怒り
「紗羽さん? 今日は着くの早かったんですね。……あれ? ナズナ?」
突然降ってきた声に、私たちははっとして振り返った。
凪くんがいる。
「紗羽さん? どうかしたんですか?」
私の表情を見て凪くんが尋ねる。あ、ちょっと表情が硬かったかもしれない。私は手のひらで両頬を包んで、ぐにぐにともみほぐした。
「凪」
彼女が思い詰めた声で凪くんに話しかける。凪くんは首をかしげて彼女を見た。
「ナズナ? なんでここにおるん。用事あるからって早めに部活上がっとったやんか」
「凪、この子やめといたほうがええで。わけ分からんことばっかり言って人の言うこと聞く耳持たへんねんから。こっちが言うことにまともに答えんと、変なことばっかり言っとる。おかしいで、この子」
ナズナさんは私を指さしながら話している。
う、わけ分からんこと……変なこと……やっぱり私、言ってることおかしいのか……
そりゃ、この子と私はいわゆる恋敵ってやつなんだろうし、分かりあえるとは思ってないけど……
私はがっくりきてうなだれた。
凪くんは、ナズナさんが突然私のことを責めだしたので、明らかに気分を害したようだった。
「は? お前が言ってることの方が意味分からんけど。紗羽さんは頭の中でめちゃくちゃいろんなこと考えて、それを部分的に口に出すからちょっと分かりにくいだけや。それを短絡的におかしいとか決めつけんな」
うわ、凪くん、めちゃくちゃ私のことかばってくれてる……!
ありがたいけど、申し訳なくて私は小さくなった。だって、私がいつも変なこと口走ってしまうのは確かだから。
「なんなん。凪、こんな子のなにがええんよ」
「お前になんも関係ないやろ。それにこんな子、とか言うな。この人は俺らより年上やねんぞ」
「それこそそんなん関係ない! 別に学校の先輩でもなんでもないやん。こんな、なんの苦労も知らんとぼけーっとしとる子のなにがええん? 両親がそろって、愛されて、それが当たり前の顔しとる。こんな子にうちらの気持ちが分かるわけないやん。凪やってこんな子、そのうちイラッときて嫌になるわ!」
「ナズナ」
凪くんが驚くほど冷たい声を出したので、私はびくっとして顔を上げた。
彼女……ナズナさんも、驚いた表情で凪くんを見ている。
「その話、これ以上続けるつもりなんやったら許さんけど。お前に紗羽さんのなにが分かる? 自分が不幸やからって他人も自分の不幸に引きずり込もうとするな。お前がそんなやつやとは思ってへんかった。これ以上俺を怒らせるな」
「な……なんなんよ、凪、なんでそんな」
「まだ続けるんか?」
ナズナさんはぐっと唇を噛んで凪くんをにらみつけた。怒りかショックか分からないけれど目を真っ赤にして、一度首を振ってから走って私たちのところから去っていった。
彼女が離れていって、やっと私の体から力が抜けた。
ナズナさん……傷ついてたな……
いや、私にはどうしようもないんだけど。彼女を傷つけないために私が傷つくべきだなんて思ってるわけじゃない。それでも誰かが傷ついている姿を見ると胸が痛くなった。
「……紗羽さん、大丈夫ですか?」
凪くんに声をかけられて、私ははっとして凪くんを見た。
もうさっきみたいな怒った表情じゃなかった。
「あ、うん。私は大丈夫」
「ほんまにすみません。あいつがあんな……あんなこと、紗羽さんに言うなんて思ってへんくて」
「いや、大丈夫。私のことなんて……別に誰にも話してへんし、知らんねんから仕方ないよ。でも凪くんは知ってるから、ナズナさんに対して過剰に怒ってしまったんちゃうかって……それがちょっと心配で」
「いや、俺が知ってるとか関係なく、あいつの言葉はひどかった。あれは紗羽さんを侮辱しとった。だから許せんかったんです」
侮辱……
侮辱、なのかなあ。
彼女はひたすら自分を正当化しないといけないと思い込んでいるみたいだった。
たぶんいっぱい辛い思いをしていて、自分の心を守るためには私みたいなほぼ関わりのない他人を貶めないと気持ちが収まらないみたいだった。
でも、凪くんはそれを許さなかった。
そう、だよね。
凪くんがあんな風に怒っている姿は初めて見た。
私のために怒ってくれたんだ。




