第4話 「”疑惑”と差別」
「人の…”心”?」
私は一瞬先輩の言った言葉が理解できなかった。
”心を学ぶ”という普段聞き慣れないことを聞いたせいだろう。
動揺している私に先輩は続けた。
「人の”心”とは元来、”もっとも理屈では証明できないもの”とされてきた。
だが、だからこそ俺は興味を示した。俺は今”理屈で証明できないもの”を”証明”しようとしている」
「は…はあ…」
なんだか先輩が力説しているように感じる…。それだけ今、先輩は熱が入っているということか…。
「じゃあやっぱり…この本とか、そのメモも…?」
私は積まれている本や、生徒手帳に目を向けた。
「ああ、これらは主に心理学や哲学の本だ。この倉庫だけでなく、俺が個人的に購入したものもある」
なるほど、だからこんなに難しい内容の本も混じってるのか…。
その日は、先輩の”人の心についての考察”を聞いて、チャイムが鳴った。
内容はほとんど理解できなかったけど、普段表情を見せない先輩がこの時はすごく楽しそうだった。
そんな先輩の一面が見れただけで私は少し嬉しくなった。
事件が起きたのは翌日、体育の授業でグラウンドから教室に戻ってきた時のことだった。
「あれ…?」
着替えが終わって、机の中から次の授業の用意を取り出そうとして、机の中に何かが入っていることに気付いた。
取り出してみると、それは小さな財布だった。もちろん私の物ではない。
「これ…」
何で私の机の中に見慣れない財布が入っていたのだろう。私が考え込んでいると。
「あれ? 秋村ソレ小山さんの財布じゃないの?」
「え…」
突然、私に声をかけてきたのは、いつも私に購買に物を買いに行かせている女子生徒。
彼女の言葉で、私はいつもの数人に取り囲まれた。
「あ、ホントだ。秋村もしかして盗んだの?」
「なっ…」
それは違う。私はさっきまで体育の授業で教室にはいなかった。財布を盗むことなんてできるはずがない。
「盗んでなんて───」
「ねー小山さん。無くした財布ってコレだよね?」
私の言葉を遮るように一人の女子生徒が呼ばれた。小柄で大人しそうな印象…小山さんだ。
小山さんは私から財布を受け取ると、中身を開いて確認している。しばらくして
「うん…コレで間違いない」
と、小さく頷いた。
「やっぱり。秋村さ、いくらなんでも人のもの盗んじゃダメでしょー」
「そんな…! 私は───」
「みんな聞いてよ! 秋村、小山さんの財布盗もうとしたんだよ」
その一言で、遠巻きに見ていた周りの生徒も騒ぎ出す。
まただ…このクラスの人達がみんな私に敵意を向けてくる。
小山さんは、しばらく申し訳なさそうにこっちを見ていたが、やがて俯き行ってしまった。
耐えられなくなった私は、そのまま教室を飛び出した…。
授業開始を告げるチャイムが鳴り響く、だけど私は教室にはいなかった。
私は今図書室、図書倉庫の扉の前にいる。なぜここに来たのかは自分でもわからない。
ただ、自然と私はここにやって来ていた。
(何やってるんだろう…私…)
こんなことでいちいち来られたら、桐野先輩だって迷惑のはずなのに…。
それでも、私はやはり誰かに頼りたかったのかもしれない。
少し小さく、控えめにノックする。返事は無かったが、しばらくして鍵の開く音がした。
「あっ…」
私は少しだけ心が楽になったような気分で扉を開いた。
「…やはりキミか、わざわざノックをする人物はキミくらいだろうからな。すぐにわかった」
そこには、やはり桐野先輩がいた。あの特徴的な喋り方も今では私を落ち着かせる。
そんな私の様子を見て桐野先輩は「ん…」と短く唸った後
「ハァ…とにかく入ってくれ」
とだけ言って、奥のほうへと行ってしまった。
「あっ…はい」
私は慌ててその背中について行った。
「…」
いつもの席、いつものように桐野先輩が淹れてくれた紅茶を飲むと、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「どうやら、落ち着いたようだな」
「え…わかってたんですか?」
