8 爆誕! 賢者タナカ
『……火って、使えます?』
田中が、ぽつりと言った。
「火?」
アルトは聞き返した。
『あ、いや。その……ちょっと思いついただけなんですけど』
『なになに?』
美羽がすぐに食いつく。
『田中、なんか思いついた?』
『いや、思いついたってほどじゃないよ』
『でもなんかあるんでしょ?』
『……まあ』
田中は少し言いよどんだ。
『赤壁みたいなこと、できないかなって』
「セキヘキ?」
『あ、すみません。こっちの昔の戦争の話です。気にしないでください』
「はあ」
『えっと……要するに』
田中の声が少しずつ落ち着いていく。
『オーガって、川を埋めるために川のところまで集まってくるんですよね?』
「はい」
『そこって狭いんですよね?』
「そうですね。左右は崖です」
『だったら……集まってるところに、火を使えないかなって』
アルトは眉をひそめた。
「火を?」
『はい』
『田中、焼くの?』
瑠奈が聞く。
『いや、そんな簡単に言わないでよ……』
『でも焼くんでしょ?』
『……結果的には、そうなるかもしれないけど』
田中の声が小さくなった。
『でも、僕が言ってるのは、その……オーガそのものをどうこうするっていうより』
「はい」
『川を埋める作業を止めたいんです』
アルトは黙った。
『今って、オーガが川に石とか木とか入れてるんですよね?』
「はい」
『それを止めようとすると、飛ぶやつが来る』
「はい」
『じゃあ、城壁の上から止めるんじゃなくて……別のところからやれないかなって』
「別のところ?」
『川の上流とか』
将軍が身を乗り出した。
「上流?」
『はい。川って山から流れてくるんですよね?』
「そうだ」
『上流側に、人が行ける道ってないんですか?』
将軍が少し考えた。
「街道はない」
『あ、やっぱり……』
「だが」
将軍は続けた。
「猟師が使う細道ならある」
『え?』
「砦の西側。崖の中腹を縫うように上流へ向かう道だ。大人数は通れんが、小隊なら通れる」
田中が黙った。
『……あるんだ』
『田中、声変わった』
『いや、だって……』
美羽が笑う。
『なんかできそうじゃん』
『まだ分かんないよ』
田中は慌てて否定した。
『それで、その上流から……その……燃えるものを流せないかなって』
「燃えるもの?」
『油とか』
「油ならあります」
『あるんだ』
「灯火用の油や、料理用の油なら」
アルトが答えると、将軍が顎に手を当てた。
「上流から流せば、オーガのいる場所まで届くか?」
「川の流れ次第でしょう」
アルトが地図を見る。
『あの』
田中が口を挟んだ。
『別に油だけじゃなくてもいいと思うんです』
「と申しますと?」
『燃えやすいものを流して、オーガが川に集まったところで火をつけるとか……』
田中の声がどんどん小さくなる。
『……いや、できるなら、ですけど』
謁見の間が静かになった。
しばらくして、将軍が言った。
「できるかもしれん」
『え?』
「上流の細道を使い、少人数を回す。川へ流すことができれば、砦の正面まで来るだろう」
『でも、敵に見つかりません?』
「夜ならば」
「ですが、小型種が警戒しているのでは?」
アルトが言う。
「川の周辺はな」
将軍は地図を指した。
「上流までは、敵も完全には押さえていないはずだ」
『じゃあ……』
田中が少しだけ息を呑んだ。
『できる?』
「可能性はある」
『でも』
田中が続ける。
『火が出たら、飛ぶやつ来ますよね?』
「おそらく」
『ですよね……』
『それ困るじゃん』
美羽が言う。
『いや』
田中が、珍しくすぐに返した。
『それでいいんじゃないかな』
『え?』
『飛ぶやつって、今まではこっちがオーガを攻撃すると来るんですよね?』
「はい」
『だったら、来る場所が分かってるなら』
田中が少し言葉を探す。
『……待ってればいいんじゃないですか?』
将軍が目を細めた。
「待つ?」
『弓とか魔法とか』
田中の声が少しずつ早くなる。
『いつ来るか分かんないから困るんですよね?』
「そうだ」
『でも、火をつけたら来るって分かってるなら、その時だけ上を狙って待てるんじゃないかなって』
「なるほど……」
『あ、いや、絶対来るとは限らないですけど』
『田中』
瑠奈が言った。
『急にしゃべるじゃん』
『今それ言う?』
アルトは地図を見た。
オーガが川へ入る。
川を埋める。
そこへ火を流す。
混乱したところへ飛行種が来る。
その飛行種を、待ち構えた弓兵と魔法使いが迎え撃つ。
「将軍」
「うむ」
「試す価値はあるのでは?」
「ある」
将軍は即答した。
『え』
田中の声が裏返った。
『いや、そんなすぐ決めて大丈夫なんですか?』
「他に有効な策がない」
『でも僕、ただゲームとかで……』
「それでもだ」
将軍が言った。
「我々は、三日後には砦を失うかもしれん」
『…………』
「何もしなければ、だ」
田中は黙った。
『……分かりました』
しばらくして、小さく言った。
『でも、現地の人が無理だと思ったら、絶対やめてください』
「承知した」
◇
作戦は、その日のうちに北方砦へ伝えられた。
「作戦は今夜決行するそうです」
とアルトは言った。
『そう。あとは上手く行くことを祈るだけだね』
と、美羽が言った。
『電池がもったいないから一度、切ろうか。
また、このくらいに電話する』
「はい」
スマホが切られた。
◇
「ふう」
美羽はため息をついた。
そこは地元のファーストフードの片隅。
「上手く行くといいけど……」
田中が呟くように言った。
「あー、そういうこと言う?
