第六話:翅付きの同居人
「遅い」
声は扉の向こうから聞こえてきた。
カランは包みを少し持ち上げる。
「肉だ」
しばし沈黙。
「果実もあるぞ」
鍵を開けるより早く、内側から施錠が解かれる。
ガチャリ
扉の隙間からピョコリと覗いたのは、まずは両櫛状の触角だった。続いて、ふわふわの白い毛髪。そしてこちらを、正確にはカランの持つ包みを、じっと見つめる黒い複眼と桃色の偽瞳孔。
「よろしい」
扉は開かれ、声の主の全体像が露わになる。
白い体色、節状関節の四本腕、そして背中には腰から膝丈程度まである一対のマント状の翅。
翅付きの異形の民、サトゥルナの少女だった。
「入るぞ」
ようやくの帰宅だ。
「肉」
少女の腕が伸ばされる。
「入るぞ」
ここはカランの自宅である。
「先に肉」
少女の腕が一本ではなく二本、目一杯伸ばされる。
「……」
カランは大人しく包みを渡した。
「ん」
少女は包みを受け取ると、トテトテトテーっと足音を立て、部屋の奥へ消えた。
改めて、ここはカランの自宅である。
「ふぅ…」
カランは入り口で靴の泥を落とし、部屋に入ると内側から鍵をかけた。
戸建のしっかりした造りの住宅。王都ワラネの術士用住宅は、広過ぎず、狭過ぎず、よく言えば機能的で、悪く言えば味気ない。カランの住まう住居は術士に与えられる住まいとしては悪くないが、貴族屋敷と呼ぶにはあまりにも質素だった。
もっとも、この家が本来の形を保っていたことは、ほとんどない。壁には薄い絹布が掛けられ、窓辺には乾燥させた香草が吊るされ、椅子の背には見覚えのない外套が増えている。
この家には家主たるカランを除いた、もう一人の住人がいる。
名をルナリという。
「変わりはなかったか?」
カランは外套を脱ぎ、丁寧に畳み、衣装棚に仕まい込む。
「うん」
ルナリは買い置きの虫粉パンを薄切りにし、地鳥の薄切り肉と重ね合わせて、かじり付いていた。
「また新しい外套織ったのか?」
目新しい外套を持ち上げてみる。鮮やかな色彩と、美しい意匠の外套だった。
「うん」
サトゥルナは主に北方の樹林に住まう異形の民だ。
人類の記録において、最も友好的な異形の民として知られる。森林の樹上に集落を作り、異形の民の中でも特に芸術性と文化性に富み、絹を織り、染色し、舞踏を好む民。
鎧人のように甲で矢を弾くことはない。岩壁を這うことも、毒針の尾を持つことも、殻を持つこともない。
だが、サトゥルナには、サトゥルナにしかない強みがある。
軽い身体に器用な四本の腕、空気の流れを敏感に感じ取る両櫛状の触角。そして、空を飛ぶには足りずとも、滑るには充分な一対の翅。
森の上を渡るには、それでよかった。枝から枝へ、屋根から屋根へ、高所からより遠くへ。
彼らは空を支配する民ではない。
しかし、地面を歩くだけの民でもなかった。
ただし、目の前の少女がその典型かと問われると、カランは否と答えるだろう。サトゥルナは温厚で、協調的で、森と集落を好む。絹を織り、舞を踊り、同族の中で穏やかに暮らす者がそのほとんどだ。
ルナリは違う。少なくとも、カランの知る限りでは違う。人間の都市に住みつき、戦場にも勝手についてこようとし、肉と果実の包み一つで家主を玄関に待たせるサトゥルナなど、カランは他に知らない。
「お腹いっぱい」
外套を眺める間に包みは空っぽになっていた。
「食うの早いな…」
余分に包んでもらってよかったかもしれない。果実の一粒もなく、綺麗さっぱり食べきっていた。
「カラン」
感情を窺わせない声で呼ばれる。
「なんだ」
「外套、出して」
今持っている外套ではないだろう、出してと言うからには先ほどしまった外套か。
「もうしまったんだが」
「早く」
有無を言わせぬ眼力。新しい外套を椅子にかけ直すと、しまい込んだ外套を再び取り出し手渡した。
渡された丁寧に畳まれた外套をルナリは無造作に広げると、次々に指摘し出す。
「ここ、ほつれてる。ここ、穴開いてる。ここ、破けてる。ここ、焦げてる」
いつ確認したのか、確かに外套は傷んでいた。
「…すまん」
「いつもの事、気にしない…直す」
