海へ続く道
どうしたらいいのか分からない沈黙を持て余したまま歩き続けていると、突然視界が開けて海が見えた。
さあっと海風が私たちをなでる。
「わ、海!」
私がぱっと凪くんを見上げると、凪くんも同じように私を見て笑顔になった。
「つきましたね」
「ね!」
今日はけっこう風が強い。風に髪をさらわれながら、私たちは砂浜に降りた。
「うわー、めっちゃ海の匂いやー」
「あんまり人がいないですね。曇りやからかな?」
「そうかも。日が出てないとちょっと肌寒いもんね」
周囲にはほとんど人がいなかった。少し離れた場所で、犬を連れて散歩をしている人や、遠くで動画撮影をしている女子高生らしき女の子たちがいるくらい。
海は曇り空を反射して鉛色に光っている。
いつもカフェの窓から遠く眺めていた海。それが今目の前にある。
視界がすべて、空と海と砂浜でいっぱいになった。
さっきまでの街中を歩いている時とは違って、この海からやってくる強い風がいろんな気まずさとか恥ずかしさを吹き飛ばしてくれたような気がした。
「私、凪くんと同じ高校やったら良かったなあ」
「え? なんでですか?」
「そしたらさ、うちら、苗字が佐伯と佐久間やん? きっと出席番号隣同士やで! 四月に同じクラスになってたら、もっと早く仲良くなれてたかも!」
そうしたら、そばにいるのも当たり前になって、こんなに緊張したりとか……しなくてすんだかもしれない。もっと自然に近付けてるかもしれない。当たり前のようにお互いくっついたりとか、できちゃってるかも?
凪くんは手を口に当てて吹き出した。
「うーん、それは無理やと思いますけど」
「え! なんで!?」
「だって俺ら学年違うし。同じ高校におっても同じクラスになるんは無理でしょ。紗羽さんが留年したら可能性はあるけど」
……そうだった!
そうだよ、凪くんと私は学年が違ってた……!
そんなことすら忘れてた……
私はガクッとうなだれた。
「あー、そうやったね……留年……いや、それはさすがに……」
凪くんが、今度は声を上げて笑った。
「はは、紗羽さん、やっぱおもしろいですね」
ううー、おもしろい……
いや、もう凪くんにおもしろい、って言われても、馬鹿にされてるとか思わないよ?
だって凪くんのおもしろいって、けっこう、その、かわいいって意味で言ってるって分かったから……
凪くんは私の手をきゅっと握りなおした。
「俺は、紗羽さんと違う高校で良かったと思ってますけど」
「……え? なんで……」
「kamome caféで会えましたからね」
kamome caféで。バイト先で。
どうしてそれが良かったんだろう? 学校じゃなくて、バイト先で出会えた意味?
私が凪くんを見つめると、凪くんは一度私を見てから視線を海へ移した。
「学校では、ある程度俺の見られ方って決まってるんで。父親がおらんくて、弟の面倒よく見る苦労人とか、高跳びでいいところまで行ったのに、結局怪我して挫折したかわいそうなやつとか。もちろんそれだけやなくて、普通の高校生として過ごしてますけど、そういう目で見られることがあるんも確かなんで。でもkamome caféでは、別にそんなん関係ないでしょ。俺は高校生のバイトで、ただどんな風に仕事をしているかだけを見てもらえる。余計な部分で判断されることがないのって、めっちゃ楽なんですよ。そんで、紗羽さんは、ただの高校生バイトの俺を見て、興味持ってくれたり、おもしろいって思ってくれた。そういうのがうれしかったんです」
私は何も言えずにただ凪くんの横顔を見つめていた。
凪くんは……もしかしたら、ちょっとだけ疲れていたのかなあ。ありのままの凪くん自身じゃない部分を見て、判断されることに。
凪くんは、ただ稼ぎたいからたくさんバイトに入ってるって言っていたけれど、バイト自体が……凪くんが固定観念から解放される自由を得られる時間だったのかもしれない。
「俺がバイト代で弟にいろいろ買ったりしてるんも、いいカッコしたいだけって俺が言ったら、紗羽さんは俺のこと馬鹿にしたり茶化したりせんと、自分も一緒やって言ってくれたでしょ。高校生が、自分で稼いだ金で家族にいろいろ買ったりしていいカッコしたくなるんは普通のことなんやって言ってもらえて俺は楽になったんです。特別なことしてるわけでも、苦労人なわけでもない、当たり前のことしてるだけなんやなって」
凪くんの言葉を聞いていると、私の胸はどんどん痛くなってきた。
いつも落ち着いていて、ポーカーフェイスで、どんなことでもどっしり受け止めているように見える凪くんが、本当は他人の些細な視線に息苦しさを感じていたんだ。
私よりすごく大人っぽいなあ……と思っていたけれど、でも、凪くんだって私と同じ高校生だ。大人なんかじゃない。
私は両手でぎゅうっと凪くんの手を握りしめた。
「凪くん!」
「え?」
「当たり前やよ! 全部当たり前! 他人の目に疲れるんも、バイトが楽しいんも、お金稼いでやったーって思うんも、家族にいいカッコして、自分すごいやろ? って自慢に思うんも、全部当たり前! わ、私、凪くんが大変とか……全然分からんくて、ただ、その、めっちゃ気になる人やなって……そんで、かっこいいなってドキドキして……そんなんばっかりやったけど……なんも凪くんのこと考えられてへんかったけど……でも、私、学校での凪くんがどんなんか知らんけど、バイトしてる凪くんはほんまに最高にかっこよくて素敵な人やと思う! そのうち……お客さんの中から凪くんのファンが現れたらどうしようって思うくらいにかっこいいと思ってる!」
あれ? 途中から何言ってるのか分からなくなってしまった……!
