EP 5
絶対中立特区の防衛戦と、最強の村人たち
「おいおい、最高の出汁が台無しじゃないか」
村の広場に響き渡った下品な爆発音と、土鍋の中にパラパラと落ちてきた土埃を見て、俺は思わず深い溜息をついた。
せっかくの平穏なスローライフ初日が、たった一時間でぶち壊された瞬間だった。
ついさっきまで、たまんネギの上品な香りと、黄金色に透き通った月見大根の湯気が、俺の傷ついた胃袋をこの上ない幸福感で満たしていたのだ。それが今や、黒い硝煙の臭いと無粋な鉄の匂いによって、無残にも塗り潰されてしまっている。
「キャハハハッ! 随分とのどかな村じゃねぇか! おい村長、さっさと『月光薬』の在庫と、今しがた村に入った指名手配犯の身柄を引き渡せ!」
宿屋の入り口を木屑と共に激しく蹴り破って現れたのは、ルナミス帝国軍の軍服をこれでもかと着崩した、いかにも悪党面の将校だった。その後ろには、三十人ほどの武装兵が最新鋭の『魔導ライフル』を構え、さらに村の広場には地響きを立てながら、軽装甲の『魔導戦車』までがキャタピラを鳴らして傲慢に乗り込んできていた。
「……ルナミス帝国の国境警備隊、第8小隊ですね。当村は三大国が条約で認めた不可侵の絶対中立特区のはずですが?」
リバロンが、手元のティーカップを微塵も揺らさず、極めて冷徹な声で言い放つ。
「中立ぅ? 知るかよ! 俺たちは内務省のオルウェル様の特命で動いてんだ! カギタ公爵派の裏帳簿を持ったコソ泥が逃げ込んだんだろ!? 大人しく身ぐるみ置いてけ!」
将校――胸のネームプレートには『ガリー大尉』とある――が、下劣な笑みを浮かべて銃口をこちらに向けた。
どうやら、エドワルドの懐から俺が奪ったあの『依頼書』は、想像以上にヤバい代物だったらしい。腐敗した汚職将校どもが、軍の正規兵器まで持ち出して血眼で追ってくるレベルの。
「あーあ。……カナタさんに奢った特製おでん、埃が入って食べられなくなっちゃったじゃない」
隣の席で、キャルルが俯き加減で呟いた。
その声は普段の愛らしいトーンから数段階落ちた、地を這うような低い声色だった。純白のウサギの耳が、怒りでピクピクと痙攣している。その小さな拳は、タローマン製の作業テーブルの角をみしり、と音を立てて容易く陥没させていた。
「キャルル、リバロン。ちょっと待ってくれ。ここは俺に任せてほしい」
俺は立ち上がり、静かに二人の前に出た。
「あいつらが持ってる魔導兵器……魔法の火の粉でも散らばったら、村の美しい畑や家屋に被害が出る。俺が最初に、奴らの『牙』を全部抜く」
俺の視界にはすでに、ガリー大尉たちが構える魔導兵器のシステムコードが滝のように流れていた。
前世の知識(ITエンジニアとしての経験)と、今世のスキル『鍵使い』が完全にリンクする。
魔石を動力源とし、魔力回路を基板とするルナミスの近代兵器。科学ではなく魔法文明で動いているせいで、外部からの不正アクセスに対するファイアウォールなど、この異世界には存在すらしていない。俺にとって、奴らの武器は「パスワードのかかっていないフリーWi-Fi」に接続された、ガバガバの欠陥端末も同然だった。
「全魔導兵器のローカルネットワークに接続。アクセスポート、強制解放。……対象、全兵士の射撃トリガー、および戦車の砲身駆動魔力回路」
俺は右手を軽く前に出し、脳内でカチャリと『物理と概念の鍵』を回すイメージを描いた。
「全武装の安全装置、システム深層より強制起動。……お前らの武器は、俺の許可なく二度と火を噴かない」
「はっ、頭のおかしい無職が何をブツブツ言ってやがる! 撃て! 奴の両脚を吹き飛ばせ!」
ガリー大尉の号令で、三十人の兵士が一斉に魔導ライフルの引き金を引いた。
カチッ。カチッ、カチカチカチッ。
「……あ?」
「た、大尉! 引き金が完全にロックされて動きません!」
「魔力回路が完全に沈黙しています! 計器パネルが全部フリーズした! 戦車の主砲もエラーコードを吐いて起動しません!」
一瞬にしてパニックに陥る兵士たち。ガリー大尉が自らの拳銃の引き金を顔を真っ赤にして何度も引くが、虚しい金属音が店内に響くだけだ。
「よし、無力化完了だ。……後は任せるよ、村長さん」
俺が横へ退いて道を譲ると同時に、キャルルの姿が「フッ」と視界から消えた。
ドゴォォォォォォンッ!!
