第四十六話:邸宅にて
玄関広間の床には大地を感じさせる赤褐色の石材が敷き詰められ、その中央を流れる大河のように群青色の細長い敷物が大階段まで伸びていた。
案内すると言ったヤラミラは、振り返ることなくそのまま玄関広間の正面奥に設けられた大階段へ向かってしまった。
大階段の踏板と手すりには、硬質樹木が惜しみなく使われている。いずれも年季を感じさせる深い色艶を帯びていた。手すりには蔓草を模した彫り込みがあり、ところどころに葉のような銅飾りが加えられ、それ自体が古木のようにも見える。
ヤラミラは、案内するとは言ったものの、その足取りは速かった。踵を鳴らしながらどんどん階段を登っていってしまう。一本に束ねられた赤茶色の長髪が左右に大きく揺れていた。
「ヤラミラ殿」
「何でしょう」
カランが声をかけると、我に返ったのかヤラミラの足取りは緩やかになった。だが、振り返りはせず、あくまで案内を続けるようだ。
「応接室は二階ですか」
「ええ、業者や使いの者の応接室は玄関に入ってすぐにありますが、正式な客人を迎える部屋は二階です」
カランとしてはどちらでも構わなかったが、軍務卿の客人ともなれば正式に迎えないわけにもいかないかと納得した。
踊り場の正面には、壁の大半を占める巨大な風景画が掲げられていた。赤い大地と、その上に広がる深い森。遠方には青い山並みが連なり、さらに先には、空と区別のつかない海が描かれている。
カランは、こういった場所には、主に現当主、もしくは初代当主や中興の祖など、偉業を成した人物画が飾られるものだと思っていたが、その絵画には人の姿はなかった。
「建国以前のアウストロメリアを想像して描かれたものです」
後ろからついてきていた侍女が、カランの視線が絵画に向いたのに気がつき、補足をしてくれた。
「想像、ですか」
「はい。記録は残っておりませんから。屋敷を建てた御当主様が、画家を雇って描かせたそうです」
二人が話し始めたところで、ようやくヤラミラは足を止めて振り返った。
カランが風景画を観察している間に、ヤラミラと侍女の視線は激しくぶつかっていた。
——案内しているのは私だ。
——でしたら、きちんとご案内くださいませ。
声に出さずとも、互いの言いたいことは充分に伝わっている。
「カラン殿」
ヤラミラに声をかけられ、カランは再びその後を追った。部屋まで行くのにあまり時間をかけるものでもないだろう。さらにその後を侍女が静かについてきた。
階段を上りきった先の廊下の壁には、歴代当主とそれを囲む当時の一族と思われる肖像画が並んでいた。年齢にはばらつきがあるようだが、当主と思われる人物は一様に軍服姿だった。
その中の一つで、カランは思わず足を止めた。ヤラミラもそれを想定していたのか、カランに合わせて足を止めた。
「これは軍務卿閣下と……ヤラミラ殿ですか」
「いえ、母です」
「よく似ています」
「よく言われます」
その肖像画には、今よりも若いガルンダが描かれている。この頃にはすでに禿頭だったようで、カランにもすぐにガルンダだと見当がついた。そして、その斜め前にいる人物がヤラミラかと思ったのだが、どうやらヤラミラの母らしい。今のヤラミラとそっくりだった。
「では閣下の隣にいるのが」
「祖母です。と言っても、私が生まれた頃に他界したので、この絵でしか知りません」
庭園を案内されている時の使用人の言葉からも察せられたが、ヤラミラの祖母はすでに亡くなっているようだ。
「お美しい方ですね。お母様は、お祖母様の面影を色濃く受け継いでおられるようです」
ヤラミラの母はガルンダとは似ても似つかない。それに対し、祖母の方とは、とてもよく似た顔立ちをしている。違うのは髪色が黒ということぐらいだろうか。つまりガルンダに髪が生えていたら赤茶色だったのかもしれない。
「はい!まさしくヤラミラお嬢様にも引き継がれた美貌でございます!」
「お、おい」
カランがガルンダの髪色を考察していると、侍女が両拳を握り鼻息荒く補足してくる。
侍女はカランの見えないところで、したり顔だった。勢い込む侍女を前にヤラミラはたじたじだ。
確かに、ヤラミラと母親がよく似ているといった後に、さらに母親と祖母がよく似ているといい、その祖母の容姿を褒めたら、それは間接的にヤラミラの容姿を褒めたことになるだろう。
カランはあまり取り合わないことにして、隣の肖像画に目を移した。
「では、こちらの少女がヤラミラ殿ですか」
「あ、はい。そうです」
右に立つ男性が、おそらく今の当主だろう。その左隣には一人の女性が立ち、手前には三人の子供が並んでいる。中央の少女と、その両側に幼い男女が一人ずつ。
当主は明るい茶色の髪をしており、目元にはどこかタルガンに通じるものがある。確かタルガンとヤラミラは従兄妹だったはずだ。
隣の人物はヤラミラの母だろう。ガルンダの肖像を先に見ていると年月の流れを感じさせる。