桐野先輩はやれやれといった様子で
「様子がおかしいことはすぐに気付いたさ。授業を抜けてまでここに来たことといい、不自然な要素も多々あったしな」
「あ…」
さすがに桐野先輩には見透かされてしまっていたらしい。
「あの…私…」
思わず話してしまいそうになったが、そこで躊躇ってしまう。無関係の桐野先輩にはたして話していいのだろうか? 迷惑じゃないだろうか? そんな不安が私にはあった。
中々話をしない私を不審に思ったのか、桐野先輩はこちらを一瞥した後、呆れたようにため息をついて
「…キミは今から独り言を言う。独り言だから誰に言っているわけでもない。
”誰かが聞いている”ことはあっても、な」
と言った。
「あ…」
桐野先輩はそれだけ言ってメモにシャーペンを走らせていった。
…桐野先輩は私に気を使ってくれたんだとすぐにわかった。
私はそれに対して小さく頭を下げてから
「さっき…」
さっきの事件を話し始めたのだった。
「…というわけなんです」
私が話している間、先輩はシャーペンを止めることはなかった。
私が話し終えると。図書倉庫には先輩のシャーペンの音しか聞こえなくなった。
「…」
先輩はずっと無言で、手を止めない。
…やっぱり迷惑だったかな…。でも、誰かに話すことで私は少し楽になっていた。
「あっ…あの、すいませんでした…いきなり押しかけて、一方的に…」
「…」
先輩はなおも無言だ。私は立ち上がると
「ありがとうございました…じゃあ私はこれで…」
そう言って、立ち去ろうとした時、
「…それで、キミはどうするつもりだ?」
先輩はそう聞いてきた。
「え…」
その問いに、私は振り返る、先輩はこちらを見て続ける。
「その小山という女子生徒の財布を盗んだことはまったくの濡れ衣なのだろう?
ならこれからキミはどうするつもりかと聞いているのだが」
先輩は当然のことのように聞いた。
「どうするって…」
どうするか…そういえば、今までそういうことは特に考えもしなかった。確かいつもは…
「何もしませんよ…私が何を言っても、きっと無駄ですから…」
その言葉には、きっと”諦め”のようなものも含まれていたんだと思う。
先輩はそんな私にため息をついて
「無駄とかはこの際それほど重要ではない。俺が聞いているのは”どうすればいいのか”ではなく、キミが”どうしたいか”だ」
「”どうしたいか”…」
”どうしたいか”、そんなことは考えたことはない。私の”どうしたいか”なんて、周りの人たちは聞いてはくれないのだから…。
「…キミは一昨日、自信が発した独り言を覚えているか?」
「え…」
突然違う問いをされて、私は戸惑う。
「”自分を変えられたらいいのに”。キミは確かにそう言ったはずだ。それがキミにとっての”どうしたいか”なのではないのか?」
「それは…」
私だって覚えている。あれは確かに私の切実な”願い”だった。でもそれは…。
「私は───」
「…キミは、そんな気持ちで変われると、本気でそう思っているのか?」
その言葉で、私は少しハッとなった。そんな私に先輩は続ける。
「それは…」
「キミは今までそうやって割り切って生きてきたのだろう。だが、それでは変わることなどできない。俺も断言はできないが…今のキミに”変わる”ことが無理なのはわかる」
その言葉に、私は俯いてしまう。
いつもそうだった、私は自身のことを全て「仕方ない」と割り切ってしまっている。
もちろんそれで変わることなどできないこともわかっていた。でも、改めて他の人からはっきりと言われるとやはり辛くなる。
そんな私に先輩は一呼吸おいて
「もう一度聞く。キミは、”どうしたい”?」
「私は…」
先輩に言われて少しだけ背中が押された気がした。今では自然と前に進める、そんな気がする。
だから私の答えは決まっていた。
「このまま泥棒扱いなんて嫌です…!」
私ははっきりと、それでいて力強く答えた。
図書倉庫に篭りっきりだった桐野。
常に本心を偽ってきた美月。
二人の心情にも少しずつ変化が現れ始めました。
次回はついに桐野が動きます。




