ!』

 それを無理矢理に振り払う。

 「お願い、ことみ。」

 お母さんは、そう言った。私に向かって、私の名を呼んだ。

 『なんで・・・・。』

 自分でも、もう何が何だか。

 此処は何処なのかとか知らないし、小さい私とお母さんがなんで此処にいるのかも知らないし、私が今何を思って、何を願って、何のために此処に居なきゃいけないのかも・・・・もう全てがグチャグチャに溶け合ってしまっている。

 ・・・私・・どうしたらいいんだろ・・・・。

 ・・・手を、取っても良いのかな・・・・。

 ・・・でもお母さんは私のせいで・・・・。

 ・・・お父さんだって・・・・。

 心に巣食う罪悪感。それが、母の手を取るべきでないと判断している。だけど純粋な心は・・・・欲望に忠実な本能は・・・・・・。

 「ごめんなさい。私、あなたに対して母親を名乗る資格なんて無いと思ったから。」

 だから、ずっと知らないフリをしたと?

 私の名前を呼ばなかったと?

 『今更そんなこと・・・』

 「此処はきっとあなたの空間。なんでそこに私が居るのかはわからないし、私はあなたの過去を何一つも知らない。だけどあの光景は、あなたが求めたものなんでしょう?」

 『・・・え、お母さん?なの?』

 ずっと私が創り出した嘘と空想の塊だと思っていたその人は、事此処に至って、本物であると・・・・そう言ったの?

 ・・・いや、そんなわけない。そうだ。それこそが私の求めた通りの・・・・やっぱり本物なわけがないよ・・・。この人は、私の思い通りにしか動いてくれない、偽物。

 「・・・そうね。私はちゃんと、あなたの母親みたい。」

 『なら抱きしめてよ。』

 私の言葉に、お母さんは少し躊躇いを見せた。

 「・・・私あなたに・・何もしてあげられなかった。パパとあなたを二人きりにしてしまった。それに今のあなたを見れば、凄く辛いことがあったのも分かる。それなのに、私がいないせいで手を差し伸べることすらできなかった。・・・・料理を・・作ってあげられなくてごめんね。・・・・一緒に遊んであげられなくて、ごめんね。・・・笑うことも泣くこと、何一つあなたと一緒にできなくて・・・・本当に、ごめんね。ごめんね。・・・ごめんね。・・・私はあなたに、触れられないの。」

 そう言ってお母さんは、私を抱き締める。だけどそこに感触は無くて・・・すり抜けて・・・・・。

 なんで?なんで?なんでなんでなんでなんで!!!!

 『なんで私の思い通りになってくれないの!』

 その人が本物であると理解できたと同時、堪らなく悔しくて、苦しくて、痛くて辛い感情に心を縛り付けられる。

 嗚咽と涙が勝手に溢れ、それでも必死に手を伸ばした。

 なのに何度も掴もうとして、その度にすり抜けて・・・・。

 自分自身が創造した小さな私と偽りの母親。

 外から入り込んだ異物である、本物の母親。

 2人と1人には明確な境があって、だから・・・・。

 「ごめんね、ことみ・・・・。」

 ママは私に謝った。今の自分には、ただそれだけのことしかできないと・・・・そう言わんばかりに・・・・。

 『そんなこと言わないで!ママは私のせいで死んだ!全部私のせい!私なんかいなきゃ良かった!生まれなきゃよかった!』

 「そんなこと!」

 『なんで私なんかを産んだの!』

 その一言が、ママの心を貫いた。

 『謝るのは私!ごめんなさい!本当にごめんなさい!私みたいなのが産まれてきてしまって・・・本当に・・・ごめん・・・。』

 私は呪った。私を生んだ母を。一緒にいられなくなるとわかっていながら、私を生んだ母の、そのエゴを。だから、「私は生まれたくなんてなかった」と、母を呪った。

 そんな私はいけないこ。悪い子。不出来な娘。だから、自分を呪った。

 ・・・・私は、板挟みだった。

 母を呪い、母を呪った自分を呪い・・・・。

 逃げ場の無い怒りや、悲しみや、苦しみを、投げ捨てることもできずに・・・・そのくせ見て見ぬふりをするばかり。

 ショーコちゃんといれば忘れられたから・・・だから「それでいい」って・・・・「もう全部、どうでもいい」って・・・・。そのくせ罪悪感は一丁前に心に根ざしたままで・・・・。