正面に立つ少女こそが、幼少期のヤラミラだ。さすがにまだ可憐という言葉の方が似合うが、すでに凛々しさの片鱗が覗く顔立ちをしている。
「両隣の方は、妹君と弟君ですか」
「ええ、妹と弟です。この時にはまだ生まれていませんが、もう一人妹がいます」
「それは賑やかそうです」
「騒がしいくらいですよ」
そういうヤラミラには自然と笑みが浮かんでいた。戦場では見たことのない表情だった。きょうだい仲は良好のようだ。
「こちらです」
今度こそ案内役らしく、ヤラミラは応接室の扉を示した。
応接室は現当主の肖像画のすぐ隣だった。歴代当主の肖像画は、現当主のものが応接室の手前になるように、代替わりのたびに掛け替えられるのだろう。
応接室の扉も立派な一枚板だった。葉を茂らせる大樹のような彫刻が見事だ。
「どうぞ、お入りください」
「恐れ入ります」
カランは部屋に踏み入ると、奥に進みながら調度品を眺めるように室内へ視線を巡らせた。
出入口は、今入ってきた扉を含めて二つ。もう一方は壁と同じ色に塗られ目立たない。茶などを運ぶ使用人の出入りに使うのだろう。窓は庭園側に三つ。外には細い露台があり、端からなら屋根を伝って階下へ降りられる。長椅子の背後には大人が一人か二人はいられる空間があるが、死角にはなっていない。
「また、確認しているのですね」
ヤラミラが苦笑した。
「……素晴らしい調度品の数々です」
「誤魔化さなくても構いません。悪気がないのはわかっていますから」
カランはとぼけてみたが、それは意味をなさなかった。実際に調度品が優れた品なのは間違いない。しかし、カランがそれらよりも間取りを気にしているのは、ヤラミラにはお見通しだった。
「失礼、つい癖で」
「良いのです。何事も確認は重要です」
「恐縮です」
「お気になさらないでください。席へどうぞ」
ヤラミラは何がそんなに嬉しいのか、笑顔でカランを席へ促した。
カランは席に着くと窓の方へ視線を向けながら口を開いた。
「見事な庭園でした」
「祖父や母が聞けば喜びます。特に火柱草は母が大事にしていまして」
「それは伺いました。見事な花穂でした」
するとヤラミラは少し緊張した面持ちになった。
「……もう母と?」
「いえ、お会いしたわけではありません。使用人の方から」
そうカランが返すと、表情は安堵に変わる。何か母親との間にあるのだろうか。
「閣下は東屋がお気に入りだとか」
「ええ。よく瞑想をしています。他にも寒い季節になると、祖父自ら手を加える植栽がいくつかあります」
寒くなると異形の民の活動も鈍る。その間、ガルンダは庭いじりに精を出しているそうだ。武断の将軍の意外な一面だった。
「ヤラミラ殿は…」
そうカランが口を開いた瞬間、ヤラミラはスッと目を逸らした。
「……今は軍務が優先ですね」
その仕草から、なんとなく事情を察したカランはそう続けた。どうやら植栽に対する熱心さは受け継がなかったらしい。
「え、あ、はい。今は、そう、です」
ヤラミラはカランに事情を察されたことに気づき、少し縮こまりながらそう答えた。
そこで見計らったように、片方の扉から侍女が茶を運んできた。
「失礼いたします。お茶と焼き菓子をお持ちいたしました」
「あ、ああ。ご苦労。そこに置いておいてくれ」
侍女は静かながら素早く配膳を済ませる。
「ありがとうございます」
カランは侍女に軽く会釈して礼を言うと、彼女は深く一礼して静かに扉の奥へ戻っていった。
それを横目で見送っていると、ヤラミラが手ずから茶を注いでくれる。
「良い香りですね」
「母が焙煎した茶葉です」
「茶葉まで手がけているのですか。多才な方なのですね」
ヤラミラは茶器へ注いだあと、少しだけ手を止めた。一滴の茶が茶器に落ちて波紋を広げる。自分と母親の差を考えたのかもしれない。
「母は、何かを育てたり加工したりするのが好きなのです。軍務省でも似たようなことをしています」
「生産職術士ですか」
術士の全員がカランやヤラミラのように前線に立つわけではない。およそ半数は物資の生産や加工、設備の維持に携わる技術職だ。
軍務省勤務は一族の慣例なのだろうが、おそらくは兵站関連の高官だろう。
「はい……どうぞ」
ヤラミラに湯気が立つ茶器を差し出される。
「いただきます」
茶は深みのある味わいをしていた。
「口に含んだあとの香りの広がりがよいですね。余韻も心地よいです」
「なるほど…」
カランの感想を聞き、同じように茶を口へ運んだヤラミラの方がなぜか感心していた。
やがて、応接室の外から荒々しく重い足音が近づいてきた。それまで柔らかかったヤラミラの表情が、わずかに引き締まる。カランも茶器を卓上へ戻し、居住まいを正した。
足音は、二人の待つ部屋の前で止まった。
私も庭で四季折々の花々を育てたいとか思うのですが、部屋に観葉植物を飾るのが限界ですね。今年はアンスリウムの調子が芳しくなく、ちょっとしょげてます。




