第六十二話:活路
正面の荒野には、二十を超える毒尾の群れ。
その前方を塞ぐのは、大角の薄青、五本角の黄白、二又角の赤背。三体の”ツノ持ち”。
後から現れた二体も、その威容からして歴戦個体、あるいはそれに準ずる戦闘力を有している可能性が高い。強引に正面を突破できたとしても、走行力に優れる毒尾の追撃を振り切ることは難しい。
左右へ続く川には、複数のデカポダが潜んでいる。
河川における潜航能力の高さから考えれば、可能性が高いのはアスタキア種。だが、その総数までは把握できない。このまま潜航を続けられると火炎による討伐は困難となる。かといって、こちらまで水中戦へ移行すれば勝ち目は皆無に等しい。水中戦もこなせるであろうダーバルは、正面の”ツノ持ち”を抑えるためにも欠かせない。
そして、背後の川を隔てた先には仄暗い森。
樹上には、数すら分からない糸女の群れが待ち構えている。森へ逃げ込めば、先ほどの二の舞になることは考えるまでもなかった。
正面、左右、背後。
カランは自分たちを取り巻く戦力と地形を、瞬く間に確認した。用意された退路は、どこにもない。
ならば、新たに活路を開くしかない。
カランが選んだのは、仄暗い森だった。荒野から吹き抜けた一陣の風が、川を越えて森の枝葉を揺らす。
カランが森へ向けたのは視線だけではない。右腕をわずかに持ち上げ、その指先を暗い木々の奥へ向けていた。
その瞬間、薄青の”ツノ持ち”の重心が沈んだ。
「ダーバル」
「おう」
ドドッッッッ!!
再び、二つの巨体が大地を蹴った。
ほとんど同時に重なった踏み込み。しかし今度は、ほんのわずかにダーバルの方が早い。
「むぅん!」
ダーバルは薄青の進路へ割り込むと、歪なまでに巨大な左鋏を上段から振り下ろした。
薄青の”ツノ持ち”は避けない。
両腕を交差させ、正面から受け止めた。
ゴギィンッ!!
甲殻同士が衝突し、鈍く重い衝撃がダーバルの左鋏を駆け抜ける。あまりの反動に足元の地面が陥没した。
「お?」
薄青は交差させた右腕を外側へ滑らせ、振り下ろされた巨大鋏を受け流す。そのまま脇へ抱え込み、ダーバルの左腕を封じた。
「おお?」
ダーバルは戸惑いながらも、迷わず残った右鋏を突き出した。
「よっ!」
人間の胴など容易に貫き潰す一撃。
しかし、それさえも薄青の左手に受け止められた。
ダーバルの右鋏の大きさは、巨大な左鋏と比べると確かに劣る。だが、薄青の”ツノ持ち”の拳と比べればはるかに大きい。それでも突き出された右鋏は、見えない壁に突き当たったかのように止まっている。
次の瞬間、ダーバルは奇妙な浮遊感を覚えた。森の中で糸女に吊り上げられたときとは違う。全身へかかる重力の向きを、力ずくで後ろへ捻じ曲げられたような感覚。
ダーバルの足が地面を離れた。視界が流れ、薄青の姿が急速に遠ざかっていく。
自分が蹴り飛ばされたのだとダーバルが理解したのは、背中から川面へ叩きつけられたあとだった。
轟音とともに、凄まじい水飛沫が立ち昇る。
そして、宙を舞ったのは水だけではない。
術を完成させたカランの周囲から、無数の火の粉が舞い上がった。荒野から吹く風に乗り、火の粉が川を越える。それらは仄暗い森へ降り注ぐと、樹皮へ触れ、枝へ移り、瞬く間に大火へと姿を変えた。
古い森の木々は多量の水分を含んでいる。しかし、それと同時に、長い年月をかけて油分を蓄えていた。
先ほどカランが火勢を抑えた理由。森全体へ延焼する危険性を、今度は意図的に利用したのだ。
「も、森ごと……」
ナリヤが息を呑んだ。
一度ついた火が、どこまで燃え広がるかは分からない。この森だけでなく、周囲の森に生きるものや、一帯の土地へどのような影響を及ぼすのかも分からない。
王国が存続したなら、後に大きな遺恨を残す可能性すらある。それは、ある種の禁忌とも呼べる所業だった。
だがカランは、躊躇なくその境界を越えた。
「「ギャアアアア!!」」
いくつもの叫び声が、燃え盛る森の奥から重なって響き、赤く染まった影が次々と木々の間から飛び出してきた。
哨戒班を襲うためではない。身体へまとわりつく炎から逃れようと、森を捨てて飛び出さざるを得なかったのだ。
川辺へ辿り着いた糸女たちの姿は、悲惨そのものだった。髪は焼け、皮膚は赤黒くただれている。身にまとっていた垂れ幕状の衣服を自ら破り捨て、地面を転げ回りながら、我先にと川面を目指す。
