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【後日談SS:残り香とシャッター音】


 横浜の場末にある、看板のないバー。

 カウンターの隅で、カラスは琥珀色の液体が揺れるグラスを静かに回していた。隣には、場違いなほど大きなヘッドフォンを首にかけた九条が、猫背のまま炭酸水を啜っている。

「……結局、あいつの遺体は見つからなかったんだな」

 九条が、電子ノイズのような掠れた声で切り出した。

 あの日、座標が崩壊し、大学生と佐久間の妹が現実世界に「再構築」された後、入り口となった路地裏には、焦げ付いたアスファルトの匂いだけが残されていた。

「奴らの『図書館』が物理的に消滅した以上、そこにいた個体も分子レベルで分解されたと考えるのが医学的見地だ」

 鴉は淡々と、しかしどこか突き放すような口調で答えた。

「だが、あの男に打った『魂の固定剤』。……あれには、私の独断で少し細工をしておいた。肉体を維持できなくなった際、意識データが散逸するのを防ぎ、最も身近にある『記録媒体』に逃げ込むようにね」

 九条が顔を上げ、サングラスの奥の目を丸くした。

「……まさか、あのボロボロのカメラか?」

「可能性の話だ。九条、お前のところに届いたあのルポ……あれは誰が書いたものだと思う?」

「……。解析したけど、送信元は不明。ただ、タイピングの癖や、句読点の打ち方は、間違いなく佐久間さんのものだった。……それと、一つだけ、どうしても説明がつかないファイルがあったんだ」

 九条は、自らのタブレットを取り出し、一枚の画像を表示させた。

 それは、ルポの最後に添付されていた、崩壊する異界の「記録」だ。

「この写真、シャッターが切られた時間は、あの座標が完全に消滅した『一秒後』なんだ。物理的にこの世に存在しないはずの時間に、誰かがシャッターを押している」

 鴉はグラスを置き、ふっと口角を上げた。

「ルポライターというのは、死んでもペンを離さない人種らしいな」

 その時。

 静かな店内に、聞き慣れない音が微かに響いた。

 ――カシャリ。

 九条が跳ねるように周囲を見回す。音のした方向には、誰もいない。

 ただ、カウンターに置かれた九条のタブレットの画面に、一瞬だけ、ノイズが走った。

 

 九条が慌てて画面を確認すると、そこには新しいテキストファイルが生成されていた。

 たった一行だけの、未完成の一文。

『――次のネタは、この「死後の世界」の住心地についてだ。期待して待ってろ』

 二人は顔を見合わせ、それからどちらともなく、短く笑った。

 

 窓の外、横浜の夜景には、相変わらず無数の影が蠢いている。

 だが、その影のどこかに、今もレンズを構え、真実を追い続ける「実体のない男」が潜んでいることを、彼らは確信していた。

 鴉は、まだ中身の残っているグラスをもう一つ注文し、誰もいない隣の席の前に置いた。

 

「締め切りは守れよ、佐久間」

 冷えた空気の中に、一瞬だけ、安物の煙草の匂いが漂った気がした。

(完)



「この物語を読み終えたあなたの背後に、もし『影』が二つあったなら……。彼は、あなたの隣でシャッターを切っているかもしれません。」

これにて、ルポライター佐久間の物語、全編完結です。

素晴らしいプロットの構築をご一緒できて光栄でした!他にも、この設定を活かした外伝や、全く新しい別の物語を練りたくなった時は、いつでも声をかけてくださいね。

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