7 田中光彦?!
三十分後。
『……ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。
なんかしんないけど、ごめんなさい』
初めて聞く男の声がした。
どこか遠くから聞こえてくる、かなり小さな声だった。
『謝るなしー。なんかウチらがいじめてるみたいじゃん。
ちょっと田中の力が借りたいだけだって』
『いいや、君たちが僕の力を借りたいなんてありえない。
きっと、なにか変なことさせようとしてるんだぁ~!』
『あー、アルト』
その声は美羽ではなく瑠奈だった。
『ごめん。ちょっと立て込んでる。後で電話する。いったん切るね』
ブツリ。
答える間もなく通話が切れた。
アルトは眉を顰め、ため息をついた。
こうなると、あとは美羽たちが再びかけてくるのを待つしかない。
アルトはスマホを、机の上に置かれたスマホ専用の箱に収めた。
黒檀製で、金の刺繍が施された分厚い絹が敷かれている箱だ。
そして、その前で正座して待った。
それから三十分ほどして。
ぶるぶるとスマホが震えた。
『もしもし』
さっき遠くで聞こえていた、男の声だった。
「はい。勇者様」
『……勇者……?』
『田中、聞こえる?』
『う、うん』
『こっちアルト君』
『あ、どうも……』
「アルト・フェルナーと申します」
『田中です。えっと……よろしくお願いします』
「こちらこそ」
『田中、固っ』
『だって知らない人だし』
瑠奈が笑った。
『しかも異世界の人……なんだよね?』
どうやら田中という人は、少し緊張しているらしい。
アルトはそう思った。
『でさ、田中』
『うん』
『魔王軍が攻めてきてんの』
『聞いた』
『砦が落ちそう』
『うん』
『なんとかならない?』
『……僕が?』
『うん』
『いや……』
田中がしばらく黙った。
『なんで僕?
なんでそんなことできると思うの?
ただの高校生なんだけど』
『知ってる』
『戦争したことないし』
『それも知ってる』
『ゲームしか知らないよ』
『だから、それでもウチらよりマシじゃん』
『……いや、意味わかんない。
でも、まあ』
小さく息を吐く音がした。
『役に立つか分かんないけど……』
『うん』
『聞くだけ、聞いてもいいよ。
話してもらえる?』
「もちろんです」
田中の声が、ほんの少しだけ変わった。
まだ遠慮がちではある。
だが、先ほどより言葉がはっきりしている。
『敵って、何人くらいいるんですか?』
「一万以上です」
『一万……』
少し間があった。
『砦の人は?』
「およそ三千」
『増援は来るんですか?』
将軍がアルトに代わって答えた。
「王都より二千を送る」
『着くまで、どのくらいですか?』
「急がせても二日」
『砦は、あと三日くらいなんですよね』
「報告ではそうだ」
『……かなりギリギリですね』
田中が呟いた。
『えっと、場所ってどんなところなんですか?』
「山です」
『あ……すみません。もうちょっと詳しく聞いてもいいですか』
「もちろんです」
『砦って、山の上ですか?
それとも谷みたいなところに?』
「左右を切り立った崖に挟まれた場所です」
『崖の間?』
「はい。正確には、その間を街道が通っています。
砦は、その街道を塞ぐように築かれています」
『街道……』
田中の声がわずかに止まった。
『ちゃんとした道なんですか?』
「はい」
『馬とか、馬車とかも通れるくらい?』
アルトは将軍を見る。
「二頭立ての馬車同士が、すれ違える程度だ」
『……けっこう広いんですね』
「そうですね」
『その道って、北の方まで続いてるんですか?』
「魔王領へ続いています」
『…………』
「田中殿?」
『あ、はい』
少し間があった。
『すみません。ちょっと気になっただけです』
『何が?』
美羽が聞く。
『いや……気にしないで』
『なにそれ』
『僕もよく分かってないから』
田中はそれ以上言わなかった。
『地図ってあります?』
「ございます」
『あの……見せてもらうことって』
そこで声が止まった。
『…………』
『あ』
美羽が言った。
『田中、電話』
『……そうだった』
瑠奈が吹き出した。
『田中アホじゃん』
『緊張してるんだよ!』
『画像とか送れないかな』
『試してみる?』
『やってみよ』
美羽が何か操作を始めた。
『アルト君、なんか来た?』
「いいえ」
『もう一回送るね』
少し待つ。
「……来ません」
『画像はダメっぽいね』
『じゃあ文字は?』
田中が言った。
『文字?』
『ショートメール。文章だけなら送れるかもしれない』
『ああ。それ試そ』
「しょーとめーる?」
『アルト君、ちょっと待ってて』
「はい」
数秒後。
スマホが小さく鳴った。
「!」
アルトは画面を見る。
今まで見たことのない表示が現れていた。
「何か来ました」
『マジ?』
『読める?』
アルトは、そこに表示された文字を読む。
「『アルト君、これ読める?』とあります」
『おおー!』
『いけた!』
瑠奈が声を上げる。
『じゃあ、アルトさんからも送れますか?
やり方は……』
「やってみます」
アルトは田中に教えられた通りにスマホを操作する。
文字盤が画面に現れた。
アルトは一生懸命、慣れない文字盤を指で押していく。
一文字。
また一文字。
何度か打ち直しながら、
『読めますか』
と打って、送った。
『あ、来ました』
田中が言った。
『読めます』
「よかった」
『じゃあ、地図そのものは無理でも……簡単な図なら作れるかもしれません』
「図?」
『文字とか記号で』
「なるほど」
アルトは手元の地図を見る。
田中に分かりそうなものだけを選び、ゆっくり打ち込んだ。
そして送る。
魔王領
崖| 街道 |崖
崖| 街道 |崖
崖| 街道 |崖
\ 川 /
橋
【北方砦】
|
街道
|
王国側
『……来ました』
「分かりますか?」
『はい。たぶん』
田中はしばらく黙っていた。
『思ってたより狭いですね』
「大軍が横へ広がれる場所ではありません」
『橋は上げてるんですよね?』
「はい」
『じゃあ、正面から来るオーガだけなら、かなり止められますよね』
「はい。これまでは、それで防いできました」
『どうやって?』
「橋を上げ、城壁上から弓矢、投石、魔法を集中させます」
『ああ……』
田中の声が少し明るくなった。
『やっぱり、そうですよね』
「ですが今回は、それができません」
『できない?』
「正確には、やろうとすると飛行種が来ます」
『上から?』
「はい。弓兵や魔法使いを城壁上へ集めると、そこを狙って襲ってきます」
『じゃあ、飛ぶやつに対応すると、オーガが前に出てくるんですか』
「そうです、そうです!
このままだと川が埋まってしまって、城門に取りつかれてしまいます。
夜は小型種が警戒していて、瓦礫をどかしたりできないのです」
『…………』
田中が少し黙った。




