第三十九話:貴族院議会・罹災
敵情を探るために、青き森へ向かうオルスタを募る。
その方針が決定すると、今度は別の席から声が上がった。
「あの〜、それじゃあ、そっちの話はひと段落着いたということで、こっちの話も聞いてもらえます?」
ひらひらと手を振って発言を求めたのは、法務卿ミラングだった。締まりのない笑みを浮かべたまま、どこか他人事のような調子で語り始める。
「ナールムから逃れてきた市民が港にあふれていてね。今はまだ商人の協力もあって、なんとか持ち堪えてるけど、この調子で行くと二、三日後には許容量を超える。どうします?これ」
緊張感の欠片も感じさせない態度とは裏腹に、語られた事態は決して見過ごせるものではなかった。
「受け入れるしかなかろう」
軍務卿ガルンダは低く答えた。
「そう簡単な話でもないんですよ」
ミラングは困ったように首を傾げた。
「もちろん、受け入れないってのはナシだ。そんなことしたら、外の敵を対処する前に内側から崩れかねない。でも無計画に受け入れのも難しい。そうでしょう?食糧卿」
「そうだね。幸い収穫期を終えたばかりだから、備蓄はたんまりある。それでも今の状況が続けば厳しいね。狩猟班をあまり遠くまで出すわけにもいかないし、漁の季節も終盤だ。今後、備蓄が増えるとは期待しないほうがいい」
話を向けられた食糧卿カラワナは、現在の食糧事情を淡々と説明した。
「今年の年越しは寂しくなりそうだ」
ミラングは肩をすくめ、おどけてみせた。
そして、さらに話を続けた。
「問題は食料だけじゃない。ナールム市民の住居と衣服、衛生設備、それから今後の身分まで考えないといけない。彼らはナールム市民であって、ワラネの市民権は持っていない。法務省はてんてこ舞いだよ。ダンゴムシ魔獣の手だって借りたいね」
王国では、都市ごとに市民を細かく管理し、ナールムでは総督府がその役目を請け負っている。その住民台帳も当然、ナールム総督府に保管されている。それを持ち出す余裕はあったはずもない。
そのため港では、避難民一人一人の証言を聞き取り、関係者の供述と照らし合わせながら、新たな住民台帳を作成しているところだ。
「都市内で使用可能な建物はすべて開放するしかあるまい。広場や集会所、訓練場にも天幕を張れば、相当な人数を収容できるのではないかね?働ける者にはさっさと仕事を斡旋させろ。ただで飯は出せん」
そう言ったのは、財務卿バルナムだった。働かせられる者を遊ばせておくことを、何よりも嫌う男である。労働力は全て無駄なく使うのが彼の信条だ。
「各省庁で連携し、明日中に開放できる場所をまとめましょう。居住地の割り当てと職業斡旋はそれからです。商業区には空き倉庫もあるはずです。それに、治水区画なら相当な数の天幕を設置できるのでは?」
続けて口を開いたのは、交易卿ブールナンだ。
治水区画は水路が縦横に張り巡らされた一帯である。水の流れを妨げないように、本来は建築禁止区域だ。しかし、水路の合間には何もない土地が多く、仮設の天幕を張ろうと思えば、相当な数が設置できるように思えた。
だが、その提案にはすぐさま反対の声が上がった。水利卿ナールミラである。
「ぁ、あの…そこ、使ぇ、ません…」
「閣下は、治水区画への天幕は認められないとおっしゃっています」
正確には、反論を述べたのは隣に控える彼女の補助官だった。
水利卿ナールミラは黒い長髪に表情を隠し、周囲の視線から逃れるように背を丸めて席に座っている。彼女は極度の内気で、他人との会話をひどく苦手としていた。発言はほとんどの場合、この補助官を介して初めて公的な言葉になる。
「認められない?理由は?」
ナールミラはごにょごにょと何か治水にとって重要であろうことを長々と語り始めた。
その間、議場は静まり返り、席に着く貴族たちはお互い顔を見合わせる。