そう言うとルナリはちょこんと座り直し、黙々と手を動かし始めた。こうなると、しばらくはまともな受け答えをしなくなる。
手持ち無沙汰になったカランは部屋の掃除を始めた。
ルナリと出会ったのはいつだったか、随分と昔のように感じる。
”気がついたらいた”と言うのが正直なところだが、まだカランが術士兵団に入団するよりも前、自立し、一人で生きるようになって間もない頃。
気配はあった。けれど足音はなかった。
枝が揺れ、白い翅が一瞬だけ視界に入り、気付けば少し離れた場所に、白いサトゥルナがいた。人類に友好的な異形の民という知識はあったので、恐怖はなかった。
近寄ると、逃げる。
無視すると、付いてくる。
食べ物を置くと、近づく。
歩き出せば、また付いてくる。
それを数日繰り返したところで、カランは考えることを放棄した。
以来、ルナリは時々消え、いつの間にか戻り、当然のようにカランの空間に住み着いていた。
人ではない同居人、人より近い同行者。
気がついた時には、お互いにとってそこにいるのが当たり前になっていた。カランは住む場所と食材を、ルナリは着る衣服と料理を。二人の考えは正反対のように思えたが、不思議と上手くいった。今の現状に落ち着いたのも自然な事だったのかもしれない。
「おーわった」
ルナリはポイッと外套を放ると、ピョーンとベッドに飛び込んだ。
大事に直したかと思うとこの仕打ちだ。カランは机の上に放られた外套を再び丁寧に畳んで衣装棚にしまった。
「カラン〜明日ヒマー?」
ベッドの端へゴロゴロと転がりながら問うルナリ。
シーツがくしゃりとシワを立てる。
「昼までは用事がある。その後は用事が長引かなければ暇だな」
ダルミンに議会報告に出席するように言われている。議会報告とは今回の遠征任務の委細を貴族院に報告する事だが、それには宮廷に登城する必要がある。
正直面倒だったが、上司に言われた以上は従わなければならない。とはいえ順調に終われば昼以降は暇になるだろう。
「ふーーん」
ルナリは今度は反対側のベッドの端へとゴロゴロと転がった。
シーツがくしゃくしゃとシワを立てる。
「どうかしたか?」
掃除を再開する。一度始めた以上はキリの良いところまでやってしまいたい。
「うーん、たまには外に遊びに行こうかなーって」
ルナリは異形の民だ。いかに友好的なサトゥルナであろうと、奇異の目で見る者は一定数いるし、異形の民というだけで忌避する者もいる。それならまだマシな方で、中には迫害的な言動をする者もいるのだ。
「どこに行きたい」
自分達はサトゥルナの絹織物などを求めておきながら、だ。
「市場」
カランからすると、そんな者たちははっきり言って頭が悪いとしか思えないのだが、実際問題存在する。
「人が多い」
そして、万が一直接的な行動を取られた場合、異形の民の立場は弱い。自衛の為の行動であろうと、壁の内側で人が傷つけられることを人類は許さないからだ。
「だからカランと行く」
友好的な異形の民は交易を目的として、王都ワラネを出入りする事もあるが、それは一定集団でだ。一個人のサトゥルナであれば何があるかわからない。
「俺はお守りか」
聡いルナリはそのことをよく理解している。
外に出るときは、人目につかぬように、屋根上を伝って移動しているらしいが、それにも限度がある。
「私もカランのお守り」
堂々と出歩こうと思うと、人間の同行者が必要となる。
「まぁいい、昼以降に戻る」
議会に出席したことは何度かある。流石に昼には用済みになると信じたい。
「長い?」
長くなるのはカランも望むものではない。
「長引かせるつもりはない」
そも議会など長引かせるものではない。
「なら待つ」
ルナリはそういうとピョンと跳ね起き、新たに織った外套を抱え満足げに翅を揺らした。
「待ちくたびれたからといって屋根上から先回りしたりするなよ」
「しない」
「前はしただろう」
「前は前」
カランは掃除の手を止め、窓の外を見た。
王都の夜は、壁の内側にある。だが、その内側にあるからといって誰もが同じだけ自由なわけではない。
「…市場くらいなら、問題ないか」
そうつぶやくと、ルナリの触角がふわりと揺れた。




