第五話:バルーガ大衆食堂
「明日は休日とする。各々でしっかり疲れを取れ。負傷者の見舞いと、装備の確認は忘れるなよ。以上だ。では、各隊解散!」
ダルミンの声が、兵舎の訓練場に響いた。
帰還からしばらく後。負傷者は治療所へ送られ、死者の名は記録され、焦げた甲殻と折れた角は軍務省の検分係に引き渡された。
泥に汚れた盾は武具庫へ。欠けた槍は修繕場へ。使い切った術具は術士院の管理官へ。
戦場は、帰ってきて終わりではない。
帰ってきたものを数え、帰ってこなかったものを数え、ようやく終わる。
そして、それが終われば。
「飯だな!」
バルドが、誰よりも早く言った。
兵舎を出ると、荒野の匂いはまだ服に残っていた。焦げた甲殻、乾いた血、火術の残り香。だが王都の大通りを歩くうち、それらは少しずつ別の匂いに押し流されていく。
焼いた根菜の匂い、干し魚を炙る匂い、虫粉を練った窯焼きパンの香ばしさ、水路の湿った匂い、炉場の煙。
壁の内側では、戦場とは別の一日が続いていた。兵舎を出た第一戦団の面々はそれぞれの帰路に着く。各々の家、各々の家庭、各々の炉のもとへ。
カランはこの時間が存外、嫌いではなかった。どんな者にでも行くべき場所、帰るべき場所があるのだ。
「おーい、カラン!お前もバルーガの所だろー?席埋まっちまうぞー」
そしてカランも、それは例外ではない。先を行くバルドに急かされるようにカランは歩を進める。
歩き始めてすぐにそれは目に入った。
その建物は、年季の入った灰色の煉瓦と荒く削った巨木を組み合わせた、無骨極まる造りだ。腕ほどもある丸太をそのまま使った窓枠がいくつか並び、そこから室内の温かみのある橙色の光と、威勢のいい声が漏れ出す。正面には銅板で補強された木製の扉があり、その傍らには風に揺れる古びた看板が掲げられ、所々掠れた文字でこう書かれていた。
バルーガ大衆食堂
王都ワラネの兵士なら一度は世話になる店。
安く、早く、多く、熱い。
ついでに店主の声が大きい。
太い煙突からはもうもうと煙が立ち上がり、店の盛況を示していた。
「おう!帰ったか、死に損ないども!」
扉を開けるより先に、店主の声が飛んできた。
「おうおう!今回もしぶとく金蔓が生き残って来てやったぞぉ!」
売り言葉に買い言葉。この食堂の店主、バルーガは退役した元補給官である。バルドとは古い馴染みらしく、顔を合わせればいつもこんな調子だった。
「だっはっは!一番安い大皿しか頼まねぇ奴が言いやがる!っお、英雄殿じゃねぇか!話は聞いてるぞ〜”ツノ持ち”の歴戦個体を一炙りにしたってな!大したもんだぁ、今日は特盛にしといてやる!」
ニカッと、実にいい笑顔で言った。むさい笑顔だが、バルーガのこの気さくさは悪い気がしない。
「いえ、いつも通りで、代わりに肉と果実を持ち帰りで」
「そうか?若いんだからたんまり食えよ」
「俺は特盛だっ」
「お前は年甲斐もなく食い過ぎなんだよ!少しは労われ!」
「うるせぇな、飯は食える時に食えるだけ食うんだよ!」
「まったく…しょうがない奴だな。まぁ座れ座れ。すぐに作ってやる」
埋まった客席を避けながら、長机の一角に座る。
すぐ正面にバルドが陣取った。
「バルーガはいつも一言余計なんだよなぁ」
バルドは座るや否や、すぐに悪態をつく。しかしその表情は決して気分を害したようなものではなかった。なんだかんだと言って、いい友人なのだろう。
「でもバルドさん、最近腹まわり気になるんでしょう?」
バルドの戦闘術士としてのキャリアは長い。古参の分隊長として、術士兵団に留まらず王国軍の術士官にもバルドを慕う者は少なくない。そんな多くの術士に慕われるバルドも、中年にさしかかり腹回りに肉がのってきた。
「うっ…いや、それはだな。おいカラン、やっぱり目立つか?俺の腹回り…」
「別に俺は気にしませんけど」
激しい運動を伴う戦闘術士といえど、歳をとれば代謝は落ちる。それに腹回りに肉が乗ったからといって、食うことだけは欠かせない。
「そ、そうか…」
「けど…ミラリ先輩が確か…」
「なっなっなんだ!ミラリが何か言ってたのか!?」
ガタリと音をたて、立ち上がるバルド。過剰な反応に思わず苦笑するカランだったが、言葉を続ける前に新たに訪れた人物によってそれは遮られた。
「なになに〜?私の話〜?」
アウストロメリアの民には珍しい緑の髪。その襟足を狼の尾のように揺らしながら、彼女は話に割って入った。
「ミラリ先輩」
術士兵団第一戦団、第二連隊の連隊長ミラリ。
その赤茶色の瞳と、切長な目は、冷徹な印象を他者に与えるが、そうでない事をカランは知っている。
かつては同じ分隊でカランの教育係も務めていた事がある人物で、その縁あって今でもカランのことをよく気にかけていた。
「い、いやっ?ほらあれだ〜あれ!やっぱ術士兵団一の美人といえばミラリだって話をだな!?なっ?カラン!」
全然違うのだが
「えぇまぁ…」
カランはなんとなく空気が読める男だった。
