米びつはいつも空、おっかない母ちゃん
たたみいわし(畳鰯)とは、生のシラス(カタクチイワシの幼魚)を冷たい水の中に放ち、伝統的な和紙をすく技術を応用して、四角いすのこの上に一筋の乱れもなく均一に敷き詰め、畳の材料であるイグサ(ゴザ)の上で天日干しにした、日本の職人の結晶とも言える干物です。
————————————————————————
「私たちが生き延びるための本当の真実がある」
時は江戸時代初期、寛永十二年。
徳川三代将軍・家光の治世のもと、京都では第百九代の女帝・明正天皇の御代が、戦乱の消え去った天下を穏やかな光で包み込んでいた、ある冬のこと。
東国・相模湾のうら寂れた漁村に暮らす民にとっては、日々の飢えをいかに凌ぐかという、冷徹な生存の闘いがあるばかりでした。そこには、便利で近代的な機械や、お洒落な写真の欺瞞など入り込む隙もない、生身の人間と大自然が直接ぶつかり合う、泥臭い暮らしの現実が横たわっていたのです。
相模湾の貧しい漁師・平八郎は、五人の子供たちを抱え、毎日「今日のご飯はどうするのさ!」と怒鳴り散らす、近所でも評判の、おっかなくて口の悪い女房・トミの剣幕に怯えていました。
「あんた! 起きておくれよ! 今日も米びつは、いつも通り上から下まで、これっぽっちの粒も残っちゃいない、完全な空っぽだよ!」
ガランと無慈悲にひっくり返される、空の米びつ。水道もガスも電気もない不便な冬の夜明け、米びつが空だということは、文字通り「家庭の崩壊と飢餓」がすぐ目の前に迫っているという、張り詰めた絶望の淵でした。
当時の日本は、国の規律で牛や豚といった獣の肉を食べることは「四足厳禁」として厳しく禁じられていた社会。誰もが代替となる魚を求めていましたが、冬の厳しい相模湾で、平八郎の小さな丸木舟に獲れるのは、足が早くてすぐに傷んでしまう生のシラスばかり。生のシラスは、その日のうちに食べなければドロドロに自己融解を起こして腐ってしまうため、市場に持っていっても二束三文で買い叩かれる「価格暴落の雑魚」に過ぎませんでした。これこそが、当時の不完全な流通機構がもたらす、漁村の構造的な不況であったのです。
「あんた、今日こそお米に換えられる立派な鯛や鰺を獲ってきておくれよ! じゃないと、この子たちも私も、明日には干からびちまうよ!」
腰に手を当ててまくしたてるトミの言葉は、まるで『星の王子さま』に登場する高慢で生意気なバラの棘のようでした。しかし、平八郎はおくどさん(竈)に火を熾しながら、静かな「技術革新」の執念を燃え上がらせます。
(鯛や鰺が獲れねえなら、この二束三文のシラスに『圧倒的な保存性』という付加価値をつけ、カミさんが腰を抜かすほど高値で取引される大人の肴に変えてみせる。あの、紙すきの町で見た『濾過と成形』の技術を応用すれば、きっと……!)
平八郎は、かつて町で見た「和紙をすく職人」の技術をハッキングすることを思いつきます。木枠に目の細かい網を張り、汲みたての冷たい井戸水の中で生シラスを均一に広げ、静かに引き揚げる。すのこの上に一筋の乱れもなく美しく敷き詰められた、シラスたちの無数の「銀の眼玉」。これを畳の材料であるイグサ(ゴザ)の上に乗せ、冬の寒風と太陽の光で天日干しにする。乾き上がったそれは、まるで薄く美しい「魚の和紙(板)」のようでした。これこそ、歴史上初めて【畳鰯】が誕生した瞬間だったのです。
完成したたたみいわしを、平八郎はおくどさんの炭火の上でさっと軽く炙ります。小屋いっぱいに広がる、海の旨味が凝縮された香ばしい匂い。匂いに釣られてやってきた、5人の子供たちとおっかないトミ。当時の食事は「私語厳禁」の静寂が美徳。平八郎は黙って、炙りたてのパリッとしたたたみいわしを差し出します。
いつもは文句ばかり言っていたトミが、一口食べた瞬間、言葉を失って「――っ!」と目を見張る。凝縮された海の塩気と圧倒的な旨味が、飢えた脳髄をダイレクトに灼く。一言も喋らない静寂のなか、トミの目から、ぽろぽろと嬉し涙がこぼれ落ちる。それは「あんた、よくやってくれたね」という、目に見えない本当の愛情でした。平八郎はのちに寛永二十年に刊行される日本最古級の料理書『料理物語』へ「肴によし」と書き加えられることになる未来の記録を、家族の沈黙のなかに確信するのです。