 ・・・ああ・・・どうして・・・・。

 ーーーーママは、床に伏せっている。未だ病床の上で、意識無く眠りについている。

 原因はゼロイチウイルスによるもの。100年以上前・・・書物によれば命星(エルダ)創生期から存在しているかもしれない、未だ未解明のウイルス。

 命星(エルダ)に住む者・・・エルダ人であれば、ほぼ全員がそれを有しているとされる、当たり前のウイルス。ただしそれは、保持量がほぼゼロ値であるという前提の話で・・・・。

 ゼロイチウイルスの保持量が一定量を下回っていれば、完全に無害な状態となる。

 逆に一定量を超えると、低確率の増殖リスクが付きまとうようになり、その確率は保持量と比例して増えていく。

 そして低確率を潜り抜けて増殖を始めてしまうと、発症。ゼロイチ患者と呼ばれるようになる。

 これの致死率は30パーセントと十分に高い。けれどそれ以上の確率・・・約95パーセントの確率で、ゼロイチ患者は意識不明状態となってしまう。

 脳死状態とはまた違った植物状態。肉体も脳も基本的にはほぼ眠った状態、あるいは冬眠に近い動きをとるとされている。けれど、死ぬまで起きることのない患者が9割以上を占める。ただ、脳死と違って死者扱いにならないのは、これが要因。たった1割以下の確率でも目覚めるかも知れないというおかげで、ゼロイチ患者に対しても人は希望を捨てずにいられる。

 そんなウイルスを、ママは持っていたらしい。そして妊娠が発覚した時、一度発症しかけている。

 当時はまだ何とか耐えたらしいけど、医者からは出産が危険であると知らされていた。だから中絶を勧められたらしい。お父さんもきっと、中絶に賛成していた。・・・・けど、それでもママは、私を産んだ。・・・・私を産んで、そして暫くした後に、発症。意識不明状態となった。

 私を産んだのは、ママの意志。私がなにを言ったって、そこに私の責任が介在する余地はない。

 それでも私は、謝るしかできなかった。

 『私みたいなのが生まれてきてしまって、ごめんなさい。』

 私が謝りたいのは、生まれてきたことに対してじゃない。今もなお、こうして罪悪感を抱えて生きていることに対して。だってママなら、絶対にこう言う。

 「私の自分勝手に巻き込んでしまってごめんね。でも、私は産みたかった。自分勝手だとしても、始めて生まれた命。だからことみには生きてほしかった。私の見た世界を、ことみにも見せたかった。だからことみは何も悪くないの。ことみが苦しんで、辛い思いをしたのは、全部私のせい。恨むなら私を・・・なんてこと言える立場にないけど、でもことみが責任を感じることはないの。」

 ほらやっぱり、そう言ってくれる。だけどね・・・・。それくらい、私だってわかってる。わかった上で、それでもこの罪悪感は消えてくれやしないの。

 ママは知らない。私の人生を知らない。だってママは、ずっとベッドの上にいたんだから。・・・どうやったって、私の過去を知るすべが無い。

 「パパ!」

 小さな私が、その名を呼ぶ。

 消えてくれない私の願望が、リアルな映像を更に先へと進めていく。

 「パパ!ねぇパパ!起きて!パパおーきーてー!!!」

 『ダメ・・・違う・・・こんなの・・・・』

 この映像は、違う。私の願望なんかじゃない。絶対に・・違う!

