EP 13
社畜勇者の涙と、ホワイトすぎる魔の村
「……んん……」
全身を包み込む雲のように柔らかいシーツの感触と、鼻腔をくすぐる暴力的な鰹出汁の香りに、ユートはゆっくりと重い瞼を開けた。
「あ、気がついた? 胃袋がビックリしないように、よく噛んで少しずつ食べてね!」
視界に真っ先に飛び込んできたのは、純白のウサギの耳を揺らす可憐な少女の笑顔と、彼女がトレイに乗せて差し出してきた、熱々と湯気を立てる『海老天カツ煮丼』だった。
「ここは……天国……? いや、悪魔の幻覚か……!?」
ユートは跳ね起きようとしたが、身体に力が入らない。そもそも、彼を寝かせているベッドは、王族が使うような最高級の羽毛布団(タローマン製)だった。
「幻覚なわけないだろ。さっき村の入り口で倒れてたから、宿屋に運んだんだ。ほら、冷めないうちに食え」
部屋の隅の椅子に座っていた黒髪の青年――カナタが、温かいお茶の入った湯呑みを机に置きながら言った。
ユートは警戒心を抱きながらも、限界を突破した腹の虫には勝てなかった。震える手でスプーンを握り、カツ煮丼をすくい上げ、恐る恐る口に運ぶ。
サクッ……ジュワァァァッ。
「……っ!!?」
ユートの瞳孔が限界まで見開かれた。
極上の出汁と甘辛い醤油ダレを吸い込んだサクサクの衣。その中から弾け出す、プリプリで濃厚な海老の旨味。さらにそれを、トロトロの半熟卵と熱々の銀シャリが優しく、かつ暴力的な美味しさで包み込む。
「うっ、うぅっ……! な、なんだこれぇぇぇっ! 美味い……美味すぎるよぉぉっ!」
ユートの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「俺、勇者になってから……こんな温かくて、美味しいご飯……一度も食べたことなかった……! いつもカビた干し肉と、泥水みたいなポーションだけで……うわああああん!!」
「ちょ、ちょっと泣きながら掻き込むなよ。喉詰まらせるぞ」
あまりの悲惨な食べっぷりに、カナタが少し引き気味に背中をさすってやる。
あっという間に丼を空にしたユートは、ふぅ、と息を吐き、我に返ったように青ざめた。
「ハッ!? 毒……! これは、俺を油断させるための魔の村の罠か……!」
「罠に使うほど安い食材じゃねぇよ。お前、さっきから魔の村って言ってるけど、どこを見てそう思ったんだ?」
カナタの呆れたような言葉に、ユートは混乱した。
「だって、神託で『世界を滅ぼす悪魔の拠点を殲滅しろ』って……。でも、ベッドはフカフカだし、ご飯は信じられないくらい美味しいし、ウサギの女の人は優しいし……全然、ブラックじゃない……」
「それよりお前、そのボロボロの装備とステータス、なんだよ。俺のスキルで見えちゃったんだけど『残有給日数ゼロ』『聖剣34回払い』って」
カナタが的確に地雷を踏み抜くと、ユートは再びボロボロと泣き崩れた。
「だって、仕方ないじゃないか! 勇者の装備品は経費で落ちないし、魔王軍の残党狩りで毎日休日出勤だし! 神様からの強制クエストを断ったら、違約金としてマグローザ漁船で300年労働なんだぞ!!」
その魂の叫びに、部屋の空気がピタリと止まった。
「……おい。その神様って、もしかして『ワイズ』って名前か?」
カナタの声が、一瞬にして冷たく、凄みを帯びた。
「えっ……うん、そうだけど……」
「なるほどな。あのクソサイコパス野郎、直接手出しできないからって、今度は末端の『下請け(勇者)』に丸投げしてきやがったのか」
カナタはギリッと奥歯を噛み締めた。前世で、現場に無理難題を押し付けて自分は安全圏で高笑いしていた役員どもの顔と、ワイズの姿が完全に重なったのだ。
「同業者(社畜)として、見過ごせねぇな。……おい勇者、お前、この村に残りたいか?」
「え……?」
「毎日3食、美味い飯が出る。週休2日制、サウナと温泉完備。畑仕事を手伝ってくれれば、宿代はタダにしてやる。どうだ?」
ユートにとって、それは天界の神託よりも輝かしい『圧倒的ホワイト企業の採用通知』だった。
「残る! 絶対に残る! でも……!」
ピロリンッ。
その時、ユートの目の前に金色のシステムウィンドウが非情な警告音と共に表示された。
《警告:クエスト期限まで残り3時間。対象(ポポロ村)の殲滅が確認できません。失敗の場合、契約通りマグローザ漁船へ転送を開始します》
「ほ、ほら! やっぱりダメなんだ! システムの契約には逆らえない! 俺は……あんたたちを裏切りたくないよぉ!」
絶望に顔を覆うユートの肩を、カナタが力強くポンと叩いた。
「安心しろ」
カナタは不敵な笑みを浮かべ、空中に半透明の仮想キーボードを展開した。
「俺の前世は、そういうクソみたいな『理不尽な仕様』を内側からぶっ壊す(ハッキングする)のが仕事だったんだよ。……お前のそのふざけた労働契約書、俺が今すぐ破り捨ててやる」
反逆の元社畜プログラマの指先が、神の理不尽な契約を粉砕するために、静かに鍵穴へと向かった。
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