ある者は水へ飛び込み、ある者は岸へ辿り着く前に倒れた。
あまりの所業に、その場にいた者たちは、燃え盛る炎に熱を奪われたかのように凍りつく。
薄青の”ツノ持ち”さえ、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
その惨状をよそに、川面で再び大きな水飛沫が上がった。ほとんど間を置かず、カランの隣へ深青の巨体が落ちてくる。
「よっと」
「動けるか?」
「蹴り飛ばされただけだ」
”ツノ持ち”の脚力とはいえ、助走もつけず、その場の筋力だけで放った蹴りだった。ダーバルの腹甲には傷どころか、目立った凹みすらできていない。一般兵であれば、飛ばされるより先に胴を粉砕されていただろう。やはり、ダーバルの防御力は異常だった。
「それより、川の中はデカポダだらけだぜ」
ダーバルはそう告げると、左鋏で掴んでいたものをカランの前へ放った。
黒く焼け焦げた影が、湿った音を立てて地面へ転がる。
「……それは糸女だ」
「あれ?」
確かに川の中には、多数のデカポダが潜んでいるのだろう。
しかし、ダーバルが自信満々に放ったのは、先ほど炎から逃れて川へ飛び込んだと思われる糸女だった。
今は、そんなことはどうでもいい。
炎に追われた糸女が次々と川へ飛び込んだことで、水面下に潜んでいたデカポダの陣形は大きく乱れている。森を封じていた糸も、燃え上がる木々とともに焼け落ちていた。
わずかな時間ではあるが、退路が開いている。
「ミラリ先輩」
「……!なるほど!全員森へ!」
「えっ!?」
ミラリの指示に、ナリヤは燃え盛る森とミラリを交互に見て困惑の声を上げた。しかし、他の班員たちはすぐに行動に移した。
「行きますよ」
「わっ!?」
カランは立ちすくむナリヤを抱きかかえ、森の方へ走った。
身体強化によって脚力を引き上げ、川面を大きく飛び越える。
「きゃぁ!?」
対岸へ着地すると、そのまま炎の中に飛び込んだ。
「えっえっ?」
ナリヤは思わずギュッと目をつぶったが、思うような熱はこなかった。確かに熱いが、我慢できないような熱さではない。
目を開けてみると合点がいった。カランは術を展開し、炎を弱め、熱を逃し、燃え盛る森に抜け道を作っていた。
「す、すごい」
しかし、ナリヤが感嘆したのは術の技量だけではなかった。
炎の中に道を作る技術もさることながら、それ以上に驚かされたのは、カランの発想と決断の速さだ。
森を焼くなど、思いつたとしても実行に移す者などいないだろう。それを即座に実行した上、さらに脱出口にするなど、カランをおいて他にできる者がいるだろうか。
ナリヤは、炎とは異なる熱が胸の内に灯るのを感じた。
それも束の間。
「カラン、あつい」
「我慢しろ」
今までどこに隠れていたのか、いつの間にかカランの隣をルナリが駆けている。
「オレも、あつい」
「黙れ」
「えぇ……」
その後ろには、ダーバルが続く。
さらにその後ろには、少し遅れてミラリと二人の班員が追ってきている。しかし、それまでだ。他の班員は一人としてついてきていない。
カランが作った抜け道は、当然ながら彼らだけが使えるものではない。追手が殺到すれば、逃げ切る前に背後から呑み込まれる。
残る三人の班員は、川を渡ったところで森に背を向けていた。そんな指示は出ていない。
「最後の最後で命令違反しやがって」
ミラリは強く奥歯を噛み締めた。
背を向けた三名は、まだ死んではいない。だが死ぬことを決めていた。
森を走る面々は振り向かない。ただ走る。
直後に、いくつかの音が響いた。火の音。土の音。水の音。
そして少し遅れて、何かが弾け飛ぶ音。その音が彼方に消える頃には、すでにカランたちは延焼する炎よりも先に、森の奥まで駆け抜けていた。
「くそっ!」
班員の一人が、幹に拳を叩きつけた。
それと共に、いまだ露を帯びた一枚の葉が枝を離れ、ナリヤの頭へ音もなく乗った。
ナリヤを抱きかかえたままだったカランは、一瞬だけ葉に意識を奪われた。
——おかしい。この太さの樹木を人が殴ったところで、その衝撃が頭上の枝葉まで伝わるはずがない。
「うん?」
ルナリが上を見上げた。
「あら、ごきげんよう?」
そこには、天地を逆さにした白き異形が微笑んでいた。
三体のツノ持ちが信号機カラーになったのは偶然です。
糸女ちゃんの衣服はエプロンスタイルです。つまり裸エプ……