のちに寛永十五年の『毛吹草』に名産として載り、寛永二十年の『料理物語』で大絶賛されるこの食べ物は、四百年前、5人の子供とおっかないトミのために平八郎が流した、愛の汗から生まれたものでした。
不便な時代の構造的不況のなかで、家族のためにイノベーションを成し遂げていく人間の生命力と、四百年を超えて繋がるおもてなしの心。
読んでいるだけでお腹が空いて、心までぽかぽかに温まる、極上の歴史社会派日常系ストーリー、ここにはじまります。
第一幕:米びつはいつも空、おっかない母ちゃん
寛永十二年。
のちに歴史家たちが「寛永文化の泰平」と総括することになる、徳川三代将軍・家光の治世。京都では第百九代の女帝・明正天皇の御代が穏やかな光で天下を包んでいましたが、東国・相模湾のうら寂れた漁村に暮らす民にとっては、日々の飢えをいかに凌ぐかという、冷徹な生存の闘いがあるばかりでございました。
そこには、便利で近代的な機械や、お洒落な写真の欺瞞など入り込む隙もない、生身の人間と大自然が直接ぶつかり合う、江戸初期の泥臭い暮らしの現実が横たわっていたのです。
しんしんと冷え込む冬の夜明け前、その小さな漁師小屋の暗闇を、一本の鋭い怒号が切り裂きました。
「あんた! 起きておくれよ!
今日も米びつは、いつも通り上から下まで、これっぽっちの粒も残っちゃいない、完全な空っぽだよ!」
近所でも評判の、おっかなくて口の悪い、けれど誰よりも家族の命を背負っている、トゲトゲしたような女房―トミの、これが偽りのない日常の叫びでございました。
トミが大きな木製の米びつを「ガラン!」と無慈悲にひっくり返して見せると、それを見た五人の子供たちが、待ってましたとばかりに一斉に泣き叫び始めます。
「父ちゃん、お腹すいた!」
「お米の飯が食べたいよ!」
小さな命たちが飢えを訴えて大合唱を始める。水道も、ガスも、電気もない不便な時代。
米びつが空だということは、文字通り「家庭の崩壊と飢餓」がすぐ目の前に迫っているという、この時代の底辺に生きる家族にとっての、張り詰めた絶望の淵でございました。
当時の日本は、国の規律で牛や豚といった獣の肉を食べることは「四足厳禁」として厳しく禁じられていた社会。誰もが代替となる魚を求めていましたが、冬の厳しい相模湾で、主人公の漁師・平八郎の小さな丸木舟に獲れるのは、足が早くてすぐに傷んでしまう生のシラスばかり。
生のシラスは、その日のうちに食べなければドロドロに自己融解を起こして腐ってしまうため、市場に持っていっても二束三文で買い叩かれる「価格暴落の雑魚」に過ぎませんでした。これこそが、当時の不完全な流通機構がもたらす、漁村の構造的な不況であったのです。
「あんた、今日こそお米に換えられる立派な鯛や鰺を獲ってきておくれよ! じゃないと、この子たちも私も、明日には干からびちまうよ!」
腰に手を当ててまくしたてるトミの言葉は、男の不甲斐なさを責め立てる棘のようでございました。しかし、平八郎は「へいへい、分かってるよ」と、かじかむ手でおくどさん(竈)に火を熾しながら、丸い頭を小さく丸めるばかり。
火打石をカチカチと打ち鳴らし、乾燥した松葉にふうふうと優しく息を吹きかけ、ようやく薪にパチパチと赤い炎が灯ります。その温もりでおっかないトミと五人の子供たちの顔がぽうっと赤く照らされるのを見つめながら、平八郎の胸のなかで、静かな「技術革新」の執念が火を噴きました。
(鯛や鰺が獲れねえなら、この二束三文のシラスに『圧倒的な保存性』という付加価値をつけ、カミさんが腰を抜かすほど高値で取引される大人の肴に変えてみせる。あの、紙すきの町で見た『濾過と成形』の技術を応用すれば、きっと……!)
平八郎は天秤棒を肩に担ぐと、まだ薄暗い極寒の浜辺へと、力強く歩み出しました。
米びつはいつも空。しかし、トミの涙をこれ以上見たくないという男のプライドと、極限の飢餓という危機こそが、世界初の地場産業【畳鰯】がはじまります。




