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EP 2

生体ナトリウムチャンネルのロック

「パスワード【世界】……アクセス承認。お前らの命のロック、全部開けさせてもらうぞ」

脳内に響き渡る無機質なシステム音と同期するように、俺の視界は一変していた。

目の前で牙を剥き、俺の喉元へと飛びかかってきていたシャドウ・ウルフの動きが、完全に停止している。いや、世界そのものの時間が、恐ろしくスローモーションに引き伸ばされていた。

これまではただの薄暗い岩肌にしか見えなかったダンジョンの壁面や、魔獣の凶悪な肉体に、無数の光る文字列――『システムコード』が重なって浮き上がっている。

前世で死ぬほど見飽きた、バグだらけのプログラムソースコードと同じだ。

《個体名:シャドウ・ウルフ。生命維持プログラムを展開中。システム階層へのアクセスを確立しました。オブジェクトのロックを解除しますか? [Y/N]》

目の前に半透明のウィンドウが表示される。

俺は迷わず、脳内で『Y』を選択した。

標的は、俺の目の前に迫る先頭の1匹だけじゃない。暗闇の奥で獰猛な目を光らせている、数十匹の群れすべてだ。

「全てのオブジェクトを選択。……ハッキング開始システム・オン

俺がそう呟いた瞬間、俺の右手の指先が、目に見えないキーボードを叩くように激しく、かつ滑らかに動いた。前世のデスマーチで鍛え上げられた、極限のタイピング速度が異世界で再現される。

ターゲットとなる魔獣たちの肉体プログラムを、脳内で高速でデバッグしていく。

狙うのは、心臓でも頭部でもない。もっと根源的な生命のスイッチだ。

「生物の肉体を動かすのは電気信号。そしてその信号を伝えるのは、細胞膜にあるナトリウムチャンネルだ。……カチャリ」

脳内で、明確に『鍵が開く音』が響き渡った。

《エラー:対象全個体の生体ナトリウムチャンネルを強制解放アンロックしました。細胞内外のイオンバランスが崩壊。神経伝達シグナル、完全停止。心筋および呼吸筋の駆動プログラムを強制終了します》

パチン、と指を鳴らすと同時に、世界の時間が正常な速度へと戻る。

「ガ、ア……ッ!?」

喉元に迫っていたシャドウ・ウルフの巨体が、空中でもがき、そのまま俺の足元へ力なく墜落した。

それだけではない。暗闇の奥にいた数十匹のウルフたちが、悲鳴を上げることすらできず、一斉にバタバタと地面へ倒れ伏していく。

かすり傷一つない。血の一滴すら流れていない。

しかし、全ての魔獣の瞳からハイライトが消え去り、ピクリとも動かなくなっていた。

静寂が、ボス部屋の前の通路を支配する。

「……まじかよ」

俺は自分の両手を見つめ、呆然と呟いた。

地球の一般成人の20倍もの出力(馬力)を持つアナステシアの凶悪な魔獣たちが、俺が脳内で『鍵を開けた』だけで、一瞬で全滅したのだ。

これが、ユニークスキル『鍵使い』の真の姿。

宝箱や扉の鍵を開けるだけのハズレスキルだと思っていたものは、そんなチャチなものじゃなかった。この世界のプログラムそのもののロックを解除し、書き換える、神の管理者権限ハッキング・ツールだったんだ。

「はは……はははは!」

喉の奥から、乾いた笑いが込み上げてくる。

前世の理不尽な仕様変更。今世のクソみたいな奴隷労働。溜まりに溜まっていたストレスが、魔獣の全滅という圧倒的な結果によって、急速にカタルシスへと変わっていく。

「おい上司ども。よくも俺を使い捨ててくれたな。きっちり残業代、耳を揃えて返してもらうぞ」

俺は、荷物持ち用の巨大なバックパック(もちろん、これまでの道中で俺が一人で担いできたものだ)を背負い直した。

倒れた魔獣たちの胸元へ手をかざし、その体内にある『魔石の結合ロック』を解除する。肉体を傷つけることなく、純度の高い魔石だけがポロポロと俺の手のひらに転がり落ちてきた。それをバッグへ放り込む。これだけでも、平民の年収数年分にはなる。

そして、俺は元仲間たちが閉じこもった、重厚なボス部屋の扉の前に立った。

かつて伝説の鍛冶師ドワーフが作り、大国の魔法使いが幾重もの『絶対不可侵の防壁魔法』を施したとされる、鋼鉄の門。

「大層なセキュリティだな。だが、俺に開けられない鍵はない」

扉に手を触れる。浮き上がる幾千の魔法数式。

だが、その構造は前世のクソ上司が作ったスパゲッティコード(難解な欠陥プログラム)より遥かに単純だった。

「ポート開放。セキュリティ・バイパス。……カチャリ」

ズドォォォン……!

絶対の強度を誇っていたはずの扉が、激しい音を立てて内側へと開き始める。

俺はショートソードを肩に担ぎ、暗黒のボス部屋、そしてその先にあるダンジョンの出口へと続く通路を爆速で駆け抜けた。アナステシア人の基礎スペック20馬力に、前世のバックレンジャー(過労死寸前に会社から逃亡する際の爆発的脚力)の記憶が加わり、俺の身体は風を切って進む。

どれほど進んだだろうか。

ダンジョンの最深部を抜け、地上の光が微かに差し込む、広大な『宝物庫兼中継地点』のエリアに辿り着いた時、聞き覚えのある下劣な声が耳に届いた。

「いや〜、今回の遠征は大収穫だな! あのゴミ(カナタ)を囮に使った甲斐があったぜ!」

「本当ですねリーダー! 鍵を開けさせた後に処分するなんて、さすがの機転です!」

ルナミス帝国最強のS級パーティ。そのクズどもが、宝箱から手に入れた金銀財宝や伝説の武具を地面に広げ、下品な笑い声を上げながら山分けしている真っ最中だった。

その楽しそうな宴会のド真ん中へ、俺は足音を響かせながら、堂々と踏み込んだ。

「お疲れ様。……随分と楽しそうじゃないか、元上司殿?」

楽しげな笑い声が、一瞬で凍りついた。

宝を弄んでいたクズどもが、ギチギチと錆びついた人形のような動きで、一斉に俺の方へと振り返る。

お読みいただきありがとうございます!


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