「ええぇ〜?カランくんが私の事を〜?ほら美人が来たぞっ、寄った寄った!」
ニヤニヤとまんざらでもなさそうな、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、ミラリは当然のようにカランの隣へ滑り込み、肩でぐいと押してくる。
カランは大人しく端により、ミラリに席を譲った。
「待たせたな、何の話だ?」
焦茶の短髪、やや垂れた黒い目。男前だがやや童顔気味な顔に斜めに傷の入った戦団長ダルミンが、どかりとバルドの横に腰を下ろした。
「おぉ戦団長、いや、大した話じゃ…お、それより大皿が来ましたぜ!」
少し無理な話の転換にも感じられたが、誰もそこを指摘したりはしなかった。
それは無論、今日の大皿が運ばれてきたからである。皆何よりも今は、腹を満たす飯を求めていた。
「ほらよ、死に損ない用の大皿だ。腹に入れりゃあ今日のことは明日まで持ち越せる!さぁ食った食った!」
大皿の上には、焼いた根菜、煮豆、干し魚をほぐしたもの、香草で炙った虫肉、薄く切った地鳥の燻製が、山のように盛られ湯気を立てている。脇には虫粉を練り込んだ窯焼きパン。小さな器には酸味の強い果実を煮詰めたもの。
「いよっ待ってました〜!」
早速、バルドが手を伸ばす。伸ばした先は肉だった。これがまた腹回りの肉になるのだろう。
「バルーガ、追加でもう一皿頼む。特盛で」
ダルミンがパンに手を伸ばしながら、すかさず追加で注文を入れる。
「おう!戦団長!毎度っ!景気がいいな!追加もすぐ準備してやる」
バルーガはそう言い残すと忙しそうに厨房に戻っていった。気がつけば店の席は大半が埋まりつつあった。
そんな最中、入口の方で若い術士が足を止めた。
ふとカランも入口を見やった。
明るい茶色の髪を額の中央で分けた眉目の整った青年。タルガンだった。店内の誰かが彼にも声をかけるが、その視線はすぐにカランへ戻った。タルガンは一瞬だけ眉を動かし、それから何事もなかったように別の席へ向かった。
「ちょっと戦団長〜そんなに食べても、もう背は伸びないぞ〜?」
「うるさいぞミラリ、腹が減ってるんだ、それ以上言ったら減給」
「うわっ横暴だ〜!」
その一瞬の沈黙をよそに、ダルミンとミラリは軽口を続けていた。
「どうしたカラン、食わないのか?」
「いえ、いただきます」
何もなかったように、カランは大皿から根菜と豆をとった。
「あ〜タルガンか、腕、大丈夫だったのかな」
カランの視線に目敏く気がついたミラリは話題を変える。もしかしたら減給を気にしただけかもしれないが。
「想定よりは軽症だ、日常生活に支障はないらしいし、次の任務には完治してるだろ」
”ツノ持ち”の拳を直に受けたのだ、軽症という事はないだろうが、ここに顔を見せた以上は、ダルミンの言う通りなのだろう。
「いや、あの”ツノ持ち”にぶん殴られて、その程度ってんだから、タルガンも大概だよな」
バルドが肉を頬張り、そしてまた肉に手を伸ばしながら言う。
普通であれば即死は免れない一撃。それを防いで見せたタルガンは間違いなく優秀だ。
「だな、受け身もうまくとっていた。あいつも優秀だ、あの若さで第三連隊の連隊長。歴代でもそうはいない、おい、肉食い過ぎだ、野菜を食え、野菜を」
それに加え、実家は分家とはいえ火術の超名門。エリートコースを邁進する新進気鋭の術士、それがタルガンであった。
「やばかったよね〜今回の”ツノ持ち”!まぁ?一番やばかったのは〜カラン君だったけど、あ、果実煮とって〜」
ミラリは相変わらずニヤニヤしながらカランの事を肘で小突いてくる。
「効率的に行動をした結果です、どうぞ」
果実煮の小皿をミラリに渡しながらカランは淡々と答えた。他人にとっては異常な火力であっても、カランにとっては効率を重視した結果に過ぎなかった。
「お待ちどぉさま〜追加の大皿で〜す」
ダルミンの注文した追加の大皿が給仕係の少女によって運ばれてくる。両手いっぱいに抱えた大皿は山盛りで、前など見えないように思える。あれでよく運べるものだ。
「ほい、あんがとさん」
バルドは再び肉を取り、ダルミンは根菜、豆、肉に魚も均等に取った。ミラリは果実の煮詰めたものをパンに付け、妙に楽しそうにかじっている。
飯を食い、軽口を叩き、誰かが笑い、誰かが追加の大皿を頼む。
戦場の話は、いつの間にか薄まっていた。なくなったわけわけではない。ただ、皿の湯気と、炉の煙と、腹に落ちる飯の重さが、それを少しだけ遠ざけている。
カランは帰り際に厨房へ立ち寄った。
「おう英雄殿、頼まれてた持ち帰りだ」
肉と果実。
頼んだ量より、少し多い。
「多いですね」
「勝った分だ、文句言うな」
「文句ではなく、確認です」
「そう言うところだぞ、素直に受け取っとけ!」
バルーガはそう言って笑うと、別の客の大皿を抱えて去っていった。
カランは包みの重さを再度確かめ、店の外へ目を向ける。無用な気遣いだと思ったが、受け取らない理由もない。
街路に出ると、すでに日は傾き始めていた。