 それを理解した途端、辿り着くことのない其処に向かって走っていた。

 『ダメ!ダメ!』

 「コトミ?」

 『お願い離れて!それ以上はやめてあげて!じゃないと・・・!!!』

 いくら走っても辿り着かない。あるいは見えない壁に阻まれて、そこに手が届かない。

 まるで、『過去を変えることはできない』・・・と、そう告げるかのように透明な壁が立ちはだかっている。

 『いや!ダメ!見ないで!』

 ママに向かって、そう叫んだ。ここから先に起こる景色を、ママには見せたくなかったから。

 「ことみ?急にどうしたの。・・・これ、ことみがパパのこと起こそうとしてるだけじゃないの?」

 違う・・・違う・・・違う・・・。

 「パパ!ねぇパパ!パパ起きて!」

 机の上にはいくつもの酒瓶が並んでいた。

 この頃の父はまだ、酒を呷(あお)るだけだった。

 怒声もなければ、暴力もない。まだ私のパパでいてくれた、その最後の時間。

 その父を、無邪気な私が揺さぶり起こす。

 いくら心を苛まれようと、それでも私を可愛がってくれパパを・・・・だげど今日はすこぶる機嫌が悪かった父を、そんなことも知らない幼子が、必死になって起こし続ける。

 「パパ起きて!パーパァァァ!起きてェェェ!!!」

 瞬間、世界がひっくり返った。

 無邪気な私が、薄汚れた恐怖を思い知らされた。

 「✕✕✕・・・」

 父の名を呼ぶママの声。

 「ことみ・・・これ・・・・」

 視線が私に戻り・・・けれど瞬間ーーーー。

 『ッッっ゛ぁ゛ッ!!!』

 「ことみ!?」

 迸(ほとばし)る雷(いかずち)がお腹に直撃した気分。

 地面にうずくまる私が、そこにはいた。

 立てない。立ち直れない。・・・染められた思考が、世界を覆い尽くしてしまう。

 『ごめんなさい』  『ごめんなさい』

   『ごめんなさい』    『ごめんなさい』

  『ごめんなさい』    『・・・ごめん・・なさい。』

 「ことみ!しかっかりして!・・・お腹が痛いの?!まさかさっきのあれ、コトミにも繋がって・・・・」

 違う・・・・いや、違わない?

 ・・・わからない。そうかも知れないし、そうじゃないかもしれない。

 でも一つだけ言える、確実なことがある。

 現実が、近づいてきてる。私の意識が、戻り始めてる。

 ・・・・いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ・・・・・・・!!!!

 消えることのない不快感が全身を覆う。

 「きゃッ!」

 ママを突き飛ばし、遠くへ。

 「ことみ!」

 付いた尻餅から立ち上がり、もう一度私に近づこうとするママを、けれど私は拒んだ。

 「こ゛な゛ッッ・・・い゛で゛ッ!・・・ち゛か゛ッ・・・つ゛か゛な゛い゛でッッ!!!」

 『なにこれ?!』

 透明な壁が、今度はママの行く先を阻む。

 そして、何もない空中から突然に伸びる無数の触手と人間の手が、私の中身を弄(まさぐ)り犯(おか)す。・・・半透明のそれらが、私の心を穢して奪う。

 「こ゛れ゛以゛上゛!わ゛た゛し゛か゛ら゛ぁぁ!!!!」

 『コトミッ!!』

 「うか゛ぁ゛ぁ゛ッ!!・・・ハァ・・ハァ・・・。」

 ママを前にしてみっともなく無様を晒し・・・けれど今一度息を整える。

 「ふ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅぅぅ・・・・。」

 激しい苦痛と不快感に晒されながら・・・だけど何度陵辱されようとも、もう何一つだって奪われたくはない。

 私からこれ以上・・・「ママを奪わせやしない。」

 涙に濡れる瞳。

 胎児を孕む子宮。

 撃ち抜かれた内臓。

 快楽に呑まれる脳みそ。

 ”表世界”の肉体は散々に嬲られ、”裏世界”の魂が異物によって穢されていく。

 「い゛や゛ぁ゛ッ!!!マ゛マ゛ぁ゛ッ!!た゛す゛け゛て゛マ゛マ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」

