EP 6
女帝のサウナと、天界のサイコパス
「ひぃぃぃッ! 凍る! 息が、肺が凍るぅぅッ!」
「た、助けてくれ! 俺たちはただ、上からの命令で裏帳簿を回収しに来ただけで――」
ガリー大尉と三十人の武装兵たちは、完全にパニックに陥り、涙と鼻水をガタガタと凍らせながら悲鳴を上げていた。
無理もない。タローマンの蛍光イエローの反射ベストを作衣の上から羽織った銀髪の美女――元氷魔将軍スアイが一歩歩み寄るたびに、周囲の気温が物理的に5度ずつ、冗談抜きで低下していくのだ。彼女が引きずる無限伸縮鎖付きの片手斧の刃先から、チリチリと音を立てて青白い絶対零度の冷気が漏れ出している。
「言い訳なんて聞いてないよ。あたしが言いたいのはね……」
スアイは巨大な斧を細い肩に担ぎ直し、極寒の吹雪のような冷たい瞳で大尉たちを見下ろした。
「あんたらのその下品な怒声のせいで、せっかくの『ととのい』の時間が台無しになったってことさ。……ここで美しい氷像になりたいかい?」
「ひ、ひぎぃぃぃッ! 命だけは! 命だけはご勘弁をぉぉ!」
恐怖のあまり、数人の兵士が白目を剥いてその場に卒倒した。完全にオーバーキルである。村の最高戦力が林業のついでに前線を蹂躙している。
「スアイさん、脅すのはそのくらいでいいよ。もうこいつらの『身ぐるみ』は全部頂いてあるから」
俺はすっかり冷たくなったおでんの出汁を喉に流し込みながら、空中に展開した半透明のシステムウィンドウを人指し指で軽快に弾いた。
《ルナミス帝国軍・第8小隊、およびガリー大尉のL-Pay(魔導QR決済)口座にアクセス。セキュリティロックを解除しました》
《残高:金貨4万5千枚を、ポポロ村復興予算口座へ全額送金(強制ハッキング)完了》
「……え?」
磔にされたガリー大尉の胸ポケットで、彼の魔導通信石が『チャリーン♪ 残高がゼロになりました』という、絶望的で無慈悲な電子音を虚しく響かせた。
「よし、送金確認したわ! カナタさん、ナイスハッキング!」
キャルルが嬉しそうにウサギの耳をぴょこぴょこと揺らして、パチパチと拍手をする。
「あ、ああっ……俺の、俺の裏金が……!」
「武器も金も失ったんだ。そのまま帝国に帰ったら、どのみちオルウェル内務卿あたりに軍法会議で死刑にされるだろうな。……ほら、服の『繊維結合ロック』も外してやったぞ。全裸で走って逃げるなら今のうちだ」
俺が指を鳴らすと、彼らを磔にしていたリバロンの名刺がスッと抜け落ちた。同時に、彼らの着ていた軍服がパラパラと糸くずのように結合を解かれ、解けていく。
「うわあああぁぁッ! 全裸で国境は越えられねぇぇぇ!」
ガリー大尉たちは一糸纏わぬ姿となり、情けない悲鳴を上げながら、一目散に森の奥へと逃げ去っていった。こうして、ポポロ村のスローライフを脅かした最初の外圧は、たった数分で完全なる『ザマァ』と共に排除されたのだった。
「……ふん。あんた、ただの無職の移住者じゃないね」
スアイが斧を地面に置き、面白そうに俺の顔を至近距離で覗き込んできた。
「ただの『元・荷物持ち』さ。これからよろしく、スアイさん」
「いい面構えだ。魔法の起動式でもなく、力技でもなく、事象そのものを『外す』なんて芸当、魔王様でもできないよ。……気に入った。新入り、あたしのDIYサウナの『一番風呂』を味あわせてやる。ついてきな」
スアイに案内され、村の裏手にある美しい山間の湖畔へとやってきた俺は、そこに建てられた本格的なログハウスに目を見張った。
中に入ると、芳醇な木の香りと、魔導石でカンカンに熱されたサウナストーンの熱気が全身を包み込む。
