第四十七話:見えざる軍勢
部屋の前で止まったかに思われた足音は、ほとんど間をおかずそのまま室内へ続いた。
「入るぞ」
声の主がそう言ったのは、部屋の扉を開け放った後だった。
カランを屋敷に呼び出した当人——軍務卿ガルンダは遠慮なく部屋へ踏み込んできた。
後ろには伝令兵と文官が一人ずつ控えている。伝令兵の靴には真新しい土汚れが残り、文官は両腕に抱えるように報告板を重ねていた。
カランとヤラミラが立ち上がろうとするのを片手で制し、もう一方の手に抱えていた報告板を、控えていた文官が抱える報告板の上に重ねた。
「待たせたな」
そして、また別の報告板を三枚受け取ると、二人の斜め前にどかりと座り込んだ。
使用人が伝令兵と文官を案内し、扉が閉められる。おそらくは隣室で待機するのだろう。応接室には三人が残った。
「いえ、閣下もお忙しいでしょう」
勅令が発せられて、まだ三日しか経っていない。軍務省を統括する身とあれば、暇な時間があるわけがない。カランはガルンダが現れるまで、今日呼び出されたのも、屋敷に呼ぶための方便だと疑っていたくらいだ。
すぐにもう一方の扉が開き、侍女がもう一人分の茶器と、新たに淹れた茶を卓上へ用意した。
ガルンダはそれにも一瞥もくれずに話を始めた。
「まずは、本題を済ませよう」
ガルンダが一枚目の報告板を卓に置いた。
まずは、と言うからには別の要件もあるということだ。カランには、それが応えづらくないものであることを願うばかりだ。
その間に、ヤラミラはガルンダの茶を注ぐ。茶器から新たな湯気が立った。
「キラリラの茶か」
「はい」
ガルンダは短く問うと、一口茶を飲み話を続けた。
「敵情について、お前の見解を聞こう」
「具体的には?」
一言に敵情といっても様々だ。戦力、体制、配置、目的、方針、優先順位、指揮系統、食糧具合、装備や資材の状態、現在の動きから将来的な動向など、語り出したら切りがない。
「ダルミンからの報告には、すでに目を通している。その中にはお前の考えとしてまとめられたものもあった」
カランは表情を変えずに、自分の考察を売り渡した戦団長を呪った。
やはり、ダルミンは報告者としては頼りにはならない。いや、上官への報告という点において、忠実に己の職務を果たしている。だが、ダルミンもカランの考察について理解していたのだ。部下の性分を配慮し、考察者の名前は伏せるくらい——しないか。ダルミンも貴族の会話が苦手な人物筆頭だった。
「実に興味深い考察だった。軍務省でも精査したが、可能性は高いという結論に至った」
ガルンダはカランの瞳を正面から見据えた。
「お前の考察力は大したものだ。敵軍の数、目的、指揮系統について聞こう」
「わかりました」
軍務卿に直接、話をするのであれば、自分の推測がそのまま軍務省の意見として採用される可能性もある。下手なことは言えない。
「まず、鎧人だけについてですが、率直に申しますと正確な数は分かりません」
ガルンダは口を挟まない。そんなことは前提以前の話だった。
「ですが、十万を下限として想定すべきです」
当初、軍務省の見解では、青き森の軍勢は最大十万というものだった。カランはその数こそ最低数だと言ってみせる。
「続けろ」
ガルンダは、まずは一通り意見を聞く構えだった。
「キャンベラだけでも数万の鎧人が確認されています。我々が同地で討伐した数も、一万は軽く超えました。それ以前にはタルナとナールムが攻め落とされている。両都市での正確な鎧人の損害は不明ですが、数万は失ったのではないでしょうか」
「数万を失ったという確証は」
「ありません」
カランは即答した。損害を裏付ける明確な証拠はどこにもない。
それを理解するガルンダも深く追求はしなかった。
「ですが、損害を受けたこと自体は確実でしょう。それだけの攻勢を続けられる軍勢を相手にするのであれば、十万を想定して過大だった場合より、数万と見積もって過小だった場合の方が致命的です」
タルナを落とすのにかかった損害、ナールムを落とすのにかかった損害、キャンベラを攻めた際の損害。少なくとも、それだけの損害が重なっている。タルナ、ナールムを陥落させるのにどれほどの兵数を使ったかは定かではないが、その二都市も無抵抗だったはずがない。できうる限りの抵抗をしただろう。
