#01(異常な)日常にちょっとした波乱
『あの日、』
◇
「何、あれ?」
「新しいショーか何かか?」
「ドローンで作ってんじゃね?」
ビルの向こうに、見たこともない物体が浮かんでいた
人々は足を止め、不思議そうに笑いながらスマホを向ける
◇
足元で、小石がふわりと浮き上がった
「……ねぇ、なんか身体、軽くない?」
「ママ、見て! 飛んでる!」
跳ねた子供の靴が、地面から離れる
隣にいた大人も試すように跳び、いつもより高く浮いた身体に笑い声を上げた
けれど、誰の足も地面に戻らない
「……あれ?」
「ちょっと待って。どうやって降りるの?」
笑っていた人々が、慌てて近くの柵や街路樹へ手を伸ばす
手放されたスマホが、ゆっくりと頭上へ昇っていった
◇
「ねぇ、どこ行ったの?」
振り返った先に、ついさっきまで話していた相手がいない
名前を呼ぶ声に重なって、交差点では急ブレーキの音が響いた
横断歩道の真ん中に、椅子に座った男が現れていた
男は手にしたマグカップと目の前の車を交互に見て、呆然と呟く
「俺、さっきまで会社にいたよな……?」
◇
『俺たちの世界は、』
◇
「おい、そっち行くな!」
歩道の先が、なくなっていた
舗装も、白線も、道端の植え込みも、その一角だけがまとめて切り取られたように消えている
駆け出しかけた人々が足を止め、互いの腕を掴んだ
「何なんだよ、これ……」
「誰か、助けて!」
鳴り続けるクラクションに、短い電子音が紛れた
頭上の大型ビジョンが、ニュースの画面へ切り替わる
「……臨時ニュースです。各地で、原因不明の――」
「押すな! そっち、道がないんだ!」
引き返す人々がぶつかり合う
その頭上では、宙に浮いた車の映像が流れていた
「多数の行方不明者が出ており、死者も確認されています」
「異常の見られる場所には、決して近づかないでください」
「政府は、一連の現象を――」
バツン、と街から光が消えた
大型ビジョンも、信号も、通りに並ぶ店の明かりも……何もかも
◇
『バグった。』
◇
【バグった世界で俺たちは】
序章:世界の片隅より、まだ見ぬ世界へ
開幕
◇
十四年後
「……よし。終わり」
スマホに最後の記録を打ち込み、俺――夜坂漣は肩を回した
ひび割れた道路の向こうには、壁の崩れたビルが並び、その間に浮かぶ雨粒が日の光を受けてきらきらと光っている
あれも、昨日から落ちてこない。
あの日から起きるようになった異常現象――『バグ』。
そんなものばかりの『高負荷区』には、今日も俺のほかに人影がない。
「さて、待ちに待ったご褒美……っと、その前に」
調査が終わったら電話する取り決めだったな。
依頼人へ電話をかけると、数回の呼び出し音の後に繋がった
「あー、俺だ。『解析屋』の漣だ」
『依頼した調査は終わったってことでいいんだな?』
「終わったぞ。指定されたエリアのバグは一通り調べた。どこで何が起きるか、発生する周期もまとめてある」
『それがあれば通れるんだな?』
「今の状態ならな。ただ、バグは消えたり周期が変わったりする。行く時は、高負荷区に慣れた護衛もつけとけよ。そいつにも俺のデータを渡しといてくれ」
『ご忠告どうも』
電話の向こうで、男が小さく笑った
『世界をバグらせた男の息子が、今度はバグで金儲けか』
「…………」
スマホを握る指に力が入る
……まあ、嫌われるのは仕方ねぇよな。
『大罪人の息子』相手だ。仕事を頼んでくれるだけ、まだマシだろ。
握り込んだ指を緩め、調査記録へ目を戻す
「……データは報酬と引き換えでいいんだよな?」
『ああ。ただ、取引は明日以降にしてくれ。思ったより仕事が早くてな』
「分かった。場所と時間は後で送る」
『あいよ』
通話が切れた画面を、しばらく見つめる
今回の報酬が入れば、また親父の情報を買える。
本当に、親父が世界をバグらせたのか。あの日、何があったのか。
……今度こそ、何か分かればいいんだけどな。
スマホをポケットへ押し込み、大きく伸びをする
「さて、お待ちかね……っと」
道端に腰を下ろし、背中を瓦礫に預ける
バッグから取り出したのは、街を出る前に買ったプリンと、プラスチックのスプーンが入った袋だ
いつもなら通り過ぎる、三百円のやつ。
今日はこれを食うために、一気に調査を終わらせた。仕事後のご褒美ってやつだ。
袋の口から覗くカラメルに頬を緩め、そのまま右隣へ置こうとする
底が地面に触れた――と思ったら、袋がずぶりと沈んだ
「あっ!?」
慌てて手を伸ばすと、その手もコンクリートをすり抜けた
肘の辺りまで突っ込み、どうにか袋の持ち手を掴む
「っぶねぇ……!」
……ん?