また私、変なこと口走ってる!?
せっかく凪くんが、自分の心の中の話をしてくれてたのに……!
凪くんは私がばーっとまくしたてているのを驚いたような表情で聞いていたけれど、途中から笑いをこらえるような表情になっていた。
ああ……やっぱりそうですよね……
「紗羽さん、なんか……むしろ紗羽さんが、めっちゃ俺のファンみたいですね」
「えっ!? あ、そうかも! だって……そんなん、好きにならん方がおかしくない? バイト中もいつもさりげなくフォローしてくれて、私が落ち込んどったら変な味のグミくれて、キーホルダーもくれたし……手つないだり、不意に顔近付けてドキドキさせたり、もうこんなん、ハマらへん方がおかしいやん!」
「え……あ、それは……すみません」
「これは謝るところちゃうの! だから、その、えっと、もうちょっと近付いてもいいですか!」
言ってしまった!!
勢いに任せて、さっきの私のわけ分かんない欲望を口に出してしまった!
もしかしてこれ、やばい? さすがに凪くん、あきれちゃう?
私が目をぎゅっと閉じると、凪くんがためらいながらえーと、と言っているのが聞こえた。
「もうちょっとって……どれくらいですか?」
それ聞く!?
そんなの言えるわけない……!
私は答えられずにめちゃくちゃ熱い顔を伏せた。
ああ駄目だ、私は何もかもうまくできない……
足元の砂がじゃり、と音を立てて、凪くんが一歩私に近付いたのが分かった。
凪くんは、当然私がどれくらい近付いてほしいって思ってるか分からないだろう。きっと、分からないのにむやみに距離を詰めることはできないって思ってるんじゃないかな……
凪くんは更に半歩私に近付いた。
うつむいている私の髪が、凪くんのパーカーに触れる。
凪くんが、つないでいない方の手を伸ばし、そっと私の背中に触れた。
「これくらいでもいいですか?」
これは……
抱きしめられているわけではない。ただ背中に触れられているだけ。
そっと触れているだけの凪くんの手が、じんじんするくらい熱い。
どれくらい近付いていいか分からない凪くんが、精一杯私の希望をかなえようとしてくれているんだと分かった。
私はありったけの勇気を振り絞って、自分の体を凪くんの体にもたれかけさせた。
凪くんの体が緊張して硬くなるのが分かる。
「ご、ごめん、凪くん、これ、私、セクハラかな……」
私が必死で言うと、凪くんの体の緊張が少し解けて、凪くんはぶっと吹き出した。
「なんでですか。付き合ってんのに、セクハラもなにもないでしょ」
「だって、その」
「ちょっと失礼します」
凪くんは私とつないでいる手を離した。そして両手でそっと私の背中を包み込んだ。
はらり、と二人の手の間にあったゴジラのミニタオルが砂浜に落ちる。
でもそんなこと気にしていられなかった。
私も恐る恐る手を凪くんの背中に回してしがみついた。
「……やっぱり、凪くん、細く見えるのに、体大きいんやね。手回すん大変やもん」
「そうですか? 紗羽さんも……思った以上に華奢なんですね。折れそうで怖いです」
「え、折れたりせんよ」
「そう願います」
意味があるんだかないんだかよく分からないことを話しながら、私の頭の中は今触れている凪くんの感触でいっぱいだった。
大きな胸。熱い腕。びっくりするくらい速く動いている心臓の音。
もっと、もっと強く抱きしめてくれたらいいのに……と贅沢なことを考えながら、私はずっと凪くんの鼓動を聞いていた。
この鼓動のリズムと同じくらいの速度で、早く大人になりたい。
もっと凪くんといたい。
海風を浴びながら、私はずっとそんなことを考えていた。
読んでくださってありがとうございます!
これで、紗羽と凪の話はいったん終了になります。
次は……美咲の話が少しあるんですが、それを追加しようかどうかはちょっと考え中です……
ひとまず、お読みいただきありがとうございました!