正確な損害はわからないが、キャンベラだけで一万を超えているのだ。相当数ではあるだろう。それでも攻勢を緩めるどころか、新たに王都近郊に大軍と思われる軍勢が出現している。
「そして今回、新たに鎧人が青き森に現れました」
二都市を陥落させ、キャンベラに攻勢を仕掛けた軍勢とは全く別の勢力という可能性もなくはないが、同じ軍勢、もしくは同系統の軍勢であるという考え方が妥当だろう。
「これまでの行動を考えれば、次の目標がワラネの攻略である可能性は極めて高いでしょう。すでにタルナとナールムを落とし、キャンベラへも攻勢を仕掛けた鎧人が、王都ワラネを半端な戦力で攻めるとは考えられません」
「それが、十万か」
「はい」
兵数を十万と想定した場合、まずその大半を占めるのは”平鎧”だ。そして、それを率いる”ツノ持ち”は、これまでと同程度の比率だとすると三百ほど。ワラネ攻略を試みるなら、最低でもこの程度の戦力は用意するだろうと、カランは考えていた。
「なるほど。単に推測した数ではなく、王都防衛から逆算した数ということか」
「おっしゃる通りです」
「だが、十万ではワラネを確実に落とせる数ではないな」
「それも、おっしゃる通りです」
ワラネを落とせる、落とせないと物騒な言葉を交わす二人を、ヤラミラは固い表情で見比べている。
「では、最大は?」
「それは、未知数です」
再びカランは即答した。
「そうか」
しかし、その答えはガルンダも想定していたのだろう。実に淡々とした態度だった。
「私の考察を前提にすると、鎧人がさらにどれほどの兵力を有しているか、判断材料はほとんどありません。その総数が我々の想定をはるかに上回る可能性が極めて高いということだけです」
「……そうか」
ガルンダの態度は、さして変わらなかったが、その返答は少し重く感じた。
「私もその報告は目にしました」
そこで、黙って聞くに徹していたヤラミラが口を開いた。
「カラン殿の考察に矛盾があるとは思いません。しかし、従来の定説を根底から覆す内容です。軍全体に受け入れさせるには、推測以外の根拠が必要なのではありませんか」
そう告げてから、ヤラミラはわずかに表情を曇らせた。
「……カラン殿の意見を否定したいわけではありません。ただ、急に聞かされた者が、簡単に納得できるとは思えないのです」
「ヤラミラの指摘はもっともだ」
ガルンダはヤラミラの意見を肯定する。
「カランの考察は非常に興味深いものだが、確かに従来の定説を根底から覆す内容だ。だが、異種対策局からも似たような提言があった。今回の事態から推察するに、可能性は高いと言える」
今までの定説は、鎧人は山脈を生息圏としている、というものだった。それを急に山脈より西の荒野が生息圏と言われても信じるのは難しいだろう。
「元より、鎧人は山脈に生息するという定説も、その方面から現れているという事実を根拠にしたものにすぎません。山脈に住まうのではなく、さらに西から山脈を越えてきた群れがいた可能性もあります」
「山脈が生息圏である可能性と、カラン殿の考察は両立できますね」
「はい」
「なるほど、従来の定説は否定する必要はなく、その上で、山脈よりも西に鎧人の生息圏が広がっている可能性を加えるのであれば、軍にも受け入れられやすいでしょう」
カランの補足に対し、ヤラミラは的確に返答してみせた。
「そういうことだ」
ガルンダはそれに満足そうに頷いた。それから、茶を一口飲みながら卓上の報告板へ視線を戻す。それに合わせて、カランとヤラミラも喉を潤した。
「数についてはわかった。王都防衛においては、十万を下限として備えるべきだという意見も理解した」
茶を卓へ戻し、顔を上げる。
「ワラネが次の攻撃目標という予想は軍の見解とも一致する。それ以外の見方もないだろう。だが、それが奴らの目的というわけではあるまい」
ガルンダは再びカランを見据えた。
「奴らは、何のために我々の都市を、王国を攻めている?」
話はまだ長くなりそうだ。
カランは気付かれないよう、静かに深く息を吸った。