地面の中にあるはずの指先へ、風が当たっている。
頭上で、かさりと袋の擦れる音がした
顔を上げると、ビルの二階くらいの高さに俺の手が浮かんでいた
プリンの袋をぶら下げたまま、何もない空から生えている
「……そこに出るのかよ」
腕を引くと、空に浮いていた手が消え、袋が地面からずるりと戻ってきた
壁や地面の一部が、まったく別の場所に繋がる。そういうバグだ。
だからって、地面の下が空とは思わねぇだろ。
カップは無事。蓋も開いてない。
「よし。今度こそ……」
袋を膝へ移し、プリンを取り出す
蓋の端へ指をかけたところで――
「……っ、ぅ……」
「…………ん?」
手を止め、耳を澄ます
崩れた建物の向こうから、鼻をすするような音が聞こえた
泣き声?
……こんなところで?
カップを袋へ戻し、バッグを肩にかけて立ち上がる
声のする方へ歩き、崩れた壁を回り込んで瓦礫の向こうを覗くと――
子供がいた。
小学……三年生くらいだろうか。
地面に座り込み、膝を抱えて泣いている
「おーい」
声をかけると、子供がびくりと肩を震わせた
涙でぐしゃぐしゃになった顔が恐る恐るこちらを向き、俺は少し離れたところで足を止めてしゃがむ
「大丈夫か?」
「…………」
「別に怪しい者じゃないぞ。声が聞こえたから来たんだ」
いや、知らない男が人気のない場所で近づいてきて「怪しい者じゃない」は、一番怪しいやつの台詞じゃね?
「どっか痛いとこ、ないか?」
子供は自分の膝を見てから、首を横に振った
よかった。ひとまず怪我はなさそうだ。
「名前は?」
「……教えない」
……ま、知らない奴に名前を教えないのは正解か。
「そっか。じゃあ、もうちょい仲良くなってからな」
また鼻をすすり始めた子供を前に、手元の袋へ目を落とす
こういう時って、どうすりゃいいんだ。
「……あー、プリン食うか?」
「…………え?」
袋からカップとスプーンを取り出し、子供へ差し出す
「ほら。甘いもん食うと、ちょっと元気になるぞ」
子供は俺の顔とプリンを見比べ、膝を抱えていた手をゆっくり離した
「……いいの?」
「遠慮すんな。スプーンもあるぞ」
小さな両手がカップを受け取る
蓋を開けるのを待ち、スプーンの袋を破って渡すと、子供はためらいがちに一口すくった
「…………」
「どうだ、うまいか?」
こくりと頷き、もう一口すくう
「やっぱり? 絶対うまいと思って買ったんだよ、それ」
子供がスプーンをくわえたまま頷き、俺の手元へ目を向けた
「……お兄ちゃんのは?」
「俺は帰ってから買うよ。そいつはお前の分にした」
「……いいの?」
「いいって。ほら、下のカラメルもうまそうだぞ」
子供はカップの底を覗き込み、今度はそこまでスプーンを差し込んだ
俺も膝に頬杖をつき、少し待つことにした
しばらくして鼻をすする音が止んだところで、もう一度声をかける
「なあ。ここに来る前は、どこにいたんだ?」
「……公園で、僕のボールで遊んでた」
「公園? 街の中の?」
子供が頷く
「ボール、追いかけたら……急に、ここに……」
街の中から、ここへ?
