【論理の猛毒(ロジック・ヴィルス)】
「――適合。抽出プロシージャを開始します」
管理者の無機質な声と共に、佐久間の脳に無数の光の触手が伸びる。佐久間の「執念」という名の膨大なデータを、異界のシステムが貪り食おうとしたその瞬間だった。
「……かかったな、ガラクタ共」
佐久間の口角が、苦悶に満ちた形のまま吊り上がった。
同時に、異界の図書館全体が、経験したことのない激しい「揺らぎ」に見舞われる。
『エラー。入力データに異常。定義不能なノイズが混入……再構築不能……』
「九条の野郎が言ってたぜ。お前らのシステムは『完璧な記録』しか受け付けない。だから、そこに**『嘘』**を混ぜれば、計算式は一瞬で崩壊するってな」
実は、九条が解析した座標データには、佐久間の過去の記憶に擬態させた**「自己増殖型論理ウイルス」**が仕込まれていた。
それは、佐久間がこれまで書いてきた「ボツ原稿」や「未完成のプロット」、そして人間特有の「矛盾した感情」をプログラム化したもの。論理的な整合性を重んじる管理者の演算装置にとって、それは理解不能な猛毒だった。
「お前らが欲しがったのは、俺の『真実』だったな? 残念だが、俺はルポライターだ。……真実の裏側に、どれだけのデタラメが隠れているか、誰よりも知ってるんだよ!」
管理者の白い防護服のような外殻が、内側から弾け飛ぶ。
ウイルスはシステムを逆流し、囚われていた「器」たちの接続を次々と遮断していく。
琥珀の中にいた大学生・健二の身体が、物質化の光に包まれ、現実世界へと押し戻され始めた。
「……兄さん?」
背後で、十年前の姿のままの妹が、初めて「記録」ではない、生きた声を漏らした。
「行け、サキ。……鴉の薬が切れる前に、出口まで走れ!」
佐久間は、崩壊し始めた異界の図書館の真っ只中で、九条から託された最後のデバイスを起動させる。それは、異界そのものを「上書き保存」し、この世からその座標を永久に抹消するためのコマンド。
『……なぜだ。汝も消える。汝の記憶も、記録も、すべてが無に帰すのだぞ』
崩れゆく管理者の問いに、佐久間はカメラのシャッターを切った。
レンズが捉えたのは、崩壊する異次元の断末魔と、光の中に消えていく妹の背中。
「……無になっても、俺が書いた『記事』は残る。……読んだ奴の心の中に、消せない傷跡としてな」
【最終話:エピローグ】
数ヶ月後。
世間を騒がせた「大学生失踪事件」は、彼が記憶喪失状態で保護されたことで、奇跡の生還として幕を閉じた。
彼には、あの「空白の5秒」の記憶も、中身が空っぽだった痕跡も一切ない。ただの、少し運が良かっただけの大学生に戻っていた。
そして、ある弱小出版社に、一通の封筒が届く。
中には、ボロボロになった一台のカメラと、USBメモリ。
メモリの中には、世界を震撼させるであろう「海外の闇」を綴った凄まじい密度のルポルタージュと、最後にこう記された一文があった。
「この事件は、実話に基づいた話である。……信じるか信じないかは、君たちの『脳』に聞いてくれ」
記者の名は、空欄。
だが、その原稿の行間からは、消毒液の匂いと、安物の煙草の香りが、確かに漂っていた。