 本能が叫びを上げた。併せ、障壁に歪(ひずみ)が生まれる。本当に小さな歪。腕くらいなら十分に通せるほどの・・・・・。

 『コトミ!早く手を!』

 その歪を通して、ママが手を伸ばす。・・・・こっち側に、入ってきてしまった。

 「ち゛が゛ッ!ッう゛ッ・・・んぁッ!・・・ダメぇ!こっち来ちゃダメぇ!」

 『ことみ!!ことみ早く!私に手を!せめて一度くらい母親らしく守らせて!あなたのことを守らせてッッ!!!』

 ママの腕にも触手は絡みつこうとする。そのせいで、ママも気づいたらしい。私の現状を。そして私が死んでしまうかもしれないということも。・・・・それだけじゃない。多分、私を助け出す方法にも気づいたのかも。だからこそ、一生懸命に手を伸ばす。

 ・・・でも大丈夫だよ。本当に大丈夫。

 「わた・・しぃ!・・・死なぁ・・ないから・・・。」

 『嘘つかないでことみ!!!』

 「ほん・・とにぃぃ・・・んあッ・・・あいじょぶ・・・だからぁ。」

 激痛と苦痛。不快感と快感。・・・・私の心が、何者でも無い集合体へと染められていく。

 痛い・・・・苦しい・・・気持ち悪い。・・・でも、気持ちが良い。心地が良い。喘ぐ声が漏れ出てしまう程に・・・・恍惚と・・・・。

 解け溶け落ち熱を帯びた意識の隙間を縫って、誰かを呼ぶ声が聞こえる。

 八百万の神様たちが、私の心を呼んで誘う。無数の光が飛び交うほとり・・・何処とも知れないそこへと誘い込む。

 何処ともしれない其処。その中心。大きな火玉(ほたる)の光に呑まれてしまう・・・はずだった・・・・。

 だけどその際(きわ)で一つ・・・たった一つだけ、異様なほど小さな・・・けれど燦然とした輝きを放つ火玉(ほたる)が一匹。

 目を凝らしても見えないくらいの・・・ねれど私の瞳にはしっかりとそれが映りーーーーー。


 「始まりは、何処だったのだろう。

 気づきは、何時だったのだろう。

 月夜に咲くは銀の花びら。そこに映る君の横顔。

 空に羽ばたく胸の鼓動が、遠く君の涙を晴らす。

 星の海を泳いだ先で、僕らの命が花を咲かす。

 たったの一度の願いであれども、隣に立って歩くことは許されない。それでもきっと、優しく拭った涙の跡が、僕と君との軌跡になるはずだから。

 僕らは1人で歩くしかない。だけど心は何時だって一緒に。

 忘れないで。僕らは1人であって1人じゃない。空を見上げた先で、またいつか、君と2人・・・・。

 ・・・さぁ起きて。君の物語は、ここで終わり?」

 

 聴こえてきたのは、歌だった。

 とても透き通る歌声だった。

 言語が違うのに、なんとなくで意味が理解できる、凄く不思議な感覚だった。それになによりーーーー。

 歌のおかげで、私の心に希望が芽生えた。

 元々あった自我が・・・・嬲られ犯され奪われ続けていた自我が、蘇ってきた。

 『ことみッッ!!!』

 「ママ!」

 ママの手を、私は握った。強く、強く、握りしめた。

 触手を全て払い除けて、そしてママに私を贈る。

 「絶対に会いに行くから!だからその時は!ちゃんと起きていてよね!じゃないと・・・じゃないと私!!!」

 『ことみ!?ダメ!!ことみ!!!ッッ!!どうしてッッ!!!」

 ママの手が、私の手から強制的に引き剥がされていく。どれだけ力を入れていようとも、それが無意味に引き剥がされていく。

 ママの意識を、私の”精神核”から完全に追い出した。その結果としてーーーー。

 自分でもよくわからないけど、でもこうした方が良いと、そう直感した。

 『ことみッ!ことみ!!待ってッ!!!!』

 「バイバイ、ママ。またいつか・・・・。」

 気づけば一瞬。この世界から、ママの姿は消えていた。そして私も、もう、ここには居られない。外に、引き戻されていく。還るべき世界へ、呑み込まれていく・・・・・。

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