転移系か。空間同士が突然繋がるバグ自体は珍しくない。
でも、街の中で起きたとなると……。
気にはなるけど、先にこいつを帰さないとな。
「そっか。よし、街まで俺が送ってやるよ」
「ほんと!?」
「任せとけって。街まで戻れば、家への道は分かるか?」
「うん!」
子供の顔がぱっと明るくなる
最後の一口を食べ終えると、空のカップを両手で差し出してきた
「……ありがとう。おいしかった」
「そりゃよかった!」
スプーンも一緒に受け取り、買い物袋へ戻して口を縛る
……見事に空っぽ。
こりゃ、帰ったら同じやつを買わねぇとな。
袋をバッグへしまって立ち上がると、子供も慌てて腰を上げた
「でも……どっちに行くの?」
周囲を見回した子供が、俺の服の裾を掴む
道の先では瓦礫が山になり、その隙間から黒い突起物がいくつも伸びていた
俺一人なら抜けられるけど、こいつを連れてあそこを歩くのは……まあ、危険か。
辺りの建物を見渡し、見覚えのある壁を見つける
そちらを指差して、子供へ顔を向けた
「こっちだ。よっし、ワープするか!」
「……ワープ?」
「っふふ、まあ見てろって」
裾を掴んでいた手が離れるのを待って、壁へ向かう
表面に手を当てると、指先が音もなく沈んだ
「……手!?」
「よし、通れるな。ちょっと出口を見てくるぞ。そこで待っててくれ」
そのまま一歩、壁の中へ踏み込む
「えっ!?」
視界が一瞬だけ暗くなり、次には開けた通りへ出ていた
さっきまで目の前にあった壁はなく、振り返れば、抜けてきたビルが通りのずっと向こうに見える
よし。出口も変わってない。
「お兄ちゃーん!?」
姿の見えない子供の声に、一歩引き返して、通ってきた場所へ顔だけ差し入れる
「こっちこっち! ちゃんと通れたぞ!」
「ひっ!? か、顔! 壁から顔出てる!」
……ああ、そういや向こうからはそう見えるんだったな。
「悪い悪い。今そっち戻る」
身体も壁の向こうへ戻すと、子供はさっきより後ろへ下がっていた
「……どこに行ったの?」
「ここより街に近い通りだよ。この壁を抜けると、そこまで一気に行けるんだ」
「ここ、前にも通ったの?」
「何回もな。俺が使ってる近道だ」
……こういう道を見つけるまでに、何回死にかけたことか。
しゃがんで手を差し出すと、子供は俺と壁を交互に見た
「ほんとに大丈夫……?」
「ああ。今、出口も確かめてきたからな。ほら、手ぇ繋いで行こうぜ」
しばらく待っていると、小さな手がそっと重なった
握り返して立ち上がり、壁の前へ並ぶ
「目ぇ閉じててもいいぞ。手は離さねぇから」
子供はぎゅっと目をつぶった
その歩幅に合わせて壁へ入ると、繋いだ手に力がこもり、次の瞬間には向こう側の景色へ切り替わっていた
「ほら、着いたぞ。目ぇ開けてみ」
「……え?」
そろそろと目を開けた子供が、辺りを見回す
後ろを振り返り、壁を探して空いている手を伸ばした
「……壁、ない」
「出口はここ。壁があるのは、向こうの入口だけなんだ」
「あそこ……さっきまでいたところ?」
子供が指差した先には、遠くなったビルがある
「あそこからここまで、一歩だぞ」
「…………」
子供はビルと自分の足元を何度も見比べ、それから勢いよく俺を見上げた
「本当にワープした……! すごい!! ゲームみたい!」
「っはは、だろ?」
「お兄ちゃん、これ見つけたの!?」
「おうよ! どこに出るか、一個ずつ調べたんだ」
「じゃあ、お兄ちゃんのおかげだね!」
「……ん?」
「ここまで来れたの!」
繋いだ手を持ち上げ、子供が笑う
「……っはは。そりゃ、調べた甲斐があったな」
もう一度、遠くのビルへ目を向ける
瓦礫の山を避けられる。それだけの近道だったんだけどな。
……見つけといて、よかった。
子供が、また何もない出口を覗き込もうとする
繋いだ手を軽く引き、こちらへ戻した
「でも、こういうバグを見つけても、一人で入るなよ。場所が違えば、出口も違うからな」
「ほかのは、どんなところに出るの?」
「んー、空とか」
「空!?」
「さっきのプリンなんか、地面に置いたら空に出てきやがった」
子供が驚いた顔で俺を見る
「えっ、僕が食べたやつ!?」
「そうそう。落ちる前に掴んだから、無事だったけどな」
「……プリンもワープしたんだ!」
「お前より一足先にな」
子供がけらけらと笑い、俺もつられて笑った
バッグを肩にかけ直し、街へ向かって歩き出す
隣からついてくる足音は、さっきより軽かった
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「ほかにも、こういうの知ってる?」
その言葉を聞いて、自然と笑みがこぼれた
「まだまだあるぞ。帰りながら、見せてやるよ」