しかし、ナールミラはそれに気がつくことはない。治水について語るときだけは、周囲の視線などまるで入らなくなるのだ。もっとも、肝心の言葉は、その周囲には届いていなかったが。
そして、そのための補助官である。
ナールミラが満足そうに、ようやく口を閉じると、補助官は一つ咳払いした。
「閣下は、治水区画は空いているのではなく、空けておかなければならない土地である、とおっしゃっています」
「空けておかなければならない?」
「はい。あの区画は、大雨や河川の増水時に、市街へ流れ込む水を一時的に逃がすための場所です。天幕を張れば、その機能を損ないます。天幕そのものだけでなく、杭、荷車、家財、炊事場、物干し台、仮設の橋などが水の流れを妨げるためです」
補助官は指を一本立てた。
「また、増水によって天幕や家財が流された場合、それらが下流の水門や排水口に詰まり、水路を完全に塞ぐおそれがあります。そうなれば治水区画だけでなく、下流の居住区や商業区まで浸水します」
二本目の指が立つ。
「天幕を固定するための杭も問題です。治水区画の地下には、地上からは見えない導水管や排水路が通っています。位置を知らない者が杭を打てば、設備を破損させる可能性があります。また、多数の人間が長期間生活すれば地面が踏み固められ、雨水が染み込みにくくなり、地表を流れる水量そのものが増加します」
三本目。
「衛生上の問題もあります。数千人分の糞尿、残飯、洗濯水、炊事の灰や油を処理する設備がありません。それらが水路へ流れ込めば、下流の取水口が汚染されます。水路の一部は飲料水には直接用いておりませんが、農業用水や洗浄用水を介して市内全域に影響が及びます」
四本目。
「加えて、あの一帯は湿気が多く、水溜まりもできやすい。大人数を密集させれば、害虫やネズミが増え、病が発生する可能性が高まります。ひとたび感染症が広がれば、水路を通じて別の区画へ持ち込まれる危険もあります」
五本目。
「水路によって土地が細かく分断されているため、物資の搬入にも適していません。橋の数が限られており、人や荷車が集中すればたちまち通行が滞ります。火災、増水、あるいは敵襲が起きた際にも、数千人を速やかに退避させることは困難です。夜間に水路へ転落する者も出るでしょう」
補助官は手を下ろした。まだ終わりではなかった。
「さらに、現在の状況では治水設備の警備も無視できません。避難民を疑うという意味ではありませんが、身元確認を終えていない者を水門や取水設備の近くへ大量に置けば、破壊工作や毒物混入を防ぐために相当数の衛兵が必要になります。水利省の技官も、点検や補修のたびに居住区域を通らなければならなくなります」
補助官はそこでいったん言葉を切り、ナールミラへ目を向けた。
黒髪の奥で、彼女が小さく何度もうなずく。
「最後に、治水区画は緊急時、直ちに無人にしなければなりません。しかし、住居を失った数千人を一度受け入れてしまえば、増水の兆候が出てから別の場所へ移すことは事実上不可能です。したがって――」
補助官は議場を見回した。
「治水区画への避難民の収容は、短期間かつ仮設であっても認められない。これが水利卿閣下の見解です」
「…空いているように、見えたのだがな」
これでもかと問題を並べ立てられ、ブールナンはたまらず仰け反った。
「…ぁ、空けて、ある…ん、です」
小さな声だったが、今度のナールミラの声だけは、議場の端まで届いた。
もはや反論する者はいなかった。
「……理解しました。では、各省庁は明日までに開放可能な場所をまとめ、交易省へ報告してください。取りまとめは、こちらで引き受けましょう」
やや動揺を残しながらも、ブールナンは議論をまとめる。自ら持ち出した提案の後始末をするように、省庁間の窓口まで引き受けた。
「助かるよ」
法務卿ミラングは、発言を求めた時と同じように、ひらひらと手を振って気安くを礼を示した。
私も借りたいですね。ダンゴムシ魔獣の手。いや、キモいか…?(おい)