次の瞬間、広場に堂々と停まっていた重量数トンの『魔導戦車』が、まるで子供に蹴り飛ばされた空き缶のように宙を舞い、村の分厚い防壁の向こう側へと吹き飛んでいった。
一瞬遅れて発生した凄まじいソニックブームが、広場の砂埃を爆風となって吹き飛ばす。
「な、ななな……っ!? 戦車が、浮い……え!?」
ガリー大尉が目を剥いて腰を抜かす。
その視線の先には、クラウチングスタートの姿勢からトップスピードへ達し、空中で見事な一回転から回し蹴りのフォロースルーを決めているキャルルの姿があった。
「よくも……よくも村の平和な時間と、美味しいおでんを台無しにしてくれたわね!」
月兎族の、満月が近くなくても十分に規格外な身体能力。そして、タローマン製の特注安全靴に仕込まれたミスリル装甲の圧倒的な質量。それが時速数百キロの速度でピンポイントに叩き込まれる月影流『鐘打ち』。戦車の重装甲すら一撃で飴細工のようにひしゃげる、理不尽なまでの暴力だった。
「ひ、ひぃぃっ! バケモノだ! 撃て! 剣を抜けぇ!」
恐怖で半狂乱になったガリー大尉が、腰から軍刀を引き抜いてリバロンへ斬りかかる。
しかし、リバロンは懐から純白の『テーブルクロス』をサッと取り出し、それを人狼族特有の濃密な闘気で満たして眼前に展開した。
ガキィィンッ!
軍刀の刃が、ただの布に弾き返され、ガラスのように無惨に折れ飛んだ。
「『オーラ・シールド』。お客様……当村での粗暴な振る舞いは、固くお断りしております」
リバロンが冷徹に告げると同時に、彼の手から数枚の名刺が放たれた。時速300キロの名刺は、大尉と兵士たちの軍服の襟や袖だけを正確に貫き、背後の木や地面に彼らを一寸の狂いもなく磔にした。
わずか数十秒。
最新鋭の魔導装備を誇ったルナミス帝国の強襲部隊は、たった一人のハッカーと、二人の村人によって完膚なきまでに制圧されたのだ。
「ひ、ひぃぃぃっ……! 意味がわからない、お前ら何なんだよ! 許してくれ、悪かった! 金なら払う!」
名刺で木に磔にされながら、情けなく大粒の涙を流して命乞いをするガリー大尉。
「金で済む問題じゃないわよ。……カナタさん、こいつらの武器や身ぐるみの『ロック』、全部外せる?」
キャルルがニッコリと、しかしその瞳の奥にはヤンデレ特有の全く笑っていないドス黒い光を宿して俺に尋ねる。
「ああ、余裕だ。なんなら軍の暗号化口座の暗証番号ごとロック解除して、村の復興予算として全額強制送金してやろうか?」
「ええ、村の迷惑料として、L-Payの残高も含めて一粒残らず頂戴するわ」
完全に涙目になった大尉たちが絶望の声を上げようとした、まさにその時だった。
「……おい。そこで喚いてる耳障りなガキ共」
突如、真夏のはずの広場に、肌を刺すような絶対零度の冷気が吹き荒れた。
あまりの寒さに全員の吐く息が一瞬で白くなり、ガリー大尉たちの足元に生い茂っていた緑の雑草が、チリチリと音を立てて白い氷の彫刻へと変わっていく。周囲の気温が急速に氷点下へと叩き落とされていく。
大尉たちの後ろ――村の奥へと続く険しい山道から、一人の女が悠然と歩いてきたのだ。
タローマン製の「蛍光イエローの反射ベスト」に「防寒ストレッチ作業着」という完全なガテン系スタイル。しかし、その身に纏う圧倒的な美貌と銀髪は、見る者すべてを凍りつかせる。その片手には、無限伸縮の鎖が付いた片手斧――本来は軍勢を両断する凶悪な暗殺武器――を、完全に『林業用のチェーンソー』代わりとして軽々と引きずっていた。
「あたしは今、自分で切り拓いた山小屋のDIYサウナで、極上の『ととのい』を味わってたんだよ。……どこの誰の許可を得て、あたしの貴重なスローライフを邪魔してくれてんだい?」
かつて魔皇国で世界を震え上がらせ、神のお色気設定をセクハラとしてゴミ箱に投げ捨てた元氷魔将軍、スアイ。
その美しくも恐ろしい女帝の瞳が、青白い冷気を放ちながら大尉たちを睨み下ろしていた。敵のライフはもうゼロなのに、ポポロ村の隠し火力は、まだ一段階目を解放したに過ぎなかったのだ。
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