「熱波、いくよ」
水着姿のスアイが、ストーブに陽薬草を煮出したアロマ水をかける(ロウリュ)。
ジュワァァァッ! という爆音と共に、極上の爽やかな香りと熱風が室内へと充満した。
「くぅぅっ……! 効く……!」
前世の深夜残業でバキバキに凝り固まっていた全身の血流が、一気に解放されていく。
十分に汗をかいた後、俺たちは外へ出て、スアイの氷魔法で『水温7度』にまでキンキンに冷やされた湖(天然の水風呂)へとダイブした。
「……はぁぁぁっ」
湖畔のベンチに横たわり、夜空に浮かぶアナステシアの月を見上げる。
熱と冷気の極端な交代浴によって、脳内にエンドルフィンが溢れ出し、世界がぐるぐると心地よく回り始める。完全なる『ととのい(サウナトランス)』状態だ。
(あぁ……最高だ。この村に来て、本当に良かった……)
俺は深いリラックスの中で、幸福感に浸りながらそっと目を閉じた。
* * *
その頃。
アナステシア世界の遥か上空、大気圏外に位置する天空神国『セレスティア』。
そのさらに上位次元にある宇宙お役所機関『GOD』のオフィスの一室で、一人の若い男神が、苛立ちを隠せない様子でマイタンブラーのカプチーノを啜っていた。
「……本当に使えない駒ですね。ルナミス帝国の汚職部隊に『裏金』という餌を与えて突撃させてみれば、まさか全裸にされて追い返されるとは」
男神――新世代の炎上神『ワイズ』は、高級なスマートカジュアルのスーツの袖をまくり、デスクに置かれた専用のノートPCのキーボードをターン! と強く叩いた。
洗練された彼のノートPCのモニターの端には、【天界法人アカウント残高:∞(インフィニティ)】、そして【今期GodTube総収益:金貨100億枚相当】という、下界の人間が気絶するような狂った数字が不気味に発光している。
金に物を言わせ、神界の法廷すら数字の暴力で黙らせてきたサイコパス。彼の画面には、ポポロ村の広場の様子が上空からの視点で精密に映し出されていた。
「私の担当は『悪役が調子に乗り、すべてを奪われてざまぁされる』というヤラセの復讐配信。……ですが、あの村は少々、緊迫感のない防衛力が高すぎる。ウサギの娘の質量兵器に、元魔将軍の冷気。そして……あの男の、謎のシステム干渉能力」
ワイズの冷徹な瞳が、モニター越しのカナタの姿を捉えて妖しく歪んだ。
「素晴らしい。これほど理不尽な防衛力を持つ村なら、最高に『悲惨な絵』が撮れますね」
ワイズは一切の感情を交えず、PCのコンソール画面に、莫大な資金力に裏打ちされた特権的な管理者コマンドを冷酷に打ち込み始めた。
「彼らが絶対に勝てない圧倒的な『絶望(暴力)』をぶつけ、村が焼け落ち、大切な仲間が死に絶えたところで……私が彼らに『チート能力』を与えてやりましょう。そこから這い上がる復讐劇こそが、ゴッドチューブで最も再生数と赤スパチャを稼げるのですから」
ワイズがエンターキーを押下する。
その瞬間、アナステシア世界の地下深くに封印されていた絶対的虚無『天魔窟』への重厚な扉が、神の無限の予算によって強制的にアンロックされた。
「さあ、起動しなさい。絶望の機械蟲たち。……最高の炎上配信の始まりです」
暗黒の地下深くで、数万、数十万という無数の赤い機械の瞳が、一斉にポポロ村の方向へと向けられた。
俺たちの平穏なスローライフを物理的に食い破る、神の悪意に満ちた『ヤラセのクソゲー』が、今まさに幕を開けようとしていた。
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