田中の作戦じゃん。」
「だって、本当に思いついただけなんだって』
「田中、めっちゃビビってるじゃん」
「当たり前だよ!」
田中が珍しく大きな声を出した。
「ゲームだったら絶対上手く行くさ。
でもこれはゲームじゃない。
失敗したら、人が死ぬんだよ!?」
その言葉に、美羽が黙った。
少しして。
「……そだね。
上手く行けばいいよね」
静かな声だった。
◇
翌朝。
オーガたちが動き始めた。
巨大な岩を抱え。
倒木を引きずり。
川へ向かう。
砦から弓矢は飛んでこない。
魔法も来ない。
昨日までなら、川へ入った瞬間に攻撃されていた。
だが今日は静かだった。
オーガたちは川へ降りる。
一体。
二体。
十体。
さらに続く。
川へ岩が落とされる。
倒木が投げ込まれる。
少しずつ、水の流れが乱れていく。
砦の兵士たちは、じっと待った。
まだだ。
まだ。
上空では飛行種が旋回している。
だが、攻撃はしてこない。
城壁上に弓兵も魔法使いも少ないからだ。
そして。
上流から、黒いものが流れてきた。
最初は細い筋だった。
それが少しずつ広がっていく。
川面を覆うように。
オーガたちは気づかない。
岩を投げる。
木を運ぶ。
作業を続ける。
砦の兵士が手を上げた。
合図。
火が放たれた。
一瞬。
川面に炎が走った。
「グオオオオオッ!」
オーガたちが咆哮を上げた。
突然現れた炎に驚き、川から逃れようとする。
巨体同士がぶつかる。
岩を落とす。
倒木を踏み砕く。
狭い場所で、隊列が乱れた。
「今だ!」
砦の城壁に、兵士たちが一斉に姿を現した。
弓兵。
魔法使い。
投石兵。
だが。
狙うのは、オーガではない。
「来るぞ!」
空から影が降ってきた。
飛行種。
オーガを援護しようと、城壁へ向かってくる。
その瞬間。
「放て!」
矢が空を埋めた。
魔法が飛ぶ。
風。
火。
光。
次々と飛行種が撃ち落とされる。
今までなら、飛行種が現れてから慌てて対応していた。
今日は違う。
来ると分かっていた。
待っていた。
飛行種が混乱する。
引き返そうとする。
「逃がすな!」
さらに矢が飛んだ。
地上では、川から逃げ出したオーガたちが隊列を立て直せずにいる。
そこへ今度は投石が降った。
「押し返せ!」
「おおおおおおおおおっ!」
砦の兵士たちが叫んだ。
魔王軍が退いていく。
ほんのわずか。
ほんの数百歩。
だが。
北方砦が魔王軍を押し返したのは、今回の戦いが始まってから初めてだった。
◇
『まだ分からないですか』
田中の声は自信なさげにすこし震えていた。
「はい、まだ、報告がありません」
とアルトは静かに答えた。
そこは王の謁見の間。みな砦の作戦の首尾を固唾をのんで見守っていた。
口数の多い美羽たちも今は黙りこんでいた。
そこへ、扉が勢いよく開かれ、伝令が飛び込んできた。
「はい、魔王軍、後退!
飛行種にも多数の損害!
川を埋める作業も止まりました!」
「おお!」
謁見の間が沸いた。
『……マジ?』
田中の小さな声が聞こえた。
『ほんとに?』
「本当です、田中殿!」
『え』
「あなたの策が成功したのです!」
『いや、僕のっていうか……』
将軍が立ち上がった。
「見事だ!」
『いや、現地の人が……』
「異世界の知識とは、これほどのものか!」
『だから違……』
大臣の一人が叫んだ。
「賢者だ!」
『え?』
「異世界の賢者だ!」
『いやいやいや』
「賢者タナカ!」
『ちょっと待って』
「賢者タナカ!」
『待ってください』
「賢者タナカ!」
『やめて!』
謁見の間に声が広がっていく。
「賢者タナカ!」
「賢者タナカ!」
「賢者タナカ!」
『賢者って……』
『よ! 賢者タナカ!』と美羽。
『ちょっと、からかわないでよ』
田中は大いに焦る。
『からかってないよ。
いいじゃん、賢者タナカ、似合う似合う。』
『よくないよ!』
『田中、賢者じゃん』
『瑠奈まで!?』
「田中殿」
アルトが言った。
『はい?』
「いえ」
アルトは少し笑った。
「賢者タナカ殿」
『アルトさんまでええええっ!』
こうして。
本人の意思とはまったく関係なく。
異世界に一人の賢者が爆